第133話「保健室に集中治療室がある学園」
――なんだコレ?
僕はぬるっとした液体の感触に違和感を覚える。
鼻腔からはツンとした鉄の匂いが香り、鼻呼吸を遮る様に止めどなく液体が吹き出している。
自分が受けたダメージは把握している。
どの部位が使え、どの部位から血が出ているのか。
戦闘に必要な情報として全部頭の中に入れて戦っている。
その上で目や鼻などの重要な器官に繋がる攻撃は避けていた。
だと言うのに――。
「なんで? どうして?」
僕は止めどなく流れる鼻血に困惑する。
いや鼻血だけじゃない。
顔から、耳から、腕から。
ありとあらゆる場所から血が流れ出始めていた。
――偽骸装の限界?
いや違う。
これは僕自身の血だ。
偽骸じゃない。
じゃあこれはどうして?
「そろそろ限界のようね」
「限界? 何がですか?」
理由を知っている様子の白鷺さんに僕は聞き返す。
この間も血は流れ続け、妖気は吸われるが仕方がない。
「言ったでしょ、カグツチは生身で扱うには骨が折れると。その
僕はその言葉を聞いている内に、耐えようのない激痛が湧き上がって来た。
――痛い、体が燃える様に痛い。
まるで全身の細胞一つ一つが針でつつかれているかのような痛みだ。
成る程、確かにこれは骨が折れる。
寧ろ唯羅さんはよくこんなものを使っていられるものだ。
僕は痛みに耐えながら感心する。
「それ以上カグツチの力を使い続けると死ぬわよ」
「そう、です、ね……」
白鷺さんの言葉に僕は同意する。
そんな事は今の僕が一番良くわかっている。
全身が危険信号を発し、このままでは死んでしまうと警告していた。
何よりアレが近づいてくるのがわかる。
故に何としてもこの事態から脱却しなければならない。
白鷺さんは暗に僕に降参するように言っているのだろう。
それも一つの手ではある。
だが――。
「止められ、ないんですよ。もう僕の意思では」
生命の危機に反応して偽骸装は更に蠢きを荒らげる。
それにより激痛は更に増すが、僕には止められない。
僕の意思で止めれる量は指一本分が限度であり、それ以上は増え続けるしかないのだから。
故に僕が取れる選択肢は一つしか無い。
「いいわ、なら私が止めてあげ――」
「――でも大丈夫ですよ。まだ戦うことはできますから」
「はぁ?!」
白鷺さんが驚愕の声を上げる中、僕は歯を食いしばり、敵を見据える。
破れかぶれになった訳でも、殺される為にわざと攻撃する訳でもない。
何度言う様に僕が狙うは勝利のみ。
こんな程度で諦める訳には行かないのだ。
術式を循環させ、偽骸装の侵食を加速させる。
「こんな……こんな程度の、ことで、僕の
偽骸装を止める事が出来ない以上、僕に出来る事は一つ。
原因を取り除く事だ。
偽骸装は敵がいなくなるまで止まらない。
加えて相手が白鷺さんだから火之迦具土が出てきているのだ。
だったらそれを無くせばいい。
火之迦具土が出てきている原因そのものを排除する。
それが今の僕に取れる道だった。
「さあ、行くよ――っ!!」
視界が血で真っ赤に染まる中、僕は両手を握りしめ突撃する。
痛みで全身の感覚がなくなってきているが、体の動かし方は忘れては居ない。
全身に纏う焔はジェットエンジンの如く促進剤にし、拳を装甲戦機へと叩きつける。
「ぐっ?! 想像以上に馬鹿ね!! でもいいわ、だったら私が黄泉平坂まで付き合ってあげる!!」
『……唯羅、本気か?!』
白鷺さんは僕の拳を刀身で弾き返すと、集めた妖気を刀身へと収束させる。
轟々と焔が巻き上がり、神威の神器は唸りを上げ続けていた。
その焔は今までの比ではない程熱く燃え上がり、天を焼く勢いである。
時間がないのは白鷺さんも同じだ。
現在が拮抗な以上、片方が急激に強化されれば崩れるのが必定。
故に今ここで、相性云々を抜きにして一撃で叩き切るつもりなのだろう。
自身の装甲すら融解し始めている彼女の有様を見て、僕は笑う。
「両腕の二本くらいは覚悟しなさい。止められないなら無理矢理にでもぶった切って止めてあげる!!」
「白鷺さんこそ、その鉄の棺桶ごと燃え尽きても知りませんからね?」
僕らは全妖気を互いの獲物に込めて、構える。
退くつもりなど微塵もなく、必勝の覚悟を持って臨む。
