第29話「土下座と下着と僕の受難 後編」

 僕の目論見は上手く行っている。

 思いの外ノリノリの朱さんに、少し恐怖を感じるけど概ね問題ない。

 真さんの言った通り、先制して土下座して踏まれることによってだいぶ気勢を削いだようだ。

 しかしまだ油断はできない。


「も、物足りないのであれば、もっと踏んでください――っ!!」


 僕は屈辱的なセリフと口にする。

 自分でも情けないのは分かっている。

 恥ずかしすぎて顔から火が出そうだった。

 でも、暴力を加えられる事を考えれば、この恥辱に耐える価値はある……ような気がする。


「あぁ、いいぜ。望み通り踏んでやるよっ!!」


 先程より強く踏みつけられる。

 心なしか撫ぜるような足つきになっている気がするが、気のせいだろう。

 或いは屈辱を与えるために足で撫ぜているのかもしれない。


「…………っ」


 僕は不動のまま、じっとそれに耐える。

 しかし、何がいけないのだろうか。

 現状朱さんの怒りを鎮める事には成功している。

 でもいつまでも踏まれ続けるというのも嫌だ。

 僕はどうしたものかと考える。


「…………」


 何か状況を打開できるものはないかと、僕は土下座したまま顔を動かし、上目で朱さんを見上げる。

 しかし、この時僕は失念していた。

 朱さんは制服のスカート姿のまま、大きく足を上げて僕を踏んでいることに。

 即ち視線を上げればどうなるかといえば――。


「――――っ!!」


 虎だ、虎柄の下着が見える。

 それも可愛らしいものではなく、野生の虎の毛皮を剥いできたようなワイルドなやつだった。

 僕は慌てて視線を床に戻す。

 しかし網膜にその光景が焼き付いて、目を閉じても虎柄の下着は僕の頭から離れなかった。


「おっ、どうした、何顔を赤くしてんだ?」


 僕の異変をすぐさま察知した朱さんは、ニヤニヤと笑いながら僕の頭を更にグリグリと踏んづけてくる。

 その声は何だかとても嬉しそうだ。

 そんなに僕の頭を踏むのが気持ちいいのだろうか。

 僕は朱さんの嗜虐性に少し悪寒が走る。

 これで下着を盗み見ていたなど言えば、何をされるかわかったものではないからだ。


「な、なんでも……ありません」


 下着が見えていたと言うわけにもいかず、僕は誤魔化す。

 しかしそれが気に食わなかったのか、朱さんは更に足に力を込めた。


「…………っ」


 額が畳の織り目の型が付くくらいに押し付けられ、痛い。

 一応決闘でどの位力が強いのか知っているから、踏み潰そうとか痛めつけようとかそう言うレベルの力の込め方じゃないのは分かっている。

 分かってはいるが、事前に決闘での膂力ほんきを受けているせいで、僕は震えが止まらなくなった。


「何でもないってことないだろ? もっとよく顔を見せてくれよ」


 そんな状況を分かっているのかいないのか、朱さんは僕に顔を見せるように要求してくる。

 それも僕に足を載せたままだ。


「…………」


 僕は無言で首を振る。

 そんな事をすれば間違いなくまた下着が見える。

 僕が見ていることがバレれば、碌でも無い目に合わされるのは火を見るより明らかだ。


「なっ? 恥ずかしがらずに見せてみろ」


 僕の無言をどう取ったのか、朱さんは僕の首を無理やり上に向けようとする。


 ――やめてやめて痛いいたい。


 僕は無言で抵抗するが、朱さんに腕力で叶うはずもなく。

 抵抗むなしく、僕の首は上に向いた。

 ゴキリと音がしたのは気のせいだと思いたい。


「――――っ!!」


 そして再び目に飛び込んでくる虎柄の下着。

 朱さんが大股開きで踏み込んでいるため、先程より大きくよりはっきり見える。

 下着の形状が殆ど布面積のない紐のようなタイプだとか、意外と引き締まって小さいお尻だとか下着の皺だとか、色々とはっきりとだ。

 僕は即座にダメだと思い、視線を横へ向けた。


「ははっ、顔真っ赤じゃねぇか。そんなにこれがいいのか?」


 嬉しそうに朱さんが聞いてくる。

 え? これがいいってなにがだろう?

