第12話 “婚約者”と告り魔

 放課後。

 由弦は校内にある図書館へ本を返しに行く途中……


「えぇ!? どうしてだよ」


 そんな軽薄そうな声が聞こえてきた。

 それは冗談めかしたような雰囲気ではあるが、どこか怒気が含まれているように聞こえた。


「なあ、少しだけ……お試しだと思って。一か月……いや、一週間、いや、三日! 友達から……」


 どうやら、色恋沙汰で揉めているようだった。

 もっとも由弦はよそ様の色恋沙汰に首を挟む趣味はないので、そのまま無視して通り過ぎようとし……


「あなたのことが好きではないからです」


 聞き覚えのある声に、足を止めた。

 凛とした美しい、しかしどこか無機質で凍えるように冷たい声。

 由弦の良く知っている、少女の声だった。


 知り合いとなると、放ってはおけない。

 由弦は声のする方へと向かう。


 場所は人気のない、木陰だった。


 こっそりと、由弦は様子を伺う。


 やはり聞き覚えのある声の方は、由弦の“婚約者”である雪城愛理沙だった。

 そしてその“婚約者”にしつこく縋っているのは……


 一つ、上の先輩だ。

 由弦の記憶が正しければ……サッカー部のエースだ。

 朝礼か何かで、表彰されていたのを見た記憶があった。


 それに最近、宗一郎や聖との間に名前が挙がる人物でもある。

 名前は海原だ。


「えー! どの辺? 俺、そんなに悪くないと思ってるけど……」

「全体的に、全てが」


 バッサリと、愛理沙は切り捨てた。

 少し苛立っている様子だ。


 そして海原の方も……少し苛立っているように見える。


「まあ、そんなに固いこと言わずにさぁ……きっと、俺、君の役に立てるから」

「あなたの手助けなど、必要としていませんが」

「君のお父さんの会社、今、経営が苦しいんでしょ?」


 愛理沙の表情が凍り付いた。

 元々の無表情が、さらに能面のような表情へと変わっていく。


「俺の父さん、市議会議員だからさ。きっと、役に……」

「結構です!」


 愛理沙は吐き捨てるようにそう言うと、踵を返して立ち去ろうとする。 

 が、その腕を先輩が掴んだ。


「放してください。……先生に言いつけますよ」

「待って、待ってよ。もうちょっと話を……」


 これ以上、放っておくわけにはいかなかった。


「彼女、嫌がってますよ」


 由弦は姿を現すと、強い口調で海原を咎めた。

 じっと、海原の目を見つめながら由弦は近づく。


「あぁ? 誰だよ、お前。……関係ないだろ」


 バツが悪そうに彼は表情を歪めた。

 一応、無理強いをしているという自覚はあるようだ。


「クラスメイトとして、放っておくわけにはいきませんから。……手を離してあげたら、どうですか?」


 由弦はそう言って迫ると……

 海原は僅かに目を逸らした。


 こういう輩は案外、気が弱かったりするのだ。


「一年のくせに、調子に乗んなよ」


 そう言って海原は由弦の体を押すように、手を伸ばしてきた。

 殴るほどの勇気はない。

 だが近づかれると怖い。


 そういう心理からの行動だろう。


 そして由弦はその手を強く、掴んだ。

 それから軽く、捻り上げる。


「いっ……」


 海原は痛みで眉を顰めた。

 その拍子で、愛理沙を掴んでいた手を離す。


 愛理沙は由弦の背に隠れる。


 由弦は海原の手を離した。


「お前……名前は?」


 苛立った様子で海原は由弦にそう尋ねた。

 別に臆する理由も怯える理由も隠す理由もないので、由弦は素直に答える。


「高瀬川由弦です」

「……高瀬川、ね。よーく、覚えておこう」

 

