第40話「ボッチに魅了は危ない」
「行くぞ――――ッ!!!!」
裂帛の気合と共に、シルヴィアさんの腕から豪速球が放たれた。
筋肉質には全然見えないその細腕からは、想像できないほどの速度である。
恐らくカルビさんやセアさんに全く劣ってはいないだろう。
そんなシルヴィアさんが狙った先は、カルビさんだった。
「わ、私~~?!」
一瞬戸惑いながらも、カルビさんはその大きな胸をクッション代わりに包み込むように受け止める。
威力は申し分ないレベルだった。
だが何の策もなく真正面から投げるだけでは、カルビさんを数歩後退させることしか出来ないのも当然だろう。
「痛ったぁ~~い。うぅ、赤く腫れてたらどうしよぅ」
カルビさんは涙目に自分の胸を擦る。
しかしダメージを受けた様子はあまりなく、ただボールを奪い返されたという事実だけが残った。
僕は再びボールを奪われた状況に落胆する。
もう僕とシルヴィアさんしか残っていないのだ。
この状況が続けば僕らの敗北は必至である。
「フフ、そうでなくてはな。ますます気合が入るというもの」
対するシルヴィアさんは受け止められたというのに、全然堪えていない。
それどころか寧ろ、爛々に目を輝かせてやる気が漲っている様子。
「もぅもぅ、カル怒ったんだからね~~っ!!」
ボールを持っていない方の手をブンブンと振りながら、カルビさんは投球のフォームに入る。
可愛らしい声音とは裏腹な荒々しい闘牛のような振りかぶりに、僕は身構える。
「てぇい――――っ!!」
気の抜けるような声とともに、豪速球がシルヴィアさんの元へ迫る。
しかし、シルヴィアさんは余裕の笑みを浮かべたまま。
いや、それどころかボールに向かって前進し始めたのだ。
「え? シルヴィアさんっ?!」
驚く僕をよそに、シルヴィアさんは迫り来るボールに向かい手を差し伸べた。
その瞳には恐怖や不安は一切写っていない。
あるのは絶対に取る、と言う強い意志だけ。
どこまでも強く気高く真っ直ぐにボールを見つめているのだ。
「そう驚かないでくれないか。コレはキミが決闘で見せてくれた事の真似事だ。尤も、私にあそこまでの力はないので別の物で補う必要があるが――」
僕はシルヴィアさんの言葉に目を細める。
シルヴィアさんが言った意味を見極めるために。
「…………」
シルヴィアさんの体から妖気が膨れ上がると同時に、意思を持つかのように両手両足に流れていく。
どこまでも淀みなく、清流を思い浮かべるほど流麗に。
僕は思わずその光景に心奪われてしまう。
――あぁ、なんて見事なのだろう、と。
気は体を動かすエネルギー源だ。
それが両手足に集中すれば、その部位の能力が向上する。
無論多ければ多いほど向上するが、ただ集めればいいというわけではない。
筋肉量が必ずしもパンチ力に繋がる訳ではないように、適切に気を集めなければ無駄が生じてしまうのだ。
言葉にすれば知識面での技量と思うかもしれない。
しかしそれは勘違いである。
皆が皆、気を自在に操れる訳ではなく、ましてやこれはリアルタイム動かし続ける必要がある技術だ。
即ち知識ではなく直感的なセンスが何よりも要求される。
シルヴィアさんはその才能が頭抜けているのだ。
「――っ!!」
迫り来る剛球は威力・速度共に簡単に取れるボールではない。
だというのにシルヴィアさんはまるで水面に浮かぶボールの様に、極々あっさりとそれを掬い上げてしまう。
恐らくキャッチする衝撃に合わせて妖気を流動させ、極限まで反動を抑えたのだろう。
僕は手品のような鮮やかな芸当に、ただただ見惚れるしかなかった。
「一対一の根比べ、と言うのも面白いだろうが時間制限のある以上そうもいかない。故に今回は早急にキミを叩き潰させてもらうっ!!」
ボールを掬い上げた勢いを利用し、シルヴィアさんは身体を反転させながら跳び上がる。
妖気もそれに追従するようにシルヴィアさんの右上半身に集まった。
