第15話 “婚約者”と幼馴染

 由弦と愛理沙の気持ちは同じだったらしい。

 二人は近所の蕎麦屋に訪れた。


 蕎麦なら出前でも良かったが……出前だと料金が嵩む。

 徒歩で十分圏内にあるのだから、直接行く方が合理的だ。


「私、お蕎麦屋さんって初めてなんです」

「なるほど。だから蕎麦にしたのか」


 年頃の女子高生にしては蕎麦屋という選択肢は少々、渋い。

 女性なら汁が飛ぶのを気にしたりするのかもしれない。

 喫茶店やファミレスを選ぶのではと思っていた由弦にとって、愛理沙の選択は意外だったが、合点がいった。

 ……かに思えたのだが。


「あ、いえ。そういうわけではないです」

「え、違うの?」

「そもそも外食に連れて行って貰ったことがあまりなくて……お蕎麦にしたのは、夏だから良いかなと」

「それは……うん、奇遇だね。俺も夏だから、涼しいものが良いかと思っていたよ」

 

 一瞬、愛理沙の不憫な家庭事情が垣間見えた気がしたが、由弦は気が付かないふりをすることにした。

 さて、案内された席に座り、軽くお品書きを眺める。


「俺は……鴨せいろの中盛かなぁ。雪城は?」

「私は……天ぷらのお蕎麦にします。サイズは普通で」


 注文を終えてしばらくすると、まずは愛理沙の前に蕎麦と天ぷらが置かれた。

 天ぷらは海老が二本、野菜が五品という、少し多いが……値段を考えると納得のできる量と種類だ。


 但し、蕎麦の方は……


「えっと……これ、量、間違えてません? 中盛は高瀬川さんの方ですよね」

 

 山になる程度に盛られた蕎麦を見て、愛理沙は困惑の表情を浮かべた。

 

