第15話 ヒッヒッフー

 マラソン大会の当日となった。


 マラソン大会は学校ではなく、少し離れたところにある陸上競技場から始まる。

 そこから川沿いを走り、ぐるりと周囲を一周してから陸上競技場に戻るというコースになっていた。

 

 早朝、由弦は愛理沙や宗一郎、亜夜香たちと共に競技場の外縁部にある芝生でレジャーシートを敷き、駄弁っていた 


「まずは女子が走って、次に男子が走るらしいね」


 明るい声でそう言ったのは亜夜香だった。

 彼女は運動が得意なので、マラソン大会はそれほど苦痛ではないのだろう。


「午前中に終わるらしいですし、今日は実質半日ですね! 終わったら遊びに行きませんか?」


 千春も明るい声でそう言った。

 彼女もまた運動が決して苦手というわけではないので、それほどマラソン大会を苦痛とは思っていないようだった。


「遊ぶのは勝手だが、俺は嫌だぞ……休ませてくれ」


 ため息混じりにそう言ったのは宗一郎である。

 彼は亜夜香と千春の二人に挟まれ、遊ぼう遊ぼうとせがまれていた。


 一部の男子からは宗一郎への、怨嗟の篭った視線が注がれている。

 もっとも、テンションの高い亜夜香と千春の二人と遊ぶには相当の体力と気力が必要であることは、幼馴染である由弦は知っていた。


 なのでそれほど羨ましいとは思わない。

 むしろご愁傷様と言いたいところだ。

 それはそれとして、二股をかけるこいつはやっぱりクズだなと再確認をする。


「七キロは決して少なくない距離ですし、体を休めた方が良いんじゃないですか? ……午後に授業がないのは、そういう意図だと思いますが」


 苦笑しながら愛理沙は言った。

 すると宗一郎が「ほら、雪城さんもそう言っているぞ」と亜夜香と千春の二人を咎める。


「休めると言えば、愛理沙。……体の方は大丈夫か?」


 由弦は愛理沙にそう尋ねた。

 風邪が完治してから、すでに一週間以上経過している。

 なので体調的には決して悪くはないはずだ。


 とはいえ、長距離を走るコンディションが整っているかと言えば、それは別の話だろう。


 体力は少し落ちているはずだ。


「はい、大丈夫ですよ。……由弦さんのおかげで」


 わずかに愛理沙は頬を赤らめて言った。

 そんな愛理沙の態度に由弦は彼女を看病した時のことを思い出してしまう。

 

 愛理沙の白い背中は……とても艶やかだった。


「そ、そうか……それは良かった」


 少しだけ、由弦と愛理沙の間に気まずい雰囲気が流れる。

 ああ、これは何かあったんだろうなと……その他の者たちから生暖かい視線が注がれた。


「わ、私よりも……て、……天香さんですよ。大丈夫ですか?」


 愛理沙は天香を生贄にすることで、話題を逸らした。

 そしてスケープゴートにされた天香の顔色は……あまり良いとは言えない。


「大丈夫か? お前」

「……体調的には、まあ、大丈夫よ」


 聖の問いに天香は答えた。

 それからため息をつく。


「気分的には最悪だけどね……皆さんにお願いがあるのだけれど、良いかしら?」


 由弦たちが頷くと、天香は言った。


「お願いだから……応援とか、しないでね。出迎えとか、拍手とかも要らないから」


 そう言えばビリの人に拍手をする文化があったなと、由弦は思った。

 はて、あれはどういう理由なのだろうかと由弦は思わず首を傾げる。


 ビリの人にとっては、あれは余計に目立つので、相応の屈辱だろう。

 由弦は別にビリになったことはないが、それくらいは何となく想像できる。


 由弦が想像できるのだから、他の一般人もそれくらいは思い浮かぶだろう。

 

 とはいえ、敢えて辱めようと思って拍手をする人間は……勿論いるだろうが、全員がそういわけではないはずだ。


(……まあ、最後の人を応援しないのは、なんか薄情みたいな印象を受けるからか)


 最後尾の人が可哀想だからと、無言で出迎えるのは少し気まずい。

 だから気持ちよく拍手をするのだろう。

 出迎えられる側はともかくとして、出迎える側の気分は良くなる。

 

「拡声器で応援してやろうか?」

「別に良いけど、呪うわよ?」


 揶揄うように言う聖を天香は睨みつけた。

 彼女は宗教団体の跡取りなので、彼女の呪いは本当に効果がありそうだ。


「ところで、由弦。ちゃんと約束は覚えているか?」

「忘れたとは言わせないぞ?」


 宗一郎と聖に問われ……はて、と由弦は首を傾げた。

 この後、愛理沙と共にマッサージをするという約束は覚えているが宗一郎や聖とマッサージをし合うなどという気持ちの悪い約束をした覚えはなかった。


「あぁ……飯の件か」


 が、由弦はすぐに思い出した。

 マラソン大会でビリになった者が勝者の二人に食事を奢るという約束になっているのだ。


「勿論、覚えているよ。楽しみにしている」


 由弦も体力には自信がある。

 勝負をする以上、負けるつもりはない。

 それに勝負に勝って、心地よい気分で、清々しい気持ちで愛理沙と過ごしたいと思っていた。

 だから必ず勝つ。


「ほう……」

「言ったな?」


 だが宗一郎と聖の二人も当然、負けるつもりはないようだ。

 火花を散らす三人……に対して、天香がやや大げさにため息をつく。


「良いわね、楽しそうで……何か、楽になる裏ワザみたいなの、ないかしら?」


 天香のそんなぼやきに千春が答える。


「ヒッヒッフー、って私は呼吸してますよ? 何となく、楽になる気がします」

「……それって、出産の時のですよね? 意味あるんですか?」


 ラマーズ法が持久走に役立つかは少々、疑問だ。

 そんな愛理沙の疑念に千春が肩を竦める。


「さあ? でも、出産が楽になるくらいなら、持久走くらい余裕じゃないですか?」

「……私、信じるわよ? 千春さん」


 適当な千春の言葉を信じようとする天香。

 やめておけと、由弦は思ったのだが……千春は自信満々にその大きな胸を反らし、そして親指を突き出した。


「大船に乗ったつもりでいてください。私、現人神ですよ?」

「神様、仏様、千春様だねぇー」


 ケラケラと笑いながら言う亜夜香。 

 少なくとも亜夜香は“千春神”の言っていることを信じるつもりはないようだ。

 

 と、そんなことをしていると集合の合図が掛かった、

 これからクラスごと集まり、全体で準備体操を行い……男女に分かれての運動が始まる。


 由弦と愛理沙は二人で並んで、クラスメイトのところまで赴く。  


 ……先程まで亜夜香たちと共にいた由弦と愛理沙が、共に歩いてクラスメイトたちのところまで行くのは決して不自然なことではない。


 勿論、二人の関係が深まっていることを周囲は察するが……

 二人にとってそれは重要な“準備”だった。


「……由弦さん」

「どうした?」

「この後のこと、覚えていますよね?


 この後のこと。

 つまりマラソン大会が終わった後のことだ。


 由弦は大きく頷いた。


「勿論……だから、お互い頑張ろうか」

「……はい」


 二人は揃って笑った。

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ヒッヒッフー



ヒッヒッふーん、えっちじゃん

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