第141話「不死鳥でなければ即死でした」

「大丈夫か、親友?!」


 化学室の扉を蹴破る様に開け放ち、輪廻達は戻る。

 そんな彼女らを待ち構える人影が一人。


「……遅かったわね」

「なっ?! てめぇ、今更なんでここに?!」


 血の様に赤い瞳に、鴉の濡羽の如く黒い髪。

 声はどこまでも無感動で、独り言と捉えそうになるほど他人に向いていない。

 そんな彼女、くうは彼が眠っているカプセルを椅子代わりにしながら、僅かに口元を歪めた。


「お前が離れるから、代わりに居てあげたのよ。ついでに邪魔な虫の掃除もね」


 くうは暗に感謝しろとでも言いたげな口調で冷笑する。

 何処までも傲岸不遜な物言いに、輪廻は苛立ちと敵意を過不足なく込めた視線を返す。

 輪廻からすれば、くうは都合よく現れただけである。

 峠を超えるまで面倒を見ていたのは輪廻達であり、盗っ人猛々しい事この上ない。

 恩の押し売りどころかしに来たようにしか感じないだろう。

 そんな視線を受けて尚、くうの瞳は揺らぐ事無く無感動のままであるが。


「輪廻さん、その……くうさんの言っていることは本当よ? あの時来てくれなければどうなっていたか……」


 顔半分をキョウの胸ポケットから出しながら、小鈴はなんとか輪廻を窘めようとする。

 表面上はくうをフォローする為、本音はこんな所で喧嘩でも始められたら彼が巻き込まれてしまう、と言う危惧からではあるが。


「一体何があった?! というか、その為の無線機だろ?!」

「しょうがなかったのよ。急に化学室に入ってきて探査術使用する人間相手に無線機なんて使用したら一発でバレるに決まってるでしょ?」


 それに――、と小鈴は言いづらそうに言葉を切る。


「来たのは凰学園の紗耶華よ? 下手に鳳凰あなたが遭遇したほうが面倒な事態を引き起こすに決まっているでしょう?」

「そう、だけど、でも親友の容態に比べればそんなもの――」


 小鈴と輪廻が言い争いに発展しそうになっていると、それを止めるかのような妖気が辺りを覆い尽くす。

 無論発生源はくうである。


「下らない喧嘩は後にして。私はさっさと要件を済ませて帰りたいの」

「何だよ、要件って?」

「……その淫魔達の用が終われば紗耶華あのおんなに会いに行きなさい。ソイツらの誤解なんてどうでもいいけれど、いい加減あんな奴らにウロウロされるのは目障りよ」


 そう一方的に言い残すと、くうはどこか別の空間へと消えようとする。

 だが当然納得出来ていない輪廻は、引き留めようと更に質問を重ねた。


「待て、何でお前が手を貸すんだよ? 何が目的だ?」


 輪廻の言葉にくうはちらりとキョウの眠るカプセルを見る。

 しかしそれも一瞬の事。

 まるで何事もなかったかの如く、無表情のままその場を去ろうとする。

 その直前――。


「………………全く責任がないわけじゃないから。いえ、何でもない」


 誰にも聞き取れない音量でくうは呟く。

 当然その声は輪廻に届く事は無く、納得できない彼女は胸ぐらに掴みかからん勢いでくうの側まで来る。

 しかし、最早完全に去り始めているくうを止める手段はなく――。


「はぁ? なんだって、ちゃんと説明し――」

「―――――」


 言葉途中の輪廻をぶった切り、くうは今度こそ完全に消えて行ってしまった。

 ついでに側に居た輪廻の体の大半もぶった切る形で。


「……………」

「……………」


 唯一残された輪廻の片足が、ゆっくりと床に倒れる。

 誰もその光景を呆然と見ている事しか出来ない。


「え? ちょ、ちょっと、どうするつもりなのこの惨状?!」


 足一本だけ残っている輪廻の体を見ながら、小鈴は叫ぶ。

 不死鳥なので命の心配は毛ほどもしていないが、それでも何とも言えない惨状を残していった事に変わりはない。

 当たり前の指摘により、周りの時間も動き始める。


「たしかにくう嬢の言葉も気になるが、それより今はキョウ君の方だ」

「え? 今のスルーしてしまうの?!」


 小鈴の叫びを余所に、先程の事がなかったかのようにシルヴィアはキョウの側まで寄る。

 何が大事か、優先順位を思い出したのだろう。

 その後ろでは残された輪廻の足が燃えて灰になるところだった。


「再会……と言うにはこれはあんまりだろう。必ず私がなんとかしてキミの目を覚まさせると誓おう」


