第102話「もうお嫁に行けない」

「ふぅ……」


 長い会話が終わり、私はそっと息を吐く。

 こんなに長く話すつもりはなかった。

 そもそもとして私はキョウくんに会うのが怖かったはずなのだ。

 見栄やプライド、鵺としての彼に打ちのめされた恐怖、今後に対する不安。

 それらの感情が複雑に絡み合い、私は一歩も部屋の外に出ることができなくなってしまっていた。

 しかし、そんな感情もキョウくんの顔を見ただけで一発で消し飛んでしまったのだ。


「本当に、もう……」


 どこまでお人好しと言うべきか、疑うことを知らないと言うべきか。

 あんな普通の人なら幻滅する姿を晒したと言うのに、彼の眼には負の感情が全く宿らない。

 まるで誰かを嫌悪する事を知らないかの様に。


『要はあれだ。キョウは相手の良いところを好きになるんだよ。容姿・性格・特技、なんでもいい。そしてそれは親友にとって尊いものだ。だから他と差をつけない』


 ふと輪廻が語った言葉が脳裏に蘇る。

 つまりはそういう事なのだろう。

 いい部分はプラス、悪い部分はマイナスの足し算引き算ではなく。

 プラスのみを数える、或いはマイナスすらもプラスとして数える。

 それを計算でもなんでも無く、ナチュラルに行っているのだ。

 好意しか知らないその目を見ていると、悩んでいる自分が馬鹿みたいに思えてくる。


「お茶でも入れるわ。少し待ってて……」


 知らず知らず零れていた笑みを隠すため、私は立ち上がり簡易キッチンに移動しようする。


 ――いつかの時の為に取っておいた茶葉とお茶菓子、どこに仕舞ってたかしら。


 私が少しリッチな茶葉と茶菓子の場所に気を巡らせていた時。

 キョウくんは気を使ったのか、私に釣られる形で立ち上がる。

 今にして思えばこれがきっと不味かったのだろう。


「あっ、僕も手伝います――っ?!」


 正座から立ち上がろうとした瞬間、キョウくんはバランスを崩す。

 恐らくは足が痺れたせいだろう。

 結果キョウくんは立ち上がる事が出来ず、前のめりに倒れていく。

 その時、咄嗟だったのだろう。

 彼は手を伸ばし何かに掴まろうとした。

 そんなところに都合良くつかめるものなど無く――。


「えっ?!」


 私は脚に絡みつく何かに引っかかり、膝から倒れる。

 何とか腕を付いて顔を打ち付けることは阻止してものの。

 今の私はお尻を突き上げた状態で這いつくばるような、人目には見せられない体勢となっていた。


「あっ……れ……?」


 突然の出来事に困惑しつつも、私は顔を上げた。

 するとやけに太ももがスースーすることに気付く。


 ――今日はスカートだったかしら。


 私は疑問に思いつつも尻尾で自分の太ももの当たりを撫ぜる。

 サラリと、自画自賛ではあるが肌触りのいい毛が、私の肌に触れる。

 直に?

 私がその事実に気づくと同時に、キョウくんから声が上がる。


「すみません足が痺れて…………って、あっ、

「キョウくん? どこを……一体どこを見ているのかしら?」


 私はキョウくんの言葉で事態の大凡を理解する。

 要するに私は今あられもない体勢+下着をキョウくんの目の前に晒している状態と言う事だろう。

 どこの痴女だ。

 こんな事ならもっとかわいい下着を付けておくべきだった。


「――って、そうじゃなくて!!」

「っ?!」

「事故とは言え、いきなり女の子の下着を露出させて何をしているのかしらね?」


 私は九本の尻尾でキョウくんの首や顔を締め付ける。

 勿論本気じゃない。

 でも今は締め付けないと気がすまなかった。

 大体人の下着を見ておいて、

 もっと色々お約束のリアクションがあるはずだ。

 目を逸らし羞恥に顔を染めるとか、下着を褒めるとか、興奮するとか、色々と。

 そう意識する男女のやり取りとしてもっと色々あるはずなのだ。


「ご、ごめんなさい。くっ、苦しいです、美鈴さん」


 キョウくんが尻尾を叩いてタップした事で、私は漸く開放する。

 キョウくんは可愛らしく咽ていた。

 その声を聞きながら私は少し満足し、ポンポンとあやすように尻尾でキョウくんの頭を撫ぜる。

 自分としては割と心温まる行為のような気がしたが、客観視すればお尻を突き出した女が尻尾で下着を凝視している少年を叩いている光景にしか見えないだろうと思い至って、直ぐに止めることにした。


