第156話「瀕死の王子様はお姫様の涙によって甦る」

「対象、逃亡を確認。迎撃モードから警戒モードへの移行を完了」

「直ぐに追――」


 追いかけようとしたクリスティナを若が片手で押し止める。


「アレは主らじゃ追いつかんじゃろ」

「ですが――」

「じゃから儂が追う。主らは本物のシルヴィアを助けてやってくれ。装置の崩壊が始まってしまった以上、もう時間がない。頼んだぞ」


 そう言うや否や、若は返事も聞かずに飛び出した。

 風を切り裂き、音を追い抜き高速で駆け抜ける。

 大妖クラス最速の名は伊達ではなく、あっという間にキョウ達の視界から消えた。

 天狗に追いつけるのは同じ天狗である彼女だけだろう。

 合理的な判断ではあるが、クリスティナは違和感を拭いきれなかった。


「という事で、僕らはシルヴィアさんの方へ向かいましょう。勿論クリスティナさんも着いてきてくれますよね?」

「……はい、あなたが行くというのであれば、私はどこへでも着いていきます」


 若が向かった先から視線を切り、クリスティナはキョウへと微笑みかける。

 無論若と偽物の行方は気になるのだろう。

 思い返せば妙な箇所は色々と散見できる。

 だがそれらを全て振り切って、彼女はキョウに付く。

 何故なら今の彼女にとって、彼以外の要素など些事にすぎないのだから。


「急ぎましょう。恐らくもういつ結界が崩れてもおかしくはありません」


 そう言うや否やクリスティナ達は駆け出す。

 再び退魔師の屯所へと。



 †



「――散布したナノマシンによる感染作業完了と宣言。これにより電子機器の遠隔操作が可能と報告」


 マキナは両腕からキラキラと煌く粒子を散布し終わると、僕の方に振り返った。

 此処は退魔師達がいる屯所の前である。

 眼前の屯所には至る所にセンサーと監視カメラが設置されており、僕らの侵入を阻んでいた。

 そこに幾重にも術式が施されているので、正攻法の突破では魔導と科学の両方の知識を必要とする。

 しかもクリスティナさんから聞いた話によると、装置とやらを壊して脱出した以上警戒レベルが上がっている可能性が高いとの事。

 若さんや美鈴さんの様な能力がなければ、見つからずに侵入する事は難しいだろう。そう、そんな環境下だからこそマキナの能力は最大限に発揮される。

 緊急を要する事態だと理解しているからこそ、マキナの助けが必要なのだ。


「ありがとう、マキナ」


 僕はマキナの頭を撫ぜると、彼女は液状の体をくねらせ喜んだ。

 見掛けは機械の様に無表情、無感動そうに見えるがマキナは意外と感情豊かである。

 恐らく感情を隠すという機微が存在しない為なのだろう。


「……………」


 そんな僕らの様子を、クリスティナさんは口をヘの字にしてどこか咎める様に見ていた。

 なんとなくクリスティナさんも撫ぜて欲しいのだと分かる。


「おいでー」


 僕が手招きすると、クリスティナさんは顔を赤らめそっぽを向いた。

 どうしたのだろう。

 恥ずかしいのだろうか。


「ち、違います。別に羨ましくて見ていたわけでは――」

「僕に撫ぜられるのは嫌?」

「そ、そういう訳では………………。寧ろ撫ぜて欲しいですけれど」


 胸の前で指をもじもじさせながら、クリスティナさんは此方をちらりと覗き見てくる。

 その声も蚊の泣く様な音量であり、僕には嫌がっていないという事しかわからなかった。

 だが、嫌がっていないとわかればそれで十分である。


「捕まえました」


 背中を向けているクリスティナさんに狙いをつけると、僕は忍び足で近寄りギュッと抱きつく。

 それにより森の様な落ち着く匂いが胸いっぱいに広がる。

 やっぱりこの匂いは好きだ。


「なっ?! キ、キョウさんやっぱり性格変わっていませんかっ?!」

「? 僕は僕ですけど?」


