第2話 高瀬川家の大晦日


 大晦日。

 由弦は家族と共に年越し蕎麦を啜っていた。


 ちなみに蕎麦は由弦の母が茹でた物……ではない。

 贔屓にしている近所の蕎麦屋で頼んだ出前だ。


 食べ慣れた味なので、安心する。

 だが……


(そう言えば、愛理沙の蕎麦は食べたことがないな)


 さすがの愛理沙と雖も、蕎麦は市販だろう。

 もしかしたら手打ちも技術的にできるのかもしれないが、市販の物に勝つのはきっと難しい。

 

 しかし蕎麦汁に関しては、きっと彼女は一から出汁を取って作る。

 あれだけ美味しい味噌汁を作れるのだから、蕎麦汁も美味しいのだろう。


「兄さん、もしかして愛理沙さんのお蕎麦食べたいとか、思ってる?」


 ニヤニヤと笑いながらそう尋ねてきたのは、由弦の妹。

 高瀬川彩弓(たかせがわ あゆみ)だ。


「俺は愛理沙の蕎麦を食べたことがないぞ」

「食べたいと思ったのは、否定しないんだ」

「まあ……食べてみたいのは確かだね」


 美味しくないはずがない。

 今度、頼んでみようと由弦は思った。


「何じゃ……天城の娘さんの料理は、そんなに美味いのか?」


 由弦にそう尋ねたのは、青い瞳に彫の深い顔立ちの老人だった。

 鋭い眼光と鉤鼻が特徴的だ。

 高瀬川宗弦(たかせがわ そうげん)。


 高瀬川家先代当主である、由弦の祖父だ。

 彼の父は北欧系アメリカ人なので、やはり顔立ちは日本人とはかなり異なる。

 ……もっとも日本生まれの日本育ちではあるが。


 現在はビジネスに関することは殆ど、息子――つまり由弦の父――に任せており、表向きには隠居している。

 表向き、というのはどういうことかというと、実は高瀬川家における“外交”のようなものを担当しているからだ。


 培ってきた人脈を武器にいろいろと国内外で暗躍している……という言い方は、少々、カッコつけすぎであるが。

 実際には旅行半分と言ったところか。


 もっとも、由弦の婚約者として愛理沙を連れて来た事実から分かる通り、決して遊び惚けているわけではない。

 曾孫欲しさは勿論のことだが、高瀬川家にとっても利益があると考えた上での行動だろう。


 ……少なくとも由弦はそう信じたかった。


「是非とも、ご馳走になってみたいわねぇー。由弦がそこまで言うなんて」


 由弦の祖母、高瀬川千和子(たかせがわ ちわこ)だ。

 一見すると怖そうに見える宗弦と比較すると、穏やかな雰囲気と見た目の日本人女性だ。

 ……もっとも、怒ると宗弦よりも怖いのだが。


「愛理沙さんのお料理、本当に美味しいわよ! お義母さん! 早く、お嫁に来てくれないかしら。あ、でも最初は二人で暮らすのかしら? ねえ、由弦。どうするつもりなの?」


 ハイテンションで由弦にそう尋ねたのは、高瀬川彩由(たかせがわ さより)。

 由弦の母だ。

 こう見えてもアメリカ文学の研究者だったりする。

 

「まあまあ、彩由。由弦だって、そんな未来のことは考えていないし、聞かれても困るだろう。……それにまだ、正式に決まったわけではないしね」


 そう言って由弦の父、高瀬川和弥(たかせがわ かずや)は目を細めた。

 現、高瀬川家の当主である。

 

 基本的に最終的に結婚するか否かの判断に関しては、由弦に任せてくれる方針のようだ。

 ……由弦の人生なので、当たり前と言えば当たり前なのだが。


「それで、今のところ、どうなんだ? 由弦」

「上手く行っているよ」

「そうじゃなくて。添い遂げたいという意思は、あるのかなと思ってね。……勿論、まだ考えられないという答えも良いけど」


 じっと、和弥は由弦を見つめながらそう言った。

 何となくだが、由弦は自分の感情や企みを全て、見透かされているような気分になった。


「……そうだね」


 少し前の由弦ならば。

 嘘を言うか、もしくは曖昧な回答で煙に巻こうとしただろう。


 だが、今はそういう気分にはなれなかった。

 自分の愛理沙の思いに関しては、嘘をつきたくない。


「彼女とは一緒に人生を歩みたいと、思っているよ」


 由弦ははっきりと、そう言った。

 少しだけ、耳が熱くなるのを感じた。


 由弦のこの強い言葉は和弥にとっては少し予想外だったようで、彼は驚いたように目を見開いた。

 もっとも、すぐに穏やかな表情ポーカーフェイスへと戻ったが。


「ならば……」


 和弥は何かを言いかけた。

 おそらくは、そんなに乗り気ならもう少し前向きに進めても良いかもしれない……というような感じのことを言おうとしたのだろう。


 しかしその言葉は由弦の言葉によって、遮られた。


「愛理沙の意思も重要だからね」


 言うまでもないことだけど。

 と、由弦は末尾に付け加える。


「俺は愛理沙に結婚を強いるような真似は……例え、間接的・・・であっても、したくない。……これは俺の恋愛だ。決着は俺自身の手で、全て付ける。だから余計なお節介は不要だ」


 はっきりと、由弦は自分自身の考えを父親と祖父に伝えた。

 愛理沙に、厳密には天城家に圧力を掛けるような真似は絶対にするな。

 と、釘を刺した形になる。


 由弦の祖父も父親も決して悪人ではないため、基本的にそのような真似はしない……

 とは、言い切れない。

 

 結局のところ、二人は高瀬川家とその傘下の企業に利益を齎すために動いており、場合によっては手段を選ばないこともありうる。

 息子の恋を応援するため、などという大義名分があれば余計に。


 元々、『“経済力”の橘』に対して『“政治力”の高瀬川』と呼ばれるほど、高瀬川家はそういう政治的な動き――つまり諸々に対する圧力行為や根回し――を周到に行う傾向が強い一族だ。


 だからこそ、きちんとそのあたりを伝えておく必要がある。


「……ふむ」

「ほう……」


 息子・孫の思わぬ反抗に和弥と宗弦は眉を上げた。

 機嫌を損ねた……様子は見られない。

 どちらかと言えば、好奇や感心の色が強かった。


 二人の様子から、おそらく無理に結婚を進めようとはしないだろうと由弦は判断する。

 ……愛理沙一人のために、次期当主と現当主・先代当主間で紛争を起こそうとは考えないはずだ。


 もっとも、若干空気が悪くなったのも事実である。

 そこを察したのか……


「いやー、兄さん! 凄い、ゾッコンじゃん! 私、ちょっと妬けちゃうなぁ」

「私は何だか、息子を取られたような気持ちで、寂しいわぁ」

「由弦ももう、立派な男子なのねぇ……」


 彩弓が茶化すように、彩由は揶揄うように、そして千和子はしみじみと言った。

 三人の取り成しにより、一瞬険悪になった空気は晴れた。


 その後、高瀬川家の面々は楽しく大晦日を過ごした。

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