第28話 四犬王

 夏祭り当日。

 由弦は一足早く、駅まで愛理沙を迎えに出かけた。


 駅は由弦のように友人や恋人を待っている男女で混みあっていた。

 少し離れたところで、由弦は愛理沙を待つ。


(愛理沙はどんな浴衣を持ってくるのだろうか?)


 そう思う由弦はまだ浴衣に袖を通していなかった。

 着ているのは外出用の洋服だ。


 というのも、愛理沙からは「浴衣を汚したくないので、もし可能であれば高瀬川さんのお家で着替えさせてください」という連絡を受けていたからだ。


 それならば自分もその時に合わせて着替えようと、由弦は考えた。


 視界に入る女性たちの浴衣をぼんやりと眺めつつ、愛理沙の浴衣姿を想像していると……


「高瀬川さん。お待たせしました」


 いつもの、彼女らしい落ち着いた声が聞こえてきた。

 声のする方を向くと、そこにはいつものポーカーフェイスを浮かべた愛理沙が立っていた。


「いや、俺も今来たところだよ」


 愛理沙は洋服を着ていたが、手には紙袋を二つ下げていた。

 おそらくはそのうちの一つに浴衣が入っているのだろう。

 ……では、もう一つは?


「その袋は?」

「浴衣と……お菓子です。挨拶に行くなら、持って行けと」

「なるほどね」

 

