第80話「女天狗の鼻」

「ぐっ、いいパンチじゃ。それによく儂の動きを読み、割り出した。先程の勝負、主らの勝ちじゃ」

「先程から何度も見ていた。だからどこに回避するかくらい予測するのはそう難しくない」


 拳をめり込ませた状態で、シルヴィアはいとも容易げに言ってみせる。

 それがどれほど難しいことか、逆の立場である若でさえ無理難題であると分かっているのだ。

 最早それは才能の領域を超えた一つのスキルであると言い切ってもいい。

 少なくとも若は、目の前の存在が神に愛された天賦の才を持っていると理解した。


「かっかっか、か。勿体無いのう、主が鬼や天狗に生まれれば、美鈴をも超える怪物に成れたというのに、ほんと勿体無いの」

「褒め言葉として受け取っておこう」

「……一つ、主らに面白いことを教えておいてやろう。捕まった以上儂は今から妖魔化する。儂はAランク最速の妖魔じゃ。先程見せた通りの」

「? 本気になるの願ってもないことだが、それが面白いことなのか?」

「いやなに、主は何故儂をで拘束しようと思ったのかと思っての。もしやこう思っておらぬか。とな」

「っ!?」


 若がそういった瞬間、シルヴィアはもう一度拳を叩きつけようとする。

 本来彼女はこんな会話の最中に攻撃するようなタイプではない。

 だがそれを破ってでもと言う思いが、反射的に体を動かしていたのだ。

 そして同時に何らかの異変を感じ取ったクリスティナも加勢する。

 しかし、それよりワンテンポ早く若の体が妖気に包まれ、人化の法が解除された。


「――主らにとっては残念な知らせじゃが、儂は膂力の方もそれなりにあるぞ。流石に朱やヴァーミリオンに劣るが、それでも主らよりは上じゃ」


 両手でクリスティナの角と、シルヴィアの拳を掴みながら若はそう言ってのける。

 その言葉に嘘がないことを示すかのように、クリスティナ達はピクリとも動けなくなっていた。


「……これが妖魔化した若さんの……姿?」


 そんな光景を見ながらキョウは首を捻る。

 今の若は背中から鴉のような漆黒の羽を生やし、朱やヴァーミリオンに劣らない妖気を放出している。

 誰がどう見ても大妖クラスにふさわしい存在圧だろう。

 だと言うのに――。


「うーん…………どうなんだろう?」

「……なんじゃ、儂の姿に文句でもあるのかや?」

「あ、いえ、そういう事じゃなくて……その……」


 キョウは歯切れの悪い言葉を吐きながら、若の頭についている天狗のお面にチラチラと視線を向ける。

 主にその天狗のお面の鼻の部分を重点的に。


「なんじゃ、はっきりと言わんか」

「えっと、若さんは天狗だって聞いたんですけど、その……」

「あぁ、そういう事か。確かにその姿だけ見れば『堕天使』にしか見えないな」

「…………」


 識の言った堕天使という言葉に、若は思わず掴んでいた二人を放す。

 それにより自由になったクリスティナ達は改めて若を見る。


「言われてみれば、確かに天狗という割に鼻が無いですね」

「はっ、……もしや女の天狗の鼻は別の場所にあったり、するのか?」


 クリスティナは顔の辺りを、シルヴィアは下腹部辺りを凝視しながらそう言う。

 そんな視線に晒されて、若は羞恥と怒りでプルプル震え始める。


「……貴様ら好き放題言ってからに。見えんかこの鼻がっ?! ちゃんと伸びておるじゃろうがっ!!」

「えっと……?」

「やはり下か」

「下?」


 困惑したキョウは、シルヴィアに言われるがままに視線を若の下腹部に移す。