「……と言うかキョウくん、いつまで私の寝間着を掴んでいるのかしら? そ、そんなに私の下着を見ていたいの?」


 私が振り返りながらじと目を向けると、キョウくんは慌てた様子で私の寝間着を離し、急いで立ち上がろうとする。

 が、まだ痺れていたのバランスを崩して――。


「す、すみませんっ。すぐに退きま――――うぶっ?!」

「きゃっ?!」


 お尻に生暖かい感触のものが激突し、私は思わず悲鳴を上げる。

 恐らくはキョウくんが顔から突っ込んできたのだろう。

 それも敏感な部分に口のような部位が当たっており、私は羞恥と混乱から顔から火が出そうになる。


「――――――ッ!!!!」


 私は何とかしてこの状態から脱出しようとするが、キョウくんに膝を掴まれており、手を伸ばすことしか出来ない。

 この状態のままはまずい。

 下着に顔を埋められていることも、匂いを嗅がれていることも死ぬほど恥ずかしいが。

 慰魔師であり、自分と最も相性のいいキョウくんに敏感な場所を触られ続けていると言うのが一番まずい。

 私は徐々に高まっていく官能に焦る。

 もしこのまま下着ごとキョウくんを濡らしてしまえば、キョウくんが許しても私が私を許せない。

 そんな思いを抱いていると、キョウくんが唇を動かす感触が伝わり、私は悶える。


「……は……は……」

「母?」


 私は涙目になりながら聞き返す。

 キョウくんが言葉を発する度に、刺激が伝わるのと同時に大きく息を吸い込んでいるからだ。

 まるで何かの予備動作のように。


「まさかっ?!」


 私は一瞬遅れてその答えに至る。

 埃を吸い込んだのか、或いは私の毛が鼻に入ったのか。

 経緯はどうでもいい。

 キョウくんはくしゃみをしようとしているのだ。

 私の下着に顔を突っ込んでいる状態で。

 そう思い至った時にはもう遅かった。


「ハクション――――っ!!!!」

「ひぅっ―――ッ?!」


 新幹線並みの速度の暴風が私の無防備な場所に吹きかけられた瞬間。

 私の体は強力な電流を流されたかの様にビクビク震え、思考は真っ白となった。



 †



「え、え~っと……?」


 僕はくしゃみから戻り、顔を上げると眼前は大惨事となっていた。

 美鈴さんはパンツを露出した状態でお尻を突き上げ、ビクンビクンと痙攣している。

 眼は生気を失ったかのように虚ろになっており、意識があるのか怪しい。

 どう考えても大丈夫な状況ではないだろう。


「あわわ~」


 僕は自分がしでかしてしまった事態に戦慄する。

 お尻にくしゃみをすればこんな事態になるなんて知らなかったのだ。

 それにしても、と僕は自分の口元を拭いながら思う。

 妖魔の女の子は痙攣すると粘性の液体が出てくるのだろうか。

 僕はくしゃみと謎の液体で肌に張り付いてしまっている美鈴さんのパンツを眺めながらそう思う。

 直視してはいけないのだろうが、僕は目の前の光景から何故か目が離せなかった。


「あ…………あっ………あっ――ッ!?」


 すると意識が戻ったのか美鈴さんは膝を擦り合わせ、体を震わせながら絶望的な声を上げ始める。

 まるでダムが決壊するのを目の前で目撃しているような、そんな悲痛な声だ。

 そんなことを考えた所為か、ポタポタと何かの雫が落ちる音がする。

 雨?

