第30話「真っ先に酔って眠るといたずらされる」
「お、おい……そんなに一気に飲んだら……」
俺が正気に戻った時、キョウはすでに一気飲みしている最中だった。
それもよりによって紅い瓢箪の酒を、だ。
「~~~~~きゅうぅ」
妙な声を出して、キョウはぶっ倒れる。
無意識に受け身を取っているのは流石だとしか言えないが、それはそれとしてキョウは完全にのびていた。
それもそのはずだろう。
この赤い瓢箪の中身は酒に強い鬼ですら、記憶がぶっ飛ぶような代物だ。
それを一気飲みしようとすれば倒れるに決まっている。
「気付けの為に持ってきたんだが、どうしてこうなるんだよ」
ぶっ倒れたキョウを前に俺は立ち尽くす。
いやまあ、誰が悪いかといえば俺が10割悪い。
そこは責任転嫁するつもりはない。
「………………」
俺は辺りを見渡し、冷静に状況を分析する。
今、鍵の掛かったこの部屋には俺とキョウしか居ない。
さてどうする。
気の迷いとは言え、現在を変えることには一応成功したと言えるような状況。
寧ろチャンスと言えばチャンスだ。
だがしかし、俺のダチになろうと必死になった奴の寝首を、かくような真似をするのは仁義的にどうなのだろうか。
「――まずは確認だな」
俺は倒れているキョウをちらりと見る。
胸部がゆっくりと上下していて呼吸は安定している。
手を取り、脈を測っても異常は見られない。
本来酒に強い体質なのか、目を回しただけのようである。
俺は一先ず安心した。
「それにしても…………」
俺は掴んだ手首から流れ込んでくる温かみに、目を細める。
何年も溜め込んでいた妖魔としての衝動が、すっと消えていく。
三年間、慰魔師の居るクラスに居てもずっと晴れることのなかった靄が、ただキョウの手に触れるだけで消えるのだ。
コレが本来の慰魔師の……キョウの力なのだろう。
「やっぱキョウは俺にとっての『運命の相手』ってヤツなんだろう」
俺はキョウの手を握りながらそう実感した。
今も刻一刻とこの手が離せなくなっている自分を感じる。
このまま握り続ければ俺はやがて歯止めが効かなくなり、キョウなしでは生きていられない体になるに違いない。
結こ……決闘を申し込んだのだって、それを無理やり誤魔化す方便にすぎない。
俺の、妖魔としての本能が言っているのだ。
この手に触れていれば自分は駄目になる、と。
「って言っても、時代が時代だからな。こんな
俺はゆっくりとキョウの腕から手を離す。
昔のような弱肉強食の妖魔の時代は既に終わりを告げた。
人間がこの世の支配者になったと言うのは勘違いも甚だしいが、俺達がうまく関係を結んでいかなければならないのは事実だろう。
その為には、俺には
「…………だからまあ、色々ヤることヤラなくちゃいけないんだが」
俺は目を回し、少し苦悶の表情を浮かべているキョウの頭に手をおいた。
思った通り綿のようなフワフワな手触りだ。
「んっ……」
俺が手を触れた瞬間、キョウの顔が少し和らぐ。
偶然かも知れないが、その仕草だけで俺の胸の鼓動は跳ね上がった。
こんな愛らしい寝顔なのに、いやだからこそその顔をむちゃくちゃにしたくなる。
始めに言った仁義は何処へやら、俺は本能のままにふらふらと立ち上がる。
「と、取り敢えず、布団に寝かさないと、な。このままじゃ、風邪引くだろうし?」
言い訳がましい台詞を口にしながら、俺は押入れから布団を取り出す。
布団から仄かに香るキョウの体臭にクラクラしながらも、自分はこんなに変態だったのか、と少し呆れた。
キョウの頭を踏みつけて興奮している時点で、もう手遅れ感満載だが。
「こ、こ、これで、よ、よし」
俺は緊張しながらも布団を敷き、震える手でキョウを抱きかかえ、布団の上に寝かせた。
