第九章 『夢魔の王』
第135話「気がつくと居なくなっているのは何も一人だけではない」
「どういう事かきっちりと説明してもらいましょうか、曙並びに暁学園理事長殿?」
――事件より数日後。
九曜紗耶華は刃の如く研ぎ澄まされた眼光で、学園理事であるきよを睨む。
ここは曙学園の校長室。
数日前から現在に至るまで起こり続けているとある事件の所為で、紗耶華は妖魔の巣窟とも言える曙学園にまで来ていた。
紗耶華はデスクを挟み、この部屋の主であるきよと対峙している。
「通達した通りだが? それとも煌依の説明で不十分な箇所でもあったかい? それならば謝罪しよう」
「ふざけるな!! うちの生徒が何人も重症を負って、その上一人が行方不明になっているんだぞ?!」
今にも胸倉を掴みかかってきそうな剣幕の紗耶華を前にして、きよは普段通りの薄ら笑いを浮かべ続ける。
まるで紗耶華の心境、考えが手に取るように分かっているかのよう。
非を攻めているのは紗耶華の方であると言うのに、どこまでもきよの掌の上。
そんな錯覚を紗耶華に抱かせる程、きよは微塵も揺らいでは居なかった。
「決闘をしているんだ。他所の怪我など織り込み済みだろう? 行方不明者に関しては此方も捜索しているが、校外まで出られたとなると流石の私達も発見するのは難しいことを理解してほしいんだがね」
「決闘だと? 貴様の学園では友人を装い、夜の森へと誘き出し、背後から襲うやり方が決闘なのか?!」
「確かに褒められた手段ではない。ないが――」
きよはデスクから立ち上がると、紗耶華の側まで歩み寄る。
血の様に赤く深淵の如く深い瞳は、見る者全てに畏怖の感情を植え付けていく。
きよという絶対的存在の前に立つと言う事は、詰まる所『危険』と言う概念現象に相対する事と相違ないのだ。
「なあ、少し気が緩みすぎてないないかい? 私達はお前達の憎き敵なのだよ?」
妖気を纏った右手で、きよは紗耶華の頬をそっと撫で上げた。
それでだけで紗耶華は全身の毛が逆立つ恐怖に襲われる。
紗耶華が臆病だとか、きよの事を恐れているからだとか、そう言う問題ではない。
これは生物に生まれついて備わっている本能的な忌避そのモノだ。
肉体と精神をいくら鍛え上げようともこの忌避から逃れる事が出来ない。
だが紗耶華は逃げる事無くきよを睨み返した。
「この程度の奇襲で油断し、醜態を晒したのは確かに緩んでいると言われても仕方ないかもしれない。だが、それとこれとは話が別だ」
「ふむ」
「妖魔と退魔師の戦いは、『決闘』と言う協定よって行われている。ならばその協定を破ったものには然るべき処罰が下されるべきだ。でなければ規律と言うものに意味がなくなる。そちらも慰魔師の被害を考えずに戦いが行われるようになれば困るのではないか?」
「なるほど、それは道理だねぇ。で、どう処罰するつもりだい?」
きよは満足したのか、紗耶華から離れると再びリクライニングチェアーに腰を下ろす。
どこか楽しげに笑みを浮かべるその様に、紗耶華は内心安堵と焦燥感を綯い交ぜにした感情を懐きながらも、臆面に出すこと無く口を開いた。
「二度とこの様な事態を起こさないよう教育する」
「教育なら、こっちで――」
「――憎き敵を信用しろと? そう貴様はいうのか」
紗耶華の言葉にきよは眼をパチクリとさせる。
そして次の瞬間哄笑した。
「これは一本取られたねぇ。それで、何を要求するつもりだい?」
「退魔師協会の介入の許可を。調査員を派遣し、原因を究明する。――――そして二度と
「いいだろう、ただし、一つだけ条件がある」
「条件?」
紗耶華は訝しげな眼できよを見つめる。
なにせ目の前にいるのは、紗耶華にとって信用から180度かけ離れた位置にいる人物だ。
