第21話 “婚約者”と誕生日

 秋も深まってきた、十月中旬。

 その日は由弦の誕生日だった。


「というわけで、由弦さん。……その、誕生日ケーキを焼いてきました」


 家に上がると、愛理沙は持ってきた二つの紙袋のうち、一つを由弦に手渡した。

 少し甘い香りがすると思ったので、おそらくはケーキだとは予想はしていたが……


「焼いてきた?」

「はい」

「誰が?」

「私が」


 これには由弦も驚きで目を見開いた。

 今までの人生で、手作りケーキなど、一度も食べたことはない。


 由弦の家では、ケーキは購入するものだ。


「なんか、悪いな」

「いえ、普段から由弦さんにはお世話になっていますから。……その先日も」

「あ、あぁ……」


 先日。

 愛理沙は由弦の家に“お泊り”したのだ。

 もっとも、その翌日にはお礼として朝食を振舞って貰ったので由弦からするとすでに恩を返して貰った形にはなるのだが。


「まあ、とにかく。せっかくだし、早速貰って良いかな?」

「はい」


 愛理沙から許可を頂き、由弦は紙袋を開ける。

 中には保冷剤と紙箱が入っていた。

 箱を取り出し、中を開ける。


「おぉ……本格的だな」


 中に入っていたのは、チョコレートのホールケーキだ。

 大きさは二人で食べるには、やや多い程度か。

 もっとも食べきれない分は、明日にでも食べれば良い。


 由弦は包丁を台所から持って来て、ケーキを切り分けた。

 珈琲を用意し、手を合わせる。


「では、いただきます」


 フォークでケーキを切り、口に運んだ。

 濃厚で上品なチョコレートの味が口に広がる。


「どうですか?」

「美味しいよ。珈琲によく合う」


 由弦がそう褒めると、愛理沙は僅かに目を逸らした。

 頬が赤く染まっている。


「そう、ですか。……ありがとう、ございます。まあ、市販のプロが作った物と比較すると、味は落ちると思いますが」

「そうかな? 遜色ないレベルだとは、思うけど」

「それは多分、由弦さんの好みの味に合わせたからです。珈琲と合わせて食べることを考えて、由弦さんはこういう味が好きなのかなと。気に入っていただけて、幸いです」


 プロは商品として作っているので、できるだけ大衆の口に合うように作る。

 それに対し、愛理沙は由弦が美味しいと思ってくれればそれでいいので、由弦の好みに合わせた。

 だから愛理沙の方がプロよりも腕は劣るが、食べた時の感想は遜色ないように感じる。


 ……と、そういう絡繰りのようだった。


「それは、また。至れり尽くせりだな。……というか、俺の好みなんて、よく分かるね」


 これで十六年、生きていることになるが……

 しかし自分の好みの味なんて、厳密に言語化できるほど自分自身に詳しくない。


「もう半年以上、一緒にいますから」


 そう言って愛理沙は微笑んだ。

 由弦は思わず頬を掻く。


 自分の好みを覚えてくれて、そしてそれに合わせて料理を作ってくれる。

 大変うれしいが……

 しかし勘違いしそうになる。


(ダメだな……良くない)


 愛理沙のことは好きになってはいけない。

 由弦はそう思っている。


 “婚約”関係を続ける以上、これは守らなければならない一線だ。


「君も食べたらどうだ?」

「そうですね」


 複雑な気持ちを誤魔化すために、由弦は愛理沙にそう提案した。

 愛理沙もまた、フォークを手に取り、口に運んだ。


「どうかな? 自分のケーキの味は」

「八点ですね」

「満点じゃないのか? 手厳しいな」

「勿論、全力は出しました。でも……もう少し、改善の余地があったかなと、思っています」


 今のままでも十分に美味しく感じる。

 が、愛理沙はこれ以上の味の向上を目指しているらしい。


「あまり頑張り過ぎるなよ? 君はもう少し、肩の力を抜いた方が良いと思う」


 勿論、由弦のように適当なのもそれはそれで問題ではあるのだが。

 愛理沙はいろいろと気を張り過ぎている気がしてしまう。


「頑張る……というのは、ちょっと違います」

「どう違うんだ?」

「由弦さんのために料理をするのは、楽しいです。喜んでもらえるのは、嬉しいです。だから……そんなに頑張った気にはならないです」

「まあ、君がそう言うなら」


 本人が楽しんでくれているなら、息抜きになっているというなら、由弦としても特に止める理由はない。

 勿論、それが当たり前になり、半ば強制するような状態になるのはあまりよろしくない。

 だから普段から、愛理沙に対しては「無理はしなくてもいい」と伝え続けるつもりでいる。


「そうだ。由弦さん……お誕生日プレゼントを、用意させて頂きました」


 愛理沙はそう言って、もう一方の紙袋から綺麗に包装された箱を取り出した。

 可愛らしいリボンで飾りつけられている。


「その、つまらないものですが」

「ありがとう。……ケーキにプレゼントまで、すまないな。開けて良いかな?」

「どうぞ」


 由弦は丁寧に包装とリボンを取り外し、箱を開けた。

 中から現れたのは……


「ブレスレット?」


 革紐を編んで作られた、お洒落なブレスレットだった。

 一目でかなり手の込んだものだと分かる。


「はい。……その、何か買おうかなとも思ったのですが、思いつかなくて。亜夜香さんにアドバイスを伺ったら、手作りが一番だと言われて。その、お粗末かもしれませんけど……どうですか?」


 由弦は愛理沙の言葉に対してすぐには答えず、時計を嵌めている左手首にブレスレットを付けてみた。

 時計にはそこそこ拘っていて、良い時計を付けている自信があるが……ブレスレットのデザインはその時計によく合っているように見えた。


 中々、カッコ良く、由弦の趣味にも合致している。


「ありがとう。気に入ったよ。これから、付けさせて貰う」


 由弦がそう答えると愛理沙はホッと、息をついた。

 しかしそれでも……彼女はまだ、どこか心配そうだった。


「はい。……気に入っていただけて、良かったです。でも、その、あまり良い出来の物ではないので。嫌だったら、無理して付けてくれなくても……」


 不安そうに言う愛理沙の頭へ、由弦は手を伸ばした。

 そしてその亜麻色の髪を優しく撫でる。

 美しい翡翠色の瞳が僅かに垂れる。


「君の手作りを喜ばない男は、この世にいないよ。俺は幸せ者だ。……本当に嬉しいよ」

「……はい。ありがとうございます」


 愛理沙は心地よさそうに目を細めた。


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