第123話「主人公には勝てなかったよ」

「は?!」


 驚きの声が漏れたのは白鷺さんからだった。

 必殺の膝蹴りを放ったはずが感触は空を切り、何故か天地が逆転している。

 そんなところだろうか、今の白鷺さんから見た視点は。


?」


 僕は頭から地面に叩きつけられそうになっている白鷺さんの首元を掴みながら、そっと地面に下ろす。

 と言っても勝負がついた訳ではないので、そのまま地面に押し付けて拘束するが。


「見よう見まね? まさかあなたこの短時間で私の技を――」


 白鷺さんは何とか僕の腕を外そうと藻掻くが、残念ながら純粋な膂力では僕の方が遥かに上。

 即ち、抑え込まれた時点で詰んでいるのだ。


「空気投げだっけ? まあ、名前はなんでもいいんだけど、流石に何度も筋肉の動きを見る機会があったから真似できるよ。それに相手の力を利用する戦い方は僕もずっとしてたからね」


 悔しさと言うよりは驚きでいっぱいの白鷺さん。

 その姿を見ながら僕は懐かしい思い出を振り返る。

 これは何も一朝一夕で会得した訳ではない。

 要は

 誰よりも強く、誰よりも怖く、誰よりも禍々しい二人。

 くうやきよさんと手合わせする時はいつだってそうだった。

 根本的な膂力が足りない以上、相手の力を利用するしかない。

 しなければ肉弾戦闘すら二人とできはしないのだから。

 故に似た様な技法であれば模倣はさほど難しくなかったわけだ。

 無論膂力が上回っているからこそ出来る力技でもある。


「降参よ。負けを認めるわ」


 全身を弛緩させ、白鷺さんは負けを認める。

 素手での戦いだからこんな結果となったが、もし白鷺さんが武器を持ち出していればどうなるかわからなかった。

 特にあの腰に下げていた刀を使われていれば、僕も無事では済まなかっただろう。

 今回の勝負で白鷺さんが決定的に足りていなかったのは火力なのだから。


「それでどうして僕の秘密を知りたかったんですか?」


 僕は白鷺さんを起こしながら、聞く。

 彼女が退魔師である事は知っているし、同じ退魔師である僕に興味を抱くのも当然理解できる。

 妖魔を倒す為、僕らは強くなる事に何処までも貪欲なのだから。

 しかし、僕はその根本に興味を抱いたのだ。

 目の前の年端も変わらぬ少女が、どういう想いで強くなりたいのかを。


「その前にあの……あなたの名前を聞いてもいいですか?」


 何故か敬語になりながら、どこかもじもじした表情で白鷺さんは名前を尋ねてきた。

 そう言えば教室では自己紹介をしそびれた気がする。

 それのやり直しをしようという事だろうか。


「キョウです」

「キョウさん……。わ、私は『唯羅』といいます」


 赤くなりながら自己紹介した単語に、僕は思わず反応する。

 白鴉と言えば、僕の一族かも知れない名字である。

 それに学校での自己紹介の場面では、確か白鷺と言う名を名乗っていたはず。

 これは一体どういうことなのだろうか。


「白鴉? 白鷺じゃなくて?」

「白鷺の方は偽名です。『白鴉』の姓だと退魔師の学校である凰学園に入れなくて……」


 目を伏せ、暗い顔をする白鷺さん。

 一体どういう意味だろう。

 美鈴さんからは白鴉はかつて有名だったが、現在は衰退した退魔師の一族と聞いている。

 衰退したとは言え、退魔師の一族には変わりはないはずだ。

 その彼女が、どうして本名であると退魔師の学校に入学できないのだろうか。


「そ、それよりもキョウさんも『白鴉』の一族ですよね? ど、どうしてこの学校にいるんですか?」


 僕が色々思考を巡らせていると、聞き取れないくらい早口でどもりながら白鷺さんは質問してくる。

 その為僕は思考を中断して、聞き返す必要があった。


「えっと、実は僕は自分が何者か知らないんです。最近白鴉の一族かもしれないって知ったくらいで……」

「えっ?! 親はどうしたんですか?」

