第八章 『白鷺唯羅』
第117話「交換留学の幕開け」
日が沈み、月明かりだけが頼りとなった真夜中。
野生の動物が本能的に近寄ろうとしない場所に幾人もの男達の姿が見える。
「解析は順調か?」
「はっ、従来の予定速度を上回る勢いで解析しております」
ここは人間の暮らす生活圏より遥かに離れた山奥。
一般人は迷い込む事は疎か、辿り着く事すらできない。
慣れた登山家でも遭難必至の僻地。
所謂秘境や禁足地と呼ばれる類の場所。
即ちここにいるのは遭難者か人ならざるものと言えるだろう。
そして彼らがここに来たのは一度や二度ではないと言えば必然的に後者しかあり得ない。
今世界を騒がせるテロリスト集団。
それが彼らの正体だった。
世の転覆を掲げてはいるが、実際の目的は不明。
活動内容にしても紛争地帯に積極的に介入し、徒に戦火を広げてみたり。
はたまた戦争孤児に慈善事業をしたりと、思想も理念も謎の多い集団。
そんな彼らが何の興味か暁学園へと目を付けた。
彼らは学園の結界が弱まったと言う情報を手に入れてからこうして定期的に集まり、結界の解析を続けているのだ。
無論術者にバレない様、最小限の干渉にしている為、その速度は遅い。
だが、それでもそれは確実に進んでいた。
全ては潜入した仲間である龍杭達の脱出成功率を1%でもあげる為。
そして彼らの悲願の成就の為。
「おい、見張りの奴の定期連絡、少し遅くねぇか?」
「……確かに、もう三分も過ぎている。何かあったと想定した方がいいな」
解析している者達とは別に、中腰の姿勢で辺りを警戒する様に伺っていた男達は
彼らはチームとして行動しており、解析、護衛、偵察の三つの役割に別れて存在している。
この男達の役割は護衛であり、三つのチームの中で荒事に向く能力の者が集められていた。
そして彼らよりは遥か離れた位置には、偵察班が散開している。
その偵察班からの定期連絡が遅れているのだ。
「解析は中止だ。俺が先頭を行くからお前らは後ろを頼む」
「「「了解」」」
男達は即断即決で行動に移す。
重要なのは味方の安否ではない。
自分達の行動が露呈したかどうかである。
故に気配を消し、必要であるならば襲撃者を抹殺しなければならない。
彼らの行動はマニュアル通りの様な正確さで、凡そテロリストと言う無法集団には似つかわしくない行動だった。
「…………」
月の光さえ届かない暗い樹海の中、彼らは寧ろそこを好むように歩いて行く。
気配を殺し、野生動物にさえ見つからない様に姿は凝視しても闇と見紛う程。
合図はハンドサインとアイコンタクトだけであり、闇に強い妖魔でなければ不可能な芸当だった。
彼らの行動と判断にミスはない。
ただ、強いて言うのであれば相手の情報収集能力がそれを上回っていたと言う事だろう。
『――――――』
突如篝火の様な明かりが暗闇の中に灯った。
暗闇に慣れた彼らは一瞬その明かりに目を奪われる。
先頭を行く男が目暗ましだと気が付いた時には既に遅かった。
「がっ?!」
音もなく後方のテロリスト達が貫かれる。
篝火に照らされ現れるのは鈍く光る巨大な刀身。
樹木の様なサイズの日本刀であった。
「お前、その機体……退魔師か?!」
男は敵の正体に気が付き、一瞬で
現れたのは家より巨大な蜘蛛の妖魔。
放たれる妖気は大妖クラスのものである。
学園の生徒達とは違い、テロリストである彼らには
即ち出現と同時に領域が展開されて環境の侵食が始まる。
辺りに粘着性の糸が張り巡らされて行き、まるで結界の様に獲物を閉じ込める糸の揺り籠が出来上がった。
特性は見た通り、『蜘蛛の巣』だろう。
「こんな場所に
蜘蛛の妖魔は仲間を串刺しにしたまま佇んでいる、機人を見ながら吠える。
多眼の先の機人は凡そ15メートル程であり、高さだけで見るならば蜘蛛の妖魔よりも巨大であった。
彼らの偵察隊がそんな鋼鉄の機体を見つけられなかったのには理由がある。
彼らが行っていたのは妖気の感知と生物感知が主体だった。
光学迷彩と隠形の術を施された鉄の塊など、感知の範囲外なのだ。
そもそも彼らは人間の邪魔が入るとは想定していない。
何故ならここは結界外とは言え、学園の敷地。
即ちあの『
例え退魔師の頂点に君臨する輪廻・朝薙の当主であろうともおいそれと入ることは叶わない場所なのだ。
しかし事実として今ここに退魔師は存在する。
「だが、ちょうど良い。ここでお前ら家畜どもを殺し、地上の支配者が誰なのかその身に思い出させてやるぜ!!」
「…………」
男の咆哮に対し、彼女は無言で装甲戦機を操る。
鋼鉄の機体は重さを感じない動きで飛び、辺りを疾駆し始めた。
