第147話「龍という単語には胸が躍る」

「――――ここは……?」


 シルヴィアはぼんやりと目を開ける。

 焦点の定まらない眼。

 見慣れない天井を見つめて何度か瞬きをした後、辺りに視線を向けた。

 するとそこには――。


「おや、漸くお目覚めか~いぃ?」


 ビーカーに波々入っている黒い液体を啜りながら、アルフェはネットリとした声音で声を掛ける。

 その様相はモノクルに白衣と言う如何にもな出で立ちながら、知的な印象は全く与えない。

 寧ろな印象しか与えないだろう。

 それもそのはず、アルフェの衣服は白衣とモノクルしか身に着けていないのだから。

 ボタンがはち切れんばかりに膨らんでいる胸元から見える色は、当然ながら肌色一色である。

 白衣の上から陰影が完全に浮かび上がるほど張り付いている臀部は、もはや扇情を越えた何かだった。

 肢体だけみれば極上の身体にくであると断言できるレベル。

 その蠱惑的な肢体も、言動と性格を知れば腐敗臭しか漂ってこないのは残念の極みと言うべきだろう。


「アルフェ教諭……。という事は私は戻ってきたのだな」


 頭を振り、シルヴィアは体を起こす。

 その横ではほぼ同じタイミングでアステリシアが体を起こしており、両者互いに顔を見合わせて安堵の吐息を漏らした。


「首尾は如何かなぁ~? マイ淫売シスター」


 アルフェは両手に持ったビーカーをアステリシアとシルヴィアにそれぞれ差し出しながら尋ねる。

 その顔は成功以外の結果を疑っておらず、如何にアルフェがアステリシアの実力を信頼しているか分かるようだった。

 だが――。


「首尾も何も一体どういうことなのか、説明してくれませんか。?」

「お姉……様……?」


 笑顔で凄むアステリシアの言葉に、シルヴィアは目を瞬かせる。

 そしてゆっくりと視線をアステリシアとアルフェの間を往復させた。

 それもそのはず、今アステリシアはアルフェの事をお姉様、即ち姉妹であると言ったのだ。

 見かけだけで言うのであれば、二人共傾国の美姫と言われても仕方ない程の容姿をしている。

 なるほど、魔性の美貌という点で結べば二人が姉妹であっても何らおかしいところはない。

 おかしくはないのだが……。


「あるえぇ~? 言ってなかったかなぁ? 私はずっとマイシスター♪ って親しみを込めて呼んでいたんだけどねえぇ」


 アステリシアが修道着を着ている以上、シスターと言われて姉妹を連想するのは無理があるだろう。

 シルヴィアもそう思ったが、勝手に勘違いしたのは自分なので口を閉ざすしかなかった。

 そんなシルヴィアの様子に、狙い通りと言わんばかりに口角を釣り上げるアルフェ。

 どう見ても確信犯である。


「では、改めて自己紹介といこうか。私はアルフェペオルゴール。『怠惰』を司る魔王の一角さっ」


 モノクルをキラリと光らせながら、アルフェはそう宣言する。

 その顔は完全に決まった、とでも言いたげなドヤ顔であった。

 だがそんな彼女に対する周りの視線は冷ややかなものである。


「今更汚姉様の事なんて、どうでも良い事です。それよりもあの子の中にいた色を冠する純化の龍神スプレマシーカラーズの事について聞きたい事があります」


 アステリシアは受け取ったビーカーに口をつける事無く、バッサリと切り捨てる。

 そもそも彼女達は危うく死にかけたのだ。

 対応に温度差が出るのも当然と言うものだろう。


「何があったか、聞かせてもらえるかい?」


 ビーカー内の液体を啜ると、アルフェは便器型の椅子に深く腰掛ける。

 その顔には相変わらず粘度の高い笑みが張り付いているが、瞳は狂気染みた好奇の炎を宿していた。

 こんな見掛けと言動から誤解されがちではあるが、彼女は根っから探求者なのである。

 面白い議題があればどこまでも突き詰めずにはいられない質。

 彼女の狂気ほんきを感じ取ったアステリシア達は雑多な化学室をかき分けて、思い思いの場所に座る。

 そしてキョウの深層心理内で起きた出来事を、大まかに説明し始めるのであった。


「ふ~む、なるほどねぇ~。そんな事が起きていたとはねぇ」


 キョウの深層心理で起こった事柄を聞き、考え込むアルフェ。

 その表情からは何を考えているのか全く読み取る事は出来ないが、忙しなく何かを考えているのは見て取れた。


「彼のことも気にはなりますが、それは一先ず置いておいて。深層心理にて告げられた『証』とは一体、何を指す言葉なのでしょうか」


