第144話「アカシャの龍」

 ――ソレが顕現する。


 ズレた世界の歪みから、空間を引き裂き現れ出る。

 今この場に立っているアステリシアは世界でもトップクラスの妖魔だ。

 神格・能力・肉体どれも最高クラスであり、且つ夢の中という条件であれば最高神ですら手は出せないだろう。

 だと言うのに――。


「――――ぁ」


 アステリシアの後ろに居たシルヴィアがまず呑まれた。

 その龍神の放つ異様な気配に。

 体が先に理解してしまったのだ。

 己が敵対している相手が、この世を構築する世界其の物である事を。

 勝てる勝てないではなく、

 目の前の存在は詰まる所そう言う次元の存在であった。


「意識を強く保つのです、ルヴィ。のですから。完全に呑まれれば魂ごと消滅させられますよ」


 透明の龍がぐるりとキョウを抱く様に顕現する。

 その体はアステリシアの言葉通り、未だ不完全でありながらも桁違いの神格を有していた。

 視線を浴びるだけで虚空へと消滅させられそうな滅びの波動。

 いや、

 アステリシアが居なければシルヴィアの存在は疾うに消し飛んでいただろう。

 滅びの波動を浴びながらアステリシアは退く事なく視線を返す。

 今、彼女は全能力を駆使し、滅殺の波動を逸らし続けていた。


「駄目だよ『 』。僕ならいくらでも相手をしてあげるから。ね?」


 名前の部分だけ切り取られたかの様に音が消えながらも、キョウは龍神に懇願する。

 だが龍神は聞こえていないのか、じっと侵入者を睨み続けていた。


「やはりあなたが原因の様ですね、『アカシャの龍』」


 妖気を槍に込めながらアステリシアは呟く。

 色欲の大罪を具現せしその神槍は、文字通り総ての事象を魅了し支配できる。

 時は彼女の美しさに惚れて停止し、光は彼女の美しさを輝かせる為のスポットライトに過ぎない。

 異能力も空間も気も重力もこの槍の前では全て膝を折り、虜となるしかない。

 故にアステリシアはこの階層に入った瞬間から、このをコントロール下に置こうとし続けていた。

 だが――。


「――――」


 アステリシアの全力を以ってなお、目の前の龍神は揺らがない。

 まるで魅了の支配が届く前に空間ごと握り潰されているかの如く。

 小細工など無意味と言わんばかりに頂点の龍神は君臨し続ける。

 アステリシアがいきなり本気になったのも当然だろう。

 色を冠する純化の龍神スプレマシーカラーズに勝てる見込みは、彼女がどれほど甘く見積もっても五分が精々である。

 いや、精々だったと言うべきだろうか。


 ――……これは流石に予想外過ぎます。


 アステリシアは計算結果を修正する。

 だがその計算すらまだ甘い。

 ここは彼の無意識領域の深層。

 侵入者に対する備えがコレだけなど有り得ないのだ。


『ォ――――ッ!!!!』


 アステリシアが龍神と対峙していると、獣の唸り声が響き渡る。

 そして彼女の周りに次々とランクSの神格が降臨していった。


「っ?! 神ランクの妖魔が一つ上の階層では見当たらないと思っていましたが、ここに全て居たのですね」


 目の前の龍神だけでも手に負えない状況で、Sランクの妖魔に囲まれる事態。

 それら総てが異物であるアステリシアに対して敵意を向けている。

 如何に魔王の一角であるアステリシアと言えども、至難と言わざる負えないだろう。


「みんな止めてください。この人達は悪い人達じゃないんです」


 キョウは神クラスの妖魔に訴えかけるが、誰も耳を貸そうとしない。

 まるで彼の声が聞こえていないかの様な、徹底した無視である。

 そも侵入者に対する敵意でその瞳は染まりきっており、話し合いで止まる事がないのは明白だった。

 アステリシアは目を細めると、冷静に判断を下す。


「…………ルヴィ、このマントを持って先に戻っていてください。最早ここは貴方の力で左右される状況ではなくなってしまいました」

「ですが――」