条件という言葉に警戒しない訳がなかった。
「なに、簡単なことさ。いつもそちらが守ってくれている至極当たり前な事柄。つまりは慰魔師には手を出すな。それさえ守ってくれれば此方としては問題はない」
「それは此方としても当然守ります」
では、と紗耶華は校長室を出ていこうとする。
そんな紗耶華をきよは呼び止めた。
「あぁ、少し待て。重要な情報源を返し忘れていた」
「情報? そんなもの、自分で調べ…………返す、だと?」
訝しむ紗耶華に、きよは言葉ではなく顎でその人物を指し示す。
そこには両手に酷い火傷を負った煌依が、一本の日本刀を両手で抱えるように持っていた。
「――結界による封印が漸く完了しました。これで唯羅ちゃん以外でも触って持ち運べるはずです」
「っ?! 煌依さん」
その刀を見て、紗耶華はぎりっと奥歯を噛み締める。
何故ならそれは紗耶華もよく知っている刀。
即ち神剣カグツチなのだから。
「なにせ最後の目撃者だ。白鷺唯羅の捜索に大いに役立つだろう」
「――唯羅に何か起こっていた時は、私がこの手で貴様を殺してやる」
そう吐き捨てると紗耶華はカグツチ片手に校長室を荒々しい足取りで出ていく。
一応カグツチだけは丁重に扱ってはいるところを見ると、完全に頭に血が登っているわけではないが、それでもかなりの荒れ具合だろう。
その光景をきよと煌依の二人はそれぞれの思惑で眺め続ける。
「いいのかい? 手を貸してやらなくても」
「はい、少しやらなければいけないことがありますので」
「おや、悪巧みかい?」
きよの言葉に煌依は口元を抑えながら苦笑する。
「いえ、
「善い事なら教えてくれてもいいだろう?」
「ふふ、内緒です」
目を見開いた煌依ときよの視線がぶつかる。
互いに腹の底まで見透かそうとしながら、表面上は楽しげに笑顔を交わす。
暗雲とした気配が立ち込める中、どこからか誰かが嘲笑う声が響くのであった。
†
「ルヴィ? 休日だと言うのに、何処に向かっているのですか?」
「学園の生徒会室です。恐らくそこに居るはずなので」
「まあ、意中の方は生徒会に所属しておられるのですね。素敵ですわ」
時間は戻り、テスト明けの休日。
シルヴィアは声の君と共にがらんとした校舎を歩く。
向かう先は生徒会室だ。
「いえ目当ての相手は生徒会室に居ますが、彼ではありません。そもそも彼は生徒会などする柄ではないでしょうし」
シルヴィアは彼の姿を脳裏に思い浮かべ、少し苦笑する。
生徒会の一員になった彼を想像したのだ。
オロオロとしている間に仕事が山の様に積み上がり、更に焦る光景は想像に難くない。
それはそれで悪くないと思いながらも、彼女は妄想を打ち切る。
「ではどんな相手を探しているのでしょうか?」
「決意の切っ掛けの相手……とでもいいますか。ともかく声を掛けるならまずは彼女から、というのが筋というもの」
そう言うと同時にシルヴィアは辿り着いた生徒会室の扉を、ノックもせず大きく開け放った。
まるで警察の強制捜査の様な豪快さだが、当の本人はまるで気にしていない。
「何じゃ?! 儂は仕事しておるぞ?! 休日返上して粉骨砕身仕事をしておるぞ?!」
シルヴィアが扉を開け放つと、その先には生徒会長の席に座りながら忙しく仕事をしている若が居た。
その様子は母親に部屋を覗かれて、必死に宿題をしている素振りをする子供の様な慌てっぷりである。
「……その言葉全てが事実でありますのが笑い所でしょうか」
その隣では鉄面皮のまま静かにキーボードを叩き続けている飛鳥がいる。
身長190を超える体格を小さく折り曲げながら、機械の如く正確に一定のリズムでノートPCに打ち込み続ける様は少しシュールな光景だ。