「ああ、ここ、ちょっと多いから。それが普通だ」

「え? いや、でも……」


 と、そこで由弦の前に置かれた蕎麦を見て愛理沙は無言になった。

 そして自分の物と見比べる。

 これが中盛なら、確かにこれは並だなと……そんなことが顔に書かれていた。


「悪い、悪い。説明し忘れてた……あー、手伝うか?」

「お願いします」


 結局のところ、およそ半分の量を由弦が貰い受ける形になった。


「こんなに貰っても良いのか?」

「そんなに食が太い方ではありませんので」


 愛理沙はそう言ってから、天ぷらの乗った皿を指さす。


「天ぷら、どうですか? 海老一本と……野菜を一品」

「じゃあ、貰おうかな」


 由弦は愛理沙の皿から天ぷらをもらう。

 それから自分のそばつゆに浮かんでいる、鴨肉を箸で摘まんだ。


「これ、どうだ? 食べる?」

「……そうですね。頂きます」


 と、そんな具合で双方の副菜を交換し終えてから、二人は蕎麦を食べ始めた。

 この店は量が多いが、その分質は劣るのかというとそういうわけではなく、普通に香りも良く、こしがあって美味しい。

 鴨の出汁が効いた汁も味が濃厚で、天ぷらもサクサクとしていて美味しい。


「高瀬川さん、山葵、食べれるんですね」


 唐突に愛理沙がそんなことを言いだした。

 確かに由弦は山葵は問題なく食べれるし、今も蕎麦に塗りつけるようにして食べていた。


「雪城は……苦手なのか?」

「……小さい時に食べて。それ以来です。ツンとしたのが、トラウマで」


 そういう愛理沙の皿に盛られている山葵は、減っていなかった。

 使わないなら自分が貰おうかと思った由弦だが……


「今、試してみれば? 意外にイケるかもしれないぞ」

「……そうですね。私も大人になりましたし。ところで、溶かさずに塗るのが正しいんですか?」

「さあ? 好み次第としか。ただ、君の場合は……溶かしたら食べられなくなるし、塗った方が良いんじゃないか?」

「それもそうですね」


 こくり、と愛理沙は頷いて少しだけ山葵を蕎麦に乗せた。

 そしてつけ汁に付けて、小さな口で上品に食べる。


「どう?」

「香りが良くて、美味しい……っく!!」


 愛理沙は鼻を抑えた。

 一瞬で目が真っ赤になり、潤み始める。

 慌ててお茶を飲みほした。


「くぅ……私には早かったようです。……笑わないでください」

「いや、悪い悪い。面白かったから」

「……酷い人です」


 愛理沙は涙目で頬を膨らませ、そっぽを向いた。

 その仕草は……頭を撫でてあげたいと、そう思ってしまうほど可愛らしかった。


 そうこうしているうちに、二人は蕎麦を食べ終えた。

 蕎麦湯を味わっている最中、愛理沙が由弦に尋ねた。 


「そう言えば、高瀬川さん。橘さんと、上西さんと……お知り合いなんですね」


 そう言えば昨日、あの場に愛理沙もいたなと思い出した。

 由弦と、亜夜香と千春が話していたのを見聞きしていたのだろう。


「まあね。……あの二人のこと、知っているのか? 違うクラスだけど」


 そう言えば、こんなやり取り、少し前もやったなと由弦は思いだした。

 そして由弦の疑問に対する愛理沙の回答は、以前とは少し異なるものだった。


「養父から……もし同じクラスになったら、仲良くしておけと。入学前にそう言われていました。良い家柄の人だから、と」


 愛理沙は嫌そうに眉を寄せた。

 人間関係にあれこれ指図されるのは、誰だって嫌だろう。


 由弦と彼女たちが幼馴染なのは家同士の関係で、親同士が仲良くさせようと引き合わせたのはもちろんだが、露骨に「仲良くしろ」と命じられたことはない。


「無理に仲良くする必要はないけど、二人とも良い奴らだよ」

「そうですね。明るくて、社交的で、美人で……」


 そういう愛理沙はどこか、羨望するようだった。 

 愛理沙は美人ではあるが、明るくて社交的かと言われると、確かに少しだけ疑問が残る。

 彼女は多くの人と平等に接するが、同時に仲の良い人を作らない。

 常に透明で薄く、しかし強固な壁を人との間に張っている。


「あの、高瀬川さん」

「うん? どうした」

「……あのお二人とは、どういうご関係なんですか?」

「幼馴染だよ。乳児からの付き合いだ。それで、友人同士。まあそれ以上でもそれ以下でもないかな」


 橘亜夜香の方とは親戚関係もあるのだが、遠縁なので、それについてはさほど意識したことはない。


「それだけ、ですか?」

「そうだよ。……なんだ、恋人同士にでも見えたのか?」


 確かに由弦と、亜夜香と千春の二人とは距離が近い。

 一見すると恋人同士……に見えるかどうかはともかく、普通の友人関係よりは仲が良さそうに見えるかもしれないし、実際仲が良いのは事実だ。


「いえ……その、そうは見えませんけど。でも、そういう思いが双方にあったりするのかな、と。勘繰りました」

「二人とも美人なのは認めるけどね。恋愛感情はないよ。好みのタイプじゃないし」


 ああいう賑やかなタイプの人間とは、友人になる分は楽しくて良いが、夫婦になりたいかと言われると……

 家で落ち着くことができないなと、思ってしまう。


「あいつらも俺のことは好きじゃない。別に思い人がいるんだ」

「あ、そうなんですか。……そうですよね。あんな美人な人、周りが放っておくはずありませんし」

「そういうことだ」


 まあ、あいつらの場合はその思い人が共通しているという点で、恐ろしいのだが。

 由弦は今頃、あの二人に挟まれているであろう友人の顔を思い浮かべた。


 そんな由弦に対し、愛理沙はいつもの無表情で尋ねる。


「良かったんですか? お勉強会、断ってしまって」


 どうやら由弦と彼女たちの会話も、聞いていたようだ。

 あれだけ大きな声で騒げば、聞こえるのも当然だが。 


「君との約束があったからね」


 先に約束したのは愛理沙なのだ。

 ならば愛理沙の方を優先するのが筋というものだ。


「……私なんかのために、良かったんですか?」


「俺にとっては、なんか、じゃなかったということだよ。あいつらとは、別で埋め合わせをすればいい。君とは土曜日にしか会えないんだから、こちらを優先するのは当然だろう? それに……」


「それに?」


「君と一緒にいるのは、楽しい。それじゃあダメかな?」


 愛理沙は一瞬、面食らったような表情を浮かべた。

 それから首を左右に振った。


「いえ、そんなことはありません。それに私も……楽しいです」


 そう言って愛理沙は目を細めた。

 触れれば散ってしまいそうな、儚げで、しかしとても美しく、愛おしく思ってしまう……そんな笑みだった。 

 抱きしめたい、摘み取ってしまいたい……そんな衝動に駆られる。


「あの、お一つ、良いですか?」

「あ、あぁ……どうした?」


 愛理沙の笑みに見惚れていた由弦は、我に返った。

 彼女の表情はいつもの無表情へと戻っていた。


「土曜日以外も……たまに、お邪魔しても?」

「暇な時なら、いつでも。歓迎するよ」

「ありがとうございます」


 そういう愛理沙はやはり相変わらずの無表情だった。

 が、その瞳はいつもより、柔らかい光を湛えていた。


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