「ここは私がなんとかします。ですから貴方はこの情報を外にいるあの人に伝えてください。情報があればチャンスはまた生まれますから」


 アステリシアは我が子を見る母の様に微笑むと、そっとシルヴィアの体にマントを纏わせる。

 その瞬間、シルヴィアの背後の空間がねじれて彼女を飲み込んでいった。


「待ってください、アステリシア様。私は――」


 シルヴィアは咄嗟に手を伸ばすが、その手は何一つ掴む事なく空間に呑まれていく。

 彼女のその瞳に写った最後の光景は、小さく手を振り返すアステリシアの姿だけであった。


「アカシャの龍に加えて、永劫不滅の魔神鳥、死を司る神、大神に見捨てられし水神、親殺しの天津神、荒れすさぶ神、と。よくもまあこんなにも集めたものですね」


 空間の狭間に消えていったシルヴィアから視線を戻すと、アステリシアは頬に手を当て、悩ましげに溜め息を吐く。

 その辺りには今にも妖気を爆発させそうなほど高ぶっている神々。

 絶体絶命、火急の事態であるというのにその瞳に陰りはない。


「――――さて、この場合どんなセリフを言えば死亡フラグにならないのでしょうね」


 アステリシアが可愛らしい口調でウィンクすると同時に、妖魔達は攻撃を開始するのであった。



 †



「くそっ――」


 シルヴィアは苛立たしげに壁に拳を叩きつける。

 怒りを物にぶつけるなど、彼女にしては珍しい行動だろう。

 それだけ先程の状況が彼女に与えた負荷が大きいのだろう。


「このまま何もかも見捨てて帰れと? 冗談ではない!! 冗談ではない、が……」


 一つ前の階層である、屋敷の廊下でシルヴィアはギリッと奥歯を噛む。

 感情に任せて彼女の元に戻ったところで、折角のアステリシアが用意したチャンスを不意にするだけだ。

 かと言って言葉通り現実に帰れば彼女の命がどうなるかはわからない。

 そもそもこの情報をただ持ち帰ったとして、彼女無しでどう対策しろというのだろうか。

 夢の世界では無敵である色欲の魔王ですらどうにも出来なかったのだ。

 彼女以上の能力を持つ相手を見つけようとすること自体がナンセンスと言えるだろう。

 それこそ他の魔王全員や、最高神クラスの妖魔が複数体必要となる。


「無理だ。この方向を攻めるのは机上の空論にもならない」


 がりがりと頭を乱暴に掻きながら、シルヴィアは思考を止めない。

 今のシルヴィアに一つ下の階層に居る二人を救う手段はない。

 かと言って戻って準備するには時間が足りなさすぎる。

 現実と夢とでは時間の流れが違うのだ。

 一度戻れば、どれほどの時間が経過するのか予測すら出来ない。


「何か……何か他にはないか?!」


 血肉と骨が消えた廊下をシルヴィアは見回す。

 廊下には骨董品である壺や、抽象的な絵が飾られているだけで別段何もない。

 その置物ですらしっかり見ようとすれば輪郭がぼやけてしまう。

 恐らくはこの世界の主であるキョウが置物に全く興味が無い為だろう。

 シルヴィアは視線をそのままスライドさせ、3つ並んだ部屋に向けた。


「右か、左か……」


 真ん中にあるキョウの部屋を潜れば先程の階層に降りていく事になる。

 と、すれば選択肢は二つになるわけだ。


「こちらにするか」


 シルヴィアは自分から見て左の部屋を選択する。

 何故だかわからないが、予感がしたのだ。

 扉を開け、室内に入るシルヴィア。

 映る景色は多くの物が整理整頓されずに、散らばる部屋であった。

 帰宅の際に投げ捨てられたであろう外套、何処かで買ってきてそのまま置かれたままの土産物。

 そのどれもがほぼ新品同然で置かれており、全く使われなかった様が見て取れる。

 種別もざっくばらんで、鏡台の存在と女物の服、小物類がなければ男女の区別すらつきそうにない有様だ。


「…………」


 何か使えるものはないかと、シルヴィアは辺りを物色しようとする。

 すると――。