「両親は僕が物心付く前に亡くなってます」


 僕の言葉に白鷺さんは失言した、とでも言うような顔をする。

 でもそれは失言でも何でもない。

 僕にとって両親の死は、言葉以上に意味を持つものではない。

 そもそも何一つ記憶に無いのだ。

 薄情だと思われるかもしれないが、存在しない事が日常の人間に喪った悲しみなど湧きようがない。

 何より僕にはきよさんとくうとピーちゃんがいた。

 皆からの愛情に包まれて生きてこれたのだ。

 それだけで十分過ぎるだろう。

 だから僕は気にする事はないと、白鷺さんに声を掛けようとする。

 すると――。


「わ、私も、両親に……一族に捨てられましたから、その……キョウさんの気持ちはわかるつもりです」

「え?!」


 その言葉に今度は僕が驚く番だった。

 両親に捨てられた?

 どうして白鷺さんが捨てられるような事になるのだろうか。


「聞いてもいいですか? その話を。僕も話せることは話しますから」


 境遇から他人事とは思えず、僕はそう言ってしまう。

 安易に首を突っ込んでいい話ではないのはよく分かっている。

 でもはいそうですか、と放おっておける問題ではなかったのだ。


「……キョウさんは白鴉の里の事をどこまでご存じですか?」

「詳しいことは何も。美鈴さんから偽骸装を使う一族がいるとしか……」

「そうですか」


 白鷺さんは目を瞑り、考え込む。

 恐らく話す道筋を考えているのだろう。

 しかし、その表情は教室での剣呑な表情と違い、年相応の悩める少女の顔だった。

 僕はこんな顔もできるのだな、と口角を緩める。


「? 何を笑っているのですか?」

「いいえ、気にしないでください」

「? わかりました。それではまず――」


 納得していない顔をしながらも白鷺さんは訥々と語り始めた。

 白鴉の里とは白鴉の一族だけが住む里で、歴史から姿を消した今でも辺境の奥地にひっそりとあるという事。

 俗世からの干渉を絶ち、自給自足で暮らしているとの事。

 僕は今までの自分の生活とさほど変わらないなと思いながらも、黙って話を聞いていた。


「そんな白鴉の一族が互いの上下関係を決めているもの、それが退魔師としての才能です。より強く、より汎用性に富み、より妖魔を狩ることが出来る者ほど偉く。逆に才能のない落ちこぼれは雑用としてこき使われます」


 僕は殺伐した村だなと思いながらも、それならどうして白鷺さんが捨てられる事になったのか不思議だった。

 術で強化しているとは言え、先程の体捌きは到底人間の域ではない。

 武器無しであそこまで戦えるのであれば、十分すぎるほど強いだろう。


「ならどうしてですか? 白鷺さんは結構強いと思いますけど……」


 それとももしや白鴉の里とは、白鷺さんレベルが雑兵以下の修羅の国なのだろうか。

 不謹慎かもしれないが、人外魔境のような里を想像して僕は少し行ってみたくなった。

 血湧き心が躍る。

 そんな僕の表情を読み取ったのか、白鷺さんは自嘲するように笑った。


「白鴉の一族の言う強さとは、即ち偽骸装の強さです。偽骸装で纏った血肉こそが戦った妖魔の歴史を表します。そしてそれこそが才能の証であり、強さの全てです」

「? 白鷺さんも白鴉の一族なんでしょ? だったら――」

「私は。だから捨てられたんです」


 生気の無くなった眼で淡々と告げる白鷺さんに、僕は掛ける言葉を失う。

 どんな言葉もこの絶望感の前には、気休め以下の戯言にしかならないからだろうからだ。

 言葉を失った僕を前に、しかし彼女はくすりと可愛らしい笑みを浮かべた。


「だから私はキョウさんが羨ましいです。その血肉にくたい、その技量……一体どれほどの妖魔と戦ってきたんですか? キョウさんの昔話ぶゆうでんも教えてください」


 生気の無くなった眼を一転させ、キラキラと目を輝かせる白鷺さん。

 まるで憧れの英雄を見た様な目つきだが、僕はそんな大層なものではない。

 