それが退魔師というものなのだから。
「「――いざ」」
僕らの闘志が最大に高まり、雌雄が決しようとした瞬間。
そこに一つの影が割り込んでくる。
それにより、まるで時が止まったかの様に僕と白鷺さんは動けなくなった。
「――これ以上の無駄な命の削り合いは私が赦しません」
輝く黄金の鬣。
溢れ出る妖気は神聖にして慈愛に満ちていた。
その上で今の僕らすらも凌駕する勢いで辺りに広がりつつある。
何より驚くべきことは、この状態になった僕と白鷺さんを止めた、と言う事だ。
桁違いにも程があるだろう。
『……これは麒麟か』
「麒麟?! 何で
高密度の空気の壁でもあるかの如く、僕と白鷺さんは空中で静止していた。
腕を振るおうにも一向に進まず、焔を操ろうとも範囲外に出ることすらできない。
これはこの前に見たクリスティナさんの新しい能力だろう。
この身で体験するのは初めてだが、まさに規格外の能力だ。
大妖クラスを一蹴できる僕らが一瞬で手も足も出なくなったのだから。
僕らは現状完全に抑え込まれたと言ってもよかった。
「どうして止めるんですか、クリスティナさん。いやそんなことよりもその力を使っちゃ――」
「キョウさんは黙っていてください」
僕が麒麟化の事について小言を言おうとすると、クリスティナさんに鋭い目で睨まれる。
何故だかわからないが、物凄く怒っている様だ。
その剣幕に僕は口を閉ざさざる負えない。
「さて白鷺さん、時間がないので単刀直入に言います。直ぐ様矛を収めて退いてください。断るようでしたら今この場で私が叩き潰します」
クリスティナさんは静かな怒りに身を包んだ状態で白鷺さん達を睨む。
僅かでも返事が遅れれば問答無用と言った様子だ。
その気迫に飲まれたのか、白鷺さんは渋々と言った様子で焔を引っ込める。
「…………退くわ。でも勘違いしないでよ、これは負けじゃなく引き分けだからね?」
「あっ、はい」
僕らは互いに空中に磔られている状態で会話する。
こちらもこれが勝利だなんてこれっぽっちも思ってはいない。
強いて言うならクリスティナさんの一人勝ちだろうから。
「英断です。では四の五の言う前に疾く速く消えてください。直ぐ消えてください」
クリスティナさんは僕らの視線を遮るように立ち塞がる。
先程の能力は既に消えてはいたが、その背中からはとっとと失せないと叩き潰す、と言う言葉が滲み出ていた。
それほどまでにこの戦いを中止せざる負えない事態が起きたと言う事だろう。
クリスティナさんは白鷺さんが見えなくなるまで、その姿を鬼神の如き容貌で睨みつけていた。
僕はそんなクリスティナさんの背中に声を掛けようとする。
「クリス――ゴホッ、ゴホッ!? あ……れ……?」
咳とともにビチャビチャと、真っ赤な液体が僕の喉元から溢れ出て辺りを汚していく。
飲み込もうとしても溢れ出る血は、無理やり口をこじ開けてしまう。
その光景を見ながら僕の視界はぐらりと傾いていく。
流れ出る血は止まらない。
いや、もうどれが血でどれが血でないのかすらも僕はわからなくなっていた。
僕は悲痛なクリスティナさんの叫び声を聞きながらも、意識が途絶えていくのであった。
†
「キョウさんの様子はどうですか?」
「峠は超えた。少なくとも自壊が進むことはなくなった」
ここは曙学園にある保健室。
従来の保健室とは違い、この学園の保健室には多岐にわたる部屋と器具が備え付けられている。
妖魔同士の決闘や、イベント時での怪我などに対する為と言うのが名目ではあるが。
実際のところ半分以上は保険医であるラビの趣味によるところが大きい。
そう言った事情も相まって、ただの学園の保健室でありながら
そのICUでクリスティナと輪廻は険しい顔つきでベッドに横たわるキョウを見つめていた。
「一先ずは緊張を緩めても良さそうですね。油断は禁物でしょうけど」
「あぁ、これも
輪廻はそう言いながらキョウに枕元に寄り添う小鈴に視線を送った。
「当然のことをしただけよ。元々こう言う時のために私は造られたわけだし」
小鈴は安らかに寝息を立てているキョウの頬を撫ぜながら返答する。
クリスティナがキョウ達の元に辿り着けたのは偶然でも奇跡でも何でもない。
小鈴が異変を察知して念信号をクリスティナに送ったのだ。