「――おや、緊急事態とは言え空き巣の真似事は関心しないねぇ」

「っ?!」


 突如聞こえてきた声に反応し、シルヴィアは視線を送る。

 そこには初めからそこに居たような自然さで、曙学園理事長であるきよが座っていた。


「きよ理事長……と言うことはやはりここは――」

「察しの通りだよ。厳密に言えば現実の私の部屋を、記憶で再現した部屋……と言ったほうが正しいがね」


 堂に入った座り方で、きよはシルヴィアを出迎える。

 その風貌からは、まるでこの深層心理の主の様な錯覚さえ見えてきた。

 キョウの深層心理である以上、そんなことはあり得るはずがないのだが。

 気の迷いだと首を振り、シルヴィアはきよに話しかける。


「どうしてここに? いやそれよりも私は――」

「あぁ、皆まで言わなくてもわかっているよ。私はお前がする選択の意味を説明するために姿を見せたのだから」

「選択の意味? 彼を助ける選択肢を提示してくれるわけではないのか? いや貴方ならそもそも助けることも可能なはずだ」


 シルヴィアは半ば確信を持って訴える。

 少なくともキョウの事に関しては目の前の存在は、他の誰よりも知っているのは確かだろう。

 そんなシルヴィアの言葉に何を思ったのか、きよはくつくつと笑う。


「現実の私が何を吹き込んだのか知らないが、ここに居る私は言わば防衛システム……つまりは心の壁が生み出した白血球のようなものでしかない。現実で少し手を加えたので独立して行動できるようにはなっているが、基本的な役割はそう変わらないのだよ」

「つまり、助けることは出来ないと?」

「結論を言ってしまえばそうだ。この私に出来ることと言えば、今の状況を説明することとお前に選択肢を提示させるくらいしか出来ない」


 椅子に深く身を預けながら、きよは楽しげにシルヴィアを観察する。

 どう見てもこの状況を楽しんでいるようにしか見えないが、シルヴィアは大して気にせず話をすすめた。


「ではその選択肢とやらを提示してくれ。どうすれば龍神アレに勝てる? いや勝てなくても良い、出し抜くことさえ出来れば……」

「先に言っておくが、仮に現実の私がこの場にいようと龍神アレからキョウを助けるのは無理な話と言うものだ」

「なっ?!」


 薄々感づいていたとは言え、シルヴィアは驚愕する。

 そんなシルヴィアの様子を、笑って見つめながらきよは補足した。


「アレは強さというよりは立っている次元が一つズレた存在なのだよ。だからアレに勝とうとするのであればこちらも同じ次元にズレるしかない。――有り体に言えば、『証』がいる。主人たる証がね」

「その証とやらはどこにある?」

「此処にはないことは確かだね。ソレは現実で、然るべき時に、然るべき相手に送られる。主たる証を立てた相手に、ね」

「くっ――」


 落胆を隠せないシルヴィア。

 それもそのはずだ。

 深層心理では手に入れることができない『証』がなければ、倒すことが出来ないと言われたのだ。

 それは即ち今この場で龍神の討伐は不可能である事を意味する。

 そんなシルヴィアの様を見ながらきよは目を細め、薄く笑う。


「諦めるのは自由だが、これでもまだ前に進む意思があるというのであれば、まずお前は知るべきだ。キョウの境遇、龍神アレの実力、あの場所はどういう意味なのか。己の目で確かめて見て漸くお前はスタートラインに立つことが出来る」


 何故なら此処は心の中だから。

 ときよは付け加える。

 望む事、起こる事全ては夢の主であるキョウの精神に起因する出来事であり、言ってしまえば目覚めない事自体が自業自得でしかないのだ。


「では、私達を排除しようとしたのも彼の精神がそう願ったからだというのか?!」

「いや、そうではない。お前もわかっているのだろうが、此処にいる妖魔達は私と同じくNPCでありながらも自己を持っている。つまり、キョウが『こういう事もするかもしれないな』と思う範疇であればなんでも出来るのだよ」