 アステリシアはシルヴィアが聞いたと言う、『証』について尋ねる。

 キョウは自ら目覚めるから大丈夫とは聞いているが、その保証は詰まる所口約束に過ぎない。

 つまり確証も何も無く、信じる事しか出来ない状況である。

 そんな中、彼女達に出来る事と言えば、もしもの時の為の対策。

 即ち再び深層心理に潜った時用の対抗策である。


「『資格』か『所有』かはたまた『栄光』か。推論はいくつか立てられるんだ~け~ど~、私からは確かな事を言えないねぇ~」


 ただ、と前置きした上でアルフェはビーカーを置く。


「本当にその事柄について知りたいのであれば、こんな所で油を売っていないで知っているであろう人物……きよ理事長に聞くべきだけどねぇ」


 アルフェの言葉にシルヴィアはじっと考え込む。

 確かにきよであれば『証』についても知っているだろう。

 教えてくれるかどうかは別として、何らかの手掛かりは得られるはずだ。

 だが――。


「確かに私も『証』については気になるが、しかし今は色を冠する純化の龍神スプレマシーカラーズの方について教えて欲しい。龍種の頂点、妖魔の王とは聞くがその実私は何も知らない。一体彼らは何なんだ?」


 シルヴィアの質問にアステリシアとアルフェは顔を見合わせる。

 今、シルヴィアにとって大事なのは挑むべき相手の情報だった。

 その名は幾度もなく聞くが、詳しい事は何も知らない。

 シルヴィアは今まで挑む山の高さすら知らない状態だったのだ。

 二人はどちらともなく頷くと、まずアステリシアが口を開いた。


色を冠する純化の龍神スプレマシーカラーズ……。その起源は昔、それはもう遥か昔、創生の時まで遡ります。この惑星がまだ陸海空に分かたれておらず、混沌とした原初の世界。そこで彼らは楔として世界に撃ち込まれることになりました」

「楔?」

「そう、世界に対する楔。混沌とした世界に境界を造り、全て混ざり合い溶け合っている混色から色鮮やかな純色を産む出すための楔、それが色を冠する純化の龍神スプレマシーカラーズと呼ばれる特別な妖魔です」


 アステリシアは神妙な顔で神話の如き出来事を語る。

 いや、まさしく神話なのだろう。

 原初も原初、これは惑星ほし生みの神話の一端なのだから。


「境界を造る? 純色を産む? 漠然としすぎて、どうにもイメージが出来ません」


 シルヴィアは当然と言うべきか、眉間に皺を寄せ困った様な顔をした。

 本人の言葉通りイメージがつかないのだろう。

 それを見たアステリシアは人差し指を下唇に当てて少し考えた後、改めて言葉を紡いだ。


「要は自然現象を産む装置を設置した、と言えば分かりますか? 例えば台風、例えば津波、例えば地震。その自然現象が巻き起こる大本が色を冠する純化の龍神スプレマシーカラーズという存在なのです」

「更に補足するとだねぇ、世界に張り巡らせている龍脈、アレが彼らの『領域』の通り道なのさ。龍脈によってこの惑星深くに根を張り、己の環境に造り替えていっている。そう、それはまるで無地の地球キャンパスを染める絵の具のように」


 アルフェはどこからか取り出した画用紙の上に、ビーカー内のコーヒーを垂らす。

 その結果黒い液体が画用紙に染み込んでいき、黒い染みが出来上がる。

 アルフェはどうやらこのコーヒーが龍神で画用紙が地球だと言いたいようだ。


「まさか、この世界の模様を描いている存在だと言うつもりですか?!」

「そうさ、まぁ~信じられないのも分かるけどさぁ。これがあり得ているから厄介なんだよねぇ~。各神話の最高神達は自然現象を司ってはいても、その本質は飽くまで~も人類・文明社会の調和神であって、惑星ほしの神じゃあない。役割の違いっていうかぁ、最高神の能力が全て10だとしたら色を冠する純化の龍神スプレマシーカラーズ破壊ぬりけし創造ぬりかえの二点が20もあるような存在なのさっ」


 ハハハッ、と妙に癇に障る声で笑うアルフェを横目に、シルヴィアは考え込む。

 今までの二人の言葉、深層心理での出来事、キョウの部屋で感じ取った事柄。

 その全てを考慮した上で、彼らの正体を探る。

 暫く黙考したのち、シルヴィアは静々と口を開いた。


「…………何となく読めてきました。先程アステリシア様は彼らのことをと表現しました。それは即ち、抜くことが出来ない、或いは抜くと取り返しがつかなくなる存在ということ。つまり、それを取り込んでいるキョウくんの存在、それ即ち楔が抜けないようにするための安全装置という事にほかならない。――違いますか?」


