第22話 “婚約者”と外食

「……うん」


 由弦のすぐ隣で。

 静かな寝息を立てていた少女が小さな声を上げた。


 視線を移すと、薄ぼんやりとその翡翠色の瞳を開いていた。

 まだ夢心地なのか、とろんと蕩けているように見えた。


「起きたか? 愛理沙」

「……ぁぃ」


 愛理沙は眠そうに眼を擦りながら、ゆっくりと胴体を起こした。

 そしてボーっとした視線で由弦を見つめる。


「愛理沙? 大丈夫か?」

「ん……どうして、由弦さんが……」


 そんな寝惚けたことを口走る。

 そして、次の瞬間。


「ゆ、由弦さん!? ど、どうして!?」


 愛理沙は慌てた様子で後退りした。

 混乱しているのか……後ろに下がれば、ベッドから落ちてしまうことに気付いていない。


「愛理沙」

「ふぇ? ひぃぁ」


 由弦が慌てて愛理沙の腕を掴み、強引にその体を引いた。

 結果として愛理沙はベッドから落ちるのは免れたが、由弦に肢体を預けることになった。


「にゃ、にゃんで……」

「落ち着け。ここは俺の部屋だ。……君はマッサージの途中で、寝ちゃったんだよ」

「……へ?」


 由弦の言葉を聞いた愛理沙は間抜けな声をあげた。

 そしてキョロキョロと辺りを見渡し……ようやく、ここが自分の私室ではないことに気付いたらしい。

 顔が一瞬で真っ赤に染まった。


「こ、これは……ご迷惑を、おかけしました」


 しゅん、となる愛理沙。

 そんな愛理沙の様子を見て、少しだけ……由弦は安心した。


(良かった……やっぱり、寝ていたんだな)


 愛理沙が眠ってしまった後。

 つい、魔が差してしまった由弦は愛理沙にいろいろと……悪戯をしてしまった。

 割とセクハラ紛いなことを、否、出るところに出られたら言い訳できないことをした自覚はあった。


 その時は愛理沙なら許してくれるだろうと、そんな軽い気持ちだったが、よくよく考えてみると嫌われても仕方がない行為だった。

 

 ……愛理沙には嫌われたくはない。


「まあ……無理もないよ。疲れていたんだろう」


 由弦はもっともらしいことを言って、誤魔化した。 

 そんな由弦に対して愛理沙は尋ねる。


「えっと、今は何時ですか?」

「丁度、午後の五時……前だね」


 正確には四時四十五分。

 夕食の支度を始めるにはちょうど良い時間帯だ。

 

「そんなに遅くなっていましたか。……すみません。えっと、お夕食、お作りしましょうか」

「……まあ、君と一緒に夕飯を食べることができるのはありがたいけれどね」


 今日は平日だ。

 あまり愛理沙を長時間、引き留めるのは良くないし……何より、今日はマラソン大会で疲れているはずだ。


「もし良かったら、外で食べないか?」


 由弦はそう提案した。

 





 そういうわけで由弦と愛理沙が赴いたのは有名な高級フレンチレストラン……

 などではなく、近所にある有名なファミレスチェーン店だった。


 いろいろとお金が入用の由弦は金銭的な余裕がなく、そして愛理沙も小遣いには限りがあるので、必然的に選択肢は限られているのだ。


 お互いに料理を注文を終えると……

 先程から妙にそわそわした様子の愛理沙に対し、由弦は尋ねた。


「……何か、聞きたいことでも?」


 やっぱり、もしかしてあの時、起きていたのだろうか?

 そんな不安が由弦の脳裏を過る。

 一方由弦に尋ねられた愛理沙は翡翠色の瞳を少しだけ反らし、その白い肌を薔薇色に染めながら……遠慮がちに尋ねる。


「えっと、私が寝ている時に……」

「……うん」


 バクバクバク。

 緊張と恐怖からか、由弦の心臓が激しく高鳴る。


 まさか、気付かれていたか。


「そ、その……な、何か、変わったことは、ありましたか!?」


 それは何とも奇妙な質問だった。

 ただ愛理沙が寝ている間に、何か変わったことが起こるだろうか? 普通は起こらないだろうし、起こらないと思うだろう。

 だからそんな問いはしない。

 そんなことを聞くからには、何か変わったことが起こったと、愛理沙は思っているのだ。


 それが意味していることはすなわち……

 自分が寝ている間に、あなたは何かしたか? と聞いているに等しい。


(……落ち着こう)


 一瞬、あの時愛理沙は起きていて自分の悪戯に気付いていた。

 そんな可能性が由弦の脳裏を過る。


 だが、もし起きていたら……あんな風にじっとしているだろうか?

