第28話「土下座と下着と僕の受難 中編」

「うっし」


 俺は男子寮てきじんの前で気合を入れる。

 戦の準備は万全だ。

 俺は自分の装いをチェックする。


 普段の倍以上の時間を掛けて念入りにシャワーも浴びた。

 普段はすることのない化粧もした。

 そして勝負用の下着も身につけた。


「これでイケるっ!!」


 俺は成功の確信とともに、意気揚々と寮の門をくぐっ――。


「――るわけねぇよ、馬鹿かっ、俺は――っ!!!!」


 俺は自分で自分に突っ込むと、拳を思いっきり壁に叩きつける。

 拳からは巨大な煎餅を殴ったような感触とともに、戦車の砲弾音の様な鈍い音が辺りに響き渡った。

 勿論殴った壁は衝撃で粉々に吹き飛んでいる。


「はぁ……はぁ……」


 何が『イケる』だ。

 我ながら脳味噌いかれてんじゃねぇのか?

 肩で息をしながら俺は自分で自分にツッコミを入れた。


「オーケー、冷静になれ俺。落ち着いて状況を確認しよう」


 俺はキョウの部屋へ行く。

 ここまではいい。

 何か話があるとのことだが、大した用ではないはずだ。


「それが、どうしてこうなるんだよっ!? これじゃあ完全にイタイ勘違い女じゃねぇか――っ!!」


 夜一人暮らしの男の部屋に行くからと、念入りに身体を洗って、化粧もして、勝負下着を身につけて。

 いやそりゃまあ期待してないのか、と言われれば嘘になる。

 でもだからって性急すぎだろ俺。

 俺はあいつの何を知っている?

 あいつは俺の何を知っている?

 年月が全てとは言わないが、出会ってまだ半日も経ってないんだ。

 ガッツいている女とだけは思われたくなかった。


「いやまあ、出会って速攻面殴れとか、結こ……決闘の申し込みとかむちゃくちゃしたが、一応はダチ……なんだし? そういう事も状況次第では有り得ないわけでもないわけで……」


 有り得ないわけでもないということは、つまりあり得るわけで。

 そういう事になってもいいように、準備ぶそうしていくのが女の礼儀であって……。


 ――ん?


 否定するための状況整理のはずが、おかしい。

 知らず知らずのうちにだんだん理論武装が完了していっている。

 俺の思考なのに、俺がそういう事を期待しているようにどんどん誘導されていく。

 

 待て待て。

 いや確かに、キョウの事は好きだぜ?

 まだ二次性徴を終えていない幼くも可愛らしい様相、小動物みたいな母性本能を擽る仕草、その見掛けと仕草に違わない性格。

 そしてその上で鬼である俺すらも圧倒する戦闘力。

 俺の理想と建前が融合した、まさに神が俺の為に遣わした贈り物のような存在だ。


「………………」


 あれ? やっぱり俺の選択間違って無くね?

 体張る価値あるだろコレ。

 寧ろ全力を賭して狩らなければならない事案だろ。

 俺はキョウのことを考え、思い直す。


「ここまで用意して、グダグダ言い訳すんのもあれだしな。いい加減腹決めろ、俺」


 気付けに、俺は腰に下げた赤い瓢箪の中身を呷る。

 燃えるような液体が、喉を通して体に火をつける。

 決闘を挑むチャンスはしばらくなくなっちまったけど、まだ俺にチャンスは有る。

 要はあいつが俺に惚れればいいのだ。

 クリスティナには売り言葉に買い言葉で言ってしまったが、嘘じゃない。


「って、待て待て俺」


 そこまで考えて俺はふと思う。

 キョウは俺の事どう思っているのだろうか、と。

 怖いお姉さん、くらいだろうか?

 正直、羅鬼あいつ経由での出会いなのでいい印象は持っていないことは確かだろう。

 そこで俺はキョウの立場になって、俺がしたことを振り返ってみる。


「面殴らされて、握手させられて、結こ……決闘申し込まれて、決闘で叩き潰されて……」


 あれ? 俺の印象割と最悪じゃね?

 思い返しても碌でもない事しかしてない。

 これで惚れる奴がいたらそいつは変態だろう。


「つか、これ覆して惚れさせるのは、恋愛素人の俺にはハードル高過ぎるだろ。どうすんだよ、俺……」


 俺は頭を抱えたくなった。

 こんなに悩んだのは生まれてこの方初めてかもしれない。


「――――」


 ガチャンという扉が閉まる音で、俺は現実に引き戻される。

 辺りをよくよく確認してみると、ここは男子寮の中で。

 どうやら俺は知らず知らずのうちにキョウの部屋の前に来ていたみたいだ。

 無意識に辿り着くとか、どんだけ俺は会いたがっているんだよ。


「だが、ここまで来た以上逃げるわけにも行かねぇよなぁ」


 己の本能の片鱗に少し恐怖しながらも、覚悟を決める。

 意を決し、扉に備え付けられた呼び鈴を鳴らす。


「は、はーい、ど、どうぞ、開いてます」


 鐘を突いたような音とともに、中からキョウの声が聞こえてくる。

 どうやら鍵はかけていないみたいだ。

 それにしても――。


「訪問者を確認しないのはちょっと不用心すぎるだろ」


 制服の乱れを直しながら、俺はそう独り言ちる。

 もし来たのが危ないやつだったらどうするんだ。

 謝罪したいという理由で中に入り込み、押し倒してくる奴が居ないとも限らないんだぞ?

