第146話「特別視」

 

色を冠する純化の龍神スプレマシーカラーズ


 アステリシア様がそう呼ぶ次元違いの存在。

 現れるだけで全身が消滅しそうな程の威圧に曝される。

 例え1秒でもこの存在の前に立つ事は、精神・肉体・魂の総てを含めて死を意味する。

 アステリシア様から受け取ったマントがなければ、存在すら許されなかっただろう。

 私ではどうあがいても勝負どころか路端の石以下の存在にしかならない。

 出来る事など命乞いでもして見逃して貰う事が精々で、それすらも極小の確率で成り立つ奇跡だ。

 だが――。


「――――退かない。私は今度こそ退かない」


 だが、私は逃げるという選択を捨てる。

 一秒ごとに霧散しそうになる精神を強く繋ぎ止めながら、私はそう宣言した。

 逃げない、退かない、目を逸らさない。

 一寸先に死が迫るとしても、目の前の龍神そんざいから逃げるわけには行かないのだ。

 何故なら龍神コレは、妖魔全てを愛する彼が特別視する存在だからだ。

 彼を手に入れると宣う私が、どうしてこの相手から逃げれようか。

 例え本能や魂に逆らう行為だとしても、退く訳には行かなかった。

 その代償が命だとしても。


「ダメ、『  』――!!」

『――――』


 彼の声が聞こえたと同時に、アステリシア様との修行風景やクリス嬢との決意のシーンが浮かぶ。

 そんな光景が映画の様に高速で映像が駆け抜けていく。


 ――走馬灯? 私は死んだのか?


 何をされたか以前に、相手が行動を起こしたかどうかさえ知覚できない。

 精神と魂は粉々に粉砕され――。


「シルヴィアさん!!」

「――――ぅぁっ?!」


 彼の呼びかけにより魂と精神が僅かに繋がる。

 それにより私は何とか蘇る事が出来た。

 

 寧ろ即死していた方がどれだけ楽であったろうか。

 そう現実逃避したくなるほど目の前の状況は苛烈である。

 意識が戻った事により、マグマを押し付けられたかの様な痛みが腹部に広がっていく。

 激痛で頭が可笑しくなりそうだが、体はピクリとも動かない。


「ぐぉ、ぁああああああ――っ!!」


 眼球を気合と根性で動かし、自分の体の状況を漸く理解する。

 私は今、竜の尻尾により串刺しで宙吊りにされていたのだ。


「僕の体ならいくらでも好きにしていいから。だからシルヴィアさんを放してあげて」

『―――――』


 彼の声が聞こえていないのか相変わらず不明ではあるが、龍は微動だにせず私を空中に縫い続ける。

 まるで標本に飾られた昆虫になった様な気分だ。

 釘代わりの巨大な尻尾に貫かれたまま、私はそんな事を考える。


 ――焚べろ、何でもいいから思考ねんりょうを焚べ続けろ。


 思考に余裕があるのではない。

 寧ろ桁違いの勢いで自身の魂と精神が現在進行形で削られており、その苦痛に耐えきれず脳が自動で現実逃避した結果だった。


「ここが、現実世界だったら……どう足掻こうが即死だっただろうな」


 私は骨が折れそうなくらい強く両拳を握りしめ、己を奮い立たせる。

 ここは精神世界だ。

 肉体の死とは即ち、脳や心臓の停止ではなく心の敗北を意味する。

 精神体からだを維持できるかどうかは物理的な硬さでも再生能力でもなく、精神力……つまるところ気力が総てだ。

 逆に言えば、どれほど相手が強かろうと心さえ折れなければ消滅する事はない。


「なら私の総てを燃料に変えても、燃やし続けるさ――ッ!!」


 吠えると同時に私は己を磔にしている尻尾を全力で掴む。

 その瞬間、電撃が走り視界が真っ白に染まった。


 ――な、に……がっ?!


