番外編 大人の事情

 夏祭りから数日後の、都内某所。

 とある酒場のカウンターに、二人の人物が腰を掛けていた。


 一人は青い瞳に黒髪の、温和そうな男性。

 高瀬川和弥。

 由弦の父であり、そして高瀬川家の今代当主だ。


 もう一人は琥珀色の瞳に、黒髪の、気難しそうな男性。

 橘虎之助。

 亜夜香の叔父であり、橘家の今代当主(本人は“代行”を自称)である。


 二人の手元には、空になったグラス。

 すでにかなりの酒が回っている様子だ。


「そう言えば、風の噂で聞いたぞ。和弥」


 親しそうに虎之助は和弥を名前で呼んだ。

 由弦と亜夜香が親しいように、二人も親しい関係にある。

 私的な場では、名前で呼び合う程度には。


「ふむ、噂か。それは……良い噂かな? 日頃の行いの賜物ということか」

「確かに、日頃の行いの賜物かもしれんな。もっとも……俺が聞いたのは、悪い噂だがな」


 バーテンダーが無言でカクテルをカウンターに置く。

 虎之助と和弥はグラスを手に取り、酒を口に運ぶ。


「高瀬川が金で女を買ったと」

「……ふふ」


 虎之助の言葉に対し、和弥は肯定も否定もしなかった。

 しかし僅かに目を細める。


 そんな和弥に対し、虎之助は口調だけは軽蔑するように、しかし目だけは笑いながら咎める。


「助けて欲しければ、娘を寄越せか。相変わらずの汚さだな。高瀬川お前たちは」

「人聞きが悪いな、君は。……順序が逆だよ。息子の思い人の家を支援するために、融資をしたんだ。そこを履き違えないで欲しいね」


 それから和弥はカクテルの入っているグラスを、軽く手で回す。


「それにこの婚姻が上手く行こうが、行かなかろうが……天城直樹氏とのビジネスは、続けるつもりだからね」

「ほう……」

「彼は我が家には持っていないものを持っている。……時代遅れの一族には、なりたくないからね」


 高瀬川は。

 というよりは、日本全体の経済界に言えることではあるが……

 IT産業に関しては、海外と比較して遅れを取っている。


 天城直樹は高瀬川にそれを齎すだけの能力を持っている。

 少なくとも和弥はそう判断した。


 だからこそ、莫大な資本の出資を行ったのだ。


「親だからそう見えるだけかもしれないけど、由弦は男としては及第点に達している。だから結婚相手には困らない。金を支払う理由がない。分かるだろう?」


 重要なのはビジネスであり、金だ。

 天城直樹に対する援助は、将来的に高瀬川家に対して大きなリターンが得られると判断したからこそだ。


 断じて、愛理沙の“購入代金”ではない。

 高瀬川家は人身売買に与する一族ではない。


 和弥は酒を飲みながら主張をする。


「だからこそ、だろう?」

「……何が言いたいのかな? 虎之助」

「金の生る樹を他所にやりたくないからこそ、人質を寄越せと強請ったのだろう?」

「嫌な言い方をするね、君は」


 和弥は肴として出されたチョコレートを摘まんだ。


「俺が求めたのは、“信用の証”だよ。そして俺からの“信用の証”でもある。双方合意の上だよ。天城直樹氏もうちと血縁関係を結ぶことは好意的だった。どちらにもメリットがあるからね」


