第13話 高瀬川


「何の御用でしょうか? 先輩」

「……何でしょうか?」


 由弦は穏やかに、愛理沙はやや冷たい程度で。

 海原に対峙した。


 周囲は弁当を広げたり、談笑したりしながら……

 少しだけこちらを気に掛けている様子だ。


「……先日は」


 海原はそう言った。

 それから表情を歪め、悔しそうに、屈辱に表情を歪ませた。


「高瀬川さんと、雪城さんには、大変ご迷惑をお掛けしました。……謝罪します」


 そう言って頭を下げた。

 これには周囲も驚いたようだ。


 当初は興味なさそうにしていた生徒たちも、興味津々という様子でこちらに視線を向ける。


 ……これでは公開処刑だ。

 まあ、勿論……海原の気持ちはどうでも良い。


 だがこれが切っ掛けで逆恨みされても困るし、それに悪目立ちしたくなかった。


「頭を上げてください、先輩。俺は気にしていませんから」


 そして愛理沙に目配せする。

 彼女は……呆気に取られた表情を浮かべていた。


 だが由弦と周囲の視線で、ようやく我に返った。


「私も気にしていません」


 愛理沙は淡々と、そう返した。

 

「……」


 一方、海原はあまり納得していない様子だった。

 一年生に頭を下げるという行為は、彼のプライドを傷つけたようだ。


 そのためか、最後に負け惜しみのように……


「……少し家が金持ちだからって、調子に乗るなよ」


 由弦に対してそう吐き捨て、去っていった。

 見事なまでのブーメランだ。

 これでは謝罪が台無しだろう。


「なあ、雪城。君、父親に彼の事を報告したのか?」

「まさか! ……もう二度と、関わり合いにもなりたくないですし。高瀬川さんは?」

「この程度のこと、親を頼るまでもないからね。言ってないよ」


 由弦も愛理沙も、親にこのことを報告したわけではない。

 では、どうして急に謝る気になったのだろうか?

 と由弦は内心で首を傾げた。





 その後。 

 昼食中、由弦が先ほど起こった出来事について宗一郎と聖に話すと……


「へぇー、あの人、お前のところにも謝りに来たのか」


 宗一郎は驚いたように言った。

 どうやら海原は宗一郎のもとにも、謝罪へ赴いたようだ。


「君は親に報告したのか?」


「まさか。ただ……亜夜香と千春は相当、ご立腹だったようだ。あの二人、盛りに盛って、告げ口したようだな。それで海原は親父さんから、しこたま怒られたらしい」

   

 宗一郎がそう言うと、聖はおどけた調子で怯えて見せた。


「おぉ……女は容赦ねぇなぁ。男だったら、親に頼るなんて情けなく思うものだが」


「その理論だと、あの人は男ではないということになるな。まあ……男とか、それ以前の問題として、何かあるたびに父親を持ち出すのは、情けないにも程があるが」


 海原を酷評する宗一郎。

 宗一郎からすると海原は大切な幼馴染を傷つけようとした男なので、その評価も当然ではあるが。


「うーん、亜夜香ちゃんと千春ちゃんが、俺たちの話をしたのかな?」

「一応聞いてはみるが……それはないだろう。あの二人はその辺の分別はついている」


 亜夜香と千春が海原から受けた被害と、由弦と愛理沙が海原から受けた被害は、別の話だ。

 由弦と愛理沙の話も含めて、亜夜香と千春が自分の両親に報告するのは道理に適っていない。


「海原がパパに泣きついたんじゃねぇか? 『高瀬川』って奴に虐められた! ってさ。それで逆に叱られたってオチだろ」


「もしくは、海原の親父さんが問い詰めたのかもな。海原はアレだが、海原議員は良識的な人物と聞く。他にも女の子に強引に迫ったんじゃないかと、そう問い詰められて……お前の名前が出てきたとか」


