第124話「それは鯉ではなく、故意でもなく、傍から見ればただの変である」

『満足したか、唯羅』

「えぇ、改心させられなかったことが不満だけど、それ以外はすっごく良かったわ」


 キョウさんと別れた後、私はカグツチと話しながら校舎へと続く道を歩いていた。

 このまま用意された寮の部屋に戻ってもいいのだが、この興奮を抱えたままじっと部屋にいるなんてできそうになかったのだ。

 それだけ彼との出会いは私に衝撃を齎したのである。


「カグツチこそ誰かと話してたみたいだけど良かったの?」

『気づいていたのか』

「一応パスでつながっているからね。相手が完璧な隠形で気配を消しても、あなたが感知できれば私にも伝わるわ」


 私の言葉にカグツチは成長したな、と感嘆の声を上げる。

 その程度の事すら出来ないと想われていたのは悔しいが、まだカグツチの行使者パートナーとなって日の浅い私には仕方のない事柄だった。


『古い顔馴染みと会っていただけだ』

「っ!? あなたの古い顔馴染みって、それって……」

『大丈夫だ、あいつはキミにも彼にも興味はない。いや彼には多少興味があるかも知れないが、目的は彼じゃない』

「? じゃあ一体何のために来たのよ」


 私の言葉にカグツチは苦笑する。

 あくまでそんな気配がしただけなので実際に笑ったかどうかわからないが、私は自分が笑われているような気がして少しムッとした。


『あぁ違う。キミを笑ったわけではない』

「じゃあどうして……」

『アレはキミ達の決闘を出しにして、意中の相手の様子を聞き出しに来ただけだ。あぁ、そう言う意味では決闘を出しにしたキミと似ているのかもしれない』

「……………は?」


 私はカグツチの思わぬ言葉で固まる。

 意中の相手?

 何を言っているのだろう。

 一体何を言っているのだろう。

 私は無言のまま抗議の念をカグツチに送る。


『ふむ、何かおかしなことを言ったかな』

「色々とおかしいわ」

『しかし、キミも彼のことを気になっているのだろう?』

「えぇ、それは勿論」

『もっと親密になって、色々話をしたいのだろう?』

「当然よ」

『世間ではそれを恋という』


 は?

 本当に何を言っているのだろうこの神剣は。

 鯉?

 どれが?

