第59話「年上のお姉さんにホイホイ付いて行ったら幼馴染にバレて修羅場った」
「少し、事を急ぎすぎたか」
駆け出していったキョウの後ろ姿を見ながら、きよは深い溜息を漏らす。
先程までにキョウに向けていた優しい表情はガラリと変貌し、冷たさと苦さを綯交ぜにしたどこか老醜感が漂う表情になる。
その赤い瞳は何処迄も虚ろで何もかもを飲み込みそうな程深く暗い。
その二つの双眼が側にいる少女を捕らえる。
「で、お前は何を聞きたいんだい、咲恋。いや寧ろ私から聞いたほうが早いか。なあ、咲恋お前はどこまであの子の事を知っているんだい?」
視線を向けられるだけで空間が震えるような圧力を受けながらも、咲恋は表情を崩さない。
いつもと同じ柔和な笑みを浮かべているだけ。
それがどれだけ異常な事態かは、推して知るべし。
何故ならきよの視線を受けて恐怖を覚えない妖魔など皆無に等しいのだから。
「あまり多くは知りません。ただ他の子達よりはほんの少し事情を知っているだけです。例えばそうですね……、十数年前のあの日、キョウ君のお父様とお母様が亡くなられた件について……など」
咲恋がそう言った瞬間、きよの瞼が一瞬だけぴくりと動く。
それだけの動作で、室温が氷点下に陥ったかのような揺らぎを起こす。
まともな妖魔であれば、それだけで失神したことだろう。
きよ本人としては別に威嚇しているつもりは毛頭ない。
文字通り感情が揺れただけ。
ただそれだけなのである。
ただそれだけでこの存在は生き物を殺してしまう。
まるで大陸を持ち上げている巨人と相対しているようだと、咲恋は目を細めた。
「……そうか、あの時の事を知っているのか。なら言わなくてもわかると思うが……」
「はい、絶対に他言しません。私はキョウ君の味方なので」
意味深な笑みを浮かべる咲恋に、きよは鋭い眼差しを送る。
腹を探り合っているような、あるいは既に見切っているような、そんな視線の交差だ。
「まあ、それ以外は好きにすればいいさ。うちの娘と殺し合うのもよし、キョウと決闘するのもよし、可愛い後輩に助言するのもよし」
「はて、何のことでしょう?」
きよの言葉に全く意味がわからないとでも言うように、咲恋は可愛らしく首を傾げる。
それを見ながらきよは、一つ思い出したかのように口を開いた。
「ただあの子について一つだけ忠告をしておいてやろう。――と――だけはさせるな」
「? その理由は? それにそんな事可能なんですか?」
「滅多に起こることじゃないが、起こると非常に面倒な事態になる、とだけ言っておいてやろう」
「分りました。日頃からそういった事態にならないよう気にかけます」
定型文のような返答をしながら、咲恋はきよから離れていく。
その後姿を呼び止めるように、きよはもう一度声を掛けた。
「いいか、咲恋。私はお前に忠告したからな?」
「………………」
咲恋はきよの言葉に振り返ること無く校長室を出た。
そして出て暫く歩いてから一息つく。
まるで何かから開放されたかのように。
「……はぁ、どうにも掌の上で踊らされている感が否めないですね。一体どこまで読めているのやら。まあ、それでも……」
言葉を区切って楽しげに窓の外に視線を送る。
まるで何かを思い出しているかのように。
「物事は万事成るように回っていく。誰も逃れることは出来ません。――――そう誰も」
そう
†
「はぁ……」
僕はモヤモヤした気持ちのまま、どうすることも出来ずただただ溜息を吐き続ける。
僕はどうすればいいのだろう。
否定するなと言われても、妖魔を傷付ける血なんて到底肯定できそうにない。
一難去って一難というか、問題は増えるばかりで一向に解決していなかった。
こんなことになるなんて、と思いながら僕は宛もなく歩き続ける。
すると、廊下の先で誰かどこかの部屋から出てくるのが見えた。
「あれは……くう?」
漆のように綺麗な長い黒い髪に、血のような赤い瞳。
