第8話 “婚約者”のお願い パート2

「食べさせて、ください」 

 

 愛理沙にそう乞われた時、由弦は少し驚いた。

 

 胸を貸してくれと言ったりと、弱みを見せてきたことは幾度もあったが……

 こういう我儘は初めてのように感じられたからだ。


(まあ……風邪を引いているわけだし、弱っているんだろうな)


 勿論、断る理由はない。

 由弦は頷くと、小さく切った桃をフォークで刺し、愛理沙の口元に運んだ。


「ほら」

「ぁん……」


 愛理沙は口を小さく分けて、桃を口に含んだ。

 愛理沙の艶やかな唇からゆっくりと、フォークを引き抜く。


 もぐもぐと愛理沙はゆっくりと口を動かし、桃を飲み込む。

 それから愛理沙は小さく口を開ける。


「もっとください」

「……あぁ」


 由弦は少しだけ変な気分になりながらも、愛理沙の口に桃を運ぶ。

 これはただの看病だ。

 

 しかしどうしてか、官能的な気分になった。

 それと同時に雛鳥に餌を与えているような、庇護欲も感じる。


 そんな倒錯的な気分に戸惑いながらも、由弦は愛理沙への“餌やり”を終えた。


 水と一緒に薬を飲ませる。

 ついでに氷枕と冷えピタも取り換えた。


「由弦さん……そのぉ……」

「大丈夫。夕方まではいるから」


 すぐに帰ったりはしない。

 由弦は愛理沙にそう言って安心させようとするが……彼女は首を左右に振った。


「そうじゃ、なくて……」

「どうした?」

「手を握っててください。眠れるまで……」


 瞳を潤ませながら、愛理沙はそう頼んできた。

 どうやらかなり精神的に参っている様子だった。


 由弦は優しく、愛理沙の手を包み込んだ。

 その手はとても柔らかく、綺麗で、そして扱った。


 愛理沙は安心した様子で目を閉じた。


 しばらくすると、小さな寝息を立てて眠り始めた。


 由弦は愛理沙を起こさないように手を離した。

 それからそっと……愛理沙の部屋から出た。







「ゆづるさん……ゆづるさん……」


 午後の四時半ごろ。

 リビングでスマートフォンを使い、風邪の看病の仕方について調べていた由弦は、愛理沙の声を聞いて立ち上がった。


 まるで雛鳥が親鳥を呼ぶような、可愛らしく、そして寂しそうな声だった。


 由弦はすぐに愛理沙の部屋へと向かう。


「ゆづるさん……」


 愛理沙は由弦の顔を見ると、ホッとした表情を浮かべた。

 起きた時に由弦がいなかったのは心細かったようだ。


「いや、すまない。伝染(うつ)ると良くないと思って」

 

 勿論、由弦は風邪程度、感染したくらいどうということはないのだが。

 もし感染したら愛理沙が気に病むだろうと、考えたのだ。


「はい、それは分かっています。……家にいてくれて、良かったです」


 そう言って愛理沙は由弦の顔を見上げた。

 頬を紅潮させ、目尻を下げ、瞳を潤ませて……何かを乞うような表情を見せた。


 愛理沙が何を求めているのか由弦は分からなかったので、とりあえず彼女の頭を撫でてみた。


 すると愛理沙は瞳を閉じ、心地よさそうにされるがままになる。

 実家の愛犬を思い出し、由弦は思わず苦笑した。


「愛理沙、食欲はあるか?」

「食欲は……」


 愛理沙が答えようとした途端。

 くぅー、と小さな音がなった。


 愛理沙の顔がますます、赤く染まる。


「欲しいです……」

「そうか。一応、レトルトだけどお粥を買ってきてあるから。温めるよ。あと、喉も乾いているよな? 先に飲み物を持ってこようか?」

「はい、お願いします」


 愛理沙は小さく頷いた。

 まず由弦は冷蔵庫に入れて冷やしておいたポカリスウェットを取り出し、愛理沙に渡した。


 喉を鳴らしてポカリを飲む愛理沙を確認してから、台所へと向かう。

 おかゆを皿に移し、レンジで温める。


 そしてスプーンと共に愛理沙のところへと持って行った。


「あの……」

「食べさせてほしい?」

「……はい」


 由弦は匙を手に取り、息を吹きかけて冷ます。

 そしてゆっくりと、愛理沙の口元へと持って行った。


 パクっと愛理沙はスプーンを咥える。


 体力を消耗していたのか、お腹が空いていたらしい。

 あっという間に食べ終えてしまった。


「桃缶も食べるか?」

「……お願いします」


 少し物足りなさそうにしていたので、昼食のあまりの桃缶も、愛理沙に食べさせてあげた。

 それから水と一緒に薬を飲ま、熱を測る。


 熱は三十七度台まで、下がっていた。


「取り合えず、枕を変えるか」

「……あの、その前にお願いがあるのですが」

「どうした? 俺にできることなら、何でも聞くけど」


 由弦がそう言うと、愛理沙は少し緊張した面持ちで、熱のせいか顔を赤らめながら由弦にお願いをした。


「体を拭きたいんです」

「あぁ……それもそうか」


 たくさん汗を掻いたのだ。

 体も拭きたいし、着替えもしたいだろう。


 それにシーツも変えた方が良いかもしれない。


「濡れタオルを用意するよ」

「お願いします」


 緊張した様子で愛理沙は頷いた。

 少し雰囲気がおかしい愛理沙の様子に疑問を抱きながらも、由弦は濡れタオルを複数用意した。


「じゃあ、愛理沙。俺は出ていくから、体を拭いて、着替えてくれ。その後、シーツを変えるよ」

「……はい、ありがとうございます」


 愛理沙は頷いて、タオルを手に取った。

 それを確認してから由弦は部屋を出て行こうとするが……


「待って、ください」


 愛理沙はか細い声で由弦を呼び止めた。

 由弦はどうしたのかと、振り返る。


「どうし……お、おい! 何をしているんだ!」


 由弦が振り返ると、愛理沙は寝間着のボタンを一つ一つ開けていた。

 僅かに汗で濡れた乳房と、白い清楚な下着が覗いている。


 愛理沙は全てのボタンを外し終えると……

 背中を向けた。


 それから僅かに寝間着を脱ぎ、真っ白い肩を露出させた。


 そして少しだけ顔を振り向く。

 その顔はトマトのように真っ赤に紅潮していた。


「その、由弦さん……」


 妙に艶っぽい声で愛理沙は由弦の名前を呼んだ。

 そして恥ずかしさからか、声を震わせながら……しかしはっきりと聞こえる声で言った。


「背中……届かないので、拭いてもらえませんか?」


 そう言って寝間着の上を完全に脱いだ。


 汗でぐっしょりと濡れ、薔薇色に紅潮した白い背中が姿を現す。

 白いブラジャーのホックだけが、僅かに背中を隠していた。

 ズボンのウエスト部分、つまり腰の部分には、汗で湿り気を帯びたショーツの上部が顔を見せている。 


「その……お願いします」


 消え入りそうな声で愛理沙はもう一度、由弦に頼んだ。

 由弦は思わず、生唾を飲んだ。

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