 おかしな事を言うクリスティナさんに僕は首を傾げる。

 まるで別人格が居るような口調だけれども、僕はずっと昔から今日まで僕のままだ。

 昔の事もそうだし、クリスティナさんとの馴れ初めもしっかりと覚えている。


「ふふっ、あの時と同じでやっぱりいい匂いです」


 僕はクリスティナさんの背中に抱きついたまま、角と同じ色で綺麗な銀髪に顔を埋める。

 人間ではありえないほどサラサラした感触が伝わり気持ちいい。

 僕はグリグリと額をクリスティナさんに擦り付け、深呼吸する。

 更に濃厚な匂いが鼻孔をくすぐり、ずっとこうしていたくなる。


「は、恥ずかしいのでその……あまり嗅がないでください」


 クリスティナさんは耳まで真っ赤にして、羞恥に体を震わせた。

 興奮状態な所為だろうか、尻尾も高く持ち上がっており、左右に忙しなく揺らしている。

 しかし僕を払いのけようとはしなかった。

 このままずっとこうしていたいのは山々なんだけれども、そうも言っていられない。

 今はシルヴィアさんの救出が優先だ。


「ハッキングにより経路確保完了と報告」


 僕がクリスティナさんから離れようとする前に、マキナが間に割り込んでくる。

 そして頭でも撫でで欲しいかの様に、ぐいっと頭を差し出してきた。

 その光景を微笑ましく思いながら、僕らは先を急ぐのだった。



 †



「――装置損傷率60%。いつ崩壊してもおかしくはないと進言」


 キョウ達は警備の穴をくぐり、結界まで辿り着く。

 結界はもう既に崩壊が始まっており、マキナの言葉通りいつ壊れてもおかしくはない有様である。

 結界内部で崩壊すればキョウ達も無事では居られないだろう。

 故にマキナは主人の意思を確認する。

 彼の道具となる為に。


「それでも僕らはこの先に行かなくちゃいけないんだ。――――お願いできる、マキナ?」

「イエスマスター」


 マキナは短い返事だけすると体から鋼色の触手を伸ばし、次々と結界に接続していく。

 そして装置を操作し、二人が通り抜けられる道を開けた。


マキナは維持の為、ここに残る必要があると申告」

「分かった。すぐに戻ってくるからね」

マキナ永遠とわにお待ちしていると此処に盟約」


 マキナは小さくお辞儀をすると、装置に同化して溶けていった。

 二人はマキナに感謝の言葉を述べながら、先を急ぐ。


「この奥です――」


 結界を抜け、牢獄の奥までクリスティナ達は最速で駆け抜ける。

 前回と同様不自然な程に見張りはおらず、不気味なまでに通路は静まり返っていた。

 しかし、罠だとしても二人は止まる訳には行かない。

 鼻を突く臭いは先程よりも明らかに増しており、それがクリスティナの焦燥の原因となっていた。

 何せ、あの時違和感に気づいていれば防げたミスなのだ。

 責任感の強さが相まって、クリスティナを苦しめていた。


「大丈夫だよ、クリスティナさん。まだ


 そんなクリスティナにキョウは優しく微笑みかける。

 それだけでクリスティナの焦燥はピタリと収まった。

 まるでその声が天啓であるかの様に、根拠もなく胸の中に落ちてくるのだ。

 そしてその言葉が届いたのは彼女だけではなく――。


『―――――』


 ――牢獄の奥底。

 聴覚・視覚・触覚・味覚・嗅覚全てがまともに機能しないほど衰えていたソレの心臓が強く鼓動した。

 白く濁った眼球は最早何も映らないというのに、ギラギラと周囲を探し始める。

 四肢は全て腐り落ちており、控えめに言ってもゾンビやミイラと言った方が正しいような様相を呈しているのに、ソレはまだ生きていた。


「…………………」


 喉は潰れ声は疎か、呼吸すらままならないと言うのに彼の名を呼び続けている。

 そこに在るのはただ只管に桁違いの意志力。

 彼女は彼への想いだけで肉体の限界を遥かに超越し続け、今なお生存しているのだ。

