第103話「OOの中でも最弱は最弱じゃないことのほうが多い」

「…………」


 ゴウンゴウンと洗濯機が回り続けている音がやけに大きく浴室内に響く。

 他に聞こえてくる音といえば身じろぎした時の水音と、互いの息遣いくらいである。


「ぬ、温くないかしら?」

「だ、大丈夫です」


 僕らは狭い浴室に背中合わせで浸かっていた。

 勿論タオル着用だ。

 それでも美鈴さんとの距離が非常に近くてドキドキする。

 経緯を説明するのであれば、僕らは互いに濡れてしまったので一緒にお風呂にはいる事にしたのだ。

 後から思えば服の替えがない僕は兎も角、美鈴さんは一緒にお風呂に入る必要が無いのではと思ったが、その時の僕にはそこまで頭が回らなかったのである。


「……その、色々と変な所を見せちゃってごめんなさいね」

「いえ、殆ど僕の所為のようなものですし……。あの、僕の方こそ本当にごめんなさい」


 僕らは背中合わせの状態で互いに謝る。

 元凶である僕が謝るのは当然だが、美鈴さんは何も悪く無い。

 普通に考えれば怒っていいはずだが、そんな素振りも見せない。

 寧ろどこか機嫌良さそうにさえ思える。


「でも良かったんですか? その、僕なんかと結婚の約束なんかして……」

「だ、ダメな人と一緒にお風呂入ったり、しないわよ」


 美鈴さんは口元までお湯に浸かって、ブクブクしながら答える。

 もしかしなくても照れているのだろうか。

 僕はその仕草を可愛いと思った。


「その、寧ろキョウくんは良かったのかしら? 殆ど無理やりだけど、私とこ、婚約者になって」

「?」

「だって、キョウくんにはくうさんや、輪廻さん、クリスティナさん達だっているし」


 僕は美鈴さんの言っている意味がよくわからず首を捻る。

 家族同然のくうは兎も角、輪廻やクリスティナさん達は大事な友達だ。

 この先どうなるかはわからないが、それでも僕は永遠に友達で居て欲しいと願っている。

 例え皆が誰かと結婚しようとも、だ。


「皆大切な友達ですけど、恋人とかそう言うわけじゃないですし……」


 僕は胸が痛む事無く、そう言う。

 僕にとっては友達であると言うだけで十分すぎるくらい充足している。

 それ以上の事などわかりはしない。

 わからないまま美鈴さんと婚約してしまったのは問題以外の何物でもないが、これは身から出た錆だ。

 責任?は取らなければならない。

 きよさんもそんな事を言っていた様な気がする。


「やっぱりキョウくんはそう言うところも含めて認識して行ってもらわないとね」

「認識、ですか?」


 僕の言葉を聞いて、何かを決意する美鈴さん。

 身じろぎでもしたのか、背中から伝わる感触が変わる。


「――私達が男と女って事よ」

「? どういう意味――っ?!」


 何を当然の事をと思い、振り返ろうとした所で僕の頬に生暖かい感触が伝わる。

 僕は暫く何をされたのか良く分からなかった。


「こ、こう言う意味……よ」


 振り返った先には、顔を熟れたトマトの様に真赤にした美鈴さんが居た。

 頬にふんわりと残る唇の感触で、僕はキスの実感が湧いてくる。

 いつの間にか背中合わせでなく抱きかかえられるような体勢になっており、美鈴さんの胸が僕の背中で潰れて形を変えていた。


「すみません、やっぱり意味がわからないといいますか……。あのその、近いといいますか」

「いいのよ。私達は婚約者なのだから」


 そう言うと足とか腕とかを更に密着してくる美鈴さん。

 それにより柑橘系のような甘い香りが僕の鼻孔を擽る。

 僕は気恥ずかしさから身を捩ろうとするが、婚約者と言う言葉が脳裏を過ぎった。

 美鈴さんの口振りから婚約者がこうするのは当たり前の事なのだろう。

 だったら僕に逃げる権利はない。

 僕はお湯に口元まで付け、身を固くする。


「え~っと、そう畏まるような事じゃなくてね。まあそういう事も含めて一緒に勉強していくってことよ」

「……勉強、ですか」

「もう、勉強と聞いて嫌そうな顔しないの」


 美鈴さんは露骨に嫌がった僕の気配を感じ取り、宥めるように頭を撫でてくる。

 まるで本当のお姉さんの様な触り方に、肩の力が抜けていく。


「キョウくんは恋人になれば、結婚すればどんな事をするか知ってる?」

「えっと、キスしたりとか、子供の世話をしたりとか……ですか?」


 僕は脳内に僅かばかりしかない知識を総動員させる。

 そこで気づいた。

 僕は思った以上に恋人や夫婦が何をしているのか知らないのだ。

 そもそも子供ってどうやって出来るのだろうか。

 コウノトリは子供を運ばない事くらいは知っているが、であるなら尚更謎である。

 両親が居ればこんな事もなかったんだろうか。

 僕はイメージすら沸かない事に気落ちした。