まだ何もやましいことはしていないはずなのに、心臓は張り裂けそうなくらいバクバクしている。
「ね、寝間着に、着替えさせないと、な……」
制服のまま、寝れば皺になる。
だから脱がせるのは当然の行いであり、十割善意である。
――理論武装完了。
そう、自分を納得させると、俺は震える手でボタンを外しにかかる。
「く、くそ、ボタンがはずれねぇ――」
震えるせいなのか、妙に肩に力が入っているせいなのか、ボタンが上手く外れない。
全部引きちぎりたい衝動に駆られながらも、俺は少しずつ外していく。
「――――っ」
まず見えてきたのはキョウの鎖骨。
鬼の体格からすれば押せば壊れそうな小枝のような見かけだが、意外と骨格はしっかりしているようで、鎖骨はちゃんと浮き出していた。
端的に言おう。
俺は物凄いなぞりたい衝動に駆られている。
「い、いや……だめだ。これは寝巻きを着替えさせるための行い、だ」
もはや誰に言い訳しているかわからないが、俺は衝動を振り払う。
だがまあ、着替えさせる時に少し触れるのはきっとセーフだろう。
そんな事を思いながらだんだんとワイシャツのボタンを外していく。
「つ、次はズボンか……いやそれとも先にシャツか……」
どちらを先に脱がすか悩ましいところである。
『――――――――』
「胸板と腹筋か、下着か。どっちも捨てがたいな」
シャツに下着の組み合わせより、上半身裸にズボンのほうがそそる気がする。
『――――――――っ』
「……そういや、俺は既に下着見られてるんだっけ? 俺だけ見られたってのは、不公平だよな。じゃあ、まずは下着の方から――」
いっその事シャツは残して下だけ全部脱がすのもありかもしれない。
そう思い、俺はいそいそとズボンを脱がしに掛かる。
『――――――――ッ』
「つか、さっきからゴンゴンうるせぇな。今いいところだっていうのに――」
俺は先程から音のする方へ首を向ける。
部屋に鍵をかけた以上、音の発生源など一つしかない。
即ち玄関だ。
大方隣人が遊びに来たとかそんなことだろうが、今いいところなんだ。
無粋にも程がある。
そう思いながらも俺は玄関の鍵に視線を送る。
すると――。
『――――――ガチャン』
俺の視線が鍵に向くと同時に、玄関の鍵が開く。
その瞬間、俺の中の時が止まった。
「あっ――」
逃げるとか、隠れるとか、隠すとか考える間もなく、扉はゆっくりと開く。
そして俺はそこから覗く二対の目に晒される。
一対は血のように赤く染まった真紅の瞳。
もう一対は海のように綺麗な蒼い瞳。
ちょうど俺は脱がしたキョウのズボンを抱きしめながら、もう一方の手でキョウの下着に手をかけようとしているところだった。
「…………朱? これは、どういうことですか?」
「あ~、いやこれは……だな。つか何で鍵を――」
クリスティナの怒り心頭の声が、静かに部屋の中に響き渡る。
俺はズボンを手放すと、急いで状況を再認識した。
現在幸いにも扉にはチェーンロックが掛かっており、二人の侵入を阻んでいる。
加えてこの状態の扉の可動域にはチェーンという限度がある。
つまりまだ二人にはキョウの姿が見えていない可能性が高い。
「――っ!!」
俺は急いで証拠隠滅をしようとする。
だが――。
「言ったでしょ、私はキョウの幼なじみだと。合鍵くらい持っている。――――――それでどうしたの? 何をそんな慌てているの? 嘘がつけない鬼さん?」
そんな俺の浅はかさを嘲笑うように、うっすらと壁から何者かの体が姿を現す。
黒髪赤眼の女……くうである。
どういった能力を使ってか、部屋内に侵入してきたのだ。
「――――ッ?!」
俺の中の妖魔の本能が、かつてないレベルで警鐘を鳴らす。
