第2話「何故か席はいつも後ろ」
――遥か昔。
人類がまだ科学などというものを学ぶ前の時代。
人はその時代の覇者ではなく、世界には妖魔が至るところに蔓延っていた。
妖魔は人と同じ雑食だが、人を好んで食べる種が数多くおり。
また繁殖に人を使う種も多く、人類の天敵であった。
彼らはその優れた身体能力と高い技能を持って大陸を支配していた。
妖魔たちはその時代、土地ごとにある種神のように君臨し、全ての生殺与奪を握っていた。
人間は狩られるべき餌として食い散らかされ、村ごとに定期的に生贄を差し出すことによって何とか絶滅を間逃れていた。
ただ日々を怯え過ごすだけの人類だったが、そんな人類を救うべく2つの勢力が生まれる。
妖魔と戦おうとする勢力と妖魔と共生しようとする勢力だ。
その勢力は長い時と夥しい数の屍を経て、存在へと昇華した。
一つは妖魔を倒すために生まれた退魔師。
一つは妖魔と人類を共生させるために生まれた慰魔師。
その2つの存在により人類と妖魔の勢力図は均衡まで持ち直し。
――そして約百年前。
幾度かの人と妖魔の大戦を経て妖魔は歴史から姿を消した。
しかし妖魔は死滅したわけではない。
慰魔師によって共生する意思を持った妖魔はこの世界に多く生き残り、慰魔の血族とともに人間社会にひっそりと紛れている。
「―――とまあ大雑把に説明するとこんな感じ。今は昔のように人間しか食べない、って妖魔は居ないけれど。それでもやっぱり衝動的に人間を襲いたくなる妖魔が潜在的に居るのは事実よ。その衝動と飢えを抑えるのが慰魔師の役目。その相手を見つけるための学校が此処ね」
特徴的な字で黒板に重要な語句を書き連ねる先生。
僕は初めて詳しく聞く歴史にほえー、となっていた。
「―――はい、先生。質問があります」
「――――っ?!」
突然右隣から上がった手に、思わず僕は舌を噛みそうになる。
馬鹿みたいに口を開けていたせいだろう。
今後は注意しなくては。
僕は戒めながらも手を上げた生徒に視線を向けた。
「はい、どうぞ? …………えぇっとあなたは」
先生は手にした紙と座席を見比べる。
しかしそれを見つける前に隣の席の人は自ら名乗った。
「クリスティナです。――妖魔が潜在的に危険であるというのであれば、こんな学校など作らず強制的に慰魔師とパートナーを組ませればいいと思いますが。その理由は何故ですか?」
すっと立ち上がった右隣の席の人。
名前はクリスティナさんと言うらしい。
その姿を観察すると僕よりやや背が高く、しかもスラっと足が長い。
モデルのような体型と美貌に、僕は改めて声をかけなくてよかったと安堵した。
僕なんかが声をかければ、みんなの前で恥をかく結果になったと確信できるからだ。
――でも正直レクリエーションか何かで、もしかしたら会話する機会くらいないかなぁ。
僕は刀剣のように凛々しく立つクリスティナさんを見ながら、淡い期待を抱いた。
「良い質問ね。これはこの後のレクリエーションにも大きく関係するんだけど、一番大きな理由は妖魔の嗜好の違いね」
「思考? 考え方の違い……ですか?」
着席しながら首を少し傾げ、聞き返すクリスティナさん。
その様が少し可愛い。
僕は半ば先生達のやり取りそっちのけで、クリスティナさんに夢中になっていた。
「好き嫌い、好みの方の嗜好ね。慰魔師と言ってもみんながみんな同じだけ妖魔を抑えれるわけじゃないの。これは血とか力の問題でもあるけど何より大きいのは相性の問題。細かい所まではまだ完全にわかっているわけではないけれど、異性同士だと同性に比べて相性が良くなる、ってことは解っているわ」
先生は其処で言葉を区切りクラス全体を見渡す。
「――だからもうわかっていると思うけど、このクラスは男子が慰魔の血族、女子が妖魔って事になっているわ」
――え?