まるで操縦者の動きそのものを再現しているかの様な、滑らかな動きである。
それに対し、男は糸を噴射して捕縛に掛かった。
辺りには領域により既に蜘蛛の巣と化している。
逃げ場などはなく、退魔師の切り札である装甲戦機とて、大妖クラスの妖魔の捕縛から逃げられる程の出力は無い。
即ち、雁字搦めに成ればその時点で詰みである。
だが、今回ばかりは純粋に相性が悪かった。
「――――フッ」
機人は纏わり付く糸を斬り裂き、剣先から溢れる焔で焼き払っていく。
物理には桁違いの強靭性を示す糸であろうとも、火の能力者の前では油の掛かった導火線に過ぎない。
即ち、対峙した時点で勝負はついていたのだ。
火の海となった蜘蛛の巣を背景に、機人は構える。
会話など必要なく、慈悲もない。
あるのは冷徹な意思と、目の前の存在が如何ほどの
疾走する装甲戦機は、妖魔達を串刺しにしたままの刀で蜘蛛の妖魔を袈裟斬りにした。
辺りに大妖クラスの妖魔の絶叫が響き渡る。
勝負は一瞬の間に決まったのだ。
「Aランクの妖魔はこの程度なのね。想像以上に想像以下よ」
表情の見えない鋼の機体の奥から落胆の声が上がる。
それが白鷺唯羅の第一声だった。
『―――――』
「分かってる、油断なんてしない。油断できるほど己惚れてない」
『―――――』
「でも手土産はできた。少なくとも交渉材料にはなる」
『―――――』
鋼鉄の機体に搭乗したまま、唯羅はまるで誰かと会話しているかの様に独り言を呟く。
辺りには唯羅以外に誰も見当たらない。
それどころか、装甲戦機に担ぎ上げられている妖魔達を除いて生物がいる気配すらない。
その後も唯羅は何かを呟きながら、曙学園へと向かうのであった。
†
「おや、ずいぶん早い到着だね」
「学園の周りをうろついていたゴミ、片付けてあげたわよ」
唯羅は瀕死の妖魔達を無造作に放り投げる。
それぞれ妖魔としての急所は僅かに外されており、誰も即死はしていない。
だが反撃出来るかと言われるとそれは否であり、そもそもとしてこの分だと一日持たないうちに命が尽きる事は明白だった。
きよはそれを一瞥すると興味が無いとでも言う様に視線を唯羅に戻した。
「あぁ、『ウロボロス』の連中か」
「知っていたのね。だったらどうして放置を? あなたの力があればこんな奴ら……」
「捕まえれば代わりが来るだろう? 私はそんなものにいちいち付き合ってられるほど暇じゃないんだよ」
きよは疲れた顔を装い、態とらしく溜息を吐く。
唯羅はジト目でそれを見つめるが、何も言う事はなかった。
目の前の存在がそう言うのであればそうなのだろう、と直ぐに割り切ったのである。
「それよりも随分あっさりとこいつらを片付けたものだね。楽に調伏できるレベルの妖魔じゃないはずなんだが」
「この程度で? 曙学園の理事長ともあろう方が底が知れる発言ですね」
唯羅は挑発的な視線をきよに向ける。
その全身からは敵意を剥き出しにしており、隠そうとすらしていない。
曙学園の理事長という立場にいる以上表立った敵対行動は出来ないが、目の前の存在は言わば妖魔の親玉である。
それに対し、退魔師である唯羅に友好的に接しろと言う方が無理があるのだ。
「私の底など大したものじゃないさ。疾うの昔に人間に忘れられる程度のものでしかない。だがまあ、そっちの奴は違うようだねえ。強気の発言はソイツがいるからかい?」
きよは唯羅の方に視線を送りながらも、別の何かを見つめる。
咄嗟に唯羅は腰に差した刀に手を掛けるも、悔しそうに歯噛みをした。
きよの指摘通り唯羅には今、もう一人味方がいる。
言わばそれは唯羅にとっての切り札であり、何を置いてもバレたくなかった存在。
それをこうも簡単に見破られたのだ。
歯噛みの一つもしたくなると言うもの。
「ふふ、懐かしい気配だ、何百年ぶりだろうな」
『…………』
「分御霊とは言え、折角ここまで来たんだ。ついでに榊の奴にも挨拶してくるといい。アレはソイツと親戚みたいなものだからねえ。おっと、この話はオフレコで頼むよ、あいつは素性を詮索されるのを嫌がるからね」
「…………戯言に付き合う気はない。それよりも
「――という事だそうだ、隠れてないで出てこい煌依」
きよは部屋の隅に視線を送る。
その瞬間、何もなかったはずの空間に亀裂が走り、裂けるように開く。
「私を餌にして呼んだのですね。本当にあなたという人は……」
中から現れたのは困り顔をしながらも、少し怒りを露わにしている煌依だった。
それを見てきよは意地の悪い笑みを浮かべ、対象的に唯羅は目を輝かせる。
「煌依様……。お会いしたかったです。私はあなたに拾われた恩を返すためにここまで来ました。さあ、私と一緒に戻りましょう」