 そう吐き捨てて、逃げるように海原は去っていく。

 由弦は肩を竦めた。


「……あの、高瀬川さん」


 愛理沙が遠慮がちに、おどおどした表情で由弦に声を掛けてきた。

 そしてペコリと、頭を下げる。


「……ご迷惑をお掛けしました」

「いや、気にするな。それよりも……お節介、だったかな?」


 愛理沙は自分の事情に介入されるのを、嫌っているように見える。

 だから由弦としては、できれば様子を見るだけに留めたかった。

 もっとも、さすがにあれは見ていられなかったので、介入することになったが。


「いえ……あれは本当に困っていたので、助かりました」

「そうか。なら……まあ、良かったとは、言えないか。災難だったね」

「……私は大丈夫です。でも、その……高瀬川さんは、大丈夫でしょうか?」

 

 愛理沙は心配そうに由弦にそう言った。

 はて、どういうことかと由弦は首を傾げるが……


 すぐに合点がいった。

 おそらくは、海原に目を付けられたことだろう。


「あぁ、大丈夫、大丈夫。あれには大したことはできないよ。案外、気が弱いタイプみたいだし……精々、親に言いつけるか、もしくは群れて絡んでくるかだね」


「それは……大変ではありませんか? あの人、お父さんは……その筋では有力な方なんですよね? それに確か……サッカー部のエースの方でしたよね?」


「まあ、有名人ではあるな」


 もっとも……


「あの人、元々評判悪いから」

「……そうなんですか?」

「サッカー部員からもあまり慕われてはいないようだね」


 クラスメイトが悪口を言っているところを聞いたことがある。

 まあ、由弦としては人の悪口などあまり聞きたくはないのだが……

 しかし人望があまりないのは事実のようだ。


「それに、告り魔でも有名だ。告り魔の失恋騒ぎのために、わざわざ一肌脱いでやろうなんて奴はいないよ」

「告り魔?」

「最近、俺の女友達も絡まれたようでね。迷惑してたよ」


 女友達というのは、橘亜夜香と上西千春のことだ。

 彼としては可愛い一年生、それもちょっと良いところのお嬢さんを恋人にして、自身の地位を向上させたいと思っていたのかもしれないが……


「強引に迫られたらしくてね」

「……その方たちは、大丈夫だったんですか?」

「あぁ、友人が割って入った。その時にひと悶着、まあ、今ほどではないにせよ、やり取りがあったらしいね。それで気が立ってたんだろう」


 友人とは佐竹宗一郎のことだ。


 かの橘と上西の子女に強引に交際を迫り、佐竹に喧嘩を売るなど、随分と肝が据わっていると由弦はその時思ったのだが……

 どうやら、ただ世間知らずのドラ息子なだけだったようだ。  

 家柄云々を語るならば、自分の“家”だけでなく他者の“家”までは最低限、覚えておくべきだろう。


「本当に大丈夫ですか?」

「放っておけばいいよ。……でも、もし何かされたら、俺に言ってくれ」

「……はい」


 愛理沙はどこか、不安そうな表情で頷いた。






 さて、それから三日後のこと。

 昼休み。


「おい、高瀬川。……海原先輩がお前を尋ねに来てるぞ。あと、雪城も」


 同じクラスのサッカー部員に声を掛けられた。

 何の用件だろうかと、由弦は首を傾げる。

 もっとも、先日の件に関係するのは間違いないが。


「大丈夫か? 高瀬川。……あの人、大分、苛立ってたけど」


 心配そうにクラスメイトが尋ねてきた。

 由弦は手をひらひらさせ、明るく言った。


「そいつは悪い。多分、苛立たせたのは俺だ。……迷惑を掛けたな」

「いや、俺たちは良いんだが」


 心配するな、と由弦はサッカー部員に言った。

 それから愛理沙の方へと、視線を向ける。

 

 彼女の方にも連絡が行ったようだ。

 いつもの無表情ではあるものの、少し不安そうに瞳を揺らしている……ように思えた。


 それから由弦は教室のドアの方へと、視線を向けた。

 仁王立ちし、苛立った表情で、腕を組んでいる海原の姿が見える。


 できるだけ穏便に、かつ、愛理沙に迷惑が掛からないように事を収めようと由弦は決めた。

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