第71話「六つの角と九つの瞳を持つ聖獣」

「……っ」


 大量の妖気の残滓が渦巻く中。

 クリスティナは片腕を使いながら、地を這う。

 もう一方の腕は肩が外れているのか、不自然に脱力した状態で引き摺られている。

 最早誰が見ても戦闘続行は不可能だというのに、クリスティナはまだ動くのをやめない。

 まるでまだ何か目的があるかのように、使命感を宿し進み続ける。


「ははっ、本当に……完敗、だな」


 場面が変わってシルヴィアへと視点が移る。

 数えきれない切り傷を受け、体の周辺を血溜まりにしながらもシルヴィアは笑う。

 全力を賭して負けた以上、思い描く結果ではなかったが満足はしているのだ。

 最早退場となるのは時間の問題だろう。

 そんなシルヴィアの側に何者かが駆け寄ってくる。


「あぁ……キミか。大丈夫だ、仕込みは問題ない。後は――」


 シルヴィアは歯を食いしばり、震える体で血塗れの腕を伸ばした。



 †



「はぁ……もう追いついたのか、ホント面倒くさいな」


 大妖クラスの妖魔二人に挟まれながら識さんは溜息を吐く。

 しかしそこには諦めや悲壮感など全くなく、寧ろ煩わしいといった類の溜息だった。

 そんな識さんを後に、僕は二人に強い視線を送る。

 怯えとか命乞いとかではなく、どうしても聞かなければならないことがあるからだ。


「……クリスティナさんとシルヴィアさんはどうしたんですか?」


 自分でも少し怖い声を出していると感じながらも、僕は怯むこと無く二人を見据える。

 二人は僕の視線を受けて、少し狼狽えながらも口を開く。


「アイツなら向こうのほうで伸びてる。代わりに俺は掌と肩に風穴開けられたけどな」

「あの夢魔でしたらに傷めつけましたわ。勿論命に別状はありませんし、怪我も保健室に行けばすぐ元に戻りますわよ」

「そう……ですか」


 僕は二人が僕のために怪我をしたと聞き、落ち込む。

 二人だけじゃない、朱さんだって手と肩から血を流している。

 皆僕の大切な友達なんだ、こんな事で傷ついて欲しくないと思うのはおかしな事なのだろうか。

 そんな僕の心情を読んだのか、識さんがポンと僕の頭に手を載せた。


「あ~、キョウ、ひとつ言っておく。人間の尺度で妖魔の怪我を測らない方がいい。そこの鬼も吸血鬼も首を切り落とされても平気で動けるような奴らだ。あの程度のダメージ、人間で言うツッコミ程度のものと変わりない」