「あのね唯羅ちゃん、一応私はお仕事で来ていて勝手にそういうことはできないというか」
きよの手前、飛び付く事は自重しているが、唯羅は抑えきれぬ喜びを隠しきれない。
もし彼女に妖魔の様に尻尾が生えていたら、まるで犬の様にはち切れんばかりに振っていただろう。
そんな彼女を、煌依はまるで聞き分けのない子供をあやすような口調で諭す。
きよはそれを見て更にニヤニヤと笑うが、唯羅はそれに気づく事無く言葉を重ねた。
「煌依様は協会や軍に顔が利くと聞いています。その気になればいくらでも勤務先はあるはずです。なのにこんな辺境地に態々務めるということは脅されているか、煌依様が務めなければならないほどの事情があるはずです」
「それはその……」
煌依は困った顔のまま、ちらりと視線をきよに向ける。
それだけで唯羅は理解したように頷いた。
「やはりあなたが原因のようですね」
「煌依の創る結界は非常に良くできていてねえ。単独でこれだけの物を創れる人間は過去を見ても滅多にいないんだよ」
「つまりは替えが効かないから手放したくないと、そう言いたいわけか」
きよは唯羅の言葉に答えず、ただ笑みを浮かべる。
それを見て唯羅の敵意は跳ね上がっていく。
一触即発、いつきよに襲いかかってもおかしくない状況だ。
「私は大丈夫だから。ね、唯羅ちゃんも落ち着いて」
「いいえ、落ち着いていられません。それに煌依様も煌依様です。あなたの力があれば邪神ですら封印することが可能だと聞いていますが?」
「し~っ!! お願いだから今は黙って」
煌依は唯羅の口元を押さえると、部屋の隅まで引っ張っていく。
唯羅は不服そうにしながらも、抵抗の意思は見せずされるがまま引きずられていた。
「あんまり紗耶華の言うことを真に受けちゃだめよ? あの子は身内を少し過大評価して敵をやや過小評価するきらいがあるから」
「ですが、今の私と煌依様の二人掛かりなら――」
倒せると、唯羅が言い切ろうとした瞬間、きよの妖気が部屋を覆う。
別に敵意を向けた訳ではない。
臨戦態勢になった訳でもない。
闘争の匂いを嗅ぎつけたきよの体が反射的に反応しただけなのだ。
だがただそれだけで唯羅の気勢は一気に削ぎ落とされる。
妖気に直接触れたことできよの底が見えなくなったのだから。
「なんだ、私と戦いたいのかい? 余興として少し戯れて――」
「――きよ理事長。私との約束はお忘れなきよう」
きよが力の一端をほんの少し開放しようとした瞬間、目を見開いた煌依が止める。
今迄の様な、おどおどとした頼りなさそうな女性の姿はそこにはなく。
真っ直ぐにきよを射止める様に、強い視線を向ける女性がそこには居た。
その変貌ぶりにきよはどこか懐かしむ様に目を細め、体から力を抜く。
「忘れてなどいないさ。あぁ、忘れてなどいない」
妖気を霧散させ、深くリクライニングチェアに身を預けながらきよは息を大きく吐き出す。
そして再び体を起こした時には先程までの光景が嘘の様に、元の様相に戻っていた。
「あなたは一体……」
「私より今はお前のことだよ、唯羅。私はそのためにお前を呼んだのだから」
「……どう言う意味、ですか?」
敵意を向けるべきか、判断の付かなくなった唯羅とりあえず敬語に戻す。
「言葉通りの意味さ『白鷺唯羅』。いや、『白鴉唯羅』と呼んだようが話が早いかい」
「っ!! どうしてそれをっ?!」
驚愕する唯羅を余所に、きよは言葉を続ける。
唯羅にとってそれはもっとも秘密にしている出来事であり、その為に偽名で凰学園にも入学しているのだ。
事情を知っているのは親代わりの煌依ただ一人であり、万が一情報が漏れる様な事態になれば唯羅は学園に残る事すら出来なくなる程。
だがそんな事よりも、衝撃的な事実がきよの口から紡がれる。
「私も『白鴉』とは縁があってね。この学園にも一人、居るんだよ」
「嘘……どう、して……」
その事実に唯羅は疑問で頭の中が埋め尽くされる。
何故なら唯羅の様な例外を除けば、白鴉の一族が俗世に出てくる事などまず無いと断言出来るからだ。
敵である妖魔に嫌われ、護るべき対象である人間にすら迫害される。
それが重すぎる代償を払い続ける呪われた一族なのだから。
「気になるのなら探してみるといいさ。ただし、条件がある」
「飲むわ」
唯羅は考える素振りを見せる事無く即決する。
その言葉にきよは口角を釣り上げて笑う。
「改めて歓迎するよ、『白鴉唯羅』。ようこそ、曙学園へ」
ここに2つの学園を巡る新たな騒動が幕を上げるのであった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます