第134話「来訪者」
「ふぅ、大方治ったわね」
キョウと決闘した次の日の夕方。
唯羅は装甲戦機内で安堵の溜息を吐く。
機内と言っても一般の操縦席をイメージする様な場所は存在せず、人一人が漸く入れる程度の空間に収まっているに過ぎない。
『無茶ばかりするからだろう。特に先程の決闘はあれ以上続けていればキミもどうなっていたかわからなかった』
「煩いわね、そんな事わかっているわよ。でもしょうがないじゃ無い」
唯羅は視覚に接続されたモニターで自己のバイタルをチェックしながら、憤慨する。
装甲戦機には搭乗者を治癒する術式等も備わっている。
装甲戦機と相対した者、或いはその恐ろしさを知っている者がまず狙う事。
それは搭乗者殺しである。
高機動、妖気吸収、自己修復機能を持つ装甲戦機を正面から倒すとなると、非常に面倒な事この上ない。
対する退魔師本人は術式などを加味し、どう甘く見繕っても大妖クラス未満の耐久力。
狙う対象は一目瞭然であり、それ故搭乗者殺しは最も合理的な手段である。
当然その対策も行われていない訳は無く、治癒の術式はその対策の一環であった。
「強かったんだもん、キョウさん。あんなの見せられたら本気で挑みたくなるでしょ?」
『その結果がアレか。まあ過ぎてしまったことをとやかく言っても仕方がないな』
カグツチは彼の敬称が戻っている事には触れず、そっと溜め息を吐いた。
唯羅の心中は単純なようでいて、その実複雑だ。
異性の退魔師に対する無自覚な恋慕の念。
そして白鴉に対する悲しみと憎しみの念。
そう言った愛憎入り混じった複雑な想いを抱いているのだ。
故にその行動原理も彼女自身自覚できていない領域で影響している。
『これからどうするつもりだ。再び決闘などと言うつもりはないだろうね』
カグツチは少し心配そうな口ぶりで尋ねる。
冗談めかしてはいるが、十分あり得るのが怖いからだろう。
だが唯羅はカグツチの心配を他所にあっさりと答える。
「流石に私もそこまで馬鹿ではないわよ。まずはキョウさんの容態を見て、それからね。外の病院に搬送されたとか、ありえる?」
『搬送したところでどうにもならないだろう。アレを癒せるとしたら妖魔の能力を借りるしかない。何よりこの学園には不死鳥が居る。彼と懇意にしているというのであれば、その能力を使わない理由はないだろう』
「つまりは輪廻様の元にキョウさんは居るわけね。ついでにさっきの麒麟も居るかもしれないけど……」
唯羅は先程の光景を思い出し、げんなりとする。
神獣麒麟。
神の格で言えば鳳凰と並ぶ存在だ。
温厚でめったに怒る事のない穏和な妖魔であるが、その分怒った時の様子は壮絶の一言に尽きる。
唯羅はその怒りの一端に触れたのだ。
刻まれた恐怖は
とは言えそんな事で彼に会うのを止めるかと言えばそれは否だ。
その程度で折れるほど彼女の想いは軽くない。
『行くのだろう唯羅?』
「えぇ、勿論よ」
唯羅は装甲戦機を繰り、学園の保健室付近へと駆ける。
休日の校内には人影は見当たらなく、誰とも遭遇する事なく唯羅は目的地に辿り着いた。
「キョウさんの生体反応は……っと」
唯羅は装甲戦機に搭載された探査機能で予めキョウの場所を調べる。
するととある一室に存在するのを確認した。
「ここね、行くわよカグツチ」
唯羅は装甲戦機を解除すると、返事も待たずに保健室へと向かう。
閑散とした下駄箱を抜け、無人の廊下を走り抜ける。
逸る想いを抑えきれない乙女そのものだと、カグツチは思うが口に出す事はなかった。
唯羅は乱暴に保健室の扉を開け、その中にあるICUへと飛び込もうとした。
だがICUに入る直前、湧き上がる炎によって遮られる。
「――っ?!」
「ここに何の用だっていうより、よく顔を出せたな。
「輪廻様……」
湧き上がる炎の壁から輪廻が姿を現す。
口調こそ軽い平常通りの感じではあるが、その目は明らかに唯羅達を敵視している。
唯羅は輪廻の視線にバツが悪そうに視線を逸らすが、意を決したように口を開く。
「輪廻様、その……キョウの容態はどうですか?」
「今は安定している。余計な異物さえ入らなければね」
「そう、ですか。あの……面会とかは」
唯羅の言葉に輪廻は苛立たしげに頭を掻く。
それもそのはずである。
何せ自分の親友をこんな場所に入れる原因となった相手が来ているのだ。
素直に歓迎など出来るはずがない。
寧ろ普段の溺愛っぷりを考えると、攻撃しないだけ良心的と言うべきだろう。
「あのさぁ、状況わかってる? お前らが居ると治るものも治らなくなるんだよ」
「お願いします。どうか一目だけでも」
唯羅は深く頭を下げて平身低頭頼み込む。
輪廻は口をヘの字に曲げて見ているが、何時まで経っても唯羅が頭を上げない為やがて根負けして溜め息を吐いた。
輪廻も彼女が悪いのではない事くらい初めから知っているのだ。
悪態の一つや二つは仕方ないとしても、力尽くで排除するほどの恨みではない。
それらの要素と彼女の境遇が掛け合わさり、輪廻は普段と比べれば激甘と言える対応になっていた。