そんな光景を前にしてもシルヴィアは止まること無く、つかつかと中央まで歩いて行く。
「まどろっこしいのは性に合わないので単刀直入に言おう。私と決闘してほしい」
「本当に単刀直入じゃのう。そもそも儂には決闘を受ける理由もなければ暇もないんじゃが? そんな儂をやる気にさせようと言うからにはとびっきりの理由でもなければのぅ」
両手をテーブルに叩きつけて意気込むシルヴィアに対して、若は頬杖を付きながら答える。
気怠そうにしながらも、その眼は好奇心旺盛に輝いていた。
言うまでもなく若は退屈を嫌う性格だ。
例え山の様に仕事が残っていようとも、楽しげな事象を見逃したりはしない。
飛鳥はそれを即座に見抜くが、特に小言を言うまでもなく作業を続けている。
「理由は至極単純で爽快だ。私がどれほど強くなったか知りたい。ただそれだけだ」
「ぷっ――、くっく、くかかかかっ」
「……………」
シルヴィアの言葉に若は堪え切れず爆笑する。
飛鳥が一瞬じろりと睨むが、若は気にせず笑い続けた。
「かっか、ここまで我を通すといっそ清々しいわ。それでじゃ、決闘相手に儂を選んだ理由は交流戦の事があったからかの?」
「あぁ、あの出来事があるからこそ今の私がある。そしてこれからの私も」
「つまりは儂を倒さねば先には進めぬと、そういうことかの?」
若は楽しげな口調をしながらも、その瞳は興味を失った子供のように冷えきっていく。
言うまでもなく自分を選んだ理由が気に入らなかった為だろう。
瞬時にそれを理解した飛鳥は、漸くこの騒ぎが収束すると確信した。
だがその時、意外な言葉がシルヴィアの口から溢れ出る。
「いや、すまないが正直な話誰でもよかったんだ。貴女に一番最初に声を掛けたのはただ単純に私が戦った中で最も強かった、ただそれだけにすぎない」
シルヴィアの言葉に若は放心したように、一瞬固まる。
その時若が受けた衝撃は、力加減を誤って出来たテーブルの亀裂が如実に表していた。
「完膚なきまでに己に勝利した儂に絶対に勝ちたい、或いは負けて悔しいという思いは存在せぬのか?」
縋るような表情で若は問いかける。
まるで求めている答えを言って欲しそうな、そんな表情だ。
「勿論勝ちたいと言う思いはあるし、悔しいという感情もある。だが、それはそれだ。私は黒星に何時迄も落ち込み続けるような狭量な女ではない」
過去は過去であり、ネチネチと何時迄も抱え続けるものではない。
その上で目を逸らさず、負けは負けとしてしっかり直視する。
詰まる所シルヴィアは過去を受け止めた上でしっかりと前を見ているのだ。
そしてその言葉は若も望んだ言葉であるらしく――。
「
顔を向けずに名前を呼ぶ若に、飛鳥は小さく溜息を吐く。
「直ぐに戻ってきてください」
「それは保証せぬの。此奴には本気で相手をしてやるんじゃ、消耗戦と言う手段を自ら削ったりはせぬ」
口元を釣り上げ、若は笑う。
餓えた獣の様なその顔はもはやシルヴィアしか見ては居なかった。
「…………分かりました。初めから手が足りなくなる場合は咲恋前会長とフロズヴィ前副会長を呼ぶつもりでしたので、業務については問題ありません」
「悪いの、今度お詫びに洋菓子でも馳走しよう」
「……それは楽しみです。金貨20枚は覚悟していてください」
「う、うむ。お、お手柔らかに頼むぞ」
顔を青くしながら若は生徒会室を出て行く。
シルヴィアは特に突っ込むこともなく、その後に続いた。
生徒会室では殆ど変わる事のないタイプ音が、少し上機嫌に響き続けるのであった。
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