 千々に砕けていく精神体からだ


 尻尾を引き抜く事が出来れば、と思ったが現実は一切甘くない。

 掴んだ手が超高温の火球に触れたかの如く、一瞬で蒸発する。

 それに連動し気力が更にごっそりと抜け落ちていく。

 先ほど視界が真っ白になったのは、魂が乖離しかけた所為だ。

 この龍神相手には触れる事さえ、赦されない程の格の差が存在する事を改めて認識する。

 振り絞ったなけなしの気力さえ、この様に無慈悲に吹き飛ばされればそうなるのは当然といえる。


「くそっ、くそっ――――っ!!」


 空になりそうな気力を再び燃やすため、憤怒と絶望と尊敬を炉に焚べ燃料にする。

 諦めない事、それが今の私に出来る唯一の手段であり、武器である。

 その為なら全てを捧げても構わないほどの覚悟を以って、漸く私はこの場に存在し続けていられるのだ。


 ――アステリシア様はこの龍神に加え、この場にいる神クラスの妖魔を同時に相手取って何分粘れたのだろうか。


 私は改めてその実力の高さを思い知り、苦笑いをする。

 己の目指すべき到達点……いやのなんと遠い事だろう。

 だが、山は高ければ高いほど登り甲斐がある。

 自ら挑むのだ、そこがなど興醒めにも程があるだろう。


「私は負けない、私は退かない、私は強くなる、強くなってみせる」


 崩壊しそうになる精神を繋ぎ止めるために、私は決意を呟き続ける。


 ――負けない、逃げない、退かない、逸らさない。


 私は強くなる、強くなってみせる、強くあろうとしなければならない。

 それがどれほど遠く困難な道程であれ、不可能に近い障害が待ち受けているにしても。

 何故なら――。


「先に気持ちが折れてしまった者が、いったい何を掴めるというのだ?! 私はもう折れない、折れる訳にはいかない――ッ!!」


 それが友人ライバルと誓い合った私の決意。

 気力で体を再構成しながら、私は前進する。

 その結果より深く精神からだを失う事になろうとも、怯みはしない。

 どの道下がろうとどうにもならないのだ。

 であるなら死の断崖だろうと跳ぶしかない。


『――――』


 半透明の龍神がその時初めて私という個人を認識したかの様に、視線の質が変わる。

 邪魔な羽虫でも見る様な視線から、敵を見るかの様な視線へと。


「そうだ、私を敵として見ろ。私はお前から彼を奪う敵なのだから」


 私は真っ向からその視線を受け止め、睨み返す。

 恐怖の感情など疾うの昔に精神体からだにくべて燃やし尽くしている。

 今の私にあるのは彼を理解したいと想う気持ちだけだ。

 破滅しかないとしても、私は前進を止めない。

 魂も感情も全て全て燃やして進む。


「もう止めてください。『  』お願いです、シルヴィアさん達を外に返してあげてください」


 彼は悲しげに顔を歪め、龍神に懇願する。

 その声は聞くもの全てに同情心を誘う様な、魔性てんしいわいをもって辺りに響き渡った。


『――――』


 それにより龍神は今までの様な無反応ではなく、その視線を彼に向けた。


 ――そうだ、これだ。


 私は悲痛な彼の声に天啓を得る。

 彼は自分の事であればどれだけ嫐られようが眉一つ動かさずに、一切の頓着はしないだろう。

 だがそれが他人であれば別だ。

 心優しい彼は、総ての妖魔を愛する彼は、他人ようまの痛みを看過できない。

 そこに彼の精神を動かす鍵がある。


「だが、今回はこれで時間切れ……か」


 尻尾を抜かれ、強制的に深層心理から弾き出されようとしている自分の体を見て私は悟る。

 どうやらあの龍神が彼の頼みを聞いたようだ。

 だが諦めはしない。

 何度追い出されようが私は彼を理解出来る様になるまで、何度でも通う。

 何度だろうと死の断崖を跳ぶ。


「僕のことは心配しないでください、直ぐに……直ぐに目覚めますから」

「大丈夫だ、目覚めようが目覚めまいが私は何度でもここへ来よう。そして必ずアレからキミを取り戻す」

「あはは、あまり『 』を嫌わないであげてください。それと――」


 そこで言葉を一旦切ると、彼は懇願以外で初めて慈愛の表情を辞めた。

 それは普段目にする現実の彼の様でいて、どこか普段の彼とは少し違う表情。

 その表情の移り変わりに、私は胸が高鳴りながらも少し不安になる。

 何故ならそれは特定の誰かを想う様な表情かおだったから。


「あの、現実むこうに戻ったら伝えて欲しい事があるんです。僕の大切な……大切な親友に『ずっと側で護ってくれてありがとう』って」


 楽しそうに或いは照れくさそうに、彼は私に言伝を頼む。

 それは彼が私に見せる初めての表情だった。

 その表情にチクリと心が痛む。


「すまない、親友とは誰の事を指しているんだ?」


 自分でも少し驚くような、無感情な声が喉から絞り出される。

 心は針で穴が空いた水風船の様に、少しずつ血が零れ落ちていく。


 ――痛い、先程貫かれた衝撃の何倍も痛い。


 じくじくと血を流しながらも、私は止める方法がわからず困惑するしかない。


「あっ、ごめんなさい、輪廻の事です。本当は僕自身が言えればいいのですけれど、何故かキョウは輪廻が大切な親友であることを忘れてしまうんですよね」

「…………そう、か。分かった、私が必ず伝えよう」


 私は彼の眼を直視できず、そう答えるのが精一杯だった。

 何なのだろう、この感情は。

 胸が張り裂けそうなほど、強く強く締め付けられていると言うのに。

 胸の真ん中がポッカリと空いた虚無感と喪失感に苛まれる。


 ――何だこれは?

