第30話 “婚約者”と綿あめ
少し湿っぽい雰囲気になった。
愛理沙を慰めるために言ったのだが、これから楽しもうという時に言うようなことではなかったかもしれない。
とはいえ、このまま愛理沙に気負わせたままだと彼女も純粋に楽しめない……と思うと、判断が難しいところではあるが。
「さて、つまらない話はここまでにして……祭りを楽しもう。何か、やりたいものとか、食べたいものとかあるかな?」
「……正直、私こういうところにあまり来たことないんですよね。来たとしても、何か買ったりしたこともないですし」
先ほどの低いテンションを引き摺っているのか、しょんぼりとした声音で愛理沙は言った。
愛理沙の性格からして、養父母に物を強請(ねだ)ったりはできないだろう。
「そうか。じゃあ……歩きながら決めようか」
「そうですね」
やはり祭りというのは、人の心を明るくするらしい。
最初はどんよりと、暗い雰囲気を漂わせていた愛理沙だが、歩いているうちに徐々に明るくなり始めた。
キョロキョロと興味深そうに出店を眺めたり、覗き込んだりしている。
表情こそ変わらないものの、その瞳はいつもより生き生きしていた。
とはいえ、祭りの賑やかな雰囲気を作り出しているのは、大勢の人であり、人混みである。
まだ始まって間もないが、それでも人の数は多い。
どうしても、周囲の人とぶつかったりしてしまう側面がある。
「あっ……」
「大丈夫か、雪城」
ぶつかられた上に小石に躓き、転びそうになる愛理沙。
由弦は咄嗟に彼女を支える。
「すみません」
「いや、俺の配慮が足りなかった。……慣れてないもんな」
由弦は少し悩んでから、手を差し出した。
愛理沙はきょとん、とした表情で由弦の手を眺める。
「どうしました?」
「良かったら、手でもつなごうかと。その方がいざという時に助けやすい」
嫌なら別に良いけれど。
と、そう言う前に愛理沙はその白い手で由弦の手を握った。
そしてはにかみながら、言った。
「エスコート、お願いします」
「承知しました。お姫様」
「……言ってて恥ずかしくないんですか?」
「指摘されると恥ずかしいから、言わないで欲しかったな」
由弦は苦笑いを浮かべた。
そして愛理沙の手をしっかりと握り、再び歩き始めた。
(しかし……なるほど。世の中のカップルはどうして街中でいちゃつきたがるのかと疑問に思ったが、謎は解けたな)
周囲からの視線を受けながら、由弦はそう思った。
愛理沙は元からして美しいのだが、今日は薄く化粧をしているせいか、いつもよりもずっと艶っぽく見える。
そして美しい浴衣を身に纏っているのだ。
そのせいで通りを行き通う男性たちから、熱い視線を受けている。
そしてその美少女と手を繋いでいる由弦には嫉妬と羨望の眼差しが送られる。
これが不思議と心地よい。
もっとも愛理沙は由弦のモノではないので、同時に虚しさも伴うのだが。
これが本当の恋人や婚約者だったら、その優越感はさぞや気持ち良いことだろう。
「あ、綿あめ……良いですか?」
「綿あめか……うん、良いよ」
「……今、笑いませんでしたか?」
「まさか」
元々大人びていて、そして今日は一段とそんな雰囲気を身に纏っているのに、趣味は子供っぽくて可愛いなと思ったのは秘密だ。
なるほど、これが宗一郎が言っていたギャップ萌えというやつなのか。
と、新たな境地に達しながら由弦は愛理沙と共に屋台に近づく。
「すみません」
「はい、いらっしゃい。……ああ、高瀬川さんのところの兄ちゃんか」
屋台の店主は由弦の顔を見て、嬉しそうに目を細めた。
毎年、祭りに屋台を出す面子は変わらない。
そして由弦は毎年、この祭りに顔を出している。
だから由弦と、ここの祭りに屋台を出している者たちの多くは、大なり小なり顔馴染みだ。
「妹さんはさっき、来たよ。……いや、しかしまた背が伸びたんじゃないか? 今、何センチ?」
「今年で百七十を超えました」
「へぇー、こりゃあ来年には追い越されるね」
それから店主は由弦の隣で、きょとんとしている愛理沙に視線を向けた。
それからニヤリと笑う。
「その子が妹さんが言ってた、彼女さんかい? 随分とまあ、別嬪さんだねぇ。羨ましい」
「ありがとうございます」
店主の言葉に対し、愛理沙は律儀に頭を下げた。
それから店主は綿あめを作り始める。
「綿あめは……そっちの彼女さんか。妹さんとは違って、兄ちゃんはもう買ってくれないもんなぁ」
「はは、申し訳ない」
毎年、妹が買っているのでそれで勘弁してもらいたいものだ。
少し待っていると、他の客と比べても一回り大きな綿あめが完成した。
少しびっくりした表情で、おずおずと愛理沙は受け取る。
綿あめを渡し終えた店主は、由弦に対してウィンクをした。
「高瀬川さんには、毎年お世話になっているからね。……来年もよろしくと、伝えて貰えないかい?」
高瀬川家は祭りの運営に直接関わっているわけではない。
が、一定の発言力や影響力がある。
彼が由弦や彩弓の顔を覚えているのは、屋台を出す上で高瀬川に対して、毎年挨拶の手紙を出しているからでもある。
「祖父と父に、伝えておきます」
由弦はそう答えると、愛理沙を伴って屋台を出た。
それから近くにあった屋台で、フランクフルトを購入する。
「なあ、雪城。少し……綿あめ、もらえないか?」
「さっき、馬鹿にしたじゃないですか」
冗談めかした口調と表情で、愛理沙は怒ってみせた。
すまない、すまないと由弦が謝ると愛理沙は綿あめを差し出してきた。
「どうぞ」
「齧って良いのか?」
「私は気にしませんから」
それはそれでちょっと複雑だな。
と、そう思いながら綿あめの表面を口で齧る。
「ん……」
「どうですか?」
「砂糖だな」
「当たり前でしょう」
愛理沙は呆れ声を上げた。
それから由弦はフランクフルトを愛理沙に差し出す。
「食べる? まだ、口を付けてないけど」
「じゃあ、お言葉に甘えて」
愛理沙は小さな口を開けて、フランクフルトの先端を噛み千切った。
ペロっと、唇の表面についた油を舌で舐めとる仕草は何故か色っぽかった。
「どうだ?」
「美味しいです。ただ……」
「ただ?」
「なんか、気恥しいですね」
「だろう?」
由弦と愛理沙は顔を見合わせて笑った。
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