思いがけない言葉に僕は固まる。
ずっとクリスティナさんに夢中になっていただけに、完全に寝耳に水だった。
「――――うぇえええええ?!!!!!」
あんまりにも動揺しすぎて思わず声に出して叫んでしまう。
――妖魔が居るのはくうときよさんから聞いて知っていたけど、まさかクリスティナさんや左の席の女の子もそうだったなんて。
もちろんクラスメートは多少ざわついているが、叫んでいるのは僕だけだ。
当然クラスの人殆どから視線を集める結果になる。
――うぅ、恥ずかしい。
穴があったら埋まりたい。
そして永遠に其処で埋まっていたい。
僕は今、貝になりたかった。
「えーっと、あなたは……キョウくんね。妖魔に初めて会って驚いた……訳でもないわね。きよ理事長の関係者みたいだし。ん~――」
髪を掻き上げながら独り言のように漏らした先生の言葉に、僕を含めくう以外のクラス全員が『え?』と言う顔をする。
そして再び僕に視線が集まる。
先ほどの何だこのおかしな奴視線から、いわくつきの骨董品を見るような目に。
ひそひそと僕に視線を送りながらの内緒話が辺りから聞こえ始める。
だけど何か言いたいのは僕の方だ。
――うぅ、きよさんがこの学校の理事長だなんて一言も聞いてないよ。
視線に晒され、僕は涙目になりながらより一層縮こまった。
「―――先生、話が止まっています。彼の事は気にせず先に進めてください」
いつまでこの地獄が続くのだろうと思っていたところでくうから助け舟が入る。
――ありがとうくう。
持つべきものはやっぱり家族兼幼馴染みだ。
「――――――――」
僕が心の中でくうを崇めていると、くう本人から冷たい一瞥を喰らう。
『……迷惑かけないで』
と言った具合に。
――ごめんなさい、許してください。
僕は誠心誠意視線で謝った。
「あら、そう? じゃあ話を戻すけど。え~っと、どこまで話したかな……。そうそう、このクラスの女子は妖魔ってところまでね。あっ、因みに先生も妖魔だから、男子諸君は仲良くしてね」
お茶目にウィンクした先生にクラスの男子から喜びの声が上がる。
先生は普通に美人だから当然だと思う。
僕はというと、またもや声を上げそうになっていたので、手で口を抑えこみ声を押しとどめていた。
「―――さて小難しい話は今回はここまで。今からみんなお楽しみのレクリエーションを始めます」
その言葉で先生の話を適当に聞いてた人たちも顔を上げる。
「何をするかと言うと、今からみんなに妖魔と慰魔師のパートナー関係を体験してもらいます。やり方はとっても簡単。ただ隣の席の子の手を握ってもらうだけです。あっ、この時に女子は注意ね。氷細工の様にとは言わないけど、相手は人間の男の子だから優しく握ってあげて」
「―――!!」
その言葉で沈んだ僕の心は爆発しそうなほど高鳴る。
――と、隣のふ、二人とあ、握手……。
こ、この学校に入学できて本当に良かった。
僕に入学を勧めてくれて、ありがとうきよさん、ありがとうくう。
僕はこの思い出だけで生きていける。
自分でも少し大げさな感想だと思いながらも、僕は心の中でガッツポーズを取った。
そうしている間にも時間は進んでいるが、今はこの幸せをもう少し噛み締めていたい。
そうしてしばらくした後、僕は用心深く辺りを見渡す。
クラスで早い者はもう握手寸前までこぎつけていた。
――大丈夫だ、冗談の類ではないようだ。
恐れ多いことだが僕は二人の内、どちらから握手するか選ばなければならないようだ。
僕は二人を見る。
二人共とても綺麗な人だ。
僕個人の意見でどちらかを選ぶなんて、恐れ多くてとても出来そうにない。
――どうしよう、どうしよう………、あっ。
僕はあることに気づく。
クリスティナさんの反対側は壁である。
ごく特殊な場合を除き誰も居ないのだ。
――つまり僕以外握手する人が居ない?