 先程から見せている、虎柄の下着のことなのだろうか。

 僕は朱さんの言葉の意味を考える。


「…………」


 良いって事は、何かの評価のことだろう。

 そして朱さんは無理やり僕の顔を見上げさせている。

 僕の目には大人な虎柄の紐パンツが視界の隅に写っている。


「――――――!」


 もしかすると朱さんのしたかったことは、僕に下着を見せたかったということなのだろうか。

 それならばこんなに大股開きで、スカートを履いている理由も分かるような気もする。

 大人な紐パンツを見せたがる意味は全然理解できないけれど。


「い、いいと思い……ます。その、あんまり(女性用の下着を見た)経験がないので、言葉に困りますけど……」

「へ、へぇー、そうなのか。だったら、もっと(踏まれる)経験……してみるか?」

「え? い、いやその……少し刺激が強いといいますか、朱さんにわ、悪いですし……」

「遠慮すんな、お、俺で良ければ、いくらでもその……つ、付き合うしよ」


 照れながら、そう言う朱さん。

 そんなに下着を見せたいのだろうか。

 それにしては何だか様子がおかしい気もする。

 漸く僕は会話がずれているような違和感に気づく。


「すみません、えと……何の話でしたっけ?」

「ぶっ、お、俺の口から言わせる気かよ」

「いえその……どこか内容がズレているような気がして……」


 僕の言葉に、朱さんは僕の頭の上から足をおろした。

 それにより下着は見えなくなる。

 僕はホッとすると同時に、どこか寂寥感のようなものを感じずにはいられなかった。


「そりゃあその……、アレだろ? (踏まれて)気持ちいい、的なやつだろ?」

「? (下着を見せて)気持ちいい……のですか?」


 自分で自分の身体を抱きしめ、恥ずかしがる朱さん。

 僕はやはり、朱さんは下着を見せたかったのか、と思った。

 しかし、下着を見せて気持ちよくなるなんて、僕にはよくわからない世界だ。

 僕が不思議そうに首を掲げていると、朱さんは怪訝そうな顔をする。


「え? キョウはアレ気持よくなかったのか?」

「? はい」


 僕は土下座していた身体を起こし、頷く。

 朱さんは何を言っているのだろう。

 確かに下着を見れるのはちょっと嬉しいけれど、気持いいかと言われるとそれは違う気がする。

 でも朱さんは見られて気持ちいい訳だし、ちゃんとじっくりと見ていれば気持ちよくなっていくのだろうか。


「や、やっぱりもっと強くした方がいいのか?」

「??」


 もっと強く?

 さっきから朱さんは何の話をしているのだろう。

 下着を強くしてどうすると言うのだろう。

 僕は再度首を傾げた。


「だ、だから、キョウは強く踏まれたほうが気持ちいいのかって話だよっ!!」

「……………え?」


 朱さんの言葉に、僕は硬直する。

 強く踏まれて気持ちいい? 僕が?

 朱さんは本当に何を言っているのだろう。


「え? じ、じゃあキョウはいったいさっきから何の話を……」

「朱さんこそ、さっきから何を言っているんですか?」


「「………………」」


 僕らはお互い無言で見つめ合う。

 互いに探りあうような目つきで。

 僕らはここで、漸く話が噛み合っていなかったことをはっきりと認識した。


「いいか、一斉にだぞ? 一斉に何の話をしていたのか言うんだからな?」

「は、はい」

「いっせ~の~でっ!!」

「下着の話です」「踏まれて気持ちよくなる話だ」


「「…………………………」」


 僕らは再び無言で見つめ合う。

 お互いに言葉は出ない。


「なあ、キョウ」

「……はい」

「下着ってなんの話だ?」

「えっと、その…………」


 小さい声だけど、凄みのある朱さんの声に僕は震え上がる。

 すっかり忘れてたけど、僕は朱さんに拷問されないために土下座していたんだった。

 そのことを思い出し、僕はブルブル震える。


「はっきり言え、正直に話せば怒らねぇから」

「ほ、本当ですか?」

「俺は嘘がつけねぇ。つけねぇって言うよりは嘘をついてもバレるといったほうが正しいんだが。だからこそ俺の言葉が嘘じゃないとお前が信じれるなら、それは少なくとも俺の中では嘘じゃないってことだ」

