第六章 『白面金毛九尾之狐』

第89話「泡の館に入ればそこは一面ピンクでした」

 踏めば脚が沈み込みそうになるくらいふかふかな絨毯。

 どこかの王宮を思わせるような調度品に、個室ごとに割り振られたテーブル。

 男子寮とは何もかもが違うその光景に僕は目を瞬かせる。

 此処は泡沫館。

 エンゲージリングと言う特別な指輪を持つ人達だけが住むことを許される寮だ。

 前回の試合で一時的にそれを手に入れた僕たちは新たな自室の物色もそこそこに、泡沫館の食堂に来ていた。

 これからコース料理というものが食べられるらしい。

 それも寮とほぼ同じ値段でそれが食べられるらしいのだ。

 全部美鈴さんの受け売りだが、僕は期待でお腹が鳴りそうだった。

 そんな僕を気遣うように美鈴さんが声を掛けてくれる。


「ふふ、待ちきれない様子ね。なにか先に摘めるものでも貰った方がいいかしら?」

「え? いえ、その、大丈夫です―――っ?!」


 僕がそう言った瞬間、都合悪くお腹が鳴ってしまう。

 僕は恥ずかしさで顔が熱くなった。


「遠慮しなくてもいいのよ。こんな時くらいはお姉さんに任せて」


 美鈴さんはぱちんとウィンクすると、席を立ち厨房の方へと向かっていく。

 僕を挟んで逆側に座っていた識さんは、その背中に唾でも吐きかけそうな顔で睨んでいた。

 僕は美鈴さんに感謝すると同時に、時間つぶしを兼ねて辺りを見渡すことにする。


「こ、こんな所でダメだよ蛇美さん。皆見てるし、それにもう直ぐ夕食が――――アウッ?!」

「そんなこと言いつつ、あなたのコブラはこんなにも逞しく威嚇してるけど?」

「い、いや、あのこれは……ちょっ、だめっ?!」


 僕は聞こえてきた声の方向に視線を向ける。

 この食堂の席は何故か隣同士で座る椅子しか用意されておらず、対面に誰もいないカウンターのようになっている。

 だから自然と横にいる識さんとの距離も近いのだが、周囲には僕の近いという感覚をふっ飛ばしそうなくらい近づいている人達がいっぱい居た。


「あの、男の人が下半身が蛇な女の人に絞め殺されそうになっていますけど、アレは大丈夫なんでしょうか?」


 僕は恐らく蛇系の妖魔である女子生徒と、抱き合っている状態で全身ぐるぐる巻きにされている男子生徒を見ながらそう言う。

 女子の方は興奮しながら舌舐めずりしており、男子の方は顔を真赤にして今にも(酸欠で?)昇天しそうな顔をしていた。


「あれは……だな。えっと……蛇系妖魔特有のスキンシップだ」

「へー、そうなんですか」


 僕の質問に識さんは額を抑えながら、酷く面倒臭そうに答えた。

 先程から男子の人は『イク』的な単語を連発しているけれど、物事を瞬時に理解出来る眼を持つ識さんがそう言うのであれば、きっと正しいのだろう。

 僕は逝ってしまわないか心配になりつつも、視線を別の人へと変えた。


「あぁ……いいよ、いいよスラ子さん。もっと奥まで……そう、そこ、そこだよ。そこをもっと擦って、擦って」

「もうしょうが無いですね、此処ではこれでお終いですからね?」


 新たな視線の先では男子生徒が半透明の緑の液体に襲われていた。

 男子生徒はその液体に足の先から頭の先まで纏わり付かれており、しかもその液体は意思を持っているかのようにぐにゃぐにゃと動いている。

 言葉を発したところから、恐らく妖魔だと思うが何をしているのかさっぱりわからなかった。


「あの、識さん。あれは……」

「あれは……耳掃除だ。ほら、耳の穴に入ったり出たりしてるだろ?」

「そうなんですか? でもじゃあ下半身はなんで……」

「あれだ、あのスライム娘はあぁしてついでに老廃物を取っているんだ。その、色々ヨゴレが溜まったり、出たりするからな……」


 識さんは汚物でも見たかの様に両目を塞ぎながらそう言う。