 それは一つの奇跡と言っていい事柄だろう。

 具体的に言うと、彼女は今己の心臓をで鼓動させて漸く生きながらえている状況なのだから。

 腐敗する血液を循環させ、老廃物を垂れ流し、臓器が溶け落ちても生きようとする強烈なまでの意思。

 ソレは死にながら生きていた。


「――――――」


 そんな彼女の光景にクリスティナは言葉を失うしかなかった。

 何故なら目の前のソレは本来死体である。

 動いいきていると言うのであれば、ゾンビとしか言い様がないだろう。

 それほどまでに目の前の光景は想像を絶する凄惨な光景だった。

 助けると覚悟して飛び込んだクリスティナでさえ、一歩も動けない状況。

 そんな中、何も動じる事がなかった人物が一人――。


「やっと見つけたよ、シルヴィアさん」


 キョウはまるで迷子の友人を見つけたような気楽さで、その中に入っていく。

 死体遺棄所も斯くやと言った、濃密すぎる腐臭と血の匂いで昏睡する人が居てもおかしくはない状況の中。

 キョウは眉一つ変わる事なく進んでいる。

 躊躇なく一直線にシルヴィアの元に辿り着くと、そっとその体を抱き起こす。


「こんなになるまでよく頑張ったね。頑張った、うん、シルヴィアさんはよく頑張った」


 キョウはシルヴィアの顔を愛しげに撫でる。

 ただそれだけの動作で苦悶に満ちたシルヴィアの表情に安らぎが浮かぶ。

 それは慰魔の血が持つ妖魔の衝動抑える力に依るものだ。

 彼は今その力を全力で行使して、彼女の中に存在した暴力的衝動を全て癒やし尽くしたのだ。

 シルヴィアが自壊するのは体内にあるアステリスアの血の所為である。

 故にそれを鎮めれば自壊は止まり、自己回復が始まる。

 だがそれを鎮めると言う事が、どれほど規格外の力であるか彼らは知る由もない。

 彼は今、暴力を司る邪神を癒やしきったのだ。

 相性の良い慰魔師であっても数十人、或いは数百人単位でしか出来ない彼女の血を、だ。

 これを規格外と言わずなんと呼ぶだろうか。


「僕を呼んでくれて、ありがとう。僕を助けるために頑張ってくれて、ありがとう」

「――――ぅぁ」

「そして生きていてくれて、ありがとう。もう一度会えて本当に嬉しいよ、シルヴィアさん。だから――」


 キョウはそっとシルヴィアの唇にキスをする。

 慈愛の表情で愛を、命を吹き込むかの様にゆっくりと。

 閉じた瞳から、一滴の涙が零れ落ちてシルヴィアの体に吸い込まれていく。

 それは紛れもなく祝福だろう。

 これはまだ契約の前段階。

 終生の契約書を渡されたに過ぎない。

 しかし、その力の一端に触れる事により魔神の血が活性化する。


「キョウ……くん………?」

「はい、そうです。キョウです」


 白い靄がかかった瞳でシルヴィアはキョウを見つめる。

 何も見えないに等しい視力でありながら、シルヴィアにはその顔がありありと見えた。


「これがキョウさんの本当の力……」


 その光景をクリスティナは呆然と眺める。

 嬉しさ、悲しさ、憎たらしさ、愛しさ。

 様々な感情が入り混じりながらも不思議と嫌な気持ちはない。

 何故なら彼はそういうものだから。

 同じ涙を受けた身であるクリスティナは本能的にそれを理解する。


「クリスティナさん、治癒をお願いします。あと、この首輪の破壊も」

「――はい」


 キョウの言葉でクリスティナはシルヴィアの妖気を封じていた首輪を破壊すると、治癒を始めた。

 その間もキョウはシルヴィアを手放そうとはせず、ずっと愛おしげに抱きしめ続けている。

 クリスティナはキョウの唇とその表情にチラチラと視線を送りながらも、特に何も言えないのであった。

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