 私はこんな感情知らない。

 こんな感情に至った事などない。

 これは……これは……。


「…………」


 私は生まれて初めて感じる感情に困惑しながら、意識が薄れていくのであった。



 †



「――輪廻様の登場により、夢魔とその協力者を取り逃がしました。報告、以上であります」

「そうか、ご苦労。下がっていいぞ」


 紗耶華は部下から報告に頷く。

 此処は学園の森深くに結界を張り巡らせて作られた屯所の中。

 詰まる所退魔師達の簡易拠点である。

 一応学園側から彼ら用の部屋は用意されては居た。

 だが退魔師である彼らが妖魔の用意した部屋など使うわけもなく、こうして自ら屯所を作って野営しているのである。


「輪廻様が? これは一体どういうことでしょうか、紗耶華教官」


 傍らに控えていた部下の一人が、紗耶華に問い掛ける。

 その顔には暗に鳳凰は本当に味方なのか、と言う疑念が滲んでいた。

 それも当然の疑問だろう。

 輪廻家ゆかりの者ならいざ知らず、それ以外の出の者にとって鳳凰など他の神と変わらない。

 即ち和御魂にぎみたまにも荒御魂あらみたまにもなる爆弾でしかないのだ。

 そんな様相の部下に対して、紗耶華は全て見抜いた上であっけらかんに答えた。


「どうもこうも無い、輪廻様の邪魔をした。ただそれだけだ」

「なっ?! 正気ですか?」


 思わず部下は紗耶華に詰め寄る。

 それもそのはず、装甲戦機数体が修復不能レベルで大破され、死者こそでていないものの鳳凰によって齎された被害は甚大だ。

 そしてその中には幾つもの任務を共にした戦友も居るのだ。

 それを邪魔しただけ、と言われれば流石に黙っている事が出来なかったのだろう。


「貴様こそ正気か? 輪廻家守護神獣であるあの方を敵呼ばわりするつもりか?」

「しかし、実際に――」


 部下は更に抗議しようとする。

 完全に頭に血が上っており、納得する説明を聞くまで引き下がらない勢いだった。

 若輩特有の未熟さと若さから来る短慮さ。

 無論彼の言い分は彼女にも理解は出来る。

 しかし一度吐いた言葉は二度と元には戻りはしない。

 それも神に対する宣戦であるなら尚更である。

 紗耶華はそれを黙らせようと、腰のホルスターに手を掛けた。

 だが、それよりも速く動くものが居た。


「フン――ッ!!」

「がっ?!」


 丸太の如き豪腕がうねり、興奮する部下の体に叩き込まれる。

 咄嗟に男は防御態勢を取るが、堪えきれず吹き飛んでいく。


「この者の失言は自分の鉄拳で許して頂きたい。これでも足りなければもう何発でも」


 吹き飛んだ男に目もくれず、殴った張本人である男が紗耶華に敬礼した。

 その男を見て、紗耶華は銃から手を離す。

 あと少し殴るのが遅ければ紗耶華は躊躇なく部下を制裁していただろう。

 男は先に殴る事で部下を護ったのだ。

 目の前の男は他の紗耶華の部下と比べて、更に筋肉隆々。

 スーツの上からでも一目瞭然で判るはち切れんばかりの筋肉。

 顔や手足に刻まれた傷は激戦の戦歴を物語っており、否応無しに見るものを萎縮さていた。


「いいだろう。――おい、貴様は頭を冷やして命令があるまで謹慎してろ」

「……了解で、あります」


 殴られた男は納得の行かない顔をしながらも、礼をして退室する。

 紗耶華はそれを冷たく見送った後、傷の男に向き直った。


「それで紗耶華殿は今回の顛末をどう報告するつもりで?」

「相変わらず人が悪いな副官殿は。ありのままを報告するしかないだろう。もっとも本部も私と同じ結論を出すと思うがな」

