第156話「共生体」

「シルヴィアさん、体はもう大丈夫ですか?」

「もう、大丈夫だ。戦うのは少し厳しいが日常生活程度ならなんとかしてみせるさ」


 クリスティナに担がれた状態でシルヴィアは答える。

 両手足は未だ欠損したままではあるが、血色は良くなり、動く事が出来るレベルまで回復していた。

 普通に考えればほんの数分前までほぼ死体だったのだ。

 驚異的な回復としか言い様がないだろう。

 そんな彼女の様子を嬉しそうに眺めるキョウ。


「その……あまり今の私を見ないでくれると助かる」

「? どうしてですか?」


 シルヴィアはキョウの視線を受けて、恥ずかしげに首を背けて顔を隠す。

 耳まで真っ赤になっている光景を見ながら、キョウは首を傾ける。

 何故恥ずかしがっているのか、全く理解できない為である。

 逆にその仕草を理解できるシルヴィアとクリスティナは、阿吽の呼吸で目配せをすると渋々口を開いた。


「……………女として、その……あまり見せられた状態じゃないから」

「大丈夫です、シルヴィアさんはどんな姿になっても綺麗ですよ」


 屈託のない笑みでキョウはそう言ってのける。

 透き通る様な無垢な表情に、二人は思わず目を奪われた。

 それによりシルヴィアの耳がますます赤くなるが、キョウは自分の発言の意味すらよくわかっていない様子である。


「やはり誰にでもそのセリフを言うのですね、キョウさん」


 そんな二人の様子を恨めしげに、ジト目で睨むクリスティナ。

 嫉妬が多分に含まれているが、それを向けられているキョウは意に介していない。

 クリスティナから負の感情を向けられるはずがない、そう盲信している子供の様な表情のままである。


「? 誰にもなんて言いませんよ? 僕は思っても居ないことは言いませんから」

「そういう所が本当にもう……」


 二人に顔を逸らされながらキョウは楽しげに回廊の道を歩く。

 キョウにとっては二人が元気でここに居てくれるだけで幸せなのだ。

 そんな風に笑い合いながら三人は牢獄を抜ける。

 そしてその先には――。


「――さて、楽しい時間は終了だ。逃げ切れると思うなよ、鼠共」


 二丁拳銃を構えた九曜紗耶華が部隊員を引き連れ、取り囲んでいたのであった。



 †



「それにしても保険をかけておいて正解だった」


 シフトは逃走しながらそう嘯く。

 シェイプシフターである彼女は強力な変化能力を持つが、有する能力はそれ一つではない。

 いや、正確に言うと能力は変身能力一つだけである。

 白澤である識が見抜いた様に、その予測は大凡間違っていない。

 識がもう一つの能力を見抜けなかったのは、その能力が後天的に得た能力だからである。


 ――即ち、記憶改竄能力。


 シェイプシフターとして他人の記憶を見続けた結果として、彼女は誰よりも記憶の操作に長けている。

 正門の門番であるシェセパの記憶を操作し、日常通り過ごさせながらシフト自身は学園へと侵入していた。

 そして多くの学生に接触し、記憶を吸収しながら洗脳して手駒を増やし続けていたのだ。

 その中には識の友人も含まれる。

 雲外鏡である紫雲の能力は変化能力を暴く事は出来るが、洗脳された者まで暴くことが出来ない。

 また識の能力も普段の記憶通りに過ごしていれば見抜く事が出来ない。

 そうして彼女は識達の情報を入手しつつ、若の庇護下にいたクリスティナに近づいた。

 もし万が一己が捕まった場合、自分を助けに来るように記憶を刷り込ませる為。

 クリスティナが牢獄でシルヴィアと彼女を見間違えたのはその為である。


「もう少しスマートに出来ればよかったけど、仕方ないよね」


 シフトはキョウ達が元いた場所から、かなり離れた位置で漸く止まる。

 後ろから追ってくる者と対面する為に。


「――何がスマートじゃ。儂が手助けせねば破綻しておったではないか」

「ごめんってば。退魔師共にあんなに簡単に出し抜かれるとは思いもしなかったんだってば。でももう大丈夫だから」


 追ってきた若に対し、シフトは変化を解くと笑みを浮かべる。

 まるで旧知の仲であるかの様に。

 そう、二人は初めからグルであった。

 シルヴィアとの決闘で、若が精神に乗り込まれるのをあれほど拒んだのは、こういった理由が存在したからだ。

 何せ、記憶を見られてしまってはあの時点ですべての計画がご破産となってしまう可能性があった。

 それは己の矜持を曲げてでも避けたい事態だったのだ。