 莫大な融資をする以上、逃げられたら大損だ。 

 そして天城にとっても、高瀬川に技術と知識だけを吸い上げられて捨てられることは避けたい。

 だからこそ、天城と高瀬川は大切な子供を双方、差し出した。


 つまり経済的な利益――天城への支援・融資――が主目的ではなく、政治的な利益――天城直樹が高瀬川の傘下に入ることの表明――が主目的だ。


 和弥は虎之助にそう説明するが……


「詭弁だな。力関係というものを考えろ。お前たちは相変わらず、口先だけは上手い」

「はぁ……こんなに言葉を尽くしても理解してくれないとはね。守銭奴の橘には、この人情味が溢れる両家のやり取りが分からないか」


 実際のところ、天城直樹にとって由弦と愛理沙の婚約はとてもありがたいものだろう。

 それだけ高瀬川が天城を重視しているという、証明なのだから。


 尤も……両家の力関係は歴然だ。

 例え両者が納得していたとしても、虎之助のように――もっとも彼は揶揄っているだけで本気で言っているわけではないが――高瀬川が金と権力で脅したと捉える者もいる。


 だがそれは勝手に言わせておけば良い。

 元々高瀬川家には敵が多い。


 この世のあらゆる全ての者と仲良くすることは不可能だ。

 故にそこは割り切るしかないのだ。

 

「しかし、気になることがあるな」

「ふむ、どの辺りに疑問が?」

「どうして、血の繋がっていない方の娘を選んだ? 天城にはもう一人、娘がいただろう。それに息子も」


 天城直樹には雪城愛理沙以外にも、血の繋がった娘と息子がいる。

 人質にしても、“信用の証”にしても……

 血の繋がっていない方よりも、血の繋がっている方がより機能する。


「これはここだけの話なんだけどね」

「ふむ」

「最初はその、天城の……血の繋がっている方の娘さんの予定だったんだよ」


 高瀬川としては、血の繋がっている方と繋がっていない方、どちらが欲しいかと聞かれれば血の繋がっている方が欲しいに決まっている。

 天城にしても、血の繋がっていない方を出すのは……高瀬川に対してあまりにも失礼な行為だ。


 故に血の繋がっている方の娘が選ばれるのは、当然の帰結だ。


「ただ、彼女はまだ小学六年生だった。……由弦は絶対に嫌だと言うからね」

「まあ、確かにな」

「だろう? だからもっと時を置いてからにしようと考えていたんだ。……由弦には『縁談の話がある』と匂わせたりして、段階を踏んで、然るべきタイミングで鉢合わせをさせるつもりだった」


 具体的にはおおよそ、四年後。 

 天城の娘が十五歳、由弦が十九歳になったタイミングで顔合わせをさせるのが、当初のプランだった。


「ふむ、では……何がお前を急かさせた? まさか、橘と大陸の取引か?」

「まあ、それも意識してはいるんだけどね。最大の理由は別にある」

「……それは?」


 和弥はすぐにその問いには答えず……

 ゆっくりと、カクテルを味わった。


 そして僅かに酒で紅潮した顔で言った。


「息子の恋、だね」

「……はぁ?」


 何をこいつは言っているんだ?

 と、虎之助は首を傾げた。


 そんな虎之助に対して和弥は説明する。


「元々ね、由弦と愛理沙さん……つまり天城の血の繋がっていない方の娘さんが同じクラスだったのは知ってたんだけどね」

「ふむ……それで?」

「由弦に縁談の話を匂わせていたらね……『俺は金髪碧眼の美少女じゃねぇと婚約しない!』なんて言いだしたんだよ」

「……」


 雪城愛理沙は金髪碧眼ではない。

 が、髪質は金髪に近く、瞳の色も碧眼に近い。

 そして何よりも美少女だ。


 そんな彼女と同じクラスの由弦が、「金髪碧眼が良い」と言い出したのだ。


 これはつまり……


「縁談を嫌がるのも納得だよ。息子にはすでに好きな人がいたんだ」


 もはや、愛理沙そのものを指していると言っても過言ではない。

 由弦は「雪城愛理沙じゃなければ、結婚しない」と主張したのだ。


「なるほど、それで渡りに船と、そういうことか」

「まあ、そういうことだね。俺としては息子の恋も応援したいし」


 高瀬川と天城の縁談は、繋がりを強化するためのものであり……逆に言えばそれ以上でもそれ以下でもない。

 だからどうしても、直接的な血縁に拘らなければならない理由はない。


 もっとも、嫁入り前に正式な養子縁組を行って、天城愛理沙になってもらわないと高瀬川としては困るが。

 

