第15話「一人ご飯を食べていると周りの視線が痛い」

 ――時間は進み、その日の昼休み。


 朝の傷(心)が癒えぬまま僕は溢れんばかりの人混みを前に、尻込みしていた。

 勿論一人ぼっちである。

 なぜ一人かというと友人のクリスティナさんは用事があるといい、授業が終わると同時に何処かへ行ってしまい。

 くうに至っては僕が見た時には既に居なかったからだ。

 仕方がないので僕は、一人寂しく学食へとやってきたわけだ。


 ――くうが先に行っているかもしれないと思っていたけど、この人混みでは絶対にないよね。


 目の前には溢れんばかりの妖魔、人、妖魔。

 押し合い、ひしめき合い、皆一様に進もうとしている。

 こんな妖魔と人が入り混じり大混雑している状況に、あの唯我独尊を貫くくうが並んでいるとは到底思えない。

 そして僕自身もこの大混雑の中、並べそうとは到底思えなかった。


 ――仮に並べたとしても、一人席がないからハードル高いし……。


 僕は仲良く席に座り談笑しているグループをちらりと見る。

 男女仲良く交互に座り、とても楽しそうだ。

 それを眺めいていると、だんだん惨めな気分になっていく。

 世の中はこんなにもリア充を満喫しているというのに、僕は学食に入ることすら出来ない。

 僕はあまりの敷居の高さに学食を諦め、購買部にいくことにする。


 ――購買部で買った食べ物なら自分の机で食べれるし、最悪真さんに占領されていてもトイレで食べればいいし。


 僕はそう決めると、人の流れに逆らい購買部へと向かう。

 しかし、そこでも―――。


「………うわー、うわー」


 僕は奪いあうように商品を取り合う人達を見て、自分の考えの甘さを思い知った。

 昼休みは戦場だと盗み聞いてはいたが、これ程とは思わなかった。

 商品を掴み引っ張り合うのは当たり前。

 酷い人は殴る蹴るに近い暴力行為から、果ては角やら爪やら出してちょっとした流血沙汰にまでなっている。

 どう考えても僕が割り込んでいける場所ではない。


「でも、しょうがないか」


 僕は諦めの声を上げる。

 ここは一つの戦場。

 勝者だけが何かを手にすることが出来る場所なのだ。

 そんな場所で臆病な僕が何かを得られるはずはない。

 僕は昼食抜きも覚悟しつつ、人混みが無くなるのを待つことにする。

 その間暇なので、どんな人がどんな商品を買っているか観察することにした。


「あれ?」


 すると、僕はあることに気付いた。

 人混みばかりに視線が行っていたが、僕の近くには同じように人混みを見ているだけの男子生徒が多く居るのだ。

 てっきり僕と同じく人混みに入れない人達なのだと思っていた。

 しかしよくよく見ていると、どうも違う様子。


「むむ?」


 僕が注意深くその男子生徒を観察していると、若干髪やら服装が乱れた女子生徒がその前まで走ってきた。