「そうなんですか?」


 頭に手を載せられたまま、僕は聞き返す。

 二人周辺の気温が下がり、吹雪いてきたような気がするが、僕にとって今は怪我の具合のほうが大事だった。


「いえまあ、事実ではありますが、あまりキョウの前で化け物扱いするのはやめてくださいませんこと?」

「流石にユニコーンにぶっ刺されれば痛てぇんだけど?」

「って、言ってますけど識さん」

「――そうだよな? な?」

「え、えぇ……そう、ですわ」

「ちっ、あぁ糞。そうだぜキョウ、こんなもん怪我ですらねぇよ」


 念を押すような識さんの言葉に、二人は渋々と言うか、自棄糞のように頷いた。

 そして明らかに忌々しいものを見る目つきで識さんの方を見始める。

 先程のやりとりにそんな怒るような要素などあったのだろうか。


「えっと、矛先が識さんに向いた感じなんですけど、これから一体……」

「戦うしか無いだろ。ホントッ~~に、面倒くさいけどな」


 そう言うと同時に識さんは僕の前に出る形で一歩、また一歩と進む。

 識さんが一歩を踏みしめるたびにその体から大量の妖気が溢れだし、その場を満たしていく。

 その妖気は紛うこと無く大妖クラスの妖魔が発することの出来る妖気。


「そうだぜ、くうの奴が居ねぇ以上テメェが戦うしかねぇんだよ。俺達と唯一同格のテメェがな」

「えぇ、コチラは初めから本気だというのに、ヤキモキしましたわ。ですが今度こそ見せてくれるのでしょう? 貴方の本当の姿を」

「……そんな大層なものじゃないんだけどな。まあ好きに見ればいい」


 識さんの放つ妖気が風を巻き起こすと同時に、眩い閃光が辺りを照らす。

 そして――。


「――――」


 神聖で優しい妖気に包まれながら、僕が最初に眼にしたのは角だった。

 腰の辺りから腹部を守るように二本、左右それぞれ存在し計四本の角が

 そしてそれは背中だけじゃなく頭部にも生えており、合計で六本の角が存在した。


「六つの角に、九つの瞳。これは珍しいですわね、こんな所で白澤ハクタクに会えるとは……」

「さっき見た不死鳥ほどじゃねぇけどな。それでもまあ珍しいわな、どいつもこいつも気難しい事で有名だからよ」

「九つの瞳?」


 ヴァーミリオンさんに言われ、改めて僕は確認する。

 先程も言った通り妖魔化した識さんの体からは、その髪の色と同じ白金色の角が生えている。

 そしてその角の直ぐ側。

 額と脇腹に新たな眼が増えているのだ。

 僕は神秘的なその姿に目を奪われる。


「そう感心するのもいいけどな、向こうはもう待ってくれないみたいだ」

「え? え?」


 突然腕を引っ張られ、僕の視界が目まぐるしく変わる。

 識さんが僕を連れてジャンプした所為だ。

 それより少し遅れる形で、結界を揺さぶるような轟音が辺り一帯に鳴り響く。

 慌ててその場所に視線を送ると、朱さんが棍棒を振り下ろした後だった。

 安堵するのもつかの間、前方から鋭い風を切る音と共にヴァーミリオンさんが高速で飛来する。


「キョウ、後ろに手を伸ばせ」

「?」


 切羽詰まったこの状況で訳の分からない指示だけど、僕は反射的に後ろに手を伸ばす。

 何故だかわからないが、それが正しい気がしたのだ。

 そしてその僕の直感は、一秒後に正しいと判明する。


「っ?!」


 腕を伸ばすと同時に、ヴァーミリオンさんの首が丁度僕の掌に収まる形で嵌る。

 思わず掴んでしまったことで、小さな悲鳴がヴァーミリオンさんから零れた。


「そのまま下」

「え? は、はい」


 識さんに言われるがままに、僕は腕を下に向ける。

 それがヴァーミリオンさんが藻掻くタイミングと一致し。

 掌から抜け出すような形でヴァーミリオンさんは下方へと発射された。

 そしてその先には――。


「なっ?! おい……」

「キャッ?!」


 僕らの方に飛んできていた朱さんとヴァーミリオンさんが激突する。

 示し合わせたかのような一連の出来事に、僕は思わず放心した。

 識さん自身、僕に指示を出しただけで何もしていないのだ。

 まるで魔法のようだと、僕は感心する。


「早く逃げるぞ」

「え? 戦わないんですか?」

「このルールで戦う意味なんてあるわけ無いだろ? さっきのアレは殆ど出任せだよ。それに――」


 識さんは言葉を区切って二人が落ちた場所に視線を送る。

 僕も釣られて視線を送ると、立ち上がった二人が闘志の炎を燃え上がらせながら、僕らの方を睨んでいた。


「こういった荒事は得意じゃないんだよ、私は」