「だから、ね。私と一緒に勉強していきましょう。私もあまり詳しくはないけれど、そのキスとか、デートとか、………………こ、子供の作り方とか」


 最後の方は消え入りそうな声で、美鈴さんは何かを呟く。

 正直何を言っているのかわからなかったが、僕はしっかりと頷いた。

 きっと僕はもっと知るべきなのだろう。

 自分の事だけじゃなくて、もっと色々な事を。

 真っ赤になった美鈴さんに抱かれたまま、僕はそう決意する。

 僕らはそのまま、逆上のぼせるまでその状態で硬直し続けるのであった。



 †


「どうやら美鈴がやられたようじゃな」

「かっかっか、彼奴は生徒会四天王の中でも最弱」

「人間に負けるとは妖魔の面汚しじゃ」

「………………」

「そう言うのは私が居ない所でやってくれるかしら?」


 美鈴は額に青筋を立てながら、若を睨む。

 ここは生徒会室。

 雰囲気を出す為にカーテンは締め切られており、机に設置された蝋燭の灯だけが頼りになっている。

 美鈴は若に呼び出された挙句、いきなりこんな茶番を見せられたのだ。

 当然怒りもするだろう。


「申し訳ありません。私は止めようとしたのですが……」

「いいわ、若は言って止まるようなやつじゃないものね。私が一番弱いことも事実だし……」


 美鈴は諦めたように溜息をつく。

 それを見て、若は興が覚めたと言わんばかりに部屋のカーテンを開け、蝋燭を消した。

 夜の少し肌寒い空気が室内に吹き込んでくる。


「そういう精神面での弱さが主の欠点じゃ。それさえなければ文句なくSじゃろうに。『空狐』に到れる器がこんな所で躓いてどうする」

「確かに先の試合でも少しその様な傾向があります。いくら追いつめられたからといって『殺生石』は使うべきではありません。人道的にもそうですが、あれは相手を倒せなければその場で負けが決まる大博打の術です。『人の身では倒すことの出来ない』と定義される神クラスの妖魔が使っていい術ではありません」

「うぅ、ごめんなさい」


 妙な迫力を発揮している飛鳥の言葉に、美鈴は素直に謝る。

 飛鳥は普段はあまり意見をいうことはないが、発言するときは発言する。

 それも割りと容赦遠慮無くズバズバと。

 美鈴達よりも学年が上な事もあって、こうなった飛鳥には二人共頭が上がらないのだ。


「――そういう事も含めて美鈴ちゃんはキョウ君と戦って欲しかったの。今回の一件は美鈴ちゃんの成長のきっかけになると思うわ」

「! 

「ハロハロ~、生徒会四天王最後の刺客、咲恋さんですよ~」


 呑気な口調で咲恋は自己紹介する。

 一体いつから居たのか、まるでずっとそこに居たような自然さで咲恋は席に座っていた。

 美鈴や若の感知すらくぐり抜けてこんな事が出来るのは、学園広しと言えど咲恋とくう親子ぐらいだろう。

 たったそれだけの動作で生徒会室に居た三人を緊張させながら、咲恋はゆっくりと立ち上がる。


「あぁそ・れ・と会長ですよ、飛鳥」


 優しげな口調で咲恋は飛鳥を窘める。

 傍から見ればイタズラした児童を叱る優しげな保母さんの様だったが、対する飛鳥はただ萎縮するだけだった。

 その様子を見て咲恋は少し悲しそうに目を伏せる。

 そんな二人に割りこむように、美鈴は近づいた。


「……咲恋さんは、キョウくんが白鴉の一族だって事を初めから知っていたんですか?」

「一応は知っていました。私はキョウ君のご両親が誰か知っていますし」


 美鈴の問いかけに、咲恋はあっさりと答える。


「じゃ、じゃあキョウくんのあの強さも、会う妖魔全て魅了してしまうあの体質も、全部知っていたんですか? その上で私に取引を持ちかけたんですか?」


 にこやかに語る咲恋に、美鈴は詰め寄る。

 キョウに決闘で勝てば事実を教えてくれると美鈴に持ち掛けたのは、他でもない咲恋だ。

 だが鵺になれる事も知っていたのであれば、決闘をさせる為だけの出来レースでしかない。

 その言葉に咲恋は曖昧な笑みを浮かべる。


「ん~、そうですねぇ、全部知っていた、というと嘘になりますね。ある程度の推測は勿論立てていましたけど、実際見るまで私も知らなかったことのほうが多いですよ。そして、詳しいことは殆ど知らないのも本当なんです」


 咲恋は窓際まで歩いて行くと、そこから見える学園の光景を一望する。

 その慈愛溢れる横顔からは何を考えているのか読み取る事は出来ない。


「ただそうですね、私から一つ言えることがあるとすれば、これはきよ理事長が私達に与えてくれるチャンスでもある、と言うことですね」

「チャンス?」

「本来であればキョウ君は一生この学園の生徒達に会うこともなく人生を終える、そう言う運命を背負った子なんです」

「それってどう言う……」

「言葉通りの意味ですよ。理由の方はまあいいじゃないですか。大事なのは今キョウ君と触れ合う機会がある、ということですよ。美鈴ちゃんだけではなく、若にも勿論飛鳥にもね」