「当然でしょうな。何せ輪廻様だ、あの方を敵に回すような要因など百害どころか千利を捨てるに等しい。どう計算しても釣り合いが取れませんな」


 2人は苦笑して同時に溜め息を吐く。

 相手は永遠の命を与える不死鳥。

 創生の時を生き、何度も焔と共に甦る再誕の神獣である。

 だからこそ、一度敵対すれば二度と味方に戻ってきてはくれない。

 魂の記憶に消える事のない刻印として、その裏切りは刻み込まれるのだから。

 それ故、人類の敵対者に不死鳥を加えるという愚行を、一体誰が犯すというのだろうか。

 釣り合いが取れないというのは詰まる所そういう事だった。


「先程輪廻様とコンタクトが取れた。やはり唯羅は一人で外に飛び出したようだ」

「という事はやはりあの夢魔と麒麟を捕まえるのが一番の近道というわけですな」


 顔に傷の入った副官は無精髭をなでつける。

 その顔には笑みが浮かんでおり、楽しんでいるようにすら見える様相。

 紗耶華はそれを見咎めるように、鋭い目で睨むがあまり効果はないようだ。


「しかし、こう言っては何ですが妙ですな」

「妙とは?」

「いえ、事件にあった被害者の状況を比べてみると、彼女だけが行方不明で、意識不明の重症で発見された他の訓練生とは少し事情が異なっているように思えるのです。勿論ただの偶然かもしれませんが、自分には別の何かが絡んでいる気がしてならないのですがね」

「何か……か」


 紗耶華は思い当たる節でもあるのか、少し思案する。

 交換留学、留学生の謎の失踪、退魔師だけを狙った連続暴行事件、そして――。

 紗耶華の脳裏にあの少年の顔が浮かぶ。


 ――あの子は……。


 だがそれも一瞬。

 軽く頭を振ると紗耶華はその思いを胸の内に沈める。


「……輪廻様は変化能力を持つ妖魔が暴れている可能性があるとおっしゃられていた。どちらにしてもやることは変わらないが、警戒するに越したことはない。だが今回はあまり時間を掛けていられない、多少力技でも強引に解決するぞ」


 ぎりっと唇を噛んで、紗耶華はそう力強く宣言する。

 その瞳には唯羅が心配と言う感情以外にも、別の何かに起因する焦りの色が浮かんでいる。

 副官は目敏くそれを読み取りながらも、そんなことはおくびにも出さずに質問した。


「では、噂通り特殊部隊『亜人』に要請が出ているのは本当なのですね?」

「あぁ、このまま手を拱いていると紫電隊長率いる奴らが出撃してしまう。そうなれば此処は地獄と化す」

「えぇ、そうでしょうとも。何せの部隊ですからな。被害状況で言えば特Aランクの妖魔が暴れるのとさほど変わりありませんでしょうな。尤も、自分は久方ぶりに戦友に会えるかもしれないと、少々期待を膨らませておりますが」


 副官は少年の様に目を輝かせながら、戦友に思いを馳せる。

 顔中傷だらけで如何にもな強面の男性が、少年の様に目を輝かせるのは上官である紗耶華でも思わず顔に出てしまうほどの気持ち悪さだったが。

 紗耶華は直ぐ様咳払いとともに元の平静な表情に戻す。

 副官の気持ち悪さは冗談で済むが、亜人部隊は冗談ではすまない。

 本来、こんなじゃれ合い程度の出来事で出てくる様な部隊ではないのだ。

 紗耶華はそこに何か裏事情がある事を理解しつつも、自分では変える事の出来ない大きな流れに言い様のない無力感を感じずには居られなかった。


「私はアレと一緒に戦うという状況など勘弁してほしいものだがな」


 眉間に皺を寄せて、紗耶華は深く溜息をつくのであった。

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