第18話「呪いと僕と抱擁」

 教室を離れ、階段を登り、渡り廊下を超えてもくうの足は止まらず進み続ける。


「えっと、どこまで行くの?」


 くうの事を信用していないわけではないが、少し不安になり僕は尋ねる。


「…………この先の一番上の階」


 くうは理科室や音楽室などが立ち並ぶ特別教室の横を通りながら、ぶっきらぼうに言う。

 此処は特別教室が集まる離れの校舎。

 部活に利用される一部の教室を除き、人気が殆ど無い。

 現に今のところ僕らは誰ともすれ違うことなく此処まで来てしまった。


 ――こんな人気のない場所に連れてきてくうは一体どうするつもりなのか。


 僕はくうの意図がさっぱりわからないまま、付いて行く。


「……………」


 最上階の一番端。

 校庭や他教室の喧騒が届かず、ある意味隔離された空間。

 そこでくうは漸く足を止めた。


「さて――」


 くうは着くなり僕に何の説明もせず、いきなり妖気を開放し始める。

 禍々しくも神々しい妖気が揺々とくうの周りを漂う。

 学園に来てより一層思うが、何度感じてもやはりこの妖気は異質だ。

 例えるなら他の人が暖気を纏っているのであれば、くうだけ冷気を放出しているような感じだろうか。

 僕が妖気を観察している間に、くうは手をかざして辺り一面を覆う壁を妖気で作り上げた。


「これは?」


 箱の中に閉じ込められた気分になりながら、僕はくうに尋ねる。


「簡易的な結界。誰にも邪魔されたくないから」


 漆のように黒く艶やかな長い髪を振り、くうは此方を向いた。

 鮮血の様に赤い眼が僕を覗きこむ。


「っ!!」


 僕は思わずドキリとする。

 昔からこの眼は苦手なのだ。

 宝石のようにきれいな反面、触れれば切れるナイフのように血を連想してしまう。


「――っ」


 僕はくうの眼を直視していられず目を逸らした。

 怖いわけではない。

 くうの眼を怖いと思ったことは一度もない。

 ただ、この眼を間近で見ると深い血の海を連想してしまって、心がざわつくのだ。


「こんな濃密に呪いを掛けられて気づかないなんて……本当に鈍感」


 くうはそんな僕を気にせず、再び僕の首元に顔を近づける。

 そしてそのまますんすん、と鼻を鳴らした。


「うひぃっ!! な、なにしてるの、くう?!」

「動かないで。そのままじっとしていて」


 抗議する僕の意見は即座に却下される。

 僕は恥ずかしさに耐えようと、口を真一文字に結んだ。

 くうはそんな僕の様子に満足したのか、ぺたぺたと僕の体に触れながらゆっくりと背後へ回っていく。

 そして僕のちょうど真後ろで足を止めた。


「絶対に、絶対にこっちを向かないでね。振り向いたら許さない……から」


 くうの声の剣幕に僕は思わず振り返りそうになるが、寸前で言葉の意味を理解し思いとどまる。


「……う、うん」


 僕は背中を向けたまま、頷き了承する。

 それを確認したであろうくうが、ゆっくりと深呼吸する音がやけに大きく廊下に響いた。

 そして――。


「~~~っ!!」


 僕の背中に温かい何かがぶつかる。

 僕はまた振り返りそうになるが、抱きついてきたくうの手を見て動きを止める。


「えと、くう? これに何の意味が?」

「あなたに……掛けられた……呪いを、かき消して……いる、ところ」


 息を切らし、途切れ途切れにくうは言葉を吐き出す。

 くうの言葉に僕は自分の体を見る。

 するとくうの妖気が体を包み、何か別の妖気を追いだそうとしていた。


 ――この妖気は一体誰の……?