「僕と一緒ですね」

「馬鹿なこと言ってる場合か」


 識さんに連れられながら、僕らは疾風のように駆け抜ける。

 それも態と人が多くいる中を、間を縫うように通って行く。

 上空を飛ぶヴァーミリオンさんには補足と攻撃がしにくく、小回りの効かない朱さんには遠回りか減速せざる負えないルートだ。


「あの、識さん?」

「視えるというか、解ると言った方が正しいな」

「解る?」


 僕は識さんの進むルートを見ながら、疑問に思ったことを訊いてみた。

 何故ならこのルートは僕では絶対取れないルートだからだ。

 識さんは今僕を連れて、他の妖魔達が戦っている隙間を擦り抜けるように通っている。

 それも激戦区や多くの妖魔が護っている慰魔師の横などを好んで選んでいるのだ。

 これは移動速度がどうとか、反射神経がどうとかそう言うレベルではない。


――未来視。


 慰魔師に当たれば即失格な以上、出来ない芸当なのだ。


「伊達に九つの眼がついてるわけじゃないからな。そのモノを視れば大体の事は解る」

「本当ですか? じ、じゃあクリスティナさん達が実は僕に友情を感じていないと言う事の真偽も分かりますか?」

「……それ、今聞くことなのか?」


 心底呆れた眼で見てくる識さんに、僕は怯まず頷く。

 これは僕にとって一番大事なことなのだ。

 こんな誰かを傷付けるようなイベントなんかよりも、ずっと。


「は、はい。昼休みからずっと引っ掛かっていて……」

「そりゃあまあ、アレが友情かと言われると、な。明らかにレン……いや、これは私の口から言うことじゃないな」

「え? どうしてそこで止めるんですか!! しかも友情じゃないんですか?!」

「喪女の私がこんな事言いたくないけど、慰魔師おとこ妖魔おんなの間で純粋な友情は難しいんだよ。――――私に男友達なんていた事ないけどな」


 どこか疲れた顔をしながら識さんはそう言う。

 なんだかよく分からないが、友情というものはなかなか難しいものらしい。

 それは友人になって日が浅いのが原因だろうか?

 僕は友情について、もっと皆と育まなければと思った。

 それはそれとして、僕は識さんが最後にぼそっと言った言葉が気になった。


「識さん、友達居ないんですか?」

「おい止めろ馬鹿、私をそんな同類を見るような目で見るな。違うからな? 友人は普通にいるからな?」

「でもさっき……」

「あれは男友達の話だ。だいたい、見窄らしい見た目してて面倒くさそうな性格している私がモテるはずないだろ?」

「そんなことないです。識さんは綺麗ですし、性格も優しいです」


 僕は嘘偽り無い純粋な気持ちでそう言う。

 九つの眼が一斉に僕の方を向き、凝視してくるが僕は一向に構わなかった。

 だって本当の事なのだから。


「そ、そう言うのいいから」

「嘘じゃないです。少なくとも僕は識さんと友達になりたいと思っています。僕なんかじゃ、烏滸おこがましいかもしれませんけど」

「あ~、いやその……だな。べ、別にそんな事はないというか、兎に角今は――」


 識さんが何かを言おうとした瞬間、結界内全体に響き渡るような大轟音が発生する。

 僕は咄嗟にそちらの方を向こうとするが、識さんに目を覆われ止められた。


『――私達わたくしたちから離れろ』


 そして禍々しい妖気とともに、呪詛のような言葉が結界内にいる全ての人に降り注いだ。

 その瞬間、僕らの周りに居た人達が、一斉にとある地点から離れるように駆け出し始める。

 災害から逃げる小動物のように、皆が皆今まで行っていたこと全てを放棄して逃げ惑う。

 目隠しを外された僕は蜘蛛の子を散らすような光景を、唖然として眺めるしかなかった。


「あれは魅了の魔眼だな、音で一斉に気を引かせて術に掛けたんだろう。しかしまあ、通常見つめ合わなければ掛かりが薄い魔眼で、この範囲、この人数を掛けれるのか。随分と頼りになるお友達だな」

「あ、あはは……」


 皮肉った物言いの識さんに、僕は乾いた笑いしか出なかった。

 そんな僕らの前に、三度朱さん達が立ち塞がる。


「当然ですわ、わたくしは真祖の吸血鬼ですのよ? まあ流石に無条件というわけには行きませんけれどね」

「今度こそ観念してもらおうか、もう逃げまわるのは無しだぜ?」


 今度は絶対に逃さないという意志を宿して。

 僕らは今度こそ戦わなければならなかった。

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