第17話「授業が終わると誰よりも早く帰宅する」


「――と言う事があったんです」


 放課後、クリスティナさんに怒涛の勢いで昼休みの話をされ、僕は困惑する。

 ただでさえ訳の分からない数学と英語の授業の後なのだ。

 僕の小さい脳みそは情報過多でパンク寸前だった。


「えと……つまりどういうことですか?」

「今日は決闘しなくてもいいってことですよ~」


 突然一つ前の座席の辺りから声が掛かる。


「!」


 驚いてそちらの方を見ると、真さんが頬杖付きながらこっちを見ていた。

 僕は真さんがまだ教室に残っていたことにびっくりする。

 ホームルーム後、クラスメートの殆どは部活探しやら友達と遊びに行くやらですぐに出て行ってしまい。

 残っているのは終礼後、早々にクリスティナさんに捕まった僕くらいのものだと思っていたからだ。


 ――態々残ってどうしたのだろう。


 僕は真さんの行動を不思議に思った。


「要約するとそういうことになりますが、どうしてあなたが此処に?」


 クリスティナさんは相変わらず煙たそうな顔を隠そうともせず、真さんに向ける。

 真さんの見かけはどう見ても女の子だが、本当の性別を知ってしまった以上ダメなのだろう。


「それはその………。キョウ……に謝りたく……」


 真さんは赤くなりながらごにょごにょと何かを呟く。

 僕の名前が聞こえたような気がするが、きっと勘違いだろう。

 あんなにも僕を嫌っていた真さんが、侮蔑以外の言葉を吐くわけがないのだから。


「あ、あや……謝り……」

「?」


 言葉に詰まり続ける真さん。 

 僕はどうしたのだろうと、首を傾げた。


「だ、だから……その……。~~~~~~っ!! 何でもないっ!!」

「ええっ?!」


 真さんは勢い良く立ち上がると、脇目もふらず大股歩きで教室を出て行ってしまう。

 僕とクリスティナさんは何だったのだろうか、とその後姿を眺め続けた。


「こほん。というわけでキョウさん、これからその朱と羅鬼が謝罪しに来るようなのですが、何か予定などは入っていますか?」


 クリスティナさんは咳払いをし、場を一旦リセットする。

 勿論友達がクリスティナさんしか居ない僕に予定などあるはずもなく。


「と、特には……」


 と答えるしか無かった。

 それともなにか用事がある風に装ったほうが良かったのだろうか。

 僕の中で意味のない考えが巡る。


「では私と一緒に彼女らが来るのを待ちましょう」


 クリスティナさんはニコニコ微笑みながら僕に一歩椅子を近づける。


「「……………………」」


 放課後の教室の中。

(たぶん)二人っきりで席を寄せあっている。

 それだけの僕の体温は一度くらい上がった気がした。


 ――そういえば昨日の事は何もなかったことになっているのだろうか。


 僕はクリスティナさんの顔を見て、昨夜の出来事が頭に思わず浮かんでしまう。

 花のようないい匂い、柔らかかった胸、蕩けた表情と声。

 そしてそして――。


「~~~~~ッ!!」


 妖魔となったクリスティナさんを思い出し、僕は顔から火が出そうな位熱くなってしまう。


「? あれ、キョウさん。若しかして――」


 そんな僕の様子に気づいたのか、更に一歩クリスティナさんが近づいて来る。


 ――まさか考えていることがバレた?


 僕は考えていることが読まれているのでは、と思い焦る。

 もしバレたらどうしよう。

 友達解消、金輪際接触不可、社会的失墜、逮捕。

 僕の脳裏にくうがよく口にする脅しフレーズが次々と浮かび上がってくる。


「あ、あの……ち、ちが――」

「若しかして、誰かに香水か何かを掛けられませんでしたか? 少し……いえ、かなり違和感が……」


 ――あれ?