コレは行くしか無い。
クリスティナさんから握手しよう。
消去法で僕は握手する相手を決める。
「―――ぁ、あの」
生唾を飲み込み、手にじっとり汗を掻きながら、僕はクリスティナさんに声をかける。
だが――。
「先生、握手を拒否することは可能でしょうか?」
僕の言葉を遮るようにクリスティナさんは再び手を挙げる。
――もしかして僕の存在、眼中にない?
僕はクリスティナさんの方を向き、声を掛けた状態で固まる。
いくら何でもコレはあんまりじゃないのだろうか。
それとも所詮僕にはこういうオチがお似合いなのだろうか。
そう思いながらも、僕は何事もなかったかのように自分の机に向かうしかなかった。
「もちろんOKよ。さっきも言った通り相性が大事だからね。ただ相性が悪いと言ってもゼロになることはないから、握手が嫌なら某映画の宇宙人のように人差し指だけ合わせて、慰魔の血族の力を少しだけでも体感して欲しいのが本音かな」
「――――そうですか、分かりました」
先生の返答を聞き、心なしか表情に陰りのあるクリスティナさん。
そんな彼女に何も言えず、僕は途方に暮れる。
クラスではみんな楽しそうに手を握り合ったりする声が聞こえ続けていた。
「――おぉ、なんか、なんかすごい。お風呂に浸かったような暖かいパワーを感じる」
「よろしくおねがっ………痛ってぇ!!!! ちょっ、もっと優しく握っ……ぎゃー!!」
「マイナスイオン的な? オーラを感じるぅ~」
「俺はこの手を一生洗わないっ!!」
「へぇ、意外と綺麗な手をしているね。もっとよく見せてもらっていいかな?」
「なんだかドキドキするね」
「……あの、すいません、エア握手なんですけど」
「あ、ちょっと気持ちいいかも♪」
「妖魔だろうと女の子の手はやっぱり柔らかいんだな」
「手、汚い。……………汗で湿ってる。近づかないで」
クラス声に混じって、くうの声が聞こえた気がするが気のせいだと思う。
いや気の所為と思いたかった。
「「…………………………」」
僕達だけがクラスの輪から外れ、静寂を保っていた。
やっぱりこのままクリスティナさんとなにもしないまま終わるのは寂しい。
僕は勇気を出してもう一度だけ声をかけることにする。
「ぁ、あの………」
「――! あぁ、すみません。不愉快な気持ちにさせてしまって」
僕がいることに今気付いたかのように、クリスティナさんは僕に謝罪する。
――あぁ、本当に僕ってその程度の存在なんだな。
最早ナイフで切り刻まれた様な心のまま、僕はなんとか会話を続ける。
「い、いえ、それはいいんですけど」
「誓って申し上げますが、別にあなたが嫌いだからあのようなことを言ったわけではありません。本命の相手が見つかる前にこういう事をするのは如何なものかと思いまして、あのような発言をしただけです。ですが配慮が足りませんでしたね。心から謝罪します」
真っ直ぐな綺麗な目で僕に向き直ると、クリスティナさんは深々と頭を下げる。
僕は嫌われて無くてよかったと思う反面、一転してこんなに丁寧に頭を下げられた経験がないので戸惑った。
「わわっ!! そんな、頭を上げてください。僕はえっと……大丈夫ですから」
何が大丈夫なのかよくわからないけど、僕は取り敢えず大丈夫と言っておく。
「お気遣い有難う御座います。―――――キョウさん、でしたか?」
「あ、はい」
「自己紹介がまだでしたね。改めて紹介させていただきます。私はクリスティナです、どうぞよろしくお願いします」
「こ、こちらこそよろしくお願いします」
互いに深々と頭を下げ合う。
他のみんなが握手しながら談笑している中で、僕らは何をやっているのだろうか。
客観的に考えると相当間抜けな事をしている気がした。
――あっ、もちろん間抜けなのは僕だけです。
クリスティナさんのお辞儀は惚れ惚れするぐらい綺麗でした。
だがそこで会話は途切れる。
「「……………………」」
再び僕らの間に沈黙が訪れる。
――この空気、どうすればいいのだろう。