 今の私のようにな、ときよはニヤリと笑った。

 それはシルヴィアの推測通りで、キョウが作り出した存在である妖魔達が彼の言うことをあまり聞かないのも、全ては『キョウを護るため』と言う目的で行動しているからだ。


 ――その法則はあの龍神にも適用されているはずなのだが……。


 と、シルヴィアが思考を巡らせている最中に、きよは爆弾でも投下するような顔で口を開いた。


「それでここからが本題だ。お前はキョウを必死に助けようとしているが、残念ながらそんな必要は全く無いのだよ」

「――――」


 きよの言葉を全く理解できず、シルヴィアは固まる。

 それもそのはずだ。

 その言葉が確かであれば、シルヴィア達の行動は全くの無意味だったと言う事になる。

 いや、そもそも何のために頭を悩ませていたのかすらわからなくなってしまう。


「そう、無意味だ。こんなことをしなくてもあの子は自分で目覚め、自分で起き上がる。だがそれを伝えたところで納得はできないのだろう?」

「――当然だ。あんな光景を見せられてどうして納得ができる」

「だから私は説明するために来たのだよ。選択するのはその後という訳だ」

「…………聞こう」


 何でも知っている風に見えるきよの顔に、シルヴィアは少し殺意に似た感情を懐きつつもそれだけをなんとか口にする。

 ここで怒ったところで何一つ事態が好転したい事は、シルヴィアもよくわかっているのだ。


「まずはキョウの現状について。あの子が今も起床できずに眠り続けているのは知っての通り、内在するランクSの妖魔達の所為だ。あれらは基本的にキョウの深層で眠り、揺蕩っている存在なのだが、今回のように異変があると目覚めてしまう」

「そもそもの質問なんだが、何故ランクSの妖魔は他と分別されているんだ?」

「良い質問だ。本来退魔師のキョウの力に、妖魔を住み分けさせる、等という機能はない。取り込んだ妖気は血肉に溶かし、己の体に復元するのがあの子の一族の力だ」


 ちゃんとした説明を聞いたのはこれが初めてだったが、シルヴィアは深層心理での経験もあって、すんなりとその言葉を飲み込む。


「しかし、Sランクの妖魔というものはどれも規格外の妖気を持っていてね。一体肉体に再現するだけでかなりの量のリソースを取ってしまうのだよ。それ自体は寧ろプラスでしかないのだが、あの子は一つ厄介極まる体質を持っていてね」

「自壊自傷体質か」


 シルヴィアはキョウ本人から聞いた話を思い出す。

 きよは話が早い事に満足するかの様に、笑いながらウインクする。


「あの子はフェニックスの能力がなければ生きる事さえ儘ならない存在だ。あぁ、Sランク妖魔の体にも自己再生能力程度は備わっているだろうが、フェニックスが持つ能力に比べればそんな物無きに等しいレベルに過ぎない。寧ろ規格外の妖気とリソースが相まって、フェニックスの能力範囲が薄れ逆にダメージを負ってしまう事態となる」

「だからこそ、不死鳥以外のSランク妖魔は外に出す訳にはいかない、という訳か」


 シルヴィアの言葉にゆっくりと頷いてみせるきよ。

 その瞳はどこか遠くを見ている様に虚ろで、何者も写しては居なかった。

 だがそれも一瞬の事、きよは何でもなかったかの様に言葉を続ける。


「それ故にあの子はあの場所でSランクの妖魔を留め続けなければならない。しかし、先に脱出を果たした一例が出てしまった」

「火之迦具土か」

「そうだ。それを見た他のSランク妖魔はこう思ったわけだ。『』とな。その結果あの子は全力で能力を行使する為に自分の意識と退魔師の力を眠らせ、ああして妖魔達をのだよ」


 きよの言葉にシルヴィアは軽く混乱する。

 何故ならシルヴィアの主観で見た光景は、キョウを閉じ込めているのが妖魔達であり、それ故目覚める事が出来ないようにしか見えなかったからだ。

 だが、きよの言葉が正しいとなればその実それは逆となる。

 妖魔達を閉じ込めているのは彼自身であり、妖魔達は外に出たいだけなのだから。


「時間が経てばSランク妖魔も再び眠りにつく。それを知った上でお前にできる選択肢は二つだ。このままあの魔王を連れて帰るか、それとも――」


 きよはある選択肢を突きつけると、にやりと意地悪く笑うのであった。

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