 そして先程から言う呪いって何のことだろう。

 そんなことを考えているとくうの妖気が、完全に僕の体を覆っていくのがわかった。

 クラスの皆はこの妖気を見ると恐怖したり、気分が悪くなったりしていた。

 だけど今僕の周りにあるのは、とてもそんな人を傷つけるモノじゃなくて。

 少し冷ややかながらも、揺り籠の様に僕を優しく包み込んでいる。


 ――やっぱりくうの妖気に包まれるとホッとする。


 僕は自分に纏わり付いてくる妖気に目元を緩めた。

 昔から感じ慣れているからか、或いはくう本人に僕を害するという敵意がないためか。

 理由はわからないけれど、僕はその妖気に包まれ安心する。


「っ……ぁは………っく………っ」

「?」


 僕が妖気の感触に人心地ついていると、耳元から妙な音が聞こえ始める。

 苦悩するような、我慢するような、そんな声が混じっただ。

 勿論僕の背後には一人しか居ない以上、音を出している人も一人だろう。

 その声というか吐息に、僕は既知感を覚える所があった。


 ――どうしてだろう、昨日のクリスティナさんと光景がダブるような気がする。


 状況も人もぜんぜん違う。

 だがその艶めかしい声音は同種のものであるという、変な確信があるのだ。


「くう、息が荒いけど、その…………大丈夫?」


 僕は心配になり尋ねる。

 表情を見れない以上、頼れるのは声だけだ。

 だが声だけだからこそ色々と想像が膨らんでしまう面もあるわけで。


「だ、い……丈夫、よ。いいか、らぁ……あっちを、向いて……くぅんんっ」


 後ろは振り返れないけれど、くうが悶えているような声を出す。


 ――あのいつも無表情のお面をつけているようなくうが、悶える?