 言われてみれば少しこんもりしているようなしてないような。

 と、全く関係ないところでキョウが納得しようとしていた時に、羞恥と怒りに耐え切れなくなった若が爆発する。


「どこを見ておるっ?! 顔の鼻の方じゃ。ほれ伸びておるじゃろうが、5ミリほど」

「5ミリって……、いや伸びているんでしょうけど、それを認識しろと言われましても」


 クリスティナの言葉に同意するようにキョウは頷く。

 真横で変身前後を見ても、アハ体験かと言わんばかりの変化なのに、正面からでは分かるわけがない。


「そんなに疑うのじゃったら、間近で見せてやる」


 若は憤慨すると同時に猛スピードでキョウの側へと降り立った。

 そのあまりの速度にキョウが吃驚して後退ることすら出来ないほどだ。


「ほれよく見てみい。ここじゃ、ここ」

「あっ、確かに少し伸びて……」


 自分の鼻に指を向けながら顔を寄せてくる若に、キョウはよく見ようと覗き込もうとする。

 その瞬間――。


「馬鹿っ!! 迂闊に近づくな――っ?!」

「え?」


 瞬きすら許されないほど短い刹那の合間。

 キョウの危機察知能力すら乗り越えて、若の手がキョウの頭上の標的へと伸びる。

 直ぐ側で離れず、キョウを護っていた識ですら一歩反応が遅れている。


「場の空気が緩んだからといって、気を抜いてはいかんのう。勝負である以上搦手も想定しておかなくてはの」

「あ……れ……?」


 若が標的を指で突いている光景を見て、漸くキョウは攻撃されたと気づく。

 気付いた時点で最早詰んでおり、キョウの顔色は一気に青褪めた。

 若が少し力を込めれば標的は立ち所に割れる。

 キョウ達は今、心臓を握られたような状態だった。


「……先程までの自分の鼻を気にしている素振りは、全て油断させるための演技だったというわけですか」

「油断? 演技? 勝手に油断したのは主らじゃろうに、何を戯言を言っておる。それに儂は別に嘘なぞ言っておらんぞ?」

「ですが先程は……」

「鼻が低いことを気にしているのは事実じゃ。じゃが、それがどうしたのかや? 前にも言ったが儂は己の種族に誇りを持っておる。例え鼻が低かろうと、それを馬鹿にされようとも隠したり偽ったりなぞせんよ。儂は儂じゃ」


 先程までの羞恥に耐える顔などどこへやら、飄々とした様で若はそううそぶく。

 その変わり身の速さに、キョウ達は困惑するしかなかった。


「何にせよ、今回は儂の勝ちじゃな。一勝一敗、時間的にも次が最後じゃろうし、いざ尋常に勝負と行くかの」

「っ?! 標的を、壊さないのですか!?」


 王手をかけたというのに、若は標的を壊すこと無くキョウから離れた。

 その姿に情けを掛けられたと、クリスティナ達は憤る。


「勝負だというのに、始める前から戦力を減らしては面白く無いじゃろうが」


 対する若はなんでもない事のようにそう吐き捨てると、漆黒の羽を羽ばたかせて上空へと舞い上がる。

 まるで嘘偽りなくそう思っているかのように。

 そんな姿に識は警戒心をむき出しにする。


「お前の目的は何なんだ?」

「――言ったじゃろ? 戯れじゃと。儂は儂が楽しめればそれでいいんじゃよ」

「…………」


 真意を探るように若を睨む識に、若はどこ吹く風で受け流し続ける。

 道化のように喧しく騒ぎ立てたと思えば、一転真面目な顔になり、かと思えばすぐにまだ道化のように騒ぎ始める。

 表が裏であり、裏が表である。

 若という妖魔は識の眼を持ってしてもどれが真意か見ぬくことが出来ないのだ。


「さあ、儂と本気で遊んでくれや?」

 