これはヤバイ、本当にヤバイ。
何故だか知らないが、目の前の
キョウの事柄とは一切関係なしに、いつ攻撃されてもおかしくない。
そんなレベルなのだ。
「くっ……なんなんだよお前?」
「……応える義理はない」
その女が言葉を発するだけで、俺は全く動けなくなった。
そんな俺の直ぐ側に、いつの間にかクリスティナが佇んでいる。
「さあ、詳しく話を聞きましょう。勿論朱は大っ嫌いな『嘘』なんてつきませんよね?」
部屋の状況を一瞥すると、心底冷えきった眼で俺を見据えるクリスティナ。
その頭からは銀の角が生えており、完全に妖魔化していた。
何の妖魔かはその角を見れば一発でわかる。
間違いなく『ユニコーン』だろう。
怒れば怒るほど強くなるという一角獣。
間違いなく適当な弁明をした瞬間、あの角でぶっ刺されるだろう。
いくら鬼でも激怒したユニコーンの角に刺されれば一溜まりもない。
俺はそう思い、慎重に言葉を選んでいく。
「待て、これは寝間着に着替えさせようとしてだな」
「そうなのですか。それはそれは、さぞ夢中になっていたようですね」
「あ、あぁ、慣れねぇことだから、な」
「扉のノックも聞こえないくらい、キョウさんの衣服を剥くのに夢中でしたか。――――楽しかったですか?」
混じりっけなしの、怒り一色のクリスティナの顔に俺は固まる。
屋上で初めてあった時ですら、こんなに怒っては居なかったはずだぞ。
俺は思わず後ずさる。
「大丈夫です、私は公明正大だと自負しているつもりです。黙秘も弁護の権利も保証します。ただ――」
「ただ?」
「――――キョウさんの純血が失われていた場合、話は別ですが、ね」
「てめっ、公明正大と自負の意味辞書で引けよっ!! 絶対お前勘違いしてるからっ!!」
私欲全開なクリスティナに俺は思わず突っ込む。
その眼は最早正気とはいえないほど、憤怒に染まっており、明らかにまともな判決をする気はないように見えた。
くうもやばいが、クリスティナもやばい。
このまま行けばろくでもない状況になるのは火を見るより明らかだろう。
――冗談じゃない、魔女裁判になんて掛けられてたまるか。
俺は機を伺って抜けだそうとする。
するとそんな時、ぞっとする言葉が聞こえてきた。
「酒の匂いがする。…………キョウから」
その言葉が聞こえると同時に、俺は一目散で玄関に突撃する。
しかし――。
「くうさん、牢屋ってありますか?」
クリスティナは俺の方を全く見ないで、俺が駆けるよりも先に腕を掴んでいた。
妖魔化していないとはいえ、力には自信がある。
だというのに一向に腕は離れない。
それほどまでに怒っているということだろう。
どれほどの怒りがクリスティナに渦巻いているのか、俺は身を持って実感することになった。
そうしている内にもう一方の手をくうが掴んだ。
「勿論ある」
「では連行しましょう。――――そうですね、まずは口を割らせる所から始めましょうか」
酷く冷たい目で、クリスティナは淡々と拷問宣言をする。
直感とか関係なく分かる、そこに連れて行かれたら俺はおしまいだということに。
「おいこら待て、人の話を……。って、お前も体外な力だな、いいから離せ、そして俺に話させろ――っ!!!!」
「大丈夫ですよ、話しならタップリと、聞かせてもらいますから」
俺は二人に無理やり引きずられながら、キョウの部屋を後にする。
一人残されたキョウの部屋からは、くしゃみが聞こえたような気がした。
「や、やめろ―――――っ!!!!!!」
俺の絶叫が男子寮に大きく響く夜となったのであった。
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