 まだ何も始まっても居ないというのに、もう既に識さんはヘトヘトになっていた。

 一体全体どうしたのだろうか。

 僕が識さんを心配していると、僕達のテーブルの横を女の子が覚束無い足取りで通り過ぎようとした。


「きゃっ――」


 が、タイミング悪く躓き、その子は転けてしまう。

 そしてその拍子に何かがゴトリと落ちる音がした。


「大丈夫ですか? それにこれ――」


 僕はウィーンウィーンという奇妙な音を出しながら、カーペットの上を藻掻もがく芋虫のような何かに目を奪われた。

 それはネバネバする粘液でコーティングされており、見たこともない形状をしていた。


「はうっ?! ご、ご、ごめんなさい。ご主人様に呼ばれているので、失礼します」


 両手が羽で、両足が鉤爪となっていたその女の子は急いでそのよくわからない物体を脚で掴み、どこかに収納すると手をバタバタさせながら走っていった。

 僕は『ご主人様』と言う単語も気になったが、最も興味を惹かれた芋虫上の物体について聞いてみることにする。


「識さん識さん、さっきのあれはなんですか?」

「芋虫だ」

「芋虫なんですか?! こんな種類始めて見ました!! 食べられるんですか?!」


 僕は興奮気味に識さんに質問する。

 何故だか識さんは汗でびっしょりになりながら、僕から視線を逸らす。


「いや、食べないほうがいいんじゃないかな」

「え? でも――」


 僕は視線を先程の鳥系妖魔の子へと向ける。


「どうだ、旨いか?」

「美味しいれすご主人しゃま――――っ!!!!」


 そこには先程の芋虫的な何かを口に入れてもらっている女の子が居た。

 芋虫は硬いのか、女の子はアイスキャンディーのように咥えている。

 或いは噛んで食べるものじゃないのかもしれない。

 アブラムシの様にあの芋虫も甘い粘液を出しているかもしれない。

 僕はそんな事を考えながら、注意深くその様子を観察した。


「―――――」


 識さんはその光景に絶句して固まる。

 そして頭を抱え始めた。


「あの……識さん? 大丈夫、でしょうか」

「もう嫌だ、何だこいつら?! 頭のなか蛆にでも食われているのか?! どいつもこいつもヤることしか考えてない。あぁホント面倒くさい面倒くさい面倒くさい――ッ!!」

「えっと……あの……?」


 猛烈な勢いで苛立ちを露わにする識さんに、僕はどうしていいのかわからなくなる。

 するとちょうどいいタイミングで美鈴さんが皿の上に摘めるものを持って帰ってきた。


「識さん、諦めるしか無いわ。どれだけ倫理観を振りかざそうと、世間の常識を説こうとしても此処では私達が異端だもの」

「いやお前この学園の生徒会長だろうが」

「生徒会長と言っても何でも出来るわけじゃないわ。寧ろ私の出来ることなんてごく少数よ。此処で彼らに意見できるとしたらそれは――」


 美鈴さんが何かを言おうとした瞬間、蹴破るような勢いで食堂のドアが開かれる。


「お前らイチャイチャしてねぇだろうな?」


 怒号の様な声と共に現れたのは、泡沫館の管理人兼ガードマン。

 一升瓶を片手に苛ついた様子を隠そうともしていない榊さんだった。


「――ッ!!」


 その瞬間、食堂はお通夜のように静まり返る。

 密着していた皆は背筋を正して行儀よく座り、恐怖に怯えた顔で俯向いている。

 まるで眼があったら殺される、とでも言われているように。

 あまりの雰囲気に僕らは伝播したように居住まいを正した。


「今日は交流戦で増えた新顔もいるから改めて言っといてやる」


 鋭い眼光で威嚇しながら、榊さんは辺りをぐるっと見渡す。

 人身御供を選出しているかの様な緊張感の中、誰一人榊さんと視線を合わせようとはしない。