 シルヴィアは己の推論の正否を確認する。

 その顔は自信半分と誤りであってほしいと言う願望半分が入り交じった表情だった。


「いえぇ~す、正☆解。ご推測の通り、アレは真っ当~っな手段ではどいつもこいつも殺すことは出来ないしぃ、仮に殺せても世界の環境が変わってしまって、惑星の生態系が乱れてしまうという厄介すぎる存在なのさっ。だ~か~ら~、必要なんだよ。色を冠する純化の龍神スプレマシーカラーズに対するがねぇ」


 アルフェは興奮状態でまくし立てながら、悪魔らしい凄惨な笑みを浮かべる。

 事実悪魔ではあるが、思わずシルヴィアが戦慄してしまうほどの意地の悪い笑みだった。

 そんな二人の様子を見ながら、アステリシアは少し遠慮がちに口を開く。


「実はそれに関連した問題がもう一つありまして、彼の中には最低でも後一体以上色を冠する純化の龍神スプレマシーカラーズが居るということです」

「っ?!」


 アステリシアが付け加えた言葉に、シルヴィアは驚愕する。

 完全に寝耳に水であり、アレクラスがもう一体いるなどそれこそ絶望でしかない。

 アルフェもその事には多少驚いているらしく、思案するようにぐるぐると指で中に何かを描いていた。


「もっとも、非常に捉えづらく奥底に居ることだけしかわからなかったので、現状それが何者なのか不明ではありますが……」

「一先ずは彼の直ぐ側に居る色を冠する純化の龍神スプレマシーカラーズを倒すことを目下の目標にした方がいい、ということですね」

「「――――――」」


 シルヴィアの言葉にアステリシアとアルフェは二人同時に眼を丸くし、固まる。

 精神世界で『色欲の魔王』であるアステリシアが手も足も出なかった時点で、それは不可能と断言してもいい事象だ。

 それを理解した上で、シルヴィアは『倒す』とそう宣ったのだ。

 不可能に挑むのは勇気ではなく無謀。

 現実も何も見ていない盲目の愚か者でしかない。

 だが、現状を見据えた上でなお挑む者は何であろうか。

 自殺願望の愚者か或いは――――。


「あぁ~、。それでこそ我らが悪魔の末裔だ。認めよう。キミは悪魔を名乗ることに相応しい」

「はい、私も態々こんな所まで来た甲斐があったというものです」


 二人は同胞を見る様な優しい目でシルヴィアを見つめる。

 その顔はとても悪魔と呼べるものではなく、どちらかと言えば天使や女神と言った方が相応しい表情だ。

 そんな表情のまま、アステリシアは諭すようにゆっくりと口を開く。


「いいですか、ルヴィ、よく覚えておいてください。私達悪魔の力の源、つまり原動力は愛でできています。『傲慢』『憤怒』『嫉妬』『怠惰』『強欲』『暴食』『色欲』。七つの大罪とは即ち私達まおうが神と対立するための愛の形なのです」


 ――ある者は神より自分の方が愛を注ぐ事が出来ると言う傲慢から。

 ――ある者は人間に対する神の無情の行いへの憤怒から。

 ――ある者は人間の愛を一手に受ける神に対する嫉妬から。

 ――ある者は人間の苦労苦悩する姿から楽をさせたいと言う怠惰から。

 ――ある者は望む事を望むだけ際限なくさせたいと言う強欲から。

 ――ある者は飢え無く飽食に満ちた世界を望んだ暴食から。

 ――ある者は人の愛の営みを愛した色欲から。


 彼女達7体の魔王はその様にデザインされ生まれた。

 人を愛しすぎる天使として。

 彼女らは堕ちた天使ではない。

 使使


「そんなキミにイ~イことを教えよう。実はこの学園に色を冠する純化の龍神スプレマシーカラーズが一体存在するのさっ。それも私達と同じ魔王でねぇ」

「! それはもしかして噂に聞くレビ姉様の――」


 アルフェの言葉にアステリシアは目を見張る。

 魔王は全員堕天使ではあるが、別の顔を持た無い訳ではない。

 アステリシアが魔神の一柱でもあり、暴力を司る邪神でもあるのと同様に、龍神の側面を持つ魔王が一体存在する。


「そうさっ、あの人すら手に負えない悪魔竜。風紀員をやっているようだから一度会いに行ってみるといいさ。少しは対抗手段が見えるかも……しれないねぇ~」

「対抗手段……か」


 シルヴィアはぎゅっと拳を握りしめて、闘志を燃やす。

 そしてちらりとカプセル内で眠るキョウに視線を向けた。

 彼は必ず戻ると約束したのだ。

 であるなら自分は自分に出来る事をしようと。

 そう、シルヴィアは決意するのであった。

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