第4話 高瀬川の歴史

 由弦と愛理沙は二人で手を繋ぎ、肩を並べながら歩いていた。

 二人の間に会話はない。


 愛理沙は何故か距離が近い由弦に対して恥ずかしそうに顔を俯かせながら歩き、一方で由弦は積極的に愛理沙との距離を詰めながら、愛理沙の態度には気付かないフリをしながら真っ直ぐ前を向きながら歩く。


「あ、あの……由弦さん」

「どうした? 愛理沙」

「その、どこに向かっていますか?」


 沈黙に耐え切れなくなった愛理沙が由弦に尋ねた。

 勿論、由弦も当てもなく愛理沙を外に連れ出したわけではない。


「近くに神社があるんだ。初詣……はもう、家族で済ませてしまったけど、一緒にお参りに行かないか?」

「……そうですね。良いと思います。私はまだでしたし」


 愛理沙は小さく頷いた。

 それからふと、疑問に思ったのか……愛理沙は由弦に尋ねた。


「その、由弦さんのお家って……キリスト教徒と聞いたんですが」

「うん? あぁ……まあ、一応プロテスタントだね」

「神社に行くのは大丈夫なんですか?」

「なんちゃってだからね」


 遡ること、明治期に高瀬川家はプロテスタントの信仰を受け入れた。

 もっとも……それはプロテスタントに感銘を受けたからではなく、極めて政治的な理由からだ。


 そのため改宗に応じた高瀬川家の当時の当主は、プロテスタントに好意的ではあっても、それほど熱心な信徒ではなかった。

 当然、その子孫である由弦も同様だ。


「……政治的な理由、ですか? 聞いても大丈夫ですか?」


 愛理沙は少し高瀬川家の歴史に興味がある様子だった。

 由弦にとって、愛理沙が自分の家に強い興味を抱いてくれることはとても嬉しい。


 それに……いずれ、愛理沙は由弦の妻になる。

 これはすでに由弦の中では決定事項だ。


(さて、どこまで話すかな……)


 話そうと思えば当時の込み入った政治・経済事情や、当時の日本を取り巻く国際情勢まで語らなければいけないが……

 途中で愛理沙が退屈してしまうのは、由弦としては望むところではない。


「当時の高瀬川家は……近代化・西欧化を推し進める側だったんだ。だから自ら先頭になって、プロテスタントに改宗したと、そういう感じだね」


「プロテスタントを選んだ理由は、何かあるんですか?」


「当時の橘家が、すでにカトリックに改宗していたんだ。当時の橘家は親仏寄りでね。……まあ、それに対抗する形でうちの家は親独寄りの立場を取り、プロテスタントを選んだ……そういう経緯だね」


 要するに橘への対抗意識が理由だ。

 由弦がそう語ると……


「……高瀬川家と橘家って、昔は仲が悪かったんですか?」


 橘と高瀬川が対立しているかのような由弦の言い方が、愛理沙には少し引っ掛かったようだ。

 聞いても大丈夫かな……と、少し不安そうな表情で、しかし強い好奇心を抱いている様子で、愛理沙は由弦に尋ねた。


「昔は、というよりは……今も、だね」

「……今も?」

「高瀬川家と橘家は、基本的に対立関係にある。特に国内政治や外交関係では、真逆の立場を取ることが多いね」


 国内政治でも。

 外交関係でも。


 高瀬川と橘は対極の陣営に属したりするのが、ある種の伝統だ。


「……えっと、実はギスギスしてたり、するんですか?」

「まさか。本当は仲が良いから、大丈夫だよ」

「……えっと、どういうことですか?」

「つまり……分かりやすく説明すると、プロレスだね」


 高瀬川と橘は常に対極の陣営に属する。

 というのは表向きのポーズだ。


 そもそも、この世界は真っ二つに分けられるほど単純ではない。

 様々な利害関係が入り乱れているのだから。


「プロレス……ですか? どうして、そんなことを?」

「その方が利益が得易いから……って、感じかな? まあ、大人の事情だね」


 実際のところ、由弦も詳しくは知らない。

 息子とはいえ、ただの高校生に情報を教えてくれるほど由弦の父も祖父も、口は軽くない。


「……その大人の事情を、私に話しても大丈夫だったんですか?」


「高瀬川と橘は対立をしている、が、じつはそれは見せかけの演技に過ぎない。というところまで、公然の秘密になっているから大丈夫だよ」 


 もし両家が対立していることが“演技”である。

 ということが秘密のことであれば、由弦も亜夜香も同じ学校で仲良く勉強などできないだろう。


「そうですか。……それは良かったです。知ってはいけないことを、知ってしまったのかと」

「俺が知っていることで、君が知ってはいけないことは、そんなにないよ」


 由弦がそう答えると、愛理沙はフッと小さく笑った。

 そして悪戯っぽい笑みを浮かべながら、由弦に尋ねた。


「そんなに、ということはあるんですか?」

「……まあ、少しはね」


 君への気持ちは、然るべき場所で、然るべき時に伝えたい。

 と、由弦は内心で呟いた。


 さてそんなやり取りをしながら歩いているうちに、神社に辿り着いた。

 二人は五円玉を入れて、二礼二拍手一礼をした。


 そして帰り道。


 愛理沙は由弦に尋ねた。


「何か、お願いごとをしましたか?」

「まあね」


 由弦は短くそう答えてから……その願いの内容を口にする。


「今年も、愛理沙と一緒に過ごせますように、と」


 告白が上手くいきますように、とか。

 愛理沙と結婚できますように、などとは……祈らなかった。


 それは由弦が、自分自身の手で叶えることであるような気がしたからだ。


 愛理沙を幸せにするのは、神ではなく自分だと。

 由弦はそんなしょうもない、独占欲を抱いていた。


「……同じ、ですね」

「……同じ?」

「私も……その、今年も由弦さんと一緒に居られますように、と祈りました」


 そう言う愛理沙の頬は僅かに紅潮していた。

 そして由弦も、自分自身の耳が熱くなるのを感じた。


 二人は互いの手を、握り直す。


 その後……二人は無言で帰路についた。


 不思議と、その沈黙は心地良かった。 




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