「……わかった、わかったから頭を上げろ」
「では――」
「だけど、
輪廻はカグツチを睨みながら言う。
何が原因かと言えば、この神剣が一番の原因だろう。
唯羅はまだしも、それを看過する事は輪廻にとって不可能であった。
「カグツチ……」
『初めから分かっていた事だ。問題ない』
唯羅はカグツチの言葉に頷くと、おずおずと輪廻に刀を渡す。
輪廻は触りたくなさそうな顔をしながらも、ひったくるように取ると抱き寄せるように抱える。
その瞬間、輪廻の体から焔が巻き上がり、刀剣ごと自身を炎の中に閉じ込めた。
自身の妖気でカグツチを押さえ込むつもりなのだろう。
『不死鳥の抱擁……成る程、悪くないな』
「いや抱擁じゃないし。と言うか気色悪いことそれ以上言うとマジで叩き折るぞクソ剣」
輪廻は触るもの全てを燃やす神剣に触れながら、平然と吐き捨てる。
神威の焔を相殺して余りある再生能力がそれを可能としているのだ。
そんな二人の会話を後にしながら唯羅はキョウの元へと向かう。
「キョウさん?」
起こさないように、声を潜めながら唯羅はゆっくりとベッドに近づく。
その先には見覚えのあるシルエットが呼吸に合わせて布団を上下させていた。
唯羅はその様子にホッとしながら、静かにその顔を覗き込む。
だが――。
「――――え?」
視界に映る人物に唯羅は戸惑う。
何故なら其処には想定外の人物が寝ていたのだから。
「何で……いったい――――?」
困惑と拒絶を孕んだ声が、誰にも聞かれる事無くICU内に吸い込まれて消えるのであった。
†
「もしもし? 僕僕、うん、目的地に到達した」
『――――――』
「え? 障害? あぁ、あのスフィンクスのこと? それならもう排除したよ」
『――――――』
「うん、余裕だった。わかってはいたけどね。うん、大丈夫殺してないよ。まだ利用価値はあるし、いつも通り処置したよ」
『――――――』
「それよりさ、さっきキメラを見たよ。いや、悪魔が人間たぶらかせて作らせた人工の奴じゃなくて天然物? この国では鵺って呼ばれてるんだっけ?」
『――――――』
「へー、あれ退魔師なんだ。じゃああれも計画のターゲットにするね。うん、おけおけ、ちゃんと計画通り実行しとく。不安? あはは、一応僕、ウロボロスの幹部なんだけど信頼ないなあ」
『――――――』
「それじゃあ切るね、ヨルムンガンド様。無間の龍に栄光あれ」
齢10にも満たない風貌の子供が呪具を操作し、通話を切る。
ボーイッシュに短く切りそろえた髪と中性的な声により、その子供の性別を推し量る事はできない。
いやそれどころか風貌と体格ですら、見ているうちにボヤケてしまいそうになるほど存在が希薄なのだ。
例えるなら蜃気楼の様な存在とでも言うべきか。
その子供を言い表すのであれば、その表現が最も的確だろう。
「さてさて~、狩りの時間の始まりだ。待っててね
三ヶ月の様に口を歪めながら、その子供は高らかに笑う。
舞台は静かに、着実に整いつつあった。
そして同時刻――。
「――さあ、久方ぶりの我が母校だ」
艶のあるピンクの髪を振り払いながら、その少女は校舎を見上げる。
期間にしてみると、一ヶ月と少しといったところ。
久方ぶりと言うには少し短い時間だが、その様な表現を用いりたくなるほど彼女が過ごした一ヶ月は濃密で濃厚だったのだ。
「ここに貴女の意中の方が居られるのですね。楽しみですわ」
少女の肩辺りから透き通る様な声が響く。
辺りには少女以外の姿は見えず気配はないが、確かに声はそこから聞こえてくるのだ。
少女は特に不思議がる事無く、その声に反応する。
「しかし良かったのですか? 私の我が儘に付き合わせたあげく、こんなところにまで同行してもらって」
「構いませんわ。可愛い私の
声の主はそこで一度言葉を切り、微かに微笑む。
姿は見えずとも、その声音には上品と清楚さが滲み出ていた。
「サキュバスである貴女にあれだけの覚悟を抱かせたのですから、その姿を一目見ようと思うのは
「はい、それだけ価値がある人なのです。この生命を捧げてもかまわないと思えるほどに……」
「まあ情熱的ですね。これはますます楽しみになってきました」
声の主は本当に楽しそうな声色を響かせた。
目を瞑ればその場に無垢な少女が存在しているかの様な錯覚にさえ陥りそうになる。
それだけその声の主の存在感は絶大であり、それと同時に聞くもの全てを平伏させる魔力を秘めていた。
「期待していてください、アステリシア様。夢魔の王たる貴方に、貴重な時間を割く価値があったと必ず言わせてみせましょう」
「ふふ、期待していますね。私もこの封印が完了し次第そちらに現界致しますから」
曙学園を巡る厄災の歯車は静かに回り始める。
不快な不協和音を響かせ、舞台装置を駆動させていく。
破滅の舞台を整える為に。
演者が揃いきるまで、或いは果てるまで、錆びついた歯車は回り続ける。
舞台の終幕を願い続けて。
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