第4話 婚約者との電話
「君、いい加減戻ったらどうだ? ……もう時間も遅いぞ」
由弦の部屋でだらだらと長居する妹、彩弓に対して由弦は苦笑した。
高瀬川家がホテルで借りた部屋は三室。
一室が和弥・彩由夫妻、残りの二部屋はそれぞれ由弦と彩弓に割り振られていた。
が、しかし彩弓は自分の部屋があるにも関わらず、ずっと由弦の部屋にいた。
手持ち無沙汰で暇だが、しかし旅行先に来てまで携帯ゲームで時間を潰したくない。それが彩弓の主張だった。
由弦も気持ちは分からなくもないので、彼女と共にチェスや将棋、ポーカー、麻雀などで遊んでいた。
尚、二人の両親である和弥と彩由は子供二人を放って、カジノで遊んでいる。
由弦と彩弓もカジノに付いていきたかったのだが……それは法律が許してくれなかった。
「えぇー」
「えぇー、じゃない。……明日の朝、起きられなくなっても知らないぞ?」
家でゴロゴロする分は結構だが。
旅行先で貴重な時間を潰すのは少し勿体ない。
「というか、俺もそろそろ眠いし」
「じゃあ、もう一戦! もう一戦しよう!!」
麻雀牌を手に騒ぐ彩弓。
今のところは由弦が勝ち越している。もっとも、今回は金銭を賭けているわけではないので、その勝ち越しにはあまり意味はないのだが。
「それ、さっきも言ってただろ……」
ため息をつきつつも、一戦くらいは付き合ってあげようか……などと妹に甘い由弦が牌を手に取ったその時。
由弦の携帯が鳴った。
「あぁ……悪い、彩弓」
携帯の画面を見て由弦がそう言うと、彩弓は少し口をへの字に曲げた。
「むむ……まあ、良いよ。邪魔しちゃ悪いし。おやすみ!」
「ああ、おやすみ」
どうやら電話の相手を、愛理沙だと思ったらしい彩弓はようやく部屋から退散した。
彩弓は部屋を出るのを確認してから、由弦は電話に出る。
『Алло !!』
「日本語で頼むよ」
『ノリが悪いね、ゆづるん』
電話の相手は愛理沙ではなく……
幼馴染の橘亜夜香だった。
『もしかして、起こしちゃった?』
「いや、丁度寝ようかなと思っていたところだ。むしろ君のおかげで、妹が部屋から出て行ってくれたから、感謝しているよ。……君は?」
『さっき、夕食を食べたところだね』
由弦と亜夜香の“時差”は丁度、八時間ほどだ。
「写真は見たよ。何と言うか……涼しそうだね」
亜夜香から送られてきたバイカル湖の感想を述べる。
よくもまあ、この時期にロシアに行くなと由弦は内心で呆れていた。
『そりゃあ、もう! 今の気温、マイナス五度だからね!』
「それはまた、羨ましいな。こっちは二十八度で、暑くて仕方がないよ」
『羨ましいなら、来年どう?』
「いや……写真で十分だよ、うん。おかげで涼しくなった」
夏なら行ってみたいとは思うが、まだ寒い時期にロシアに行きたいとは思えなかった。
春休みは南国に限る。
『それは良かったよ。私はゆづるんの写真見て、むしろ逆に寒くなったけどね』
少しは温まって欲しいという思いで送りつけた南国の写真は、逆に亜夜香を凍えさせたようだった。
「君も来年は南国にしたらどうだ?」
『あはは! でもロシア、結構楽しいよ? ……夏ならもっと楽しかったかもしれないけどね』
それから由弦と亜夜香は少し話してから、「おやすみ」の挨拶をした。
「さて……寝る前に愛理沙にも電話をするか」
由弦は愛理沙に対して、「今電話をしても良いか?」というメールを送った。
するとすぐに既読がついた。
「……早いな」
まさか携帯を握りしめてずっと待っていたわけではあるまいな?
と、そう思いながらも由弦は愛理沙に電話を掛けた。
「もしもし」
『はい、もしもし!』
嬉しそうな愛理沙の声が聞こえてきた。
携帯の前で尻尾を振る彼女の姿を由弦は幻視した。
「そっちはどう?」
『お風呂上りです。由弦さんは?』
「丁度、寝る前だから……君の声を聴きたいなと思って」
『なるほど……そうですね。時差を考えると、それくらいですね』
日本で生活している上では、“時差”を意識することはあまりない。
そういう意味では旅行先からの電話というのは少し面白い。
『写真、見ましたよ。暖かそうですね。羨ましいです……』
三月の日本は少し暖かくはなってくる時期だが……まだまだ寒い。
それと比較するとこちらは暖かい。
とはいえ、どちらかと言うと愛理沙の“羨ましい”は気温よりも、海外旅行そのものへの言葉のように聞こえた。
幼い頃は海外旅行もそれなりに頻繁にしていたようだが、天城家に来てからは行ったことがない……とそんなことを由弦は愛理沙から聞いたことがあった。
「じゃあ、今度、機会があったら一緒に行こうか。南の島に」
『え、良いんですか?』
「いや、まあ……高校生のうちは、難しいかもしれないけれどね」
両親に頼めば来年、愛理沙を同行させることも可能……
とはいえ、家族水入らずの旅行がしたいと、暗に両親に言われれば由弦も無理にとは言えない。
「いずれにせよ、新婚旅行でどこかに行くだろう?」
『し、新婚……ちょ、ちょっと、は、早いですよぉ……』
上擦った声を上げる愛理沙。
まあ、確かに新婚旅行はまだまだずっと先の話だ。
必ず訪れる未来ではあるが。
「まあ、そうだね。それよりも、夏に海に行く方が先だね」
『良いですね、海。由弦さんと行きたいです。……去年みたいな、プールでも良いですけれど』
そう言えば去年、愛理沙と共にプールに行ったなと。
由弦は思い出した。
あの時はまだ愛理沙の親しいとは……言えないわけではないが、少なくとも今のような関係ではなかった。
……今なら、もう少し“楽しい遊び”ができるかもしれない。
『あ、あの、由弦さん』
「どうした?」
『その、私……あまり泳ぐのが得意ではなくて』
「ああ……そう言えば、そんなことを言っていたね」
二十五メートル泳げない。
と、そんなことを愛理沙が言っていたことを由弦は思い出した。
『はい。その、プールとかで遊ぶ分は全然、大丈夫なんですけれど……その、授業が……』
「良かったら、教えてあげようか?」
愛理沙が言わんとしていることを察した上で、由弦はそう答えた。
『良いんですか?』
「ああ、構わないよ」
そもそも愛理沙に泳ぎを教えてあげようかな……
と、そんなことは去年の夏、脳裏を過ったことだ。
なので由弦としては何の問題もない。
勿論……
(ま、まあ……泳ぎ方を教えるために、体に触れてしまうのは、不可抗力だしな)
そんな邪なことはこれっぽっちも、考えていなかった。
『あ、ありがとうございます。……そ、その……』
「……どうした?」
『お手柔らかに、お願いしますね』
それはとても艶っぽい声だった。
由弦は体が少し熱くなるのを感じた。
それから僅かな沈黙。
「……まあ、その前に、お花見、だけどね」
『そ、そうですね」
二人は誤魔化すように電話を切った。
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次回からお花見編です
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