第145話「玩具、或いは神の慰み者」

 ――潜る。


 再び深層心理……彼の無意識の領域に足を踏み入れる。

 いきなり襲われるかもしれない事を覚悟していたが、二度目もあっさりと二つの扉がある領域へと辿り着く事が出来た。

 前回と違いがあるとすれば、それは――。


「……もう、帰るようにと言ったはずなのに、ね」


 扉の直ぐ側で満身創痍気味にアステリシア様は微笑む。

 その体は至る所に様々な傷痕が植え付けられており、命からがら抜け出してきたというのがよく分かる光景だった。

 私はすぐさま駆け寄り介抱する。


「なんとか逃げられたのですね」

「逃げる? うふふ、ルヴィそれは違うの」


 こふっと、噎せて血の霧を吐きながらもアステリシア様は笑い続ける。

 その顔は自虐する様な、普段のアステリシア様の白百合の如き笑みとはかけ離れた顔だった。

 一体私が居ない間に何があったのだろうか。

 私はアステリシア様を抱き上げたまま、その言葉の続きを待つ。


「想定以上でした。と言いますか、アレは笑うしかないくらい反則ですね。私も色を冠する純化の龍神スプレマシーカラーズ相手には幾度も戦ったことがありますが、アレはそんな生易しいものではありませんね」

「一つ前の階層でその話を聞きました。その方が言うには何か『証』が要るのだとか」

「……ふふっ、そう、でしょうね。アレは例えるなら一つ上の次元から攻撃してきている存在、そんなイメージがしました。こちらの攻撃は何をしても通らず、逆にあちらの攻撃は何をしても防ぐ事も躱す事もできない。ルール改変、時空干渉、空間制御などなどと、出来る範囲、あらゆる手段を試してはみたのですけれど、どれも拮抗すら起こりませんでした」


 アステリシア様は見たこともないくらい疲れ切った顔をしながらも、話を続ける。

 その様からは文字通り、精魂尽きるまで戦った様子がありありと目に浮かんだ。

 そんなアステリシア様だったが、何かを思い出したかのようにふふっと笑う。


「だから私がここにいられるのは偏にあの子のお陰なんです」

「…………彼のお陰、ですか」


 そう呟くと同時に私はきよ理事長の言葉を思い出す。


『あの子は全力で能力を行使するために自分の意識と退魔師の力を眠らせ、ああして妖魔達をのだよ』


 きよ理事長の言葉が正しければ彼は神クラスの妖魔は疎か、あの龍神ですら押さえ込めるはずなのだ。

 力ではどうにも出来ない事はアステリシア様が十分すぎるほど証明している。

 で、あるなら何かカラクリがあるのだろう。

 そして恐らくそれが彼の秘密。


「……………」


 私はきよ理事長から術式を付与されたマントを羽織ると、覚悟を決める。

 これが私に提示された選択肢だ。

 彼に会わずに此処を去るか、それとも彼と会いその秘密を知るか。

 どちらを選ぼうが対して影響はない選択肢。

 結果は私が何をどうしようと変える事は出来ない。

 即ち同じである、と。

 そう言われたのだ。

 私は拳をギュッと、肉に食い込むくらい強く握りしめる。


「そのマント……中に行くつもりなのですね、ルヴィ」

「はい、私は知らなければなりません。彼の、本当の彼の姿を」


 此処は彼の深層心理。

 無意識の感情が理性というフィルターを通さずに溢れ出る領域。

 即ち彼本人すら知り得ない本質すらこの場所では分かってしまう。


「…………どうか、どうか目を逸らさないであげてください。憎んでも哀れんでも喜んでも構いません。でも、という選択をした以上、見なかったことにすることだけは止めてあげてください」

「元よりそんなつもりは毛頭ありません」


 そう言い、私は足を向ける。


 ――思えば初めから分かっていた。

 ただそれを意識して考えていなかった。

 いや考えまいとしていただけだ。

 その事実、その可能性に目を背けていたかった。


「――――」


 私は無言で扉に再び手をかける。

 心象世界に意味のないものは何一つない。

 思い出の風景、思い入れの強い家具、我が身の様に使った仕事道具、魂の伴侶と言うべき存在。

 人の数だけ心象世界は多岐に渡り存在する。

 全く同じものこそ存在しないが、傾向からどの様な本質であるか探る事が出来る。


 では彼の部屋はどうだったであろうか?

 豪奢でありながらも物が無いという矛盾に満ちた空間。

 あるのはただ一つ、巨大なベッドだけ。

 それが彼を護る巨大な揺り