何より他者を全く寄せ付けようとしないオーラが、一番の証明だった。
「……何?」
僕の存在に気がついたのか、いつもの無表情な顔でこっちを睨んでくるくう。
無視しないだけまだマシと思えるのは、普段の冷遇のせいだろう。
「えっと、何してたの?」
僕は改めてくうが出てきた部屋の名前を見る。
そこには『生徒会室』とあった。
くうが生徒会室に一体何の用だったのだろう。
「別に……。キョウには関係ないこと」
感情の篭もらない視線を向けながら、くうは僕の質問をバッサリ切り捨てる。
僕はそれ以上問い掛ける気力もなく、乾いた笑みを浮かべるしか出来なかった。
「また辛気くさい顔。それに――」
くうは息が掛かりそうなくらいに近づくと、僕の目を覗きこんでくる。
視界いっぱいに広がる赤い瞳と前にもこんなことがあった気がするというデジャブから、僕は視線を逸しつつ逃げようとした。
けれどくうはそれを読んで先に僕の胸倉を掴んで逃げられなくした。
「あの女の
無表情ながらも尋常じゃない威圧感を出しながら、くうが詰め寄ってくる。
どう見ても怒っている。
僕は恐怖のあまり、冷や汗が滝のように噴出する。
「えと、えと、その……」
「その空っぽの脳味噌じゃ理解できなかったみたいね。なら、今度は直接その体に刻みつけてあげる」
「ひっ……」
くうの言葉に僕は悲鳴を上げる。
このままではきっと酷いことをされるに違いない。
でも、僕はさっきのきよさんの言葉が脳裏に蘇って、動く気力を無くした。
――僕の血には退魔師の血が流れている。
この血が表に出れば、僕はくうさえも傷つけてしまうのだろうか?
「――ねぇ、くう。くうは僕のこと傷つけたい?」
僕の質問に、くうはピタリと止まる。
それと同時に纏っていた威圧感も綺麗さっぱり消え失せた。
くうは僕の胸倉を離すと、僕に背を向ける。
「…………あの女に何か吹きこまれた?」
「咲恋さんじゃなくて、その……きよさんに……」
「あの人か」
憎々しげにくうは言葉を吐き出す。
それにどこか苛立っているようだ。
実の親にその呼び方はないのではないだろうかと思いつつも、僕は言わないでおいた。
「切っ掛けは何? この際洗いざらい話しなさい」
「え、でも……」
もしかしたらくうは僕のことを知っているのかもしれない。
しかし言ってしまえば、僕を見るくうの眼が変わるかもしれないと思って言い出せない。
他の誰でもない、くうにだけはそんな目で見られたくなかったのだ。
「私が今更何を聞いたって、キョウへの評価は変わらない。何年一緒にいると思っているの。その馬鹿さ加減も間抜けさ加減も何もかも知っている」
そんな僕の心を見抜くようにくうは、そう吐き出した。
何だか馬鹿にされてしかいないが、それでもくうが僕を励まそうとしているのが分かって心が暖かくなった。
僕は赤くなったくうの耳を見ながら、口元に笑みを浮かべる。
僕も大概だが、くうも相変わらずこう言うところは不器用だ。
僕は覚悟を決めた。
「ありがとう、くう。僕の話聞いてくれる?」
「初めから聞くといっている。でも、今ここではダメ」
「?」
僕は僕ら以外誰も居ない廊下を見渡しながら、クエスチョンマークを浮かべる。
そりゃあ他の人には聞かれたくない話だが、そんなに警戒するほどのことだろうか。
「会話中偶然を装って戻って来られても困るしね。キョウの部屋に行きましょう」
「う、うん」
生徒会長室を一睨みした後、僕の部屋に向かい始めたくうに僕は続くのだった。
そして――。
「――と言うことがあったんだけど」
僕の部屋に着くなり、僕は今日あった出来事をくうに話した。
ヴァーミリオンさんのとの事、咲恋さんとの事、きよさんとの事。
自分が説明できるかぎり、全部を。
その間、くうは対して興味が無いとでも言うように、ずっと僕の部屋を物色していた。
恐らく照れ隠しなのは分かるのだが、もう少し何とかならないものかと僕は内心思う。
一通り聞き終えた後、くうの物色の手は止まる。
