第27話 天城side

 ある日。

 唐突に由弦から「話をしたいから、都合の良い時間を教えてくれ」というメールが来た。


 皿洗いを終えた愛理沙は「今なら良いですよ」と送ると、すぐに電話がかかってきた。

 それは夏祭りへのお誘いだった。


『というわけなんだけど、どうかな? 今回はチケットとかがあるわけでもないし、父さんの思いつきの提案みたいなところがあるから。用事があるってことで、断ることもできるけど』

 

 プールの時とは異なり、夏祭りはその日の、特定の時間に限られる。

 だから、その時は丁度外せない用事があって……という言い訳が通用する。


「夏祭りですか……花火とか、見れます?」


 とはいえ、プールと比べても祭りは心理的なハードルが低い。

 それにもし綺麗な花火が見れるなら、少し興味がある。


『あぁ……見れるよ。規模もそこそこだ』


 果たして夏祭りなど、何年ぶりか。

 小学生の時以来かもしれない。


「じゃあ、ご招待に預かります」

『ありがとう……それと妹と母親が君に会いたがっているんだけど、良いかな?』

「あ、はい。分かりました」


 それから待ち合わせの場所と時刻を決めてから、愛理沙は電話を切った。

 そして報告のためにリビングに戻る。


「誰との電話だ?」


 真っ先に愛理沙にそう尋ねたのは、彼女の養父。

 直樹だ。

 新聞を広げ、愛理沙に顔を合わせようともしないが……しかし有無を言わせない強い口調だった。


「高瀬川由弦さんです。……一週間後、夏祭りに来ないかと。お誘いを受けました」

「受けたか?」

「はい」


 愛理沙がそう答えると……彼女の養母――天城絵美(あまぎ えみ)――は小さく舌打ちをした。

 露骨に不機嫌そうな表情を浮かべる。

 そして……


「いやねぇ……色気付いちゃって」


 一言、そう言った。 

 愛理沙の伯母に当たる彼女は、自分の妹だった愛理沙の母親とは仲が悪かった。

 そのためその娘である愛理沙のことを嫌っているのだ。


 愛理沙に嫌味を言ったり、意地悪をしたり、時折手を上げるのは養母である絵美だ。


「あまりそういうことを家の中で……」

「色気付いて貰わなければ、困るのだがな」


 冷淡な声で直樹は言った。

 その一言で絵美は口を噤んだ。


 直樹は仕事で家を空けることが多く、家事や子育てに関しては絵美に一任しているため、一見すると彼女がヒエラルキーの頂点にいるように思える。

 だが不思議なことに彼女は直樹にだけは逆らわないのだ。


「この縁談は天城にとっても、愛理沙にとっても非常に重要なものだ。……という話は幾度もしたはずだが」

「……分かりました。直樹さん」


 とはいうものの、絵美は不満そうな表情をしている。

 養父である直樹とは異なり、養母である絵美はこの縁談には反対の立場だ。


 勿論、愛理沙のことを思ってのことではない。

 

 愛理沙には全くもって共感できない話だが……

 大嫌いだった妹にそっくりの姪が、『高瀬川』という裕福な家の、容姿も整っている上に品があり、優しそうな好青年のもとへ嫁ぐのが、気に食わないようだ。


 早い話、愛理沙が幸せになるのが嫌なのだろう。

 絵美と愛理沙の母親の間に何があったのかは分からないが、愛理沙にとっては理不尽な話だ。


「そう言えば、浴衣は持っていたか?」


 唐突に直樹は愛理沙にそう尋ねてきた。

 愛理沙は首を左右に振る。


「いえ、持っていません」

「まさか洋服で行くつもりだったか」

「……いけなかったでしょうか」

「あの古臭い、守旧的な家の息子だ。彼は浴衣を着るだろうな。その横を洋服で歩くつもりか」


 呆れたとでも言いたげに直樹は言った。

 言われてみればそれはとても間抜けな絵面だ。

 晒し者も良いところだろう。


 愛理沙が小さくなっていると、直樹は無言で立ち上がった。

 そして箪笥から財布を取り出し、そこから一万円札を五枚取り出す。

 それをテーブルの上に置いた。


「これで買って来なさい。余った分は小遣いに当てるように」

「あ、ありがとう……ございます」


 おずおずと、愛理沙はお金を受け取る。

 愛理沙にとって、自分を虐待する絵美よりも、直樹の方がずっと怖い存在だ。

 

 直樹は愛理沙に手を上げることはしないし、意地悪を言うこともない。

 それどころか絵美がやり過ぎると、絵美を咎めたり、愛理沙を庇ってくれることもある。

 事実、絵美は直樹の前では滅多に愛理沙に対して手を上げない。


 だが同時に愛理沙に対しては、限りなく無関心に近かった。

 少なくとも愛理沙にはそう見えた。


 自分に対して分かりやすい憎悪を向けてくる相手よりも、何を考えているのか分からない、しかし誰よりもこの家庭で“強大”な存在である直樹の方が、恐ろしい。


 全く血の繋がっていない大人の男性ということが、その恐怖に拍車を掛けていた。


「直樹さん、あまり甘やかせるのは……」

「必要経費だ」


 直樹が唯一、気にするのは自分の家の評判だ。

 正確にはそれが原因で、ビジネスに影響が出ることを嫌っている。


「愛理沙。この縁談を望んだのはお前だ」

「はい。……分かっています」


 愛理沙は由弦に対し、無理矢理お見合いを受けさせられた。

 そう説明した。

 だがその説明は……少しだけ、愛理沙自身にとって都合が良いように脚色していた。

 

 養父である直樹は愛理沙に対して「縁談がいくつかあるが、受けてみないか?」としか聞かなかった。

 だからお見合いをしてみると、そう答えたのは愛理沙だ。

 直樹が怖くて、嫌だとは言えなかった。


 そうこうしているうちに、直樹はいくつも縁談を愛理沙に持ってきた。

 元々、結婚などしたくなかった愛理沙はそれを断り続けた。


 絵美からすれば、男性を選り好みする、我儘で傲慢な女に見えたことだろう。


 これ以上は断れない。

 途方に暮れていた時に、ようやく由弦と巡り合えたのだ。


「上手くやりなさい。お前自身のためにもな」

「はい」

 

 純粋に愛理沙の恋愛を応援するつもりで言っているのか。

 それとも破談したら……お前には後がないと、そう脅しているのか。


 それとも全く別の意図で言っているのか。

 愛理沙には分からなかった。


 それがただただ、怖かった。

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