 いやここは室内で、雨漏りするには階層が真ん中すぎる。

 じゃあ、と意識を巡らせていると、雫の落ちる音はどんどん激しくなって行き、やがて――。


「? これって……」


 ちょろちょろと黄色の生温かい液体が僕の胸辺りに掛かる。

 湯気とともに独特の匂いがツンと鼻を刺激して、僕は漸くソレがなにか理解した。


「いやっ!! いやっ!! みないで……っ」


 徐々に勢いを増していく放水を、僕は呆然と受け止めることしか出来なかった。

 僕の服がソレでびしょびしょになった頃。

 漸く放水は止まった。

 あとに残ったのはずぶ濡れになった布団と、嗚咽を漏らす美鈴さんだけだった。


「もう……もう、お嫁に行けない~~っ。うわあ~~ん」


 フラフラと姿勢を建てなおすと、子供のように泣きじゃくり始める美鈴さん。

 いやこんな状況に成れば大人だろうと泣きたくなるに違いない。

 僕は自分がしでかしてしまった事態に戦慄しつつ、罪悪感で胸が押しつぶされそうになる。

 

 ――だってこれ僕のせいだよね?

 僕がくしゃみしたからこうなったんだよね?

 どうしよう、本当にどうすればいいんだろう。


「あ、あの、本当にごめんなさい。そ、その償えることなら僕が何でもするんで泣き止んでくれませんか?」

「……………………何でも?」


 僕の言葉に美鈴さんがピタリと泣き止む。

 眼を真っ赤に充血させ、目端に涙を載せた状態で僕の方を上目遣いに見つめてくる。

 僕は泣き止んだ事に一先ず安堵して、ゆっくりと頷く。


「じゃあ……その、もし私が結婚できなかったら、キョウくんが責任取って貰ってくれる?」

「えっと……それはその」


 僕はすぐに答えを出すことが出来ず、口ごもる。

 

 ――貰うってそういう意味だよね?


 好きではないから嫌だとか、結婚したくないとかそう言う事ではなく、こんなドサクサに紛れるような形での約束で美鈴さんは後で後悔しないのだろうか。

 自分で言っては何だが、僕はかなりダメな部類の人間である。

 勉強はからっきし出来ないし、コミュニケーション能力はゼロに等しい。

 対する美鈴さんは生徒会長を務める程優秀な人で、人混みの中でも目を惹く様な美人だ。

 そんな僕が、僕の所為で恥をかいた美鈴さんを貰うと言うのは悪質な詐欺なのではないだろうか。

 そう思い至ったと言う事もあって、僕はすぐに答えを出せないでいた。


「……ダメなんだ。さっき何でもするって言ったの嘘なんだ。ふーん、やっぱりお漏らしするような女はキョウくんでも願い下げなんだ、そっかそっか。――――――死のう」

「ま、待ってください。わ、わかりましたから、もし本当に美鈴さんが誰とも結婚せず、僕なんかでいいと思ってくれるのであれば、け、結婚します」


 不穏な言葉を早口で吐き、台所へ向かおうとする美鈴さんを僕は懸命に止める。

 その背中からは真っ黒なオーラが滲み出ており、その言葉の本気具合を示していたからだ。


「……本当に?」


 ピタリと足を止めると、美鈴さんは首だけをぎぎっと僕の方に向ける。

 その眼は完全に死んでいた。

 冗談などと間違っても言おうものなら、間違いなくその場で自害しそうな迫力である。

 僕はその光景に生唾を飲み込み、ゆっくりと頷いた。


「じゃあ、ここにサインして、血判付きで。『私達は婚約する事をここに誓います』と」

「えっ?! えっ~と、あの……はい……」


 美鈴さん何処からともなく血判書を取り出す。

 そして綺麗な字体で先程の言葉を書き連ね、血印を押して僕に突きつけた。

 壮絶な迫力に押されて、僕はサインするしかなかったのであった。

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