そしてその勢いのまま、カルビさんへ再び叩きつける。
「きゃ~~~っ!!?」
「カルビさん、アウトでございます」
球威を利用した体の捻りと渾身の振り下ろしによって生まれた、シルヴィアさんの豪速球をその身に受け、カルビさんは吹っ飛ばされて尻餅をつく。
先程と違い、攻撃が帰ってくるまでにタイムラグが殆どなかったのだ。
あの切り返しの早さでは、受け止めることは疎か避けることすら難しかったに違いない。
こちらにウィンクをしてポーズをとるシルヴィアさんに、僕は思わず笑みが溢れた。
「これって先に男子から削らないと、時間切れで負けちゃうんじゃないの?」
ボールはリバウンドし僕らの外野へ。
そのボールを拾いながら、真さんはクリスティナさんに尋ねていた。
僕は真さんの言葉に相手チームの状況を見る。
相手チームの数はあと5人。
人数的には2対5であるが、向こうには男子が4人いる以上点数で言うなら4対13だ。
外野から戻れる人を考慮しても約三倍の差がある。
例え人数を互角に戻せても、向こうの残りが男子二人なら此方の負けなのだ。
真さんが言いたい事はそう言うことだろう。
僕は両手の指を使い、漸く真さんの言葉を理解した。
「ですが、弱い者から狙い撃つのは些か卑怯ではありませんか?」
「でも相手は所詮男子だよ?」
「それはそうなのですが……」
なんだろう、外野では男子の人権が物凄く踏みにじられる会話をしている気がする。
僕はクリスティナさんと真さんに冷たい目で睨まれている相手チームの男子を見ながら、そう思った。
「……殲滅すればいい」
外野の片隅からそんな物騒な声がする。
声のする方に視線を向けると、コートからそれなりに離れた位置にくうが居た。
その姿はどう見ても積極的に参加しようとしている様には見えない。
見えないが、多少苛立っているように感じる。
――もしかしてさっき当てられたことを根に持っているのだろうか。
僕がそんなことを思っていると、相手のコートの男子がアウトになる。
どうやらクリスティナさん達が男子をアウトにしたらしい。
ボールは向こうのものになったけれど、これで2対4だ。
まだまだ点数的には負けているが、十分追い返しが出来る点差だ。
僕は視線をランたんさんの手の中にあるボールに定める。
「ランたんお願い、カルの敵をとってぇ~」
「だからランたんでは無く、ランタだと。……まあいい、
憤慨しながらもランたんさんはボールを構え、そのまま投げるために狙いをつけた。
その体からは妖気が立ち上がり、辺りを覆ってゆく。
――狙いは僕。
その向きから標的は僕であると知る。
僕は前回の事を思い出しながら、警戒する。
『とりっくおあとりーと』
ランたんさんが投げる瞬間能力が発動し、前回同様巨大なカボチャが僕に迫ってくる。
前回は驚いてしまったが、今回は二回目だ。
その能力が幻覚である以上、最早非現実的な光景に騙されなければいいのだ。
僕はそう考えながら構えた。
「巨大なカボチャは幻で、本物のボールは――」
僕は体を横にずらしながら、慎重にボールの位置を探る。
視界いっぱいに迫る巨大なカボチャが邪魔をして、見え辛いがそうも言ってられない。
幸い球威は無いのだから五感を研ぎ澄ませれば取れない道理はない筈だ。
僕は呼吸を整え集中する。
「本命は私か。いいぞ、受けて立とう、私は逃げも隠れもしない」
隣ではシルヴィアさんが何かを感じ取った様子。
その言葉が正しいのであれば、向こうの狙いは僕じゃないのだろうか。
シルヴィアさんが何を感じたのか全然把握できないが、僕は自分の身を守るためにボールの位置を探り続ける。
そしてカボチャと僕がぶつかる刹那。
僕と同じように何らかのモノと対峙するシルヴィアさんが見えた。
――シルヴィアさんも同じようにカボチャが見えているのだろうか。
同時に別々の幻覚を見せられている可能性が高いと考えながらも、僕のやることは変わらない。
本物のボールの位置を探るだけである。