「おまたせ~。カニコロサンドだよ」

「ありがとうございます」

「じゃ、行こっか」


 二つ商品を買ってきた女子生徒がその一つを男子生徒に渡すと、二人は腕を組んで仲良く何処かへ消えていく。

 僕はその様子を呆然と見送る。

 しかも特別なのはその男子生徒だけではなく、周りの男子生徒にも次々と女子生徒が走ってきた。


 ――なんだろう、この格差社会。


 人生の勝ち組と負け組の違いをむざむざと魅せつけられた気がして、僕は心が折れそうになる。

 でもいいのだ。

 僕は所詮普通じゃないんだから。

 自分で自分の傷口を広げながら、僕は只管人混みが無くなるのを待った。


 が――。


「………うぅ、気持ち悪い」


 しばらく人の流れを眺めていると、あまりの人の多さからか僕は人混みに酔った。

 頭がぐわんぐわんし、胃から酸っぱいものがこみ上げてくる。

 大体生まれてこの方、人混みに揉まれたことがないのだ。

 酔うのは当然なのかもしれない。

 僕はあまりの気持ち悪さに堪らず、人混みから逃れようとする。


「おぉぉ……っとと…………」


 しかし、目眩と立ちくらみによって僕は真っすぐ歩けずバランスを崩す。

 そしてそのままよろけるように何かにぶつかった。


「あっ……れ……?」


 ポヨンという音とともに僕の体はとても柔らかいものにぶつかり止まる。

 それと同時にふんわりといい匂いに包まれた。


「あらあらこれは……」


 頭上から落ち着いた女性の声が降ってくる。

 そこで僕は漸く誰かにぶつかったのだということを理解した。


「ご、ごめんなさいっ!!」


 僕は即座に謝り、その人から離れようとする。


「大丈夫、大丈夫ですよ」


 しかしその人は嫌がりもせず、僕のことをゆっくり抱きしめる。

 僕は揺り籠のような暖かさに包まれ、その場から動けなくなった。

 いや、正確に言うと動きたくなくなったのだ。

 こんな状況になれば早鐘を打つはずの心臓が、まるで鹿威ししおどしのようにゆっくりと心地の良いリズムを刻んでいる。

 それはまるで午睡の微睡みの様に、どこまでも気持ちのよい時間をもたらしてくれているのだ。

 それはきっと、目の前の人の心音がこんなにも穏やかで和らぎをもたらす音だからだろう。


「――落ち着きましたか?」


 時間にして数分だろうか。

 僕の呼吸が整ったことを確認すると、その人は僕をゆっくりと開放する。

 名残惜しく感じつつも、僕はそっと離れた。


「は、はい。あ、ありがとうございます」


 僕は自分の足で立つと、その人にお礼を言う。

 目の前には黒灰色こくかいしょくの髪を腰まで伸ばしたお姉さんが、慈愛の表情を僕に向けて立っていた。

 まるで母親の様な温かな眼差し。

 だがそれと同時に僕は本能的に異変を感じ取る。


 ――なに……これ……?


