第6話 バイトのシフト

 由弦の自宅から、電車で十分ほどの場所にあるレストラン。

 その控室でウェイターの制服に身を包んだ少年と、中性的な雰囲気の男性が向かい合っていた。


「それで由弦君。今期のシフトだけど、どうする? 今まで通り?」

「そうですね……可能であれば、増やして頂けると助かります」


 中性的な雰囲気の男性――バイト先の店長――に対して由弦は言った。

 由弦は三つほど、バイトを掛け持ちしている。


 一つは父親の知人の家の子供の家庭教師。

 もう一つはやはり父親の知人の弁護士の手伝い(雑用)。

 そして最後はこのレストランだ。


 この中では家庭教師が一番、時給が高く、一時間で二千(2000)円。 

 弁護士の雑用は一時間で千五百(1500)円。

 

 とはいえ、この二つは週に一度の出勤であり、自由にシフトを変えられるわけではない。

 

 そのため一番の稼ぎ頭はレストランでのウェイターとしてのアルバイトになる。

 ちなみに時給は千五十(1050)円ほどだ。


「大丈夫ですか?」

「私としては助かるけどねぇー、勉強は大丈夫? 由弦君の成績が下がったら、私がご両親に叱られちゃうからね」


 当然の事ながら。

 このレストランの店長も由弦の両親の知り合いである。

 もっとも……こちらは父や“高瀬川”の縁ではなく、由弦の母の縁なのだが。


「光海(ひろみ)さんには迷惑を掛けないようにします」


 長谷川光海(はせがわ ひろみ)。

 それが彼の名前だ。


 非常に親切な人で、由弦はとてもお世話になっている。


 両親が由弦を任せるくらいなのだから、当然なのだが。

 ……由弦としては自分で仕事を見つけたかったが、それは許してくれなかった。


 世の中悪い人がいるので、当然と言えば当然なのだが。

 ついでに言えば……もしも由弦が“何か”をやらかした時に、知り合いの方が揉み消しが効くという汚い大人の事情もあるのだろう。


 勿論、何もやらかす気はないのだが。


「まあ、由弦君なら大丈夫か。店としても助かるし……ところで理由を聞いても? 嫌なら良いけど」

「ホワイトデーのために、お金を貯めようと思っていまして」


 由弦がそう答えると、光海は「へぇー」と大きく目を見開いた。 

 そしてニヤニヤと笑みを浮かべる。


「何? 貰う前提ということは、彼女さんだったりするの? そう言えばクリスマスには予定があるって言ってたし、由弦君もやることはやってるのねぇー」


「まあ……彼女では、無いんですけどね。好きな人です」


 愛理沙は彼女ではない。

 が、きっと自分にバレンタインデーのチョコレートを贈ってくれるだろう……と由弦は見込んでいた。

 もしくれなかったら本気で落ち込む。


 ともかく、バレンタインデーのチョコレートを贈って貰えるのが確実ならば、今のうちにホワイトデーのプレゼントの用意をしておくべきだ。


 クリスマスのプレゼントがジャブ打ちだとすれば、今回は本気のストレートを放ち、愛理沙をノックアウトさせるつもりだ。

 故にそのためには相応のお金がいる。


「へぇ……じゃあ、恋人になったら紹介してくれないかしら?」

「はい。その時は勿論」


 将来の妻を、お世話になった人に紹介するのは当然のことだ。


「ところで、美人? 誰似とかある?」

「そうですね……」


 由弦は有名な海外の女優の名前を口にする。

 すると光海は首を傾げる。


「もしかして、海外の方?」

「ミックスですね。まあ、生まれも育ちも日本ですが」


 由弦は聞かれるままに愛理沙の情報を――勿論、彼女のプライベートに関することは伏せて――話した。

 美人で、料理上手で、頭が良く、運動もできる、素晴らしい女性だと。


 それを聞いた光海はなるほどと、大きく頷く。

 

「由弦君、ゾッコンなのね」

「そうですね」

「否定しないんだ」

「事実ですからね」


 由弦が愛理沙に夢中であることは事実で、そして恥ずかしがるようなことではない。

 勿論、揶揄われれば少し恥ずかしいという気持ちもあるが。

 恥ずかしがるのはカッコ悪いので、堂々とする。


「なるほどねぇ……」


 光海は何か納得するように頷いた。


「分かったわ。出来る限り、増やしておくわね」

「ありがとうございます」


 それから控室から退室した光海は、少し困った様子で頭を掻いた。


「……うちの女の子たちには、何て説明しようかしらね」


 罪な男だわ……

 と、小さく呟き、ため息をついた。






 さて、それから数日後の土曜日。

 基本的に土曜日に関しては「愛理沙の日」として、由弦は空けている。


 愛理沙が来るということもあり気合を入れて部屋を掃除していると……


 由弦の携帯が鳴った。

 愛理沙からだ。


「はい、もしもし。どうした、愛理沙」

『すみません……今日は由弦さんのお家には行けません』


 その声はどこか、普段の愛理沙とは異なっているように感じた。

 少し掠れているのだ。


「……体調が悪いのか?」


 そう言えば昨日はあまり顔色が良くなかったと、由弦は思い返した。

 もしかしたら、風邪かもしれない。


『はい……げほっ、風邪を引いてしまって』


 やはり風邪のようだ。

 しかし今、このタイミングで風邪というのはあまり良くない。

 というのも……


「今、確か君は一人だったろ? 妹さんは友達の家へ泊りに、母親は友人と旅行と聞いたけど」


 そして当然、天城直樹は仕事。

 天城大翔は大学へと戻っている。


 普段なら気を遣う相手がいなくてむしろ気が楽になる……と言えるかもしれないが、病気の時に一人は辛いはずだ。


『げほ、げほ……大丈夫です。寝てれば治りますから』


 その台詞はとても気丈だった。

 しかし……それが逆に由弦を心配させた。

 まるで由弦に心配をかけないようにするため、無理をしているように感じられた。


「本当に大丈夫か?」

『……大丈夫です。ご心配は不要です』


 返答までの間に若干の間があった。 

 やはり虚勢を張っているようだ。


 由弦には愛理沙が助けを求めているように感じられた。


(愛理沙の意志を尊重したいところだけど、病気となるとな……)


 軽い風邪だとしても、急に悪化することもある。

 もしかしたら、インフルエンザかもしれない。

 

 さすがに今回は愛理沙の意志を尊重云々と言っている場合ではないだろう。

 それに……


(口では大丈夫だって言ってるけど、助けて欲しがっている……ような気がする)


 もう半年の付き合いだ。

 愛理沙の気持ちはある程度、察することができるようになってきた。


「じゃあ、これからお見舞いに行くよ」

『え? いや、でも……』

「前、俺が怪我をした時に君は看病をしてくれただろ?」


 由弦が木から落ちて、捻挫した時の話だ。

 今思うと、愛理沙との距離がグッと縮まったのはそれがきっかけだ。


「今度は俺に助けさせてくれ」


 由弦がそう言うと……

 しばらくの沈黙の後、少し湿った声が聞こえてきた。


『よろしく、お願いします』

「任された」




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