第9話 “婚約者”の寝言

「い、いや……愛理沙。それはいくら何でも……」


 由弦は下半身に血流が集まりそうになるのを、必死にこらえながらそう言った。

 由弦と愛理沙が名実ともに恋人同士なら、そういうことをしても良いだろう。

 だが名目上は婚約者でも、実質的にはただの友人だ。


 勿論、将来的には名実ともに婚約者になる予定と(由弦の中では)なっているが、今は違う。


 さすがに断ろうとしたのだが……


「……汚い、ですか?」

「え? いや……」

「すみません。……私の汗なんて、汚いですよね」


 悲しそうな声で愛理沙はそう言った。

 しょんぼりと、落ち込んだ表情を由弦に見せた。


「いや、そんなことはない」


 思わず由弦はそう言ってしまった。

 すると愛理沙は恥ずかしそうにしながらも、弾んだ声で言った。


「じゃあ……してもらえますか?」

「……良いよ、分かった」


 由弦は酔っ払ったような気分で愛理沙の背中に向き直った。


 汗で濡れているが……本当に滑らかで、美しい背中だ。

 むしろ濡れているせいで、余計に艶めかしく見える。


 熱のせいか、恥ずかしさからか、その白い背中は僅かに、ほんのりと紅潮していた。


 由弦は濡れタオルを広げ、ゆっくりと近づける。

 心臓が緊張で高鳴り、手が震える。


「ひゃぅ!」


 すると愛理沙は艶っぽい声を上げた。

 由弦の心臓が大きく跳ねる。


「お、おい!」

「す、すみません……び、びっくりしてしまって……」


 びっくりしたのは由弦の方だ。

 好きな人が、半裸で、色っぽい声を唐突に上げれば、誰だって驚くし……興奮するだろう。


「いや、一声かけてからやるべきだった。……じゃあ、拭くから」

「はい……んっ……」


 再び由弦は濡れタオルで愛理沙の背中を拭き始める。

 べっとりとついた汗を拭っていく。


 そしてタオルを動かすたびに……愛理沙は小さな嬌声を上げた。


「あっ……んぁ……ぁン……」

「……擽ったいのか?」

「は、はぃ……んっ……すみません……」


 愛理沙は両手と衣服で前を隠しながら、少し振り返り、由弦に対してそう言いながら頷いた。

 白い鎖骨と、綺麗な腋、そして腋の部分から体の前方に掛けて存在する白い膨らみが目に映った。

 全身の血流が早くなる。


 愛理沙が再び後ろを向くのと同時に由弦も作業を始めたが……

 由弦はどうしても、愛理沙のが気になって仕方がなかった。


 良くないと思いながらも……


(そもそも、こんなに無防備な愛理沙が悪いんじゃないか?)