 僕はそのお姉さんの優しげな表情や、誰もが振り返る美しさなど、見かけから感じる要素全部が頭から零れ落ちる。


 ――この人は


 その存在の成り立ちからして回りにいる生物とに違うのだ。

 遥か昔、最早記憶に光景すら残っては居ないけれど、初めてきよさんと出会った時のような、言い知れぬナニカを僕はこの人から感じた。

 けれどそれが怖いだとか嫌だというわけではなく。

 うまく言えないけど不思議な感覚に僕はなった。


「嫌いな食べ物はありますか?」


 突然、なんの脈絡もなくお姉さんは僕に質問してきた。

 その言葉と同時に言葉では言い表せないナニカは霧散していく。

 さっきのは何だったのだろうと思いつつ、僕は答えるために口を開いた。


「えと、特にないです」

「ふふ、好き嫌いがないのはいいことです。では少し待っていてもらえるでしょうか。すぐ戻りますので」


 お姉さんはそう微笑みかけると、足取り軽く人混みの中へ入っていく。

 僕は訳がわからないまま、じっとその後姿を眺めていると有り得ない光景が目の前に広がった。

 まるでモーゼの十戒の様に人混みが割れたのだ。

 それもお姉さんの道を作るためだけに。


「――っ?! っ?!!」


 あまりの出来事に僕は声が出なかった。

 今の今まで熱気と騒音で混沌とかしていた空間が、突然礼拝堂のように静まり返り、秩序がもたらされたのだ。

 一体お姉さんは何者なのだろうか。

 僕は疑問符と感嘆符を頭の上に浮かべるしか無かった。


「お待たせしました。御口に合うといいのですが」


 お姉さんは何も無かったかのように菓子パンを二つ、上品に抱えて戻ってくると僕に一つ手渡した。

 その後ろでは人混みに再び喧騒が戻る。

 僕は混乱しつつも、頭を下げながらパンを受け取った。


「あ、あの……お金……」

「先輩から後輩への奢り、です」


 僕は慌てて学園から支給されている『コイン』を取り出そうとするも、お姉さんに人差し指で唇を押さえられ、止められる。

 僕の唇がお姉さんの指に触れ、僕はドキッとした。


「代わりと言っては可笑しいですが、もし、よければ昼食をご一緒しませんか?」


 僕の唇をお茶目にくすぐると、お姉さんは食事のお誘いをしてきた。


「えと……あの……僕なんかで良ければ……」


 お姉さんの好意に甘える形で僕は頷く。

 でもこんなに良くしてもらっていいのだろうか、と言う疑問が僕の脳裏によぎる。


「了承も得られたことですし、では行きましょうか。静かで落ち着いて食事の出来る秘密の場所があるのです」


 お姉さんはそう言って歩き出す。

 そして二三歩歩いて、立ち止まった。


「?」


 僕も二三歩歩いて、お姉さんの後ろで立ち止まる。

 するとお姉さんはくるりと反転し、僕と向き合う形になった。

 僕は何事かと身構えてしまう。


「少しうっかりしていました。自己紹介がまだでしたね」


 少し照れた表情で笑うお姉さんに、僕は親近感がわいた。


「私は咲恋さこといいます。どうぞよろしくお願いしますね」


 それが僕と咲恋さんの初めての出会いだった。


 †


 見たこともない生き物が描かれながらも、何処か厳かな感じのする襖。

 イグサのいい匂いがする畳。

 そして中央に鎮座する囲炉裏。

 僕は今、そんな和室に正座してパンを齧っていた。

 なにかすごいアンバランスな気もするが、きっと気にしてはいけないのだろう。

 囲炉裏を挟んで向かい側。

 そこには咲恋さんも昼食をとっていた。


「はむ、はむ………。ん~、美味しいです」


 抹茶練乳ミルク宇治金時パンという、聞くだけで甘そうなパンに齧り付きながら咲恋さんは目元を緩める。

 当然というべきか、僕の手元にあるものも同じものだ。

 甘いものは別に嫌いではないけれど、そんな僕でも少し胸焼けがしそうなくらいの甘さだった。


「ふふ、お茶です、どうぞ」

「あ、すいません」


 僕の心を見透かしたようなタイミングで咲恋さんからお茶が出される。

 僕はそんなに分かりやすい顔をしていたかな、と思いながらお茶を啜った。

 当然このお茶は咲恋さんが囲炉裏で焚いて淹れたものだ。


「あ、美味しい」


 パンの甘さとお茶の渋味がちょうどマッチしていて、僕は思わず呟いてしまう。

 そんな僕の様子を咲恋さんはニコニコしながら見ているだけで、何も言わなかった。


「そういえば一つ聞き忘れていたことがありました」


 食事が終わり二人でのんびりとお茶を啜っていると、咲恋さんはポンと手を叩く。

 僕は何事かと思い、口の中にあったお茶を急いで流し込むと、容器を置いた。


「購買部で私より先に妖魔おんなのこに、声を掛けられていませんでしたか?」