 てっきりバレたと思っていた僕は、クリスティナさんから出た意外な言葉に戸惑いつつもほっとする。

 それにしても香水か何かって。

 咲恋さんに話しかけられた以外に、僕は他の人と接触した記憶が無い。

 それなのにどうして香水を掛けられたって言葉が――。


「――はっ!!」


 その時僕はあることに気付く。

 香水=匂いがキツイ=臭いがキツイ=悪臭がする。

 つまり要するにクリスティナさんの言葉の真意は、僕の体が臭いと言いたいのではないだろうか。

 そしてクリスティナさんはソレに気づいて、オブラートに包んだ言い方をしてくれたのではないだろうか、と。


「えと、その、あの……」


 そのことに気づき、慌てて言い訳をしようとするが、僕の口からはその場凌ぎの言葉しか出てこなかった。


 ――どうする? どうしよ? どうするよ、僕。


 今直ぐ教室を飛び出して川に飛び込んだほうがいいのだろうか。

 いや寧ろそのまま流されて、クリスティナさんの前から消えてなくなったほうがいいのだろうか。

 僕は近くに川があったかどうか、脳内の地図を引きずり出す。


「――っ!!」


 僕が匂いをどう消すか苦悩していると、誰かが音を立てて立ち上がる音がした。

 慌てて僕が視線を送ると、それは見慣れた人物。

 漆のような長い黒髪に、血の様に赤い瞳の少女。

 幼馴染のくうだった。


「………………」


 くうはいつも通り無表情である。

 でもどこか焦りのような雰囲気を漂わせて、此方に向かってきているようなきがする。


「どうかしましたか?」


 くうに気づいたクリスティナさんが気遣うような声で話しかける。

 だがくうはクリスティナさんの事は全く眼中にない様で、反応すること無く僕に向かって進み続ける。


「立ちなさい」

「は、はい」


 くうは僕の真横につくと有無をいわさぬ口調で命令する。

 その瞳は普段とは違った迫力があり、僕は思わずかしこまって立ち上がってしまう。


「ちょっとくうさん、何をして――」

「あなたは黙っていて」


 くうは抗議しようと立ち上がったクリスティナさんを一蹴する。

 その目は冷たく、見るもの全てを薙ぎ払ってもいいような危うさを秘めていた。


「――っ」


 その目にクリスティナさんは二の句が繋げず黙ってしまう。

 それを知ってか知らずか、くうは僕に抱きつくかのような距離まで近づいてくる。

 そしてそのまま僕の首筋に顔を近づけて――。


「………すんすん」


 首筋付近でくうは鼻をひくつかせ、僕の匂いを嗅いだ。


「――っ!?!?」


 ――何何っ?! くうが僕の臭い?

 え? え? どうなってるの?!


 僕は当然の事態に理解が追いつかず、混乱する。


「……………ちっ、やはり付けられてるわね。誰の仕業かしらないけれど、私に喧嘩を売ろうなんていい度胸している」


 くうは舌打ちすると同時に何かをブツブツと呟いている。

 だが僕はその内容にまで気を配ることが出来ない。

 何故ならくうにまで悪臭で顔を背けられないか、気が気じゃなかったからだ。


「キョウ、ちょっとこっちへ来なさい」


 そう言うや否や、くうは僕の胸倉を掴む。

 その腕は、僕やクリスティナさんより遥かに細い。

 とても重いものを持ったり動かしたり出来そうにない細腕。

 だが――。


「――っ」


 その細腕からはとても考えられない力で、僕は引きづられ始める。

 普段の無気力・無感情の様子からは想像しにくいが、こう見えてもくうの腕力は僕より上なのだ。


「ま、待ってください」


 我に返ったクリスティナさんが、くうの行く手を遮るように立ちふさがる。

 それをくうは鬱陶しい羽虫でも見るかのように、目を少し細めた。


退きなさい」

「いいえ、退しりぞきません」


 くうとクリスティナさんの間に火花が散る。

 僕は慌てて止めようと体を動かそうとする。

 だが直ぐに掴まれていることを思い出し、体を動かすことを諦める。

 くうが結構本気で掴んでいる以上、動くには制服を破かなければいけないからだ。


「えっと、クリスティナさん、僕は大丈夫ですから」


 僕はくうの方は止まらないと悟り、クリスティナさんを何とか巻き込まないようにしようと笑いかける。


「ですが………」


 なお食い下がるクリスティナさんに、くうはやれやれとでも言うように口を開く。


「安心しなさい、別に取って喰いはしない。このの原因を取り除くだけ。それともあなたにコレが取り除けるの? 原因すらも分かっていないあなたが?」


 あくまで無表情に、しかしどこか見下すようにくうはクリスティナさんの事を鼻で笑う。

 何だかよく分からないけど、僕は自分の体臭が原因で臭いのではないことがわかり、緊迫した状況の中少しホッとした。


「くっ、それは……無理、ですが――」

「ならどうすればいいか、そのちっぽけな馬頭でも分かるわよね?」


 くうの言葉にクリスティナさんは悔しそうに顔を歪めたが、数瞬迷った末道を開けた。


「行くわよ」

「う、うん」


 僕はくうに連れられ教室の外へと向かう。

 僕はクリスティナさんに何度も頭を下げる事しかできなかった。


「――あぁそれとあなたは此処で大人しく待っていなさい。付いて来られても邪魔だし、何より来客が来るのでしょう?」

「くうっ!!」


 いい加減黙っていられず、僕はくうの名前を呼ぶ。

 いくらなんでも言いすぎだろう。

 僕は少し恨みがましくくうを見つめる。


「……ふんっ」


 効果があったのかなかったのか。

 くうは此方を一瞥すると肩を竦ませる。

 僕の言葉では反省なんて以ての外だろうけど、これ以上なにか言う気もないようだ。


「わかって……います」


 苦々しい顔をするクリスティナさんを残して、僕らは無言で教室を出る。

 トゲトゲした空気が残るまま、僕らは教室を離れるのであった。

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