 美鈴さんと識さんですら顔を背けたりはしなかったが、視線を交差させるのを避けている様な節がある。


「ここでは私がルールだ。そしてルールは一つ、『』この一つさえ守っていれば何も言わねえ。だがな――」

「ひっ――」


 榊さんは一升瓶をテーブルに叩きつけるように置くと、そのテーブルに座っていた蛇の妖魔の女子と男子を睨みつける。

 二人はライオンに睨まれた鼠のように視線を逸らしながら縮こまる事しか出来ない。


「――破ったらぞ」

「!?」


 榊さんの言葉にゾクリと背筋が震える。

 脅しや威圧感からではない。

 その言霊とでも言うのだろうか、言語自体が強い力を持っていたのだ。

 しかしながら呪うとは具体的にどういう事なのだろうか。


「あの、呪うってどういう事なんですか?」


 僕は榊さんの視線が離れた隙を狙い、コソッと識さんと美鈴さんに聞いてみる。


「言葉通りの意味だと思うけどな」

「榊さんは縁切りの能力を持っている、と言う話よ。何でも一度呪われると、たちまちカップルは破局し、二度と縒りを戻す事はないそうよ」

「縁切り? 縒り?」

「要は二度と仲良くなれないって事だ」


 二人の言葉に僕は背筋が凍る。

 折角仲良くなれたと言うのに、二度と仲良くできなくなるなんて想像するだけで絶望の底に沈みそうになる。


「そこ、誰の許可を得て私語してんだ?!」


 ホラー映画に出てくる怪物の様に、ぐりんと振り返ると榊さんは気炎を巻き上げ僕らの方に向かってくる。

 それにより識さんと美鈴さんも緊張したように動きが強張った。


「ご、ごめんなさい。の、呪う事だけは許して下さい」


 僕はすぐさま平身低頭謝る。

 まだ二人とあまり仲良くなっても居ないのに、呪われるなんて絶対嫌だ。

 他のどんな罰を受けようとも、それだけは何としても避けたかった。


「って、お前らか。初日だからってあんまりはしゃぎ過ぎるなよ」


 しかし榊さんは僕らを見るや否や、拍子抜けするほどあっさりとした態度で許してくれた。

 美鈴さんが生徒会長だから大目に見てくれたのだろうか。

 僕はホッとしつつも、二度と余計な事をしないよう誓うのであった。


「さあ飯にするぞ。おい、運んでくれ」


 榊さんは革張りの豪奢な専用の椅子に体を沈めると、ベルで厨房の人達に合図を送った。

 それにより厨房からシックなデザインの給仕服に身を包んだ人達が、次々と料理を持って出てきた。

 給仕する人も妖魔である様で、手が4本以上ある人や樹木のような体の人、蛸の様な吸盤のある手足を持つ人など多種多様である。


「助かった、のかな?」

「と言うよりは見逃された、って感じだな。あれは」


 識さんは運ばれてくる料理に視線を向けつつも、そう言う。

 何はともあれ、何もなくてよかった。

 僕は安心すると同時にお腹が鳴る。


「ふふ、キョウくんから先に取り分けたほうが良さそうね」


 美鈴さんは3人分の料理が乗った大皿から料理を取り分けてくれる。

 その間僕は恥ずかしくて顔を上げることが出来なかった。


「はい、どうぞ。食べられないものがあれば言ってね、お姉さんが代わりに食べてあげるから」

「あ、ありがとうございます。でも好き嫌いはないので大丈夫です」


 取り分けられた料理を受け取りながら、僕はお礼を言う。

 小さな頃からきよさんに何でも食べる様に言われてたお陰で、食べ物なら基本的に何でも食べれる。

 それこそ虫から毒のあるキノコに至るまで、文字通り何でもだ。

 しかし、もし僕に好き嫌いがあっても今回は大丈夫だろう。

 だってこんなに美味しそうなのだから。


「頂きます!!」


 僕は両手を合わせると、急いで料理を口に運んでいく。

 そんな僕の様子を識さんはじっと見つめる。

 いつもの様な気怠げな眼差しではなく、少しリラックスした眼差しである。