 可愛らしく嗤う若に、絶望の暗雲が立ち込め始めたのだった。


 †



「行くぜぇ―――おらっ!!!!」


 朱が全力で振り下ろした棍棒が、会場内を覆う結界を揺らし爆音を轟かせた。

 そのあまりの威力に狙った標的は勿論のこと、辺り一面まで衝撃波で吹き飛ばされる。

 Aランク最強の膂力は伊達ではなく、美鈴相手でもそれは遺憾なく発揮されていた。

 何度も言われているようにこの攻撃を前には防御は意味をなさず、回避するしかない。


「相変わらずの馬鹿力ね」

「ちっ、また外れか」


 朱は叩き潰した美鈴のに舌打ちしながら、もう一方の腕にある棍棒で辺りを薙ぎ払う。

 その範囲に居たが苦痛の表情を浮かべるまもなく、消し飛んでいく。


「あ゛ーー、うぜぇええ―――-ッ!!!! だから昔からこいつの相手は嫌だったんだよっ!!」


 ぞろぞろと新たに迫り来る美鈴達に、朱は吠えた。

 戦いが開始してから朱は既に何百体という美鈴を叩き潰している。

 だがその数は一向に減る様子はない。

 寧ろ消せば増えているのではと錯覚しそうになるほど高速で増量されているのだ。


「そんなちまちま潰していては、一向に終わりませんわよ? やるのであればこの様に――」


 宙に浮かんだヴァーミリオンが腕を振るう。

 それと同時に竜巻が巻き起こり、辺り一面の美鈴を巻き上げ始めた。

 巻き上げられた彼女等は高速でぶつかり合い、風に切り刻まれて次々とバラバラにされていく。


「一掃しませんと」

「てめぇ、さっきからそればっかり言ってるが、一向に減ってねぇじゃねぇか」

「ですから、そうちまちま殴っていては終わらないと言っているのですわ」


 向かってくる美鈴達を、振り払いながら朱はヴァーミリオンと言い合いをする。

 一体一体さほど強くないとはいえ、数が無限に湧き出てくるのだ。

 神経が摩耗するのも当然の事。

 体力的にはまだまだではあるが、朱達に苛立ちが募り始めてきていた。


「おい、美鈴。式神に紛れて隠れていないで、とっとと出てこいやっ!!」

「嫌よ」

「――そこっ!!」


 ヴァーミリオンが声を出した美鈴目掛けて爪を振るう。

 凶刃に見舞われた美鈴は、五体バラバラに引き裂かれて宙へと霧散する。


「さっきも言ったけれど、私はあなた達の力を高く評価しているの。特にその身体能力の高さはAランク妖魔ですら比肩しないほど。あなた達と肉弾戦がまともに出来るのなんて、それこそ若くらいよ」