そしてポツリと言葉を吐き出した。
「…………どうして」
「?」
「どうしてあの女には相談できて、私にはこの程度のことを相談できないのか、じっくりと聞かせてもらいたいところ」
無感動な声でくうは言葉を吐き出す。
背後からは炎のようなオーラが湧き上がっていて、非情に怖い。
「えとえと、その……ご、ごめんなさい。でも僕、くうにだけは変な目で見られたくなくて……」
「普段からこれ以上ないくらい変な目で見ている」
「あ、あはは……そう、だよね。でもやっぱりくうとの関係は僕にとって特別だから」
僕は自分で言っていても恥ずかしくなって、チラチラと盗み見るようにくうの表情を見る。
くうはジト目で僕を睨みながらも、少し顔が赤くなっている気がした。
「ちっ…………。このスケコマシ、女の敵」
くうは舌打ちすると何かをぶつぶつと呟く。
聞きなれない言葉だったからか、僕には上手く聞き取れなかった。
「えっと、くうは僕がその、退魔師の血を引いているって知っていたの?」
「当たり前。何年の付き合いだと思っているの、その間あなたの命が全く危険にさらされなかったとでも?」
くうの言葉に僕は過去の修行風景を思い出し、納得する。
僕が命の危険に晒されたことなんて、それこそ星の数ほどもある。
恐らく僕はその度に退魔師の力を使っていたのだろう。
「じゃ、じゃあその時僕がくうをお、襲ったり……とかは?」
「あなたが? 私を?」
くうは僕の言葉にフッと微苦笑を浮かべる。
満面どころかほんの僅か口角が釣り上がった程度だが、それはくうの笑顔だった。
久しぶりに見たその笑顔に僕は一瞬見惚れた。
だが直ぐに照れくさくなって口を開いてごまかす。
「だ、だって、退魔師は妖魔を倒す存在なんでしょ?」
「退魔師であったとしても根っこの部分はキョウのまま。多少好戦的になっても自分から攻撃することなんて無い。今回の件だって首に牙なんかを突き立てられなければ表に出ることすらなかった」
「で、でも……」
僕は何か他の理由を探す。
理屈ではなく、どうしても僕は退魔師の自分が受け入れられないのだ。
嫌っていると言ってもいい。
故に否定する材料が欲しい、否定する言葉が欲しかったのだ。
「退魔師になってもキョウは誰よりも優しい。もう少し自分を信じてあげなさい」
くうはそう言って僕の頭を撫ぜようとする。
だが、触れる直前何かに気付いたかのように手を離した。
「?」
「……兎に角その臆病な自分を信じなさい。退魔師の血が流れているからといって、自分が妖魔を嬉々として襲えるかどうかってことをね」
くうはそう言うと話は終わったとでも言うように、ぷいっと背を向けた。
僕はくうの話をよく考えてみることにする。
確かに僕が退魔師になったからといって、誰かれ構わず襲うように成るとは到底思えない。
そりゃあ自己防衛はするかもしれないけれど、精々――。
『わぁ、吸血鬼ってそういう風なこともできるんですね。初めて見ました』
僕がそう思った瞬間、僕であって僕じゃない声が頭の中に響く。
そう言えば僕、普通にフォークをヴァーミリオンさんの顔目掛けて投げたような気もする。
これは自己防衛の範疇、なのだろうか。
どこかズレている気がしないでもないことを、僕はつらつらと考えた。
「…………悩むことは結構だけれど、根本の原因を忘れてない?」
「根本の原因?」
「あなたが襲ったという蝙蝠女、恐らく会いに来るってこと」
「え?」
「その女、プライド高そうだったでしょ。そんな妖魔が人間に後れを取って何もしてこないとでも?」
くうの言葉に僕は二、三瞬きをする。
そんな僕の様子を見ながら、くうは移動を始める。
「私の話は以上。それじゃ」
「え、ちょ、待って、くう、ねぇ待ってよぉ~!!」
すたすたと部屋を出て行くくうの背中に、僕の声が虚しく響くのであった。
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