 どこに鯉がいるのだろうか。

 よしんば恋の間違いだったとしても、それはその話自体が間違いだ。

 この感情が恋の訳がない。


「や、やめてよね。私のこの想いはそんな低俗なものじゃなくて、もっと純粋な尊敬の念から――」

『頭部温度上昇、心拍数増大。私はこれでも長い間人間を見てきたつもりだ。キミのその反応は恋煩いと酷似した症状に見える』

「違うから、違うから!! 私は一退魔師として彼のことを純粋に尊敬しているだけであって……」

『だがしかし――』

「違うって言ってるでしょうが!! はい、もうこの話終わり。終わりね」


 まだ何かいいたそうなカグツチを封殺し、私は盛大に溜め息を吐く。

 確かにキョウさんの事を考えると胸が熱く締め付けられたようになるけれど、これは同胞に出会えた歓喜の歓びだ。

 決して恋などという俗な感情ではない。

 そもそも私みたいな未熟者が恋など、浮かれているにもほどがあるだろう。

 私は己の頬を叩き、気合を入れる。

 すると同時に、誰かが集団で此方に近づいてくる気配を察知した。


「一年でありながら神器の所有を許された天才児ちゃん。背中に泥が付いているけど、転んじゃったのかなぁ?」

「あはは、泥遊びが恋しい年頃だもんねぇ。私達が一緒に遊んであげまちょうか?」

「――先輩方」


 耳障りな嘲り声と共に視界に写ったのは、凰学園の先輩退魔師達だった。

 それにより高揚していた気分が一気に地の底まで落ちる。

 上品なコース料理のデザートを食べている横でゲロを吐かれた気分だ。

 私はすぐに面倒くさくなって、来た道を引き返そうとした。


「おい、先輩の顔見て逃げてんじゃねぇよ」

「……何か用ですか、先輩方?」


 退路を塞ぐように囲む先輩方を見ながら、私は心底面倒くさそうな声を吐き出す。

 先輩方は見て分かる通り私の事が嫌いだ。

 いやそもそも凰学園で私に好印象を持っている生徒がいるのか怪しいレベルには、私は恨みを買っていた。

 理由はいくつかあるが、その際たるは私が入学と同時に人造神器『迦具土模造刀レプリカ』の行使者に選ばれたからだろう。

 要するに嫉妬しているのだ。

 自分達の実力と才能あいしょうで選ばれなかっただけだと言うのに。


「まさかまさか、妖魔に負けたってことはないでしょうね? 神器なんていうチート使いながら負けるだなんてありえないよね?」

「先輩方が想像するような事態にはなっていないので、ご心配なく」


 私はそっけなくそう言うと、一番近くに居た先輩の横を通り抜けようとする。

 嘘は言っていない。

 神器は使っていないし、何より相手は同じ退魔師である。

 敗北が許容できるかと言えばそれは否であるが、更なる強さの糧と出来るのならば甘んじて恥辱に塗られよう。


「待てよ、まだ話は終わってねえんだよ」


 だが、一人の先輩が私の肩を掴む。

 成人男性を軽く超える負荷が、私の肩に掛かる。

 肩を握り潰すつもりで力を込めているのだろう。

 この人達も退魔師である以上、普通の人間とは比べ物にならないほどの身体能力を誇る。

 だが、


「何でしょうか、この手は?」


 私はその手首を掴むと、即座に引き剥がす。

 こんなものキョウさんに掴まれた時の圧力を思えば、握手と変わらない。

 凰学園の交換留学生に選ばれるという事は、それ自体が成績上位者の証である。

 勿論留学するかどうかは個人の自由ではあるが、ここにいる先輩達は学年ごとに誇る成績優秀者の集まりだ。

 

 何と温く、つまらなく、弱く、醜いのだろう。

 アレを体験した直後ともなればがっかりもしたくなるものだ。


「あなた、入学と同時に神器に選ばれ、ほんの少し紗耶華教導官に気に入られているからって、ちょっと調子に乗りすぎてない? 輪廻家の傍流にも、朝薙家の傍流にも属していない癖に」


 リーダー格の赤髪の先輩が私を睨みつける。

 あぁ、そう言えばこの人達は輪廻家の傍流で、紗耶華教官に群がって媚を売ってた人達か。

 私はどうでも良い記憶をあさりながら、溜息を吐き出す。

 醜い。

 少しも美しくない。

 あぁどうして彼の1/100の威圧感も出せないのだろう。

 あの少年の様なあどけなさを残しつつも、鋭く冷酷な瞳。

 退魔の里で退魔師として育った本物の退魔師の癖に、何故こんな頭の緩そうな下らない真似事しか出来ないのだろうか。

 私は先輩達の態度にだんだんイライラしてくる。

 文句があればかかってくればいい。

 それを何を家柄を振りかざしてネチネチと、女々しい事この上ない。

 それでも貴様ら力至上主義たいましかと、疑いたくなる。


「だったら、決闘で私を指導してみます? 素手でも、装甲戦機ありでもどちらでも構いませんよ、私は」

「こいつ――っ!!」


 一触即発の雰囲気の中、私は舌舐めずりする。

 一対一だろうが、多体一だろうが関係ない。

 だが、決戦の火蓋が切られる事はなかった。


『双方それ以上手を出さないように。唯羅、キミもだ、分かっているね?』


 全員に聞こえる様に思念を発したカグツチにより、私達は必然的にそれ以上手が出せなくなる。

 模造刀レプリカとは言え、カグツチは私達を護る神の一柱だ。

 立場的に言うのであれば、所属する組織を監督する上位組織とでも言うべきだろうか。

 無論宿る魂は分御霊と言えど、その意志はオリジナルと相違無い。


「ですが迦具土様……」

『キミ達が焦る気持ちも分かっている。輪廻の血を引く以上、神器との適合を目標に邁進していたはずだからね。だが、神器と適合できるかどうかはが物を言う。コレばかりはキミ達が例えどれほど優秀であろうとも運に左右されてしまう。優秀なキミ達ならわかるね?』

「は、はい……」


 カグツチの言葉に先輩達は完全にいい子ちゃんモードに入ってしまう。

 対する私も完全に気勢が削がれていた。

 カグツチの言葉に刃向かってまで戦えるほど私は戦闘狂ではない。


『すまない、余計な干渉が過ぎたようだな。だが一つだけ理解してほしい。私の言葉はただの忠告だ。キミ達の行動の善悪を決めるつもりも、強制するつもりもない。選択とは自分が考え導き出すものだ。キミ達が良き選択をすることを見守っているよ』