 ガラス越しにキョウを撫でるシルヴィア。

 母性溢れるその仕草に、その場に居たものは思わず硬直する。

 がこんな表情をするなんて、と。


『いやいや、そんな急にシリアスな気持ちになれないから……』


 ただ一人、小鈴だけは込み上げてきた言葉をぐっと飲み込み、乾いた笑みを零す。

 そんなこんなで一応の冷静さを取り戻した。


「あら? これはもしかして…………」


 シルヴィアがガラスを撫ぜている姿に何かに気が付いたのか、アステリシアは興味深そうな声を上げる。

 アステリシアは修道着姿に身を包んだ人間体に戻ると、キョウが居るカプセルへと近づいていく。

 楚々と進みながらも、まるで何かに吸い寄せられるような足取りである。


「まあ?! まあまあまあ――っ!! 本当にこの子がルヴィの意中の方ですか?!」


 まあと四回言いながら、興奮した様子でアステリシアはカプセルの中を覗き込む。

 そして何を思ったのか、突然ガラスに向かって手を伸ばした。

 するとガラスは


「っ?!」


 驚愕する他の面々を余所に、アステリシアの手はキョウの頬に触れる。

 硝子細工を触るかの様に繊細に、それでいて何かを確かめる様に大胆に。

 まるで鑑定士の様な手つきでアステリシアはキョウを触り続ける。

 心なしかその頬に赤みが増えている様にみえるが、特に反応する事なく鑑定は終わった。


「……ルヴィ、私は一つ謝らなければなりません」


 たっぷりとキョウの柔らかいほっぺを堪能した後、アステリシアは居住まいを正し、シルヴィアに向き直る。

 当然その様子にシルヴィアも姿勢を正さないわけには行かず、緊張した面持ちでアステリシアに尋ねた。


「何を、ですか?」

「私は貴方が強くなる理由を、初めは心の何処かで軽んじていました。ヒトの殿方の心を奪うのに、どうしてそこまで求めるのか、と」


 ですが――と言葉を切り、アステリシアは優しげな視線をキョウに向ける。


「ルヴィ、貴方の直感は正しかった。この子が私の予想通りの存在であるのであれば、いくら力が合っても足りないでしょう」

「足りない? それは一体……」

「言葉通りの意味です。恐らくは、最低私達魔王クラス以上の力を示せなければ、この子を手に入れることは叶わないでしょう」


 アステリシアの言葉に、その場にいる誰もが固まる。

 それもそもはずだろう。

 魔王クラスと言えば、国を軽く滅ぼせる世に名だたる妖魔達を指す。

 幾らキョウが強いと言っても、その力は国家を転覆させる程の力ではない。

 だと言うのに、アステリシアはと言ったのだ。

 国を滅ぼす程の力を必要とする存在など、理解が及ばないのも当然と言えるだろう。


「魔王?! 待ってください、一体彼は……」

「この子は恐らく色を冠する純化の龍神スプレーマシーカラーズに対する――」


 アステリシアがそこまで言いかけた時、その口は彼女の背後から伸びる手に塞がれる。

 まるでホラー映画の様な光景ではあるが、その場にいる誰もが違和感も不自然さも抱くことなく視線を送った。

 視線の先に居たのは素肌に白衣、タイトなスカートにモノクルを装着した教職員、アルフェであった。


「スト~ップ、サービス精神旺盛なのはいいけどさぁ、開示していい情報はそこまでなんだよねぇ、マイ淫売シスター」


 アルフェは艶めかしい仕草で胸を押し付けながら、相手の肩に顎を乗せる。

 一体何時から居たのだろうか。

 アステリシアは音もなく背後を取られた事に、僅かに瞠目した。

 無意識の内に周囲総てのものを魅了し、支配領域下に置いている彼女にとってそれは有り得ない事象であるからだ。

 故に起こった事象の推測もそう難しいものではない。


「――――」


 アステリシアは慈愛溢れる表情で目を細める。

 聖女の如き博愛の笑みだ。

 しかし、その瞬間棒状のものがアルフェの身体を刺し貫ぬく。


「こんな所にいらしたのですね。それにしても珍しい、てっきり欧米の何処かに居ると思っていましたから」

「勿論そこにも居るさぁ~。あそこは私にとって楽園のような場所だからねぇ。でもである必要はないんだよねぇ。見ていて助言するだけでも十分楽しぃ~と言うか、愉快爽快というかぁ~。まぁ~そんな理由で私はここに居るんだよ」