 御伽噺の様な冒険も、英雄譚の様な死闘も何一つ無い普通の退魔師にんげんだ。


「えっと……ちゃんと妖魔と戦ったのはこの学園が初めてだよ。それまではずっときよさんと、くうと一緒に修行してただけだからね」


 きよさん、と言う単語を聞いた瞬間、白鷺さんは苦虫を噛み潰してしまったかのような顔をする。

 鬱になったり輝かせたり苦くなったりと、意外と表情豊かなのかもしれない。


「きよさんと言うのはきよ理事長のことでしょうか?」

「うん、そうだよ。両親の代わりに育ててくれたのはきよさんなんだ」

「そう、なんですか。だからこの学園に……」


 白鷺さんはその話を聞いて複雑そうな顔をする。

 何かきよさんとトラブルでもあったのだろうか。

 僕は噛み合わない二人の光景が容易に想像できた。


「きよさんと何かありました?」

「私も煌依様に拾われた身。救ってもらうということがどれ程恩義を感じるか理解しているつもりです。ですが、あえて聞きます。…………キョウさんはきよ理事長の事を信用しているのですか?」

「うん、勿論」


 白鷺さんの問いかけに僕は即答する。

 

 僕はそのくらいきよさんを信頼している。

 僕がきよさんから受けた恩は命を投げ打っても足りないほどに重い。

 返せるなど思い上がっても言えないが、それでも受けた恩には報いたいと思っている。


「……キョウさんは知らないかもしれませんが、あの人は幾つもの黒い噂があります。テロ組織と繋がっているだとか、何人もの退魔師を殺したことがあるだとか。色々と」

「でも噂ですよね?」

「火のない所に煙は立ちません。一度でいいので考えてみてください、? 嘘を言っていない保証は? ただあの人にそう言われて信じただけではないですか?」

「嘘か……考えたこともなかったな」


 僕は嘘という単語に少し考え込む。

 そんな事は今まで考えた事もなかった話だからだ。

 だが、白鷺さんの言う事も尤もかもしれない。

 信頼と盲信は違う。

 そういう可能性を考えてみるのはありだ。

 そんな事を考えていると、白鷺さんがやや真剣な表情で口を開いた。


「――ちょうど16年ほど前に凰学園の教官が妖魔に殺される事件がありました。もしかするとキョウさんのご両親がなくなった時期もそのくらいなのでは?」

「っ?!」


 白鷺さんの言葉に、僕は体の中心に静電気が走った様な微かな痛みを覚える。

 そんな記憶はない、そんな記憶はないはずだ。

 僕はそう言い聞かせながら、脳裏に一瞬写ったきよさんを姿を瞬時にかき消す。

 

 僕は早鐘を打ちそうになる心臓の鼓動を抑えて、気持ちを平静にする。


「それに煌依様もあの人の所為でずっとこの場所に……」


 ポツリと漏らした白鷺さんの言葉が僕の思考を冷静にする。

 白鷺さんにとっても煌依と言う人は自分の両親よりも大切な存在なのだろう。

 それを奪われ、なおかつ黒い噂があれば不信感を持つのも当然だ。

 僕は先程の光景を封印しながら、笑みを浮かべる。


「確かにきよさんは裏で色々してるかもしれませんね。でも、一つ白鷺さんは勘違いしていることがあります」

「勘違い?」

。あの人は誰よりも強く、誰よりも絶対的で、誰よりも完成されている。望めばどんなことだって叶えることが出来るほどの力を持っているんです」


 絶対的な存在である王。

 そんな存在であるきよさんが、何を小細工を弄する必要があるのだろうか。

 あの人が望めば、全ての事象はその通り収束する。

 例えばきよさんが僕の両親を殺し、罪悪感や何か目的の為に育てていたとしよう。

 しかし、そんなものは無駄なのである。

 両親を殺そうが殺すまいが、目的の為に育てようが育てまいが、

 叶えるだけの力があるのだ。

 もしそこに理由があるのであればそれはきよさん自身の都合ではなく、別の何かの為である。

 客観的な視点を持って観察し続けた者として、僕はそう結論付けていた。


「平行線ですね。ですがあなたがいつかきっと真実に気づいてくれると信じています」

「僕も同じです、白鷺さんがいつかきっときよさんの事を分かってくれる日が来ると信じています」


 僕らは互いに平行線のまま、その日は別れるのであった。

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