 おそらくはその言葉は彼女の養父のものだろう。

 直接交わした言葉は少ないが、愛理沙や両親から聞いた話では、天城直樹は体面を気にする人間らしい。

 全く気にしないよりは、気にする方が良いので、その点は別に悪いことではないだろう。

 中身が伴っているかどうかは別として。


「持とうか?」

「では浴衣の方をお願いします。お菓子の方は、私の手で高瀬川さんのご両親に渡したいので」


 紙袋の一つを受け取ると、由弦は軽く手招きした。


「家まで案内するよ。ついてきてくれ」

「はい。……分かりました」


 由弦の家は駅から少し歩いた場所にあった。

 門の前まで辿り着いたので、足を止める。


「ここだ」

「……こ、ここですか」


 門を見上げ、呆けた表情を浮かべている愛理沙。

 あんぐりと口を開けている。

 言っては何だが、普段の愛理沙を知っている由弦からすると少し“間抜け”な顔をしていた。


「どうした?」

「い、いや……大きいなと、思いまして」

「君の家も、そこそこ大きいだろう」

「こんなに高い塀も大きな門もないですよ。うちには」


 二人が外門を潜ると……

 ワンワン、と大きな犬の鳴き声が複数聞こえてきた。


 びくり、と愛理沙の体が震える。


 そうこうしているうちに四頭の犬がこちらへ駆け寄ってきた。

 尻尾を振りながら、由弦の方へと駆け寄ってくる。


「待て」


 由弦がそう命じると、四頭の犬はピタリと止まった。


「お座り」


 ジェスチャーを交えて命じると、時間差はあるものの四頭はお座りをした。

 最初はあっけに取られていた愛理沙だが、すぐにその表情に感心の色が浮かんだ。


「よく躾けられているんですね」

「番犬だからね。庭で放し飼いにしているんだ」


 もっとも、今のところ彼らが役に立ったことは由弦の人生では一度もない。

 時折、犬の鳴き声がするような家には泥棒も入りたくはないだろう。


「触っても良いですか?」

「良いよ。少し挨拶をしてやってくれ」


 由弦はそう言うと、まず四頭の犬に向かって名前を呼びながら手招きする。


「アレクサンダー」


 するとそのうちの一頭、凛々しい顔つきをした赤茶色の犬が歩いてきた。


「待て、お座り、お手」


 命令通りに由弦の手に足を乗せるアレクサンダー。

 よしよしと、軽く頭を撫でてあげる。


「この子があの中だと、一番序列が高い。……まず匂いを嗅がせてあげてから、触ってあげてくれ」

「リーダーということですか。……柴犬ですか?」

「いや、秋田犬だ」


 その秋田犬に対し、まず愛理沙は白い手を伸ばした。

 くんくんと、秋田犬は軽く匂いを嗅ぐ。

 それから愛理沙は首元や頭などを、優しく撫でてあげた。


 それから真っ黒い毛並みの犬、それから赤茶色の毛並みの犬、毛並みは茶色だが顔が黒く、皮膚にたるみのある顔の犬に対し、それぞれ挨拶をする。


 由弦は一頭ずつ、名前を愛理沙に教えた。


「それにしても……随分と、凄い名前ですね。アレクサンダー、ピュロス、ハンニバル、スキピオって……何と戦うつもりですか」

「泥棒かな」

「過剰戦力ですね……名前もそうですが、その、大きさも」


 それから愛理沙は四頭の犬へ視線を向ける。

 秋田犬を含む二頭は普通の大型犬というサイズだが、もう二頭はそれよりもさらに一回り大きい。


「アレクサンダーちゃんが秋田犬で、ピュロスちゃんが……ジャーマン・シェパードですよね? で、このハンニバルちゃんとスキピオちゃんは……何という犬種ですか?」


 ハンニバルと名付けられた犬の体高はおよそ八十センチほど。

 そしてスキピオはそれを僅かに上回っている。

 二頭とも、その顔の大きさは愛理沙の顔二つ分はありそうだ。


 いくら大人しいとはいえ、このサイズに近づかれると、さすがの愛理沙も気圧されるようで少し顔が引き攣っていた。


「ハンニバルはスパニッシュ・マスティフで、スキピオはイングリッシュ・マスティフだ。まあ、四頭共実戦経験はないというか。泥棒に入られたことはないけどな」


「命あっての物種ですからね。事前調査していれば、入りませんよ」


 そうは言いつつも、愛理沙の表情は柔らかかった。

 目はとろんと蕩け、口元はへにゃりと緩んでいる。

 猫派を公言している彼女だが、普通に犬も好きなようだ。

 よしよしと、四頭を撫でてあげる。

 

「じゃあ、雪城。そろそろ」

「そうですね。……あまり長くなるのも、ご挨拶前に服が汚れるのも良くないですし」


 由弦がそう言うと、愛理沙は名残惜しそうな表情で立ち上がった。

 解散を命じると、四頭は庭のどこかへと駆けて行った。


 犬を見送ってから、由弦は玄関に通じる引き戸を開ける。

 それから大きな声で叫んだ。


「おーい、雪城を連れてきたぞ」


 しばらくすると和装に身を包んだ三名が現れた。


 父、高瀬川和弥。

 母、高瀬川彩由。

 妹、高瀬川彩弓。


「よく来てくれました、愛理沙さん。いつも息子がお世話になっています」

「お久しぶりです。高瀬川……由弦さんには、むしろ私の方が助けて頂いています」


 そう言って丁寧に愛理沙は挨拶をした。

 和弥はゆっくりと、目を細めた。


「まあ、一度上がってください。……話したくて、うずうずしている二人がいるみたいだし」


 和弥はそう言って、軽く自分の背後へと目配せした。

 彩由と彩弓は今か今かと、待ち構えている。


 先んじて由弦は下駄を脱いで家に上がった。

 それから愛理沙に手を差し伸べる。


「ほら」

「ありがとうございます」


 愛理沙が家に上がるのを見計らって、女性陣二人が進み出てきた。


「由弦の母の、高瀬川彩由です。いつも由弦がお世話になっています、愛理沙さん。それにしても……写真で見るよりも本物の方が可愛らしいわね」


「妹の高瀬川彩弓です。兄がお世話になってまーす。本当にお綺麗ですね。これは兄さんが夢中になるのも無理はないかなぁー」


「初めまして、雪城愛理沙です。よろしくお願いします。……あ、あの、えっと……」


 二人に迫られて、困惑の表情を浮かべる愛理沙。

 由弦は一歩前に進み出て、愛理沙を庇うように立った。


「雪城が困っているから。……話はお茶を飲みながら、だろう?」


 それから由弦は愛理沙に対し、軽く手招きした。


「案内するよ」

「はい。……今日はよろしくお願いします」


 改めて愛理沙は一礼した。

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