「い、いえ、そんなことは全く……」


 僕は落ち込みながら否定する。

 妖魔どころか咲恋さん以外誰も話しかけてこなかった、と言うのは僕の胸の中にしまっておこう。

 これ以上虚しくなるのは避けたかった。


「そうですか、良かった」


 咲恋さんはほっとひと安心した顔を見せる。

 一体何が良かったのだろうか。

 僕はぼっちであったことを指摘されないかドキドキする。


「あっ、まだ入学したてのキョウ君は知りませんでしたね。この学園の購買部には一つ通例のようなものがあります」

「通例ですか?」

「キョウ君は見ませんでしたか? 女子生徒ようま男子生徒いましに購入した昼食を渡しているところを」


 その言葉に僕はピンとくる。

 おそらくあの勝ち組の人達の事だろう。


「あれが購買部の習わし、なのです。どちらかが声を掛けて妖魔にお金を渡し、購入後は二人で一緒に食べる。そうですね、今の私とキョウ君のような状態です」

「へ~、そうだったんですか」


 僕は咲恋さんの話に感心する。

 だから僕と同じように男子生徒達は待っていたわけか。

 でも僕はふと此処で疑問が浮かぶ。


「でも、それってちょっと妖魔さん達が可哀想ですよね」

「ふふ、確かに小間使いに見えなくもありませんね。でもそうではないのです」

「?」

「これは妖魔にとってアプローチの場でもあるのです。通常、人間である慰魔師が妖魔に混ざり、商品を買うのは困難を極めます。運が良くないと怪我をするかもしれません」


『アプローチ』『困難』『怪我』

 アプローチの意味はよくわからないけれど、僕は相槌を打つ。

 そして聞きながら僕は、妖魔は人混みで酔わないのだろうか、と思った。


「ですから妖魔が代わりに買い物をし、その対価として慰魔師は共に食事をする。妖魔にとってパートナー探しの機会は多いように見えて、その実あまり多くはありません。ですので誰かが決めたわけではありませんが、いつの間にかこのような慣習として根付いてしまったのです」


 僕はお茶を啜りながら咲恋さんの話を聞く。


 ――購買部一つとってもそんな意味があるなんて……。


 僕は素直に感心した。

 でもそれと同時に僕はあることに気付く。


「あ、あの……もしずっと男子生徒が声を掛けられないままだと、昼食はどうなるんですか?」

「勿論抜きになります」


 咲恋さんは間髪入れずに即答する。


「え?」


 僕は思わず聞き返した。

 しかし咲恋さんはニコニコ笑うだけで答えない。


 ――もしかして本当にご飯抜きになるのだろうか。


 僕は先ほどの購買部での光景を思い出す。

 咲恋さんにぶつかるまで僕が声を掛けられることはなかった。

 つまりどう考えても、僕は声を掛けられない可能性が高いのだ。

 当然僕は今後の昼食が不安になる。

 そんな僕の表情を見て咲恋さんはクスッと笑った。


「ふふ、冗談です。四半刻もすれば空いて普通に買い物が出来るようになります。少し食事の時間が短いですが、抜きになるような事はありませんよ」


 咲恋さんの言葉に僕はほっとする。

 どうやら昼食抜きの未来は避けられそうだ。


「ところであの……この部屋は一体なんですか?」


 僕は話が一段落してから、此処へ来て一番の疑問を尋ねた。

 道中お互いの自己紹介やクラスなどは話したが、この場所については何も聞いていない。

 それどころかこの部屋は、校内見学の時ですら通っていない場所にあったのだ。


「この部屋……ですか。他の生徒からは『逆事の間』と呼ばれていますね」

「サカゴトの間?」

「そうです。昔はそんな名称もなかったのですが、ある時からそう呼ばれるようになったそうですよ。――――あら、もうこんな時間ですか。この話はまた今度のお楽しみ、としましょう」


 咲恋さんはちらりと時計を見ると、ポンと手をうち後片付けを始める。

 僕もつられて時計を見た。

 もう後五分で昼休みが終わる時間だ。


「全然気づかなかった」


 僕はそういいながら後片付けの手伝いをする。

 しかし片付けをしながら僕は先程の話が気になってしょうがなかった。


「あの……」

「どうかしましたか?」


 部屋を閉める準備をしている咲恋さんに、僕は意を決しおずおずと話しかける。


「また……そのお話、聞きに来てもいいですか?」

「はい、勿論です。昼休みはいつもここにいるので、いつでもいらしてください」


 僕の言葉を聞くと、咲恋さんは本当に嬉しそうに笑う。

 僕も咲恋さんに誘われるように顔が綻ぶ。

 こうして僕の初めての昼休みは楽しい思い出のまま幕を閉じたのであった。

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