 ヴァーミリオンが切り裂いた美鈴とは別の美鈴から、言葉が続けられる。

 賞賛するような内容ながら、その言葉は傍観者のような口振りだ。

 未だまともに取り合わない美鈴に、朱の苛々は頂点に達しようとしていた。


「だから私はまともに戦わずいつまでも隠れてますってか? てめぇ、いつ迄俺らを見下してやがる」

「見下す? それはどういう意味かしら」

「そのまんまの意味だよ。高く評価だぁ? 何様のつもりだよてめぇ。誰が、誰を評価してやがる?! 俺達を舐めるのもいい加減にしやがれや――――ッ!!!!」


 咆哮と同時に、この日一番の衝撃が結界内に響く。

 それにより朱の回りにいた美鈴は勿論のこと、その棍棒から放たれた妖気が激流の如く美鈴達を飲み込み、破壊し尽くした。

 そのあまりの破壊力に、巻き込まれないように離れてみていた妖魔ですら、風圧で後退を余儀なくされる。


「……そんなつもりはないのだけれど、気を悪くしたのならば謝るわ。ごめんなさいね。でも私が――――ッ?!」

「――漸く見つけましたわ」


 先程から体を霧状にし、無言で辺りに浮かんでいたヴァーミリオンは美鈴の言葉の途中でニヤリと笑った。

 そしてそれが嘘じゃないことを示すように、ヴァーミリオンの操る風の刃がその一帯を取り囲み、輪を縮めていった。


「――っ。あなた一体どうやって……」

。それもかなり必死な速度で。隠形術で姿を消しているとはいえ、その速度で動けば流石に感知できますわ」


 ヴァーミリオンは指を鳴らすと、取り囲ませた風の檻を閉じる。

 それにより何もない空間から金髪の少女が現出した。

 高速で飛び交う風の牙が美鈴の隠形の術を剥ぎ取り、その姿を晒させたのだ。

 風のあぎとはそのまま美鈴の体を食い殺さんと牙を突き立てるが、その体周辺には見えない障壁があるかのように、それ以上の侵入を阻んでいる。


「――朱っ!!」

「おぅ、わかってるぜぇ――――ッ!!!!」


 ヴァーミリオンが呼びかける前に朱は大きく踏み込む。

 大量の妖気の篭った棍棒を振り回し、大きく飛び上がると同時にその全てを叩きつけた。

 その直前――。


「――何度も言うように私はあなた達をとても高く評価している。そう、ただ純粋にね。けれど、?」

「はぁ? 何をブツブツ言って……」


 迫り来る棍棒を視認しながら、美鈴は掌を無造作に向ける。

 妖気がまるで電子回路のようにその腕を伝い、花火のように幾重の魔法陣が起動し始めた。


「ちゃんと私という存在を評価していたかしら? この私を」

「なっ?!」


 その瞬間、あり得ないことが起きる。

 正確に目標を見定め、渾身の力で振り下ろした朱の棍棒が目標から外れたのだ。

 避けられたわけではない。

 美鈴はただ一歩も動いてはいない。

 逸らされたわけではない。

 朱は正確に目標目掛け振り下ろした。

 だが結果は美鈴に掠ることなく空振りしている。


「不思議そうな顔をしているわね。その顔隙だらけよ」

「くっ」


 美鈴に指摘されるまでもなく、朱はその場から離脱する。

 距離をとって今の不可思議な現象を見定めるつもりなのだろう。

 だがその体は後方ではなく


「はぁっ?! な、なんだこれ、俺は確かに後ろに飛んだはずじゃ……」

「流石朱、勇敢ね。態々私の方に向かって逃げてくるなんて」


 向かってくる朱を美鈴は蹴り飛ばす。

 まともな防御姿勢すら取れなかった朱は、その蹴りをモロに受け吹き飛んでいった。


「――勿論この瞬間狙われることも理解しているわ。そして理解している以上対処していない理由もない」

「――ッ?!」


 霧状になり、後ろから斬りかかろうとしていたヴァーミリオンの足元から間欠泉の如く水流が吹き上がる。

 突然吹き上がった水流を受け、ヴァーミリオンの霧化が解かれる。

 その硬直に対して――。


「こうすれば攻撃を受けるのでしょう?」


 流れるような動作で、美鈴の妖気を込めた掌底がヴァーミリオンの鳩尾に叩きこまれた。


「がふ――っ!!」


 朱と同じく吹き飛んでいくヴァーミリオン。

 その体をいち早く復帰していた朱が受け止めた。


「モロに食らったけど大丈夫か?」

「えぇ、この間貴方に殴られた時に比べれば全然マシですわ」


 体が頑丈な朱は元より、再生能力のあるヴァーミリオンも何事もなかったかのように立ち上がる。

 それを見ながら美鈴は少し嬉しそうな視線を送る。


「ほんの数ヶ月前と比べて、こんなにも元気になって良かったわね。彼には感謝しないと」

「えぇ、深く感謝しておりますわ。


 ヴァーミリオンは美鈴をしっかりと見つめる。

 暗にその人物が目の前にいるとでも言うように。

 その視線を受けながら、美鈴は薄く笑う。


「なら結構よ。問題がないというのであれば、私も遠慮なく本気を出すから」


 ふわりと金の髪を浮き上がらせると、目の前のAランク妖魔二人すら上回る妖気を美鈴は放出し始める。

 漸く妖魔化するのだろう。

 寧ろ今まで妖魔化無しでこの二人を相手取り戦えるのだ。

 それがどれほどの実力差を意味するのか、分からぬ二人ではない。

 ついに始まる本番に朱達は緊張が走った。


「――あぁ、戦いってのはそう来なくっちゃな」

「――えぇ、逃げる相手を追い続けるのはもう懲り懲りですわ」


 美鈴の体の周りには次々と魔法陣が起動し、様々な効果を及ぼし始めている。

 対する二人はその妖気に臆するどころか、呼応するかのように更に闘志を燃え上がらせるのであった。

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