「? ほうかしまひた?」

「もう、そんなに口に物を詰め込んで……」


 美鈴さんは甲斐甲斐しく僕の口を拭ってくれる。

 お世話される事に僕は恥ずかしさを覚えつつも、急いで飲み込んだ。


「識さん、どうかしましたか?」

「あ~~、いや、随分美味しそうに食べるなと思って」

「だって美味しいですから」


 僕は心からの気持ちでそう言う。

 識さんは苦笑しつつ、自分の取り皿を僕の方へ向ける。


「じゃあ、私の分も食べるか?」

「え? でも……」

「実は小食なんだ。だから悪いけど食べてもらえると助かる」

「そういう事でしたら……」


 僕は遠慮がちに受け取ると、食べ始める。

 今日は交流戦が合ったからか、無性にお腹が空くのだ。

 始めはゆっくりと、そして次第にがっつくように食べる。

 そんな僕の様子を優しそうな表情で見ながら、識さんはスティック野菜を口にしていた。

 クリスティナさんと同じで菜食が主体なのだろうか。

 そんな風に識さんに気を取られていると――。


「むぐ――っ?!」


 僕は大量の食べ物を喉に詰まらせた。


「そんなに急いで食べなくても誰も取らねえよ。ほら水」


 僕が喉を詰まらせることを予見していた様に、識さんは間髪入れず自分のコップを差し出した。

 僕はひったくるようにそれを受け取ると、急いで流し込む。


「――ありがとうございます、危うく食べ物に溺れるところでした」


 僕はコップを識さんに返しながらお礼を言う。

 識さんは少し躊躇うような素振りをしながらも、コップを受け取った。

 その様は無性にコップの淵を意識している様な、そんな風に取れる仕草である。

 その仕草に気付いたのは僕だけではなく、美鈴さんは獲物を見つけたかの如く嬉しそうに口角を釣り上げた。


「あら? あらあら? もしかして識さん、間接キスなんて気にしてるのかしら? 恋愛なんて興味ありません、って顔をしておきながら、実は処女おとめなのね」

「はぁ? 別にそんなの気にしてねえし。ただこのコップに少しだけ残ってる水をどうするか考えていただけだし」

「そう、では問題なく飲み干せるわよね? 意識なんてしていないのですものね?」


 美鈴さんの言葉に識さんは舌打ちすると、自棄糞気味にコップを掴みあげ、豪快に一気飲みした。

 ニコニコ顔の美鈴さんの乾いた拍手が辺りに響き渡る。

 尤も僕らに注目するような人など周りには誰一人居ないようだったが。

 自分達の世界に入っている周りを他所に、僕は識さんに視線を戻した。


「いい飲みっぷりね。唯の水だけれど」

「だからこんなものなんの問題も――――っ」


 識さんが問題ないと言い切ろうとした瞬間、その体がビクンと震える。


「? どうしたの? まさか本当に間接キスで動揺したの?」

「…………先に部屋に戻る」

「え?!」


 思い詰めたような、どこか怒ったような顔つきで識さんは席を立つ。

 その行動には美鈴さんも意外だったようで、驚いた顔つきで識さんを見送った。


「具合でも悪かったのかしら?」

「! 心配なので、僕もついていきます」


 僕は美鈴さんの言葉に即座に行動しようとする。

 だが美鈴さんの手が行く手を遮った。


「駄目よ」

「どうしてですか?」

「彼女はあれでもキョウくんに気を使っていると思うの。だから今はそっとしてあげたほうが彼女の為よ」

「でも……」

「それに彼女は白澤。病魔を退けるなんてお手の物、寧ろ彼女が助けを求めないという事は私達はかえって邪魔になると言う事よ」

「そうだといいんですけど」


 僕は後ろ髪惹かれながらも、美鈴さんの言葉に従い見送ることにするのであった。

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