「何が大丈夫なものか。忘れたのか、己がどうして敵に位置がバレたのかを」

「あ~、誰かの能力だっけ?」

「あれは鳳凰院元真の術じゃ。あやつは殴った相手に気付かれること無くしるしを残すすべがめっぽう上手くての。まあもっとも、主が相対したのは別人じゃがの」

「別人? まあどっちでもいいし、どっちも許さないけど。あぁクソほんとムカつく」


 やられた時の状況を思い出し、シフトは憤慨する。

 あれさえなければ全てうまく行っていたのだ。

 拷問により心身共に多大なダメージを受けた身としては、殺しても殺し足りないほどだろう。


「そう言う訳じゃ、退魔師共には主が外に出た時点で既にバレておる。隠れ家まで案内させるために泳がされておるが、正門まで通してはくれぬじゃろう」

「げげっ、それは困る。うーん、どうしようかな。お願い助けて


 シフトが冗談めかして呼んだ呼び名に、若の眼は細くなる。

 その体からほんの一瞬だけ殺気が零れ、シフトの心臓を鷲掴みにした。

 シフトの瞳の中にそこには存在しない別の何かが映り込む。


「――次その名で呼べば殺すぞ」

「じょ、冗談だってば」


 愛想笑いを浮かべるシフトに対して、若は殺気を霧散させると深く溜め息を吐いた。

 そも、殺してしまえるならこんな面倒な事はしていないのである。


「…………此方としても今もう一度主を捕らえられるのは不味いのでの。ここから逃げる手助けだけはしてやろう」

「ありがと~。ホント大好き、若さん」


 調子のいい言葉を並べるシフトに若は呆れながらも印を結び、妖気を収束させる。

 その体から立ち上がる妖気は、シルヴィアと決闘した時とは量も質も全く違う別次元の妖気。

 恐らく此方が彼女本来の能力なのだろう。


『神通力――――神足通』


 ほんの一瞬だけ爆発的な妖気を発現させると、二人の姿は空間のねじれへと吸い込まれていく。

 汎ゆる痕跡を残さず、まるで蒸発でもしたかの様に2人は消え失せる。


「――ふむ、少し遅かったか」


 彼女らが消えて数分後。

 遅れて到着した退魔師達の部隊が彼女らが消失した地点へと集まる。

 若の予想通り、彼女らを泳がし続けて感知されない距離で待機していたのだ。


「副隊長殿、奴らの居場所は?」

「完全に消失しておるの。感知範囲外に飛ばれたか、或いは結界内に移動したか。この学園の性質を考えると後者の可能性が高そうだが」

「では直ぐ様捜索班を結成し、捜査に当たります」


 退魔師達は無精髭の副官の言葉を受け、迅速に行動を開始し始める。

 副官は顎髭を撫で付けると、思案に耽始めた。


「どうもこれはきな臭いっすね。九曜隊長無茶してないと良いっすけど」


 その様子を鳳凰院元真に扮した弧月統夜は装甲戦機内でそっと呟くと、どこか他人事の様に眺めるのであった。



 †



「ふん、ここへの侵入と囚人の脱獄許してしまうという大失態だったが、どうやら思わぬ落とし物が転がり込んできたようだな」


 九曜紗耶華は包囲網から一歩前に出ると、値踏みする様な視線でキョウを睨め付ける。

 いくらマキナによる電子機器操作があるからと言え、人の目まで狂わす事は出来ない。

 詰まる所、彼らは誘い込まれたのである。


「輪廻様との約束は化学室と学校内で彼に干渉しない事。つまり今なら正当な理由でが出来る訳だ」

「彼に何をするつもりです」


 クリスティナはシルヴィアを下ろすとその視線を遮る様に立ちふさがった。

 シルヴィアが戦闘できないのは言うに及ばず、今のキョウが戦闘に向く状態じゃないのは何となく雰囲気で察している。

 つまりこの場でまともに戦えるのは彼女ただ一人なのだ。


「貴様らには関係ない事柄だ。特にかたきである貴様らにはな」


 憎しみの炎を宿し、紗耶華はクリスティナ達を睨みつける。

 まるで肉親の敵でも見るような、そんな壮絶な覚悟を宿した瞳がクリスティナ達の心を射抜いた。


「そういう訳だ。今すぐ両手を上げてその少年から離れろ。抵抗しなければ痛い目を見なくて済むが、抵抗すれば――」


 紗耶華は銃口をシルヴィアとクリスティナに向ける。

 少しでも動けば二人を撃つ。

 そんな強い意志がその銃口には込められていた。


「撃つんですか? 僕達を」


 銃口を向けられた二人を守る様に、キョウはその射線上に出る。

 普段通りの優しげな表情ながらも、その瞳には強い意志が込められている。

 二人を守るという強い意志が。

 それはクリスティナも同じで、彼を邪険にする事無くキョウの背中にそっと寄り添う。