「は、はぁ……」


 よく分からないけど、朱さんが嘘じゃないと言うのだから、嘘じゃないんだろう。

 僕は正直に話すことにする。


「その……さっきから朱さんの、虎柄の下着が、見えていて……」

「なっ?!」


 朱さんは顔を赤くすると、反射的にスカートを抑える。

 僕はすごい失礼だけど、朱さんのその仕草がすごく女の子っぽいと思ってしまった。


「あっ、いえ今じゃなくて、その……僕を踏んづけていた時に……」

「じ、じゃあ、さっき顔を赤くしたのも?」

「朱さんの下着が、その……見えたので……」

「って事は、お前、俺の下着を見るために土下座して踏まれてたのかっ?!」


 殴りかかってきそうな勢いの朱さんに、僕は縮み上がる。

 でもでも、コレばかりは僕の名誉のため、殴られても誤解を解かなくてはいけない。


「ち、違いますっ。僕はその……、朱さんに、謝りたくて……」

「謝る? まてまてどう言うことだ?」

「それは……」


 僕は朱さんに一から説明することにする。

 決闘で傷つけてしまったこと、報復が怖かったこと、その為に土下座したこと、などなど。

 話す度に朱さんの顔は無表情になっていき、僕はとても怖かった。


「あ~、なんだ。まず第一に俺はお前のこと一切恨んでねぇから。それだけは断言する。その上で一言言わせてくれ――」


 無表情のまま、恨んでないという朱さん。

 けれどその表情は見ているものを不安にさせるような、どこか鬼気迫るものを感じた。


「――死にたい」


 全身を脱力させ、死人のような虚ろな目で天井を見つめる朱さん。

 誰がどう見ても、色々と大丈夫じゃないだろう。


「はっ……ははっ、気合入れてシャワー浴びて、慣れない化粧して、勝負下着身につけて乗り込んだってのに、コレか。はっ、ザマァねぇな」


 朱さんは小声でブツブツとつぶやき続ける。

 死んだ目で泣き笑うその様は、本当に怖い。

 正直、決闘の時より僕は恐怖を感じている。

 僕の理性と本能が告げているのだ。

 これは本当にやばい、と。


「あ、あの……あまり気落ちしなくても……」

「あ~、数十分前の俺を殺してぇ。イタイ勘違い女に全力で金棒叩きつけてぇ」


 僕の言葉が聞こえていないのか、朱さんはぶつぶつ呟きながら玄関に向かって足を進め始める。

 その足は千鳥足でもこんなにも酷くならないだろうというくらい、力ない足取りで、今に倒れてもおかしくなかった。

 僕は朱さんの様子が心配なのと同時に、この部屋から朱さんが出て行くことに少しホッとした。

 だから、僕は朱さんの次の行動に凍りつくことになる。


「――――――あぁ、そうだな。過去には戻れない。だったら現在いまを変えるしかないよな」


 ガチャンという音とともに、玄関扉に内側から鍵がかかる。

 そして朱さんは素早い動作でチェーンを掛けた。

 そう、朱さんは出ていくために玄関に向かったのではない。

 目撃者を消すために、唯一の退路を潰しに向かったのだ。

 そんな恐ろしげな推測が僕の脳裏をよぎる。


「えっと…………朱さん?」


 背を向けているせいで表情の見えない朱さんに、僕は恐る恐る声をかける。

 先程の推測が間違っていることを祈るしかない。

 だが無情にもその祈りは通じることはなく――。


「これで、悲鳴も叫び声も、外に漏れることはなくなった」

「っ?!」


 幽鬼のように、ゆらりと朱さんが振り返る。

 その表情は死人のように生気を失いながらも、目だけはギラギラと眩しいくらいに光っていた。

 その形相に、僕は思わず悲鳴を上げそうになる。


「えっと、あの、朱さん?」

「なあキョウ。鬼同士でダチになる方法、知ってるか?」


 ゆっくりと、けれど確実に朱さんは僕に向かって足を進めてくる。

 一歩、また一歩と、僕をじわじわと追い詰めるような前進の仕方でだ。

 その行動一つ一つに、僕の中の本能が限界いっぱい警鐘を鳴らしていた。

 もう手遅れかもしれないけれども。


「だち? と、友達のことですか? えっと、その……」


 突然言われて僕は言葉に詰まる。

 そもそも僕は昨日まで友達一人も居なかったのに、友達になる方法なんて分かるわけない。

 あるなら僕が教えて欲しいくらいだ。


「一緒に酒を飲むんだよ、それはもう浴びるほどにな」


 そう言いながら朱さんは腰に付いた紅い瓢箪を掴む。

 その表面には『殺』と言う文字が、でかでかと載っていた。

 どう見ても僕を殺す気だろう。

 そうとしか考えられない文字に、僕は戦慄する。


「さあキョウ、俺達もダチなら一緒に酒を飲もうじゃねぇか。俺は普段は甘いモンが好きなんだが、今日は死ぬほど熱く辛い酒が飲みたい気分なんだ」


 きゅぽんと瓢箪の栓が外されると、辺りに濃密なお酒の匂いが充満してくる。

 とても強く濃く、この匂いを嗅ぐだけで頭がクラクラしそうになる。

 こんなお酒を飲んだら、僕は本当に死ぬかもしれない。

 でも――。


「あ、あの……。本当にお酒を飲んだら、ずっと友達になってくれます、か?」


 迫り来る朱さんは怖いし、お酒の匂いにクラクラするけど、僕は朱さんを精一杯見つめ返し言う。

 怖いことは怖い。

 だけど、これで

 臆病で勇気もなくて、これといった特技もない僕だけれど、友達を作りたいと思う気持ちは嘘じゃない。


「ん? あぁ、いいぜ。コレ全部飲み干せたらお前が死んでもずっとダチでいるさ」

「――っ!!」


 その言葉を聞き、僕は半ば引っ手繰るように紅い瓢箪を掴む。

 間近なった所為で、濃厚な酒気に意識が揺れそうになるけど、僕は逃げない。

 

 ――全部飲み干すんだ、そしてずっと友達になってもらうんだ、覚悟を決めろ。


「よしっ!!」


 朱さんが唖然としている前で、僕は一気に飲み始めた。

 味なんてよくわからない。

 ただ燃える液体でも飲んでいるのじゃないかってくらい、口と喉と食道が熱い。

 気を抜けば噎せて吐き出してしまいそうになる。

 けれど――。


 ――絶対飲み干す、何としても飲み干す、僕は……。


 友達を手に入れる。

 ただその一心で僕は流し込んでいく。

 止まらないし止められない。

 この想いだけは誰にも負けないのだから。


「お、おい、そんな一気に口にすると――」


 やや生気の戻った朱さんの声を耳にしながら、そこで僕の意識は消滅した。

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