 いや、ないない。

 絶対ない。

 何故ならあのくうだ。

 触れるもの全てを消し飛ばし、それでいてピクリとも表情を変えないあのくうが、悶えるわけがない。


 無いはずなんだけど、その声にドキドキしている自分がいるのもまた事実で。

 僕は呪いを解くためなのだと、頭のなかで納得しつつも後ろの声に反応せざる終えなかった。


「……ふぁ……ぁっ……んっ」


 甘い吐息は一向に終わる気配がない。

 それどころか低体温のはずのくうの体がどんどんと熱を帯びてきているのだ。

 僕はじっとりと手に汗をかく。

 一体全体僕の後ろでは何が起きているのだろうか。


「え~と、ほ、本当に……大丈夫?」


 僕は出来る限り後ろを気にしないようにしながら、もう一度くうに尋ねる。

 すると僕のシャツがギュッと握られた。


「ぁ……ふぅ………、大、丈夫……だから、絶対に……、こっち……み、な……いで……っ!!」


 どんどん荒くなるくうの息遣いと上昇する体温。

 どう考えても大丈夫じゃないけれど、くうがそう言っているので僕は黙って佇むしかできない。


「み、見ないから……。ぜ、絶対見ないから」

「ぜ、絶対……よ? ぜ、絶対……絶対、見ちゃ……ダメ、なん……だか、ら」


 何度も念を押しながら、くうは息も絶え絶えに僕に言う。

 その声が少し、見て欲しそうに聞こえるのは僕の頭が緊張でおかしくなったせいだろうか。


「感じ、ちゃ……ダメ、なの……に、……ぅんんっ……こ、ん……な…………ふぅんん――っ!!」


 くうは荒い息とともにますます僕に体を押し付けてくる。


「わ、わわ――っ!!」


 ますます密着したことにより、背中に柔らかい感触が感じられるようになる。

 僕はその感触に驚くよりも先に、くうがこんなに僕に密着してきたことに感動した。


 ――いつ以来だろう? こんなにくうと近づいたのは。


 僕は昔の記憶を想起する。

 くうと僕は昔はよく一緒にお風呂に入ったりするくらい仲が良かった。

 いつも一緒に布団を並べて寝て、時には同じ布団で寝たりもしたものだ。


 ――僕らは……いや少なくとも僕は仲良しだと思っていた。


「―――――っ」


 懐かしい記憶に思わず僕はホロリと涙がでる。

 けれど、それは昔の記憶。

 いつの頃からかくうは僕に近付くのをやめ、一定の距離を置くようになってしまった。

 別に仲が険悪になったわけではない。

 ただ交わす会話が徐々になくなってゆき、やがて何をするのにも別行動となっただけだ

 当時その事をきよさんに聞くと――。


『成長に伴う考え方の変化。―――まあ、要するに青春って事さ』


 と言われたのを覚えている。

 今でもその意味はあんまりよく解っていないけれど、くうが変わったということだけは解った。

 くうはその時から口数が減り、今のような冷たい言葉が増えた。

 けれど僕は、本質は今でも変わっていないのではないかと思っている。

 現にこうして苦しい思いをしながらも、僕のを解こうとしてくれているのが何よりの証拠ではないか。


「――――くう、ありがとう」


 僕は瞼を閉じて、静かにお礼を言う。

 例え邪険にされていようとも、目障りに思われていようとも、僕にとって大切な人なのだ。

 この想いは嘘ではない、そう僕は伝えたかった。

 瞼を上げると、いつの間にか溜まっていた涙が零れ落ちていく。

 そして間が悪いことにその涙はくうの腕に落ちてしまった。


「あっ、ご、ごめっ!!」


 僕が思わず謝ろうとしたその瞬間――。


「~~っ?!! ~~~~~~っ!???? ~~~~~~~~っ!!!!!!!!!!!」


 くうが声にならない悲鳴を上げると同時に、結界がした。

 それはもうダイナマイトが爆発したような勢いで、辺りを滅茶苦茶にしながら。


「えっ?! ええっ?!! えええ――――っ?!!!」


 一体全体何が起こったのかわからず混乱する僕。

 しかし状況待っていてはくれない。

 くうから今も発せられる爆風の様な妖気が、今も尚怒涛の勢いで押し寄せてきている。


「え? ちょ、ちょっと――――っ?!」


 あまりの大量の妖気に僕は身動きが重くなった。

 もし空気が僕目掛けて押しくら饅頭を敢行すれば、きっとこんな状態になるだろう。

 そんな事を考えながら、全く理解できない状況に更に混乱する僕。

 しかし僕が本当に対処しなければならないのは、妖気でも結界の爆発でもましてや呪いでもなかった。


「~~~~~~~~~~っ!!!!!!!!!!」


 くうの悲鳴はまだやまない。

 それどころか体をビクビク痙攣させ、僕を締め殺すような力で抱きしめてくる。


 ――抱きしめられて嬉しいって言ったけど、ぜ、前言撤回したい。


 ミシミシと骨が悲鳴を上げているのを感じながら、僕は必死に何とか抜けだそうと藻掻く。

 だけど纏わり付いてくる妖気と、凄まじいまでのくうの腕力で全く身動きがとれない。


「た、助け……ぐふぉぁ――っ!!」


 僕は思わず助けを求めようと声を上げようとするが、口封じするかのようにくうは更に力を込めてくる。

 それにより肺を圧迫され、中の空気が開けた口から出て吹き出してしまう。


 ――い、息が……。


 肺を抑えられた状態になり、僕は息ができなくなる。

 僕は新鮮な空気を求めて、反射的に体をじたばたさせる。

 その際僕の背中に密着している柔らかい何かが、グニョグニョと動いた気がするが状況が状況なのだ。

 僕は最早なりふり構っていられなかった。


「――っ?!! や、止め――ぁ、また……。いっ~~~~~~~~~~~~っ!!!!!!!!!!!」


 当りどころが悪かったのか、更なる絶叫を上げるくう。

 僕が暴れる度に体をビクビクさせているのが伝わる。

 そして当然、僕を締め上げる力も強まる。


「ぎ、ギブ……アッ……」


 一体何が始まりだったのか僕にはもう解らないが、僕らは今絶賛悪循環の中、悲鳴を上げ続けるのだった。

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