 片腕ほどもある尻尾に腹部を貫かれながら、アルフェはへらへらと笑う。

 無論実行者はアステリシアである。

 先程の一瞬で人化の法を解除し、変異した尻尾で刺し貫いたのだ。

 しかし、実体がないかの様にその腹部からは血の一滴も溢れる事はなく、文字通りただ貫かれているだけである。

 その様子を見たアステリシアは、無意味を悟り尻尾を引き抜いた。

 するとアルフェはまるで時間を巻き戻すかの如く、腹部が復元し始める。


「平気なところを見ますと、本当に本体のようですね」


 その化物じみた様に目を瞑りながらアステリシアは溜め息を吐いた。


「色々事情があるのさぁ~、私にもねぇ」

「碌でもない事情、と言いたいところなんですけれど、この子が存在しているところを見るとそうも言っていられませんね」


 二人はキョウを見ながら、互いに距離を置く。

 腐れ縁の敵同士でもあるかの様に、二人は互いを信頼しながらも欠片も警戒を解こうとはしない。

 そんな二人のやり取りにシルヴィアは割り込んでいく。


「お二人が旧知の間柄であることはよくわかりました。ですが、今は彼を助けるために力を貸してください」

「勿論さ、それじゃあその方法を説明しよ~うぅ」


 アルフェは軽快な口調とともにモノクルをキラリと輝かせると、指をパチンと鳴らす。

 すると何処からともなくホログラフが浮かび上がってきた。


「現在キョウく~んは寝たきりの状態になっているんだけど、外傷・肉体機能に全て問題はなし。勿論脳波も脳機能に至る全てに以上がないと断言しよ~う」

「では何故目を覚まさない?」

「う~ん、幾つか可能性は考えられるけぇ~ど、要は彼の意識と言うか自我が無意識の海から浮かび上がってこない。これに尽きぃ~る話なんだよねぇ。浮かんで来れないのか、浮かぼうとしていないのかは定かではないけど、さっ」


 アルフェは海面からほんの僅か沈んでいる巨大な氷の様な図を手で指し示す。

 海中が無意識である夢の中であり、水上が現実。

 そして巨大な氷が自我を表しているのだろう。


「つまりは彼の精神に侵入して、原因を突き止める。という事か」

「あぁ、そうさぁ。君ら夢魔なら簡単な話だろうぅ?」

「勿論、彼を助けるためなら例え不可能と言われようとも――」


 今すぐにでもキョウの精神へと飛び込みそうな勢いのシルヴィアを、アステリシアは制す。


「少し待ってください。本当にただそれだけなのであれば疾うの昔に助け出しているでしょう。違いますか?」


 アステリシアは柔和な笑みを浮かべながらも、鋭い視線を投げかけた。

 目の前の相手の事であれば誰よりもよくわかっている、そう言いたげな視線である。

 アルフェもそれをよく分かっているのか、ニヤニヤと粘着性の高い笑みを続けながら拍手した。


「鋭いねぇ。正解だよ。試しに作った装置のテェ~ストも兼ねて、分身を送り込んでみたんだけど、あっけなく全滅したさぁ」

「送った分身体のランクはどの程度のものですか?」

「Dが10体にCが5体、Bは2体だったかな。何れにせよ何の成ぇ~果も残せなかった時点で数を増やしても関係ないだろうけどねぇ」


 Bランクが2体と聞き、小鈴は眉を顰める。

 言動や噂、立ち振舞、そして今まで行ってきた発明あくぎょうの数々により、その正体はある程度見当がついている。

 だが、それでもなお彼女の実力を測りきれないのはその妖気が一切感知できないからだ。

 いや、正確に言うと感知自体は出来ない訳ではない。

 ただ妖気の量や種別が何故か正確に判別できない為、殆ど意味を為していないのである。


「理解しました。それで私達に協力を要請したのですね」

「そうさっ、Aランクの分身を大量に送るっていう手もあったんだけど、あれは作るより既に作った分身を呼んだほうが速いしねぇ。且ぁ~つ私の分身よりも高ランク高性能の妖魔がいれば、そっちを使うのは当然だろうぅ?」


 さらっとAランクすら時間さえあればどうにでもなると言うアルフェ。

 そんなアルフェにアステリシアは少し批判するようにむくれながら口を開く。


「…………やはり捨て駒にしてもかまわないと、思っているのでしょう?」

「ハハッ、マイ淫売シスターが着いていくんだ。どう転ぼうがどうにかなるんだよねぇ。寧ろこれでどうにもならないなら、それこそ誰にも……あの人だってどうにもできないさぁ」


 アルフェは捨て駒発言は否定せずに、ネットリとした声で信頼を口にする。

 表情・態度こそ不真面目の化身の様な存在だが、その言葉には一片の嘘もなく、事実のみを語っていた。

 その事を理解しているからこそ、アステリシアは困ったように溜息を吐く。

 目の前の存在に顎で使われるのは癪だが、断るには知りすぎてしまった。

 それも含めてアルフェは途中まで傍観していたのであろう事に気が付き、余計に腹が立つのである。


「……仕方ありませんね。どの道この子の存在を見つけてしまった以上、捨て置くことは出来ません。行きましょう、ルヴィ」

「元より私はそのつもりです」


 二人は顔を見合わせ頷く。


「ではミッションスタートさっ」


 アルフェ満足気に頷くと機器を操作し、キョウのいるカプセルを覆っていたガラスが開く。


「――――嫌な予感が当たらなければ良いのですけれど」


 そう呟やきながらアステリシアとシルヴィアはキョウの精神へとダイブを開始するのであった。

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