「何はともあれ、私を燃やさなくてよかったわね。――髪が伸びる呪いの人形でも役に立つことはあるでしょう?」
小鈴のありったけの皮肉に、二人はただ苦い顔をするしかできなかった。
「山は越えたみたいだし、私はそろそろ
「ですがまだ話は――」
「いやいい、クリスティナ。それを聞くにはもっと相応しいやつがここに居る」
小鈴は輪廻の言葉に、不審な目を向ける。
だがすぐに気にしても仕方がないとでも言うように、のそのそとキョウの胸ポケットへと戻っていった。
「相応しい人物? それはいったい……」
「出てこいよ、マキナ。話がある」
「マキナ?」
疑問を浮かべるクリスティナを余所に、輪廻はチリひとつ落ちていないきれいな床に視線を向けた。
釣られるようにクリスティナもそちらに視線を向ける。
しかしそこにはそれらしきものは何も存在せず、強いて言うのであれば室内灯によって作り出されたベッドの影が広がっているだけだった。
「何もありませんが――」
そう言いながらクリスティナが輪廻に振り返ろうとした瞬間。
さざ波の様に影が波打ち始める。
そしてその波の中心から鋼色の何かが現れ始めた。
「なっ?! 輪廻、これは……と言うよりヒト?!」
クリスティナが驚いているうちに人の頭頂部が現れ、次に顔、首、上半身と言った形であっという間に何者かが出現を終えていた。
「こいつがマキナだ。詳しい事情は省略するが、キョウを守護している妖魔なんだが――」
「?」
苦々しい顔で視線を向けてくる輪廻に対して、マキナと呼ばれた少女は首を傾げる。
その風貌は10にも満たない様な幼さ。
先程の登場シーンを見ていなければ、幼子を叱っている情景にしか見えないだろう。
「マキナてめぇ、何で親友を助けなかった?! あと一歩で死ぬところだったんだぜ?!」
「その問に関する
鋼色の髪に銀色の瞳を持つ少女は感情の篭もらない声で答えた。
その表情も作り物めいた無機質感があり、まるで人形にでも話しかけているかの様な錯覚を二人に与えている。
「じゃあお前は命令がなければキョウが死んでもかまわないというのか?!」
掴みかからん勢いの輪廻に、マキナは不思議そうな表情を浮かべ瞬きする。
まるで言葉の意味が理解できないような、そんな表情だ。
事実マキナと初対面のクリスティナはそう思わざる負えなかった。
そしてその推測は間違いではない。
目の前の存在は善も悪もなく、端末に打ち込まれた命令を実行するだけの機械なのだから。
「マスターは死なない。現に今回も何事もなかった。それが証拠と回答」
「その何かが起きてからじゃ遅いって言ってるんだよ!! それともお前には親友が死なないと断言できる根拠でも搭載されているのか?」
「
マキナの言葉に輪廻は青筋を立てる。
彼女は煽っているわけでも、煙に巻いているわけでもない。
それら全ては本心であり、そも偽るという行為を彼女は知らない。
彼女は本気でキョウを助ける必要はないと思っているのだ。
「オーケー上等だ。今すぐ燃やしてスクラップにしてやるよ。燃えないごみだけど、無理やり燃えるごみに出してやる」
「り、輪廻、落ち着いてください。命令がないと言うのであれば追加すればいいのです」
「……なるほど、冴えているなクリスティナ」
輪廻は指先に灯した炎を一度納める。
そして首を傾けているマキナを正面から見据えた。
「マキナ、改めて命令する。今後キョウの命に危険が迫れば助けろ」
「
真剣な表情の輪廻に対して、マキナは相変わらずの無機質な表情のまま返答した。
それにより何かがぷつりと切れる音がする。
言うまでもなく輪廻の堪忍袋の緒が切れる音だ。
「……クリスティナ、やっぱこれゴミだ。燃やそう、複雑ゴミだけど中身は単純だから燃やそう」
「お、落ち着いてください輪廻」
今にも襲いかからんとする輪廻を、クリスティナは羽交い締めにする。
そんな二人の光景を不思議そうに眺めながら、マキナはポツリと呟く。
「
「燃やす……絶対燃やす」
ICUに爆炎が巻き起こりそうになる中、マキナはじっと自分の主人の寝顔を眺めるのであった。
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