 そんな事を考えながら俺は扉を開けた。

 そして――。


「………………」


 そこから起きた怒涛の展開に、俺は直前の出来事をすべて虚空の彼方に葬り去ることになった。


「ど、どうも、すみませんでした―――――っ!!!!」

「はぁ?! …………………へっ?!」


 一歩足を踏み入れた室内。

 俺は部屋の様子を観察する前に、スライディング土下座をするキョウに目を奪われる。

 それはもう畳の上をズサーッと、俺の足にぶつかる勢いで飛び込んできたのだ。

 俺が目の前の出来事に面食らっているその内に、キョウはさらなる猛攻を仕掛けてくる。


「そして、僕を踏んでください――――っ!!!!!!!」

「はぁああああ――――っ?!!!!」


 なんだこれは?

 何なんだこれは?

 何が起きている?

 何が起こった?

 どうすればいい?

 俺の脳内を数十では足りない疑問が駆け巡る。


「ちょ、まっ、えっ!? 何っ!? 全然訳が分かんねぇんだけど――っ?!!!」

「その、朱さんの気が済むまで頭をグリグリと……。できればあまり痛くない方向で」


 なに、そう言う趣味なの?

 思えば面殴らせた時も、決闘でも自分から攻撃しようとしなかった。

 あれは暴力が嫌いだからではなく、単純に被虐体質だったから?

 やばい、どうしよ。

 こんななりで誤解しているかもしれないが、俺にS気はない。

 寧ろ俺もそっちののほうがあるくらいだ。

 だが、逆に考えればコレはチャンスと取れる。

 うまいことご褒美を与えれば、俺に惚れてくれるかもしれない。


「…………」


 俺はゴクリと生唾を飲み込む。

 思考は安定しているどころか、混乱に混乱を重ねている。

 恐らく今はあの羅鬼バカより思考が劣るのではないだろうか。


 ――いや、それはないな。


 自分の中に残った僅かばかりの冷静な部分が返答を返す。

 冷静じゃないのは確かだ。

 だが、同時にこれはチャンスなのはわかる。

 上手くだ、キョウが悦ぶよう上手く踏むんだ俺。


「わ、わかった。け、けど勘違いするなよ? これはお前の望んだことだからな?」


 確認を取りながら俺は恐る恐る、そっと頭を撫ぜるような感覚で足をキョウの頭の上に載せる。

 それにより羽毛のようにフワフワなキョウの髪の感触が、靴下を通して伝わってきた。


 ――やばい、何これ、直でめっちゃ触りたい質感なんだけど。


 キョウの頭を踏んづけながら、俺はめちゃくちゃキョウに触りたい衝動に駆られる。

 しかし踏んづけている最中なので、足で我慢することにする。


「…………」


 ゴワゴワと、かなりたどたどしい動きで俺は足でキョウの頭を撫ぜる。

 キョウの反応は生憎ない。

 嬌声なり顔を赤らめるなり反応してくれれば分かりやすいのだが。

 それともこれではダメなのだろうか。

 もっと強くするのは簡単だが、俺の場合力加減を誤りそうで怖い。

 人化の法により減衰しているとはいえ、鬼の力は人間より遥かに強いからだ。

 俺がこのままちょっと足に力を込めれば、普通の人間は潰れた柘榴のようになるだろう。

 キョウに限ってそれは有り得ないだろうが、それでもその見かけを見ると躊躇せざる終えなかった。

 それに――。


「…………うぅ」


 俺は改めてキョウを見る。

 土下座し、頭に足を載せられ、何かを耐えるように少し震えている。

 この状況、どう見ても俺が悪者にしか見えない。

 俺自身、イケないことをしている背徳感がいっぱいだ。

 でも、その背徳感に興奮を覚えるのも否定出来ない自分がいる。


「――ぅっ!!」


 キョウから微かな呻き声のようなものが聞こえる。

 どうやら知らず知らずのうちに力が入っていたらしい。

 少し顔を歪めるキョウ。


「あぁ、悪い悪い」


 それを見ながら、どこか愉しげな声が俺の口から出る。

 どうやら俺は、S気もあったらしい。

 新たな自分を発見しながらも、俺はゆっくりと足を退ける。


「あ、あの……これで満足、してもらえたでしょうか?」


 土下座したまま、キョウは上目遣いに俺を見上げてきた。

 眼にはうっすらと涙を浮かべ、捕食者に相対した小動物の如く震えている。


「満足? おいおい、これはお前が望んだことだろ?」


 カラカラに乾いた喉のまま、俺は無意識のうちに口角を釣り上げた。

 どうしてこんなに嗜虐心が煽られるのだろう。

 普段ならここで『弱い者いじめ』という理性が働くのだろうが、生憎とこいつは強者だ。

 つまりこれは弱い者いじめじゃない。

 寧ろ嫌なら振り払えるはずなのに、こうして何もしないのは虐めてほしいという証左ではないのか。

 そんな考えも頭に過り始める。

 いよいよ頭がやられてきたと自覚しながらも、俺は止まらずゆっくり口を開く。


「なあ、どうしてほしい?」


 俺は見上げてくるキョウの眼を覗きながら、そっと髪を撫でた。

 撫でた髪の感触は思った以上にふわふわで、俺は理性の歯止めが効かなくなっていくのを実感するのであった。

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