 とそんな言い訳をしながら、少しだけ距離を縮める。

 そして身を乗り出し、そっと肩の方から前を覗き込む。


 ゴクリ……と由弦は息を呑んだ。


 まず、綺麗な鎖骨が目に映る。

 そして鎖骨から下は、柔らかそうな曲線を描く。

 曲線の中心線には、思わず手でなぞりたくなるような谷間があり、そこに汗が溜まっているのがよく分かった。


 寝間着を両手で抑えるように胸を隠しているため、その柔らかそうな脂肪の塊は僅かに潰れるような形になっている。

 しかしそれでもはっきりと膨らみが分かるほど、大きい。

 そして隠しきれていたい上部と横の部分はしっかりと、見えている。


 だが……一番肝心の頂点の部分だけは見えない。


 愛理沙が少しでも手をずらしてくれれば見えるのに……

 と、由弦は非常にもどかしい気持ちに襲われた。


「あ、あの……由弦さん」

「え? ど、どうした?」


 愛理沙に声を掛けられ、由弦は我に返った。

 心臓がバクバクと大きな音を立てる。


 愛理沙はじっと、潤んだ瞳で由弦を見上げた。

 二人の顔の距離は……とても近い。

 愛理沙の熱い吐息を感じることができるくらいには。


「そんなにじっと、見つめられると……は、恥ずかしいです……」

「い、いや……す、すまない」


 由弦は思わず目を逸らした。

 愛理沙の胸を見ようとしていたことは、バレていたようだ。


 それから由弦は愛理沙の背中を拭くことだけには集中し……

 何とか作業を終わらせた。


 そして部屋を出て、愛理沙が前を自分で拭き、そして着替えを終えるまで待つ。


 しばらくすると入っても良いという許可が出たので、入室した。


「ご迷惑をお掛けしました」

「い、いや……気にするな。俺も……悪かったな」

「い、いえ……大丈夫です。その、むしろ……」


 と言いかけ、愛理沙は言い淀んだ。

 むしろ、何だったのか由弦は気になって仕方がなかったが、聞かなかった。


 とはいえ、これで由弦ができる看病は終わりだ。

 もう夜も遅いので、由弦は愛理沙に別れの挨拶を告げることにした。


「取り合えず、俺は今日のところは……」


 帰る。

 と、由弦が言おうとした時だった。


「あの、今日は……泊まっていってもらえませんか? こ、心細いので……」

「と、泊まるって……」

「い、いえ……その、一緒に寝て欲しいとは言いません。た、ただ……傍にいて欲しいというか……」


 ダメ、ですか?

 と愛理沙は上目遣いで由弦にそう言った。


 勿論、ダメと言えるはずがない。


「……君のお父さんに許可を貰うよ。それで良いと言って貰えたら……家から寝袋を持ってくる」

「はい、分かりました」


 何と説明したら良いのか分からなかった由弦は、天城直樹に対して、愛理沙の容態が悪く、彼女がいて欲しいというので泊まらせて欲しいと願い出た。

 直樹は少し困惑した様子ではあったが……「娘を頼む」と言って許可をくれた。


 由弦は急いで自分のマンションまで行き、寝袋を持ってきた。

 

「本当に……ご迷惑をお掛けして、すみません」

「気にするな。風邪の時くらい、好きなだけ甘えてくれ」


 ペコリと頭を下げる愛理沙に対し、由弦はそう答える。

 すると愛理沙は由弦の言葉通りに甘えることにしたのか……


「その、眠れないので……手を握っていて、貰えませんか?」

「良いよ、分かった」


 由弦は昼と同様に愛理沙の手を握って上げた。

 安心した様子で目を瞑る愛理沙の寝顔を、由弦は眺める。


 しばらくすると、可愛らしい寝息を立て始めた。


(……それにしても、本当に綺麗だ)


 由弦はじっと、愛理沙の顔を……艶やかな唇を見つめる。

 ここに自分の唇を押し当てたら、彼女は起きるだろうか? とそんな邪念に駆られた。


(い、いや……良くないな。信用を裏切るようなことは、するべきじゃない)


 由弦は本能を必死に、理性という手綱で抑え込んだ。

 そして踵を返し、愛理沙の部屋から出ようとして……


「由弦さん……好きです……」


 心臓が大きく跳ねた。

 由弦はゆっくりと、後ろを振り向く。


 愛理沙は……眠ったままだった。


「……寝言か」


 ホッと、由弦はため息をついた。

 そして由弦は愛理沙を起こさないようにドアを開け……


 そして去り際に呟いた。


「俺も好きだよ、愛理沙。おやすみ」


 小さくそう言ってから、ドアを閉めた。

 そして……
















「由弦さんの……馬鹿……寝れなくなっちゃったじゃないですか……」


 愛理沙は枕に顔を埋めて、そう呟いた。

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新デレ度:20%→35%




取り敢えず、お互いに好きなのは確かに伝わりました。

ところで私も、確かな気持ちとしてフォローと星が欲しいなぁ……


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