クリスティナさんはなにか考えこむような素振りをしているし、声を掛けれるような雰囲気じゃない。
居た堪れない空気に耐えかねて、僕はクリスティナさんから視線を外し下を向く。
すると――。
「――――あの、手を出してもらえないでしょうか?」
「え? あ、はい」
突然クリスティナさんに声を掛けられた僕は、言われるがままに手を出す。
そして手を出した後で、手汗を拭いておくべきだったことに気が付いた。
――うぅ、またやってしまった。
思った時にはもう遅く、クリスティナさんが僕の手をまじまじと見ていた。
手相を見られているようで、僕は緊張で背汗が凄いことになりながらも石像のように固まり続ける。
「…………………」
やがて僕の手を端から端まで舐めるように見たクリスティナさんは、小さく頷いた。
「?」
僕が不思議そうな顔をしていると、クリスティナさんがすっと顔を近づけてくる。
少し困った表情と距離にドキッとしながらも、なんとか僕は耐える。
「――実はその、私は体質で男性に触れると拒否反応が出てしまうのです。勿論先ほどの話も嘘ではないのですが、そういう事情もあり、断りたかったのです。重ねて非礼をお詫びします」
そう言いながら更に近づいて来るクリスティナさん。
僕は緊張で全身の毛が逆立つ。
「その……他言無用というわけではないのですが、あまり公に話せる話でもないので出来れば内密にして欲しいのですが、駄目……でしょうか?」
「だ、駄目じゃないですっ!!」
上目遣いで囁くような声で話しかけてくるクリスティナさんに、僕はたまらず声を上げる。
クリスティナさんが何かする度に、僕の心臓が爆発しそうな勢いで鼓動していく。
――駄目だ、これ以上ここにいたら僕のちっぽけな心臓が壊れてしまう。
そうわかっていながらも、僕はその場から動くことができなかった。
「有難う御座います。先ほど言った通り握手は無理ですが、触る程度なら出来るかもしれません」
クリスティナさんはそう言いながら僕の掌にゆっくりと指を近づけていく。
僕は心臓の鼓動に押し潰されそうになりながら、その光景を見守る。
「腫れ物にさわるような失礼な態度、どうか許してくだ――ひゃぁっ!!」
「――!!」
非常に礼儀正しく喋っていたクリスティナさんが突然悲鳴染みた声を上げたことにより、僕は反射的に手を引っ込める。
――どうしたのだろう?
僕の手に触れた瞬間声を上げたけど。
もしかして拒否反応が出てしまったのだろうか?
それにしては少し悲鳴の質が違ったような気もするけど。
「あ、あの……僕なにかまずい事をしてしまちゃったんでしょうか?」
「ぁ………い、いえ、その。初めての感覚に戸惑っただけです。も、もう一度触ってもよろしいですか?」
声を上げてしまった羞恥心からか、クリスティナさんの顔は赤く染まっている。
だけどそれ以上に僕の顔も赤くなっているのは、想像に難くなかった。
「は、はい。あの……どうぞ」
再び差し出した僕の手をクリスティナさんは怖ず怖ずと、触れる。
今度は直ぐには離さず、少しづつ確かめるように。
クリスティナさんの手が僕の掌の上をくすぐる。
僕は緊張と興奮で視界が真っ赤になる。
――もう何が何だかわからない。
辛うじて分かるのは――。
「ん……ぁ、はぁ、………んぅ」
クリスティナさんから零れる吐息と指の感触だけ。
どこか艶かしく熱っぽい吐息が手に掛かり、総毛立つ。
だけどこの手から逃げることはできそうになかった。
――なんだこれ?
どうしたらいいのだろう?
僕は一体どうすれば?
クリスティナさんが触れてから10秒だろうか、30秒だろうか。
永遠と思えるような至福の時間がクリスティナさんの手が離れることによって終わる。
「「あっ」」
僕と、そして何故かクリスティさんから名残惜しむような声が出た。
「――――はい、そこまでよ。それ以上やると面倒くさいことになっちゃうからね」
僕らは同時に声のする方へ向くとそこには先生が居た。
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