 そう言うとカグツチは会話を一方的に終わらせた。

 勝手に割って入ってきて何を言っているのだろうと思わなくもないが、あそこで止められなければちょっとした小競り合いに発展していた以上正しい判断だろう。


「ちっ、迦具土様の忠告に免じてあなたの失言は見逃してあげるわ」

「それはどうもありがとうございます、先輩」


 互いに敵意を剥き出しにしながらも、私達はこの場を収めた。

 この場に私が留まっても仕方ないので、私は当てもなく校舎外の森の中へと入っていく。

 これ以上彼女らに絡まれなかっただけでも行幸とするべきだろう。

 私は彼女らの気配から十分離れた事を確認すると、カグツチに視線を向ける。


「いいの? あんなに褒めて。あの人達程度でも神器が使えると思い上がってしまうわよ?」

『神器は何も私のように使用者に莫大な負荷をかける者ばかりではない』

「大半が普通の退魔師が使うと悪影響、或いは障害を残すものばかりと聞いたけれどね」

『…………』


 私の言葉にカグツチは応答する事無く沈黙する。

 要するにそれが答えだろう。

 神器が持ち主を選ぶと言うのは

 神器所持者には御伽噺の英雄や勇者も斯くやと言えるほどの加護が与えられる。

 だが、唯人の身で超常的な力を与えられ続ければ、直ぐに限界が訪れるのは自明の理だろう。

 故に求められるのは相性。

 神との親和性が高ければ高いほど、その力に馴染む事が出来る。

 或いは神との影響を軽微に出来る程の特異体質などだろうか。

 どちらにせよ、見習い以下の存在である私が神器を手にする事が出来るのも、偏に相性に依るものだ。

 もし仮に神器を種類関係なく扱えるものがいるとすれば、それは名実ともに最強の退魔師と言える。

 そんな事を考えながら私は森の中を突き進んでいく。

 すると――。


「あっ、白鷺さん」


 どこからか私の名前を呼ぶ声がした。

 心なしか何処かで聞いた事のある声だと思いつつも、私は声の方へ振り向く。

 そして直ぐに振り向いた事を後悔した。


「ち、ちょうど日課のランニングに行くところなんですけど、よ、よかったら白鷺さんも、その、ど、どうですか?」


 そこに居たのは名前すらもよく覚えていないヒモだ。

 顔の印象すら曖昧で、記憶に残すだけでも脳の無駄遣い。

 そんな奴が何を馴れ馴れしく私に話しかけているのだろうか。

 或いは先程の文言、デートにでも誘っているのだろうか?


「あぁ、そういうこと」


 私はヒモに聞こえないくらいの音量で呟き、納得した。

 要はあの賭けで私を負けさせる為に、ご機嫌取りにでも来たのだろう。

 まあ何もしなければ私の勝ちは確実だし、当然の帰結と言える。

 だが悲しいかな、妖魔おんなのヒモでしかないこいつに対する印象は初めから最悪であり、それを抜きにしてもこんなどもりながらでは、どんな女も釣れないだろう。


「…………」


 私は追い払う真似すらせず、無視する。

 相手をするだけ時間の無駄だからだ。


「あ、あの……」

「邪魔よ、今すぐ私の範囲数キロ以内から消えなさい」

「は、はい。すみません~」


 なおも食い下がろうとしたヒモを睨みつける。

 それだけでヒモは小動物の様に震えた。

 なんて情けない。

 彼とは大違いだ。


 ――もし声を掛けてくれたのがキョウさんだったら……。


 その光景を思い浮かべた瞬間、胸がキュンと締め詰められる。

 先程までの陰鬱とした気持ちは一瞬で消え、私は晴れやかにその誘いに応えるだろう。

 私は紅潮した顔を振ると、急ぎ足で森の奥へと進む。

 だからその後ろで聞こえていた不思議な会話に気が付かなかった。


「え~っと? 僕、白鷺さんの気に障ることでもしたのかな?」

『いいえ、私の術が完璧なことが証明されただけよ。ふふふ、面白くなってきたわね』


 その後、私はカグツチに指摘されるまで当てもなく永遠と森をさまようのであった。

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