 何にせよ、海原が自分の意思で謝ったはずはない。

 何らかの理由により愛理沙を傷つけようとし、そしてその過程で由弦と揉めたことが海原の父親に伝わったことは間違いない。


「まあ……過ぎたことだ。もう、やめにしよう」


 海原のことを考えるだけでも不愉快なので、由弦はそう提案した。

 宗一郎と聖は同意するように頷く。


「そうだな。……これで反省しただろうし」

「どうかねぇー、この程度で反省するようなやつは告り魔にはならんと思うが。まあ、俺には関係ないけど」


 こうして“告り魔”を巡る問題は一応の解決を見せた。






 さて、直近の土曜日。

 いつものように由弦は愛理沙と時間を過ごしていた。


 夕食中、何気なく、由弦は愛理沙に尋ねた。


「俺ってさ、いけ好かないところ、あるかな?」

「……はい? 急にどうしましたか?」


 呆気に取られた表情で、不思議そうに愛理沙は尋ねた。

 愛理沙にこういう話をするのは良くないと思いながらも……由弦はどうしても気になっていた。


「いや……前、海原ってのがいただろ?」

「あぁ……あの、変な人ですね。まさか、何かされたんですか?」

「いや、あの後、関わりはない。ただ……言われただろ? 金持ちだから、云々と」


 そもそも、自分の父親の職業を持ち出すような人間に、それを言われる筋合いはない。

 だがどうしても気になるものは気になる。


「……お気になされていたんですか」


 愛理沙はそのグリーンの瞳をパチパチとさせ、少し驚いた様子で言った。

 由弦は思わず、髪を掻く。


「いや、まあ……海原に言われたからというよりは、普段から気にはしているんだけどね」


 高瀬川家は普通の家ではない。

 名門と言っても、差し支えないだろう。


 相当額の政治献金も行っているので、海原が由弦に謝罪したのはそういう背景がある。


「そうですね。まあ、金銭感覚は粗そうだなという印象はありますが」

「……そうかな?」

「やりもしないゲームを積み上げたり、使いもしないキッチン用品を買ったり」

「……ま、まあ、そうだな」

「でも、一般家庭でもそういう方は大勢、いらっしゃいますから。高瀬川さんがお金持ちだから、というわけではないと思います。もっと、根本的な問題ですね」

「……」


 果たしてそれは慰めているのか。

 それとも説教しているのか。

 由弦は少し複雑な心境になった。


「でも、鼻につく感じはないです。今のところは。……というか、私、そもそも高瀬川さんがそんなに凄いお家の方だとは知りませんでしたし」

「……そうかな?」

「そうです。気にし過ぎですよ。あれはただの負け惜しみです。要するに自分の家柄や財力、父親の職業でマウントを取ろうとしたら、間抜けなことに失敗したから、悔し紛れにそう言っただけです。あんな人のあんな言葉を気にしたら、ダメですよ」


 勿論、その辺りは由弦も分かっている。

 実際のところ、海原にどう思われようとも由弦は気にならない。


 だが……由弦にとって、“高瀬川”の家名はとても重い物なのだ。


「というか、意外ですね」

「意外?」

「高瀬川さんはもっと、こう……強い人なのかと思ってました」


 意外、という愛理沙の言葉そのものが由弦にとっては意外だ。

 別に由弦は自分のことを強いとは思ったことは一度もない。


「……どうして?」

「いえ、だって……あの人に威圧されても、高瀬川さんは全然、動じていなかったじゃないですか。……私はちょっと、怖いなと思っていたので」

「まあ……怯えるほどのことではないからね」


 世の中にはもっと、怖い人間がいることを由弦は知っていた。

 高瀬川の次期当主として、そういう人間は間近で見てきている。

 だからただの高校二年生の子供に過ぎない、海原など怖くもなんともない。


 ただ……


「あれは海原には、うちに手を出すことはできないと……高を括ってたところもあるからね」


 だから海原が“家”を持ち出してきても、怖くはなかった。

 いや、だからこそ怖くなかったと言えるかもしれない。

 “高瀬川”という家名は一般人よりも、海原のような人間に対して相性が良いのだから、


 由弦は思わずため息をつく。 


「俺が高瀬川ではなかったら、彼はきっと俺に謝罪をしてくることはなかったね。つまり、俺が強いのではなく、高瀬川が強いというか……」


 家に頼ったつもりはない。

 だが高瀬川由弦にとって、“高瀬川”という家名は不可分のものであり、どうしてもその言動の背後には家名がチラつく。


 ある意味、同類である宗一郎たちには言えないことを由弦が吐き出していると……


「高瀬川さんは、ご実家が嫌いなんですか?」


 愛理沙がそんなことを尋ねてきた。

 由弦は首を傾げる。


「まさか。……自慢をするつもりはない。だが誇りに思っている」

「なら、良いじゃないですか」


 それから愛理沙は美しい眉を寄せた。

 そして言葉を選んでいく。


「何と、言えば良いんですかね……結局のところ、名前も、容姿も、才能も、教育も、大抵の人はご両親から貰った物なわけじゃないですか。だから……高瀬川さんの力で、良いと思います。大事なのは使い方と言いますか……」


 そして愛理沙は「とにかく」と、強い言葉で言葉をまとめる。


「私は高瀬川さんに助けて頂きました。これは高瀬川さんの、高瀬川由弦さんのおかげです」


 由弦は胸がすくような気持ちになった。

 長年、喉に刺さっていた小骨が取れたような……そんな気分だ。


「雪城」

「はい」

「ありがとう」

「力になれて、幸いです」


 そう言って愛理沙は微笑んだ。

 それはとても美しく……極めて自然な笑顔だった。


 不思議と由弦の胸が高鳴った。



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