「…………そこは危険だからこちらに来なさい。心配しなくてもキミに手荒なことをするつもりはない」

「勝手に入ったことは謝ります。ごめんなさい」


 キョウは深く頭を下げて謝罪する。

 どんな事情があっても無断で侵入したのは事実であり、彼の性格上罪悪感を抱くのは当然だろう。

 しかし、被害が彼女達に及ぶとなれば話は変わってくる。

 どんな状態になろうと彼が友人の危機を見過ごすなどありえないのだから。

 例え今の彼に戦闘能力がないとしてもだ。


「謝罪する気があるのであればこちらに――」

「でも、これから二人に危害を加えるというのであれば別です。――――僕も二人のために戦います」


 両手を広げ、キョウは退魔師達に強い視線を向ける。

 その視線を前にして、退魔師達は笑みが溢れた。

 何故なら慰魔師が妖魔を守ろうとする行動は、往々にしてある行動なのだから。

 慰魔師にとって共生体であるパートナーの妖魔を失うという事は、水を失う事に等しい。

 それ故に人類を守る為に生まれた慰魔師ではあるが、退魔師達じんるいに盾突く事は矛盾していながらも成り立ってしまう。

 退魔師達の笑みはそれを理解した上での嘲笑だ。


「隊長、この子の保護は俺達に任せて下さい。隊長はそいつらを」


 ニヤニヤと笑いながら退魔師達はキョウに近づいていく。

 その光景を見ながらも、紗耶華はクリスティナ達から銃口を外さない。

 敵を見定めている以上、余計な気は死へと繋がる。

 ただ一言――。


「その子を少しでも負傷させてみろ、貴様らの手足を折るだけでは済まないからな」


 と厳命する。

 九曜紗耶華に一切の油断も慢心もない。

 シェイプシフターの妖魔を撃ち抜いた時の様に、冷酷に敵を処理する。


「キョウさん、シルヴィアのことを頼みます。彼女は私が相手をします」

「はっ、その前に俺らが捕まえるっての。ほら――」


 退魔師達はキョウに手を伸ばす。

 上司の命令がある以上、乱暴には出来ないがそれでもただの人間を捕まえる程度、問題ないほどの身体能力を持っている。

 だが――。


「――敵対行動と認定。排除を開始すると宣言」


 周囲の影から鋼色の液体が集まってくると、キョウと退魔師の間に出現する。

 この部屋の装置を同化していたマキナが、主の危機に姿を表したのだ。

 そして触手を伸ばして退魔師達を貫こうとした。


「こいつ――ッ」

「待て、不用意に攻撃するな。その妖魔はAランク相当だぞ」


 掠りながらも辛くも逃れた退魔師達。

 反撃に出ようとするが仲間の一人に窘められ、止まる。

 その眼前数センチの所を数十を超える触手が蠢いていた。

 彼女は主に仇なす者を撃滅する鋼の槍である。


「そちらは大丈夫そうですね。では――」


 クリスティナは懐から小瓶を取り出すと、一滴自分の胸にかける。

 その瞬間、彼女の妖気が変質して神々しいばかりの妖気へと変わった。

 即ち――。


現格超越ランクアップ

原初再誕プライマル・リ・バース――――――――麒麟』


 黄金の髪を靡かせ、神獣麒麟がその姿を現す。

 現れた瞬間から、その体の周辺が『領域』として彼女の住みやすい地球かんきょうへとテラフォーミングされる。

 その桁違いの妖気と圧力に退魔師達の間に緊張が走る。

 本来退魔師達はこのクラスの妖魔を相手にするとは想定していない。

 何故ならそれは人類では倒せないモノだから。

 故に隔離クラスとしてSランクたるものが用意されているのだ。

 だがそれは決して勝負にならないというわけではなく――。


「麒麟か。本来なら相手などしたくないところだが、貴様には暴行の容疑並びにここへの不法侵入及び虜囚の脱獄幇助の罪状がある。見逃す訳にはいくまい」


 紗耶華は銃口を向けたまま麒麟を見据える。

 環境は既に移り変わっており、その場にいた全員が『領域』へと飲み込まれていた。

 それは即ち彼女の領域の特性、『不殺生の戒律』が敷かれている事を意味する。

 だが――。


「?」

「ようこそ神話領域『高天原』へ、領域に対して何の対策もしていないと思ったか? 貴様らは私達を舐め過ぎだ」


 見渡す景色は湖の畔ではない。

 雲上に広がる広大な大地。

 満ちる気は地上では有り得ない程の濃密な神気。

 此処は天津神の住まう天上世界。

 神々の創り上げた神話領域せかいのうらがわである。

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