 煙まく咲恋の言葉に美鈴達は怪訝な顔をするも、それ以上は理由の追求をしなかった。

 聞いても無駄だと分かっているからである。


「触れ合う機会のう……。そうは言うがご隠居殿、現実問題触れれば触れるほどキョウは強化されるのじゃろう? 何の道決闘するのであればわざわざ難易度をあげる意味は無いと思うのじゃが」

「私は咲恋元会長がそう言われるのでしたら是非もありませんが」


 二人の反応に、咲恋は苦笑いを浮かべる。

 両者答えこそ反対ではあるが、嫌がっている理由は共に同じであるからだ。

 二人共彼の事が嫌いなわけではないが、美鈴を押しのけてまで仲良くしようとは思っていない。

 何だかんだ言いつつも、二人は美鈴の事が大好きなのである。


「う~ん、飛鳥も、若もそう言う消極的なところがダメだと私思います。口止めされたから多くは言えないのですけれど、キョウ君は私達のような妖気の多い妖魔にとって最優良のパートナーです。せめてどんなものか握手して試してみてからでも遅くはないのではありませんか?」

「あの、咲恋さんはどうして私達とキョウくんを接触させようとしているんですか?」


 美鈴は純粋な疑問を口にする。

 もし咲恋が彼を狙っているのであれば、それはマイナスでしかない。

 妖魔と戦えば戦うほど、触れ合えば触れ合うほど彼は強くなる。

 そんな自ら難易度を跳ね上げる様な行為をして何の意味があるのと言うだろうか。

 咲恋は唇に指を当てると、悪戯でも思い付いたかの様な笑みを浮かべる。


「ん~、そうですね、強いて言うなら、、と言ったところでしょうか。もし美鈴ちゃん達がキョウ君の真実に辿り着いた時、全てが終わっていれば可哀想ですから」


 フェアに行きましょう、と咲恋はにこやかに笑いかける。

 しかし一人情報を握っている時点でフェアでも何でもないのだが、誰も突っ込まなかった。


「つまりご隠居殿は一通り時間が立つまで手を出さないということじゃな?」

「そうですね、そうなりますね」

「そ、その過程で誰かと結ばれたらそれで諦める、と言うことですよね?」


 美鈴は若干必死な顔で咲恋に尋ねる。

 嫌な予感がしているのだろう。

 そこまで長い付き合いではないが、咲恋の性格は知っている。

 だから、彼女が次に何を言うのかも想像に容易いのだ。

 即ち――。


「私、欲しいものは使手に入れたくなる性分なんです。例えそれが他人のものでも……」


 咲恋がそう言った瞬間、瘴気の様な濃密な妖気がその体から放出される。

 どこまでも禍々しく、どこまでも凶悪な妖気。

 聖女の様なその美貌からは想像もできないほど、彼女の放った妖気はありとあらゆる負のイメージをその場の三人に叩きつけていた。

 ただそれだけで三人は指一本動かす事すら億劫となる程の圧力を受ける。

 引退すれども依然この学園の支配者は彼女である事を示す様に、ただただ圧倒的な存在圧。


「な~んて、冗談です。あっ、本気にしてはダメですよ?」


 瞬時に妖気を掻き消すと、咲恋はどこまでも柔和な笑みを浮かべる。

 美鈴はそんな彼女を少し不機嫌そうに睨んだ。

 まるで子狐が自分のモノを必死に取られまいと踏ん張るかの様に。

 そんな美鈴の様子に咲恋だけでなく、若や飛鳥も目を瞬かせた。


「あらあら、いつも内心ビクついてた美鈴ちゃんが成長しましたね。何かキョウ君といいことでもありましたか?」


 咲恋がそう言った瞬間、美鈴は顔を真赤にする。

 恐らく諸々の出来事を思い出したのだ。

 それでも睨む眼光は衰える事無く彼女を見据える。

 今の自分は婚約者であると、よりはっきり自覚したのだろう。

 故に何時迄も怯えている訳には行かない。


「でもそろそろ交換留学の時期だったような?」

「…………」


 赤い顔から一変、美鈴は苦虫を噛み潰したような表情になった。

 それもそのはず、美鈴は毎年その交換留学生として選ばれているのだから。

 しかし今年は事情が違う。

 彼と二人でいろいろ勉強していくと約束したばかりなのだ。


「飛鳥、今年は私行かな――」

「既に先方から指名が入っており、それを学園長も了承しております。キャンセルは不可かと」


 美鈴が言い切る前に飛鳥はバッサリと切り捨てた。

 それでも尚食い下がろうとする美鈴に、若は溜息とともに肩を竦める。


「と言うかこれはこれで別方面にダメに成っておる気がするのは儂だけかの」


 行きたくないとぐずる美鈴と鉄面皮で窘めようとする飛鳥。

 それをやれやれといった表情をしながらも何とか纏めようとする若。


「青春の味がしますね」


 そんな三人の光景を咲恋は本当に楽しげに見つめ続けるのであった。

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