 

 そもそもあの時、起きていたとしたら。

 愛理沙はいつから寝ていたというのだ。


 きっと、愛理沙はあの時、起きてはいなかった。

 狸寝入りではなかった。

 ただ……寝ている最中に由弦が何か、怪しい悪戯をしたのではないかと、怪しんでいるのだ。


 そういう意味で彼女なりに鎌をかけたのではないか。

 いや、そうに違いない。


 と、そんな推理をした由弦は可能な限り平静を保ちながら答えた。


「…………いや、特に何もなかったと思うけれど」


 一体、何を気にしているんだ?

 わけがわからないよ。


 と、そんな風にしらばっくれながら……由弦は尋ねる。


「何か、違和感でもあったのかな?」


 するとしばらくの沈黙の後、愛理沙は答えた。


「いえ……ぐっすり、寝ていたので。ええ、私は……寝ていましたから」


 何だか含みがある言い方だった。

 とはいえ、それを突っ込むのは……お互いにとって藪蛇な気がした。


 さて、由弦と愛理沙がそんな心理戦を繰り広げていると……

 店員が料理を運んできた。


 由弦はスープスパゲッティで、愛理沙はハンバーグだった。

 美味しそうな香りがテーブルに立ち込める。


「食べようか」

「そうですね」


 二人はフォークやナイフを手に取り、食事を口に運ぶ。

 この手のチェーン店はどこで食べても安定して美味しい。

 

 勿論、由弦はもっと美味しいレストランを知っているし、それに愛理沙の手料理の方が遥かに美味しいことを知っている。

 とはいえ、それはそれ、これはこれ。

 別にチェーン店の料理が美味しくないわけではなく、不味くて食べられないわけでもない。


「……なあ、愛理沙」

「味見、ですか?」

「よく分かったね」

「ふふ……いえ、以前もこういうことがありましたから。お店は違いますけれど」


 愛理沙はそう言うと、ナイフとフォークでハンバーグを切り分けた。

 そして……


 先程まで、自分が使っていたフォークをハンバーグに突き刺した。

 ゆっくりと持ち上げ、ソースがテーブルに垂れないように手で皿を作るようにして持ち上げる。

 熱々のハンバーグに優しく息を吹きかけて、冷ます。


 それから愛理沙は身を乗り出した。


「どうぞ」

「……ああ」


 由弦は自然と口を開けた。

 一方の愛理沙は躊躇することなく、由弦の口の中へ、ハンバーグを入れた。


 由弦はゆっくりと、口を閉じる。

 フォークと共にハンバーグが由弦の口の中に、閉じ込められた。


 肉汁と濃いデミグラスソースの味わいが由弦の舌を刺激する。

 しかし食べ物の味など、感じられないほどに由弦は緊張していた。 


 一方の愛理沙はゆっくりとフォークを由弦の口元から引き抜いた。

 脂と唾液で汚れたフォークが、由弦の唇から引き抜かれる。


「どうですか?」

「……美味しいよ」


 何とか言葉を絞り出した由弦は、愛理沙に尋ねた。


「君も……味見する?」

「……はい」


 愛理沙ははにかみながら、頷いた。

 由弦はスプーンとフォークを使い、食べやすいようにパスタを絡めとった。


 由弦が身を乗り出すと、愛理沙はその艶やかな唇を開いた。

 真っ白い歯とピンク色の舌が覗く愛理沙の口の中へ、由弦はつい先ほどまで自分が使っていたフォークをそっと挿れる。


 体が強烈に熱くなり、心臓が激しく高鳴るのを由弦は感じた。


 一方の愛理沙は躊躇することなく、口を閉じた。

 

「んっ……」


 愛理沙は目を細めた。

 由弦はゆっくりと、その美しい唇からフォークを引き抜いた。


 愛理沙が咀嚼し終えるのを待ってから、由弦は尋ねる。


「どうだ?」

「はい。とても……美味しいです」


 愛理沙はそう言って微笑んだ。

 その笑みは由弦の目には、とても妖艶で、官能的に見えた。






 それから由弦と愛理沙は幾度か、互いに料理を食べさせ合った。

 


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新デレ度:50%→60%





ファミレスであーんをし合うバカップル

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と言いたいところですが、もうすでに一部店舗では売られているみたいですね。

早売りというやつでしょうか。

特典はメロンブックス、ゲーマーズ、とらのあな、ブックウォーカーで取り扱っています。

特典に数量制限があるかどうかは実は知らないのですが、とりあえずお早めに。

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