 しかしそれは正式な婚約の後で良い。

 今はまだ、仮の段階だ。

 急ぐ必要はない。


「ところで、天城直樹氏の方はどう考えているんだ? 彼としては……実の娘の方が、都合が良いのではないか?」


 どうせ繋がりを強化するならば、実の娘を嫁に出したいと考えるのが普通だ。

 高瀬川家はこの国有数の名門。

 血の繋がっている娘と、繋がっていない娘……


 普通は前者の方を可愛がるし、前者の方に良い縁談先を用意したいと考えるだろう。


「彼は喜んでいたよ。高瀬川家なら、安心だと」

「ふむ……実の娘の方が可愛いから嫁には出したくない、という口か?」

「さあ……そればかりは」

 

 和弥は肩を竦めた。

 天城の家庭環境についてまでは、さすがに踏み込めない。


 否、興味がない。

 和弥にとって、愛理沙の家庭内の立ち位置はそれほど重要なことではないのだ。


 唯一興味があることは天城の次期当主だが……

 それさえも、大勢に影響はない。


 天城の後継者が有能であれば、そのまま関係を継続すれば良い。

 無能ならば、結ばれた血縁関係を利用して奪ってしまえば良い。

 高瀬川由弦と天城・・愛理沙の子には、天城の遺産を相続する権利が生じるのだから。


 冷静で冷徹で冷血。

 それが高瀬川和弥、否、高瀬川家という一族に対する世間の評価だ。


「肝心の本人たちは、どうなんだ? 天城の娘……雪城愛理沙、だったか? 彼女がお前の息子を嫌っていたら、話にならないが」

「まあ、そうだね。俺としても息子のことを愛している女性を家族として迎えたいからね」


 和弥は政略結婚を否定しない。

 むしろ積極的に肯定している。


 が、強制的に縁談を結ばせるような真似はしたくなかった。


 家族内で内紛が起きれば、大きな損害が生じる。

 争いの火種は望まない。


 もし雪城愛理沙が由弦のことを心の底から嫌っていたら……

 諦めるしかないだろう。


 だが……


「俺の目から見て、二人は思い合っているように見えるよ。是非、二人には結婚して……可愛い孫を見せて貰いたいね」

「お前としても、気に入っているのか」

「勿論。性格も器量も良い。頭も悪くない。料理も上手。由弦を立てることもできる。高瀬川に迎えるお嫁さんとしては、最良の人物だね」


 和弥は上機嫌にそう言った。

 それから酒に酔っているせいか……少し口が滑り始める。


「彼女は元気な子を産み育ててくれそうな感じがするんだよね」

「直接、それを言うな? 義理の娘に嫌われたくなければな」

「分かっているよ。でも、孫は可愛いに越したことはないだろう? 孫か、孫かぁ……俺たちももうすぐ、爺さんかぁ……」

「孫、か。子もいない俺には興味のない話だな」


 虎之助は鼻を鳴らした。

 彼は結婚をしていないため、子供もいない。

 もっとも……彼の亡くなった兄の娘である亜夜香がいるので、橘の血が絶える心配はない。


「お前には可愛い姪がいるだろう。……そう言えば、どうなっている? 亜夜香さんと、上西の娘さんと、宗一郎君は……」

「はぁ……聞いてくれるな」

「その様子だと、そちらのゴタゴタはまだ片付いていないようだね」


 疲れ切った表情の虎之助に対し、和弥は上機嫌だった。

 由弦と愛理沙の関係が上手く行きそうなので、彼としては一先ず肩の荷が下りた気分なのだろう。



「この件は高瀬川も無関係ではあるまい。お前の息子が大人しく、上西と婚約すれば話はもっと単純だった」

「強制はできないという話は、先ほどしただろう? 上西との関係修復は、由弦の子供に期待することにしていてね」

「ふん、勝手だな」

「勝手なのは君だろう? 君が息子でも娘でも子供を作っていれば、亜夜香さんを嫁に出せる。佐竹でも、うちでも、他の家でもね。まあ今更の話だけど」

「橘の後継者は亜夜香だ」

「強情だねぇ……君も」

「どうとでも言え」


 その日の夜遅くまで。

 二人は酒を飲み続けた。

 

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