「――――――」
僕の体はすっぽりと巨大なカボチャに覆われる。
幻覚で質量がないというのに、カボチャの内側はしっかりと再現されていた。
それ故に外の様子は見ることが出来ない。
僕は直ぐ様ここから抜け出すかどうか、思案する。
「…………?」
そんな時だった。
僕の耳に何か風をきる音が聞こえたのは。
それもシルヴィアさんの方からではない。
まるで外野を迂回するように何かが飛んでいる。
今の僕には見て確かめることは出来ないが、それが意味することはつまり――。
「――――っ!!」
僕は頭で理解するより先に駆け出す。
状況を完全に把握しているわけではないが、兎も角シルヴィアさんが危ないと悟ったからだ。
『……ロック』
幻影のカボチャから出た瞬間、セアさんの声と共に再びあの能力が発動された光景が映し出される。
対象はシルヴィアさんだ。
――真さん、つき子ちゃん。
先程の苦い光景が僕の脳裏を掠めていく。
僕は大きく足を踏み出し、加速した。
「シルヴィアさんっ!!」
「ふむ、ボールが消えた? とするとこちらも幻か。であれば本命は――――なんっ?!」
僕はタックルするように体ごとシルヴィアさんにぶつかる。
突然のことにシルヴィアさんは戸惑った表情のまま、僕に押し倒される形で地面へと倒れた。
その上を間一髪、ボールが通り抜けていく。
僕はボールが僕らの外野に飛んでいったことを確認すると漸く安堵した。
「ふぅ」
危ないところだった。
もう少しで当たるところ、正に間一髪だ。
僕は何とか避けられたことにほっとする。
それにしても、何だか甘い蜜の匂いがするのは何故だろう。
僕は少しぼんやりとしたまま、自分の置かれている状況を確認しようと、手を動かす。
「ひぃやぁっ?!」
どこか遠くの方で悲鳴のようなものが聞こえた気がする。
どうしたのだろう。
僕は体を持ち上げ、そちらの方を向こうとする。
しかし両手で掴んだものがお餅のように柔らかくて、うまいこと体を持ち上げることが出来ない。
――何なのだろうこれは。
柔らかくて弾力性があって、でもそれでいて崩れなくて、おまけにすべすべで暖かい。
僕はぼーっとした頭のまま、その不思議な物体を触り続ける。
「た、確かにいつでも全ての門を開けているとは言ったが、こ、このタイミングは、す、少し予想外と言うべきか、ひ、一先ず一度落ち着……や、やめ――ッ!?」
「?」
触り続けていると、だんだん掌の中心辺りに硬い芯のような感触が現れ始める。
僕は不思議に思い、それを確認するために掌で押して見る。
「ッ――!!」
すると何かが身悶えするように、ビクリと地面が震える。
地震でも起きたのかなと、思いつつも更に濃くなる花の薫りに僕はどうでも良くなってくる。
頭の片隅で警鐘を鳴らす声がするが、今の僕には届かなかった。
「はぁ……はぁ……み、魅了の所為……か? だが妖魔化してすらいないのに、き、効きすぎて……いる、な。何にせよ、これ……以上そのて、手で、直接触れられるのは、――――ぅっ?!!!」
「………………」
僕はますます硬くなっていく芯を指先で摘んでみる。
僕の下にあるものが先程よりも大きく震える。
一体どう言う仕組みなのだろうか。
僕はその仕組を解き明かそうと、突いたり押し込んだりしてみる。
その度に地面はビクビク震え、更に濃く甘い薫りを放出する。
そしてその突起を捻った瞬間、地面が激しく動くと噴火後のように隆起した。
「ひぃ―――ッ!!!!!」
地面が隆起し、ブリッジ状になった事により、僕は跳ね飛ばされてその場所からごろごろと転げ落ちた。
「痛っ――。あ……れ……?」
突然柔らかい感触から固い地面に投げ出されたことにより、僕は意識を取り戻す。
何故だか夢の様なフワフワした記憶しかないが、あれは一体何だったのだろうか。
僕は髪の毛についた砂を落としながら、辺りを見渡す。
すると――。
「――――――っ」
そこには体を微かに震わせながら、地面に横たわるシルヴィアさんの姿があった。
それも普通の様相ではなく、顔を真っ赤に染めて息も荒い。
服装も乱れており、まるで誰かに乱暴されたかのようだ。
本当に何があったのだろうか。
僕はよくわからないのに、嫌な汗がだらだらと流れ始める。
「――アウトでございます」
そんな時、審判の先生の声が聞こえてくる。
見ると、相手コートの男子が空を飛ぶような勢いで吹っ飛んでいく所だった。
そこで僕は思い出す。
今はドッヂボールの試合中だったのだ、と。
「だ、大丈夫ですか、シルヴィアさん」
僕は相手のコートに視線を送りながらシルヴィアさんの体調を伺う。
相手のコートはいつの間にかランたんさん一人になっており、状況は逆転していた。
一体僕の記憶が飛んでいる間に何があったのだろうと、思わないでもなかったが、今はシルヴィアさんの容態を優先する。
「す、すまない。サキュバスとしてとても情けない話なのだが、こ、この程度で容赦してくれないだろうか。これ以上の快楽を与えられたら、わ、私は壊れてしまう」
シルヴィアさんは顔を真赤にしたまま、いつもの自信に満ち溢れている声とは裏腹のとても弱々しい声でそう告げる。
その眼にはちょっぴり涙が浮かんでおり、縋るような目つきで懇願している。
――あのシルヴィアさんがこの短時間にこんな様相になるとは。
本当に一体何が起きたのだろうか。
僕は周りの人に聞くのが怖くなった。
しかしそう言う訳にも行かないだろう。
僕は本能的に避けていた自分の外野へと視線を向ける。
そしてそれが写った瞬間、後悔した。
「っ――!!」
一人は怒髪天を突くが如く、銀の髪を巻き上げているクリスティナさん。
妖魔化してすらいないのに、その妖気は膨れ上がり続けている。
そしてもう一人は――。
「…………」
淡々と冷徹な目で獲物を仕留めにかかっているくうが居た。
僕は瞬時にその二人から顔を背ける。
本能が言っているのだ、今のあの二人と目を合わせてはダメだ、と。
理由よく分からないが、あの二人の矛先は敵チームではなく僕に向いているのだから。
『と、とりっくおあとりーと』
危機感を覚えたのか、くうがボールを構えると同時にランたんさんは幻覚能力を発動させる。
それに伴いコート上には無数のランたんさんが出現する。
恐らくこの場にいる全員に同じ幻覚を掛けたのだろう。
質感がないとはいえ、見かけはどれも見分けがつかないくらいそっくりである。
「こ、これならば当てることは――」
焦った声を上げる無数のランたんさん。
幾つもの声が重なり一種の合唱状態となっている。
しかし、それを受け尚くうの手に澱みはない。
「――出来ない、と。本気で思っている?」
「――っ?!」
「私にこんな
空気を両断するかのような風切り音と共に、くうの手から弾丸が放たれる。
放たれた
まるでくうには初めから本体が分かっていたかのように、迷うことなく正確にだ。
僕はそんな感想を抱きながら、ランたんさんが吹っ飛んでいく様をただ眺めることしか出来なかった。
「ランタさん、アウトでございます」
「後はあなたを片付ければ、私は漸くキョウさんに辿り着けるわけですね」
最後の一人、セアさんが外野からコートに入る姿を今や遅しと待ち侘びるかのように、クリスティナさんは言う。
その体からは、今までのクリスティナさんからは見たこともないような妖気が放出されている。
僕はその妖気を見ながら、このドッヂボールの結末とその後の僕の命運を悟った。
「……もう遅いかもしれないが、出来ればお手柔らかにお願いしよう」
「――無理ですねっ!!」
轟っと言う音とともに、その日一番の剛球がクリスティナさんの手から放たれた。
僕は手遅れかもしれないが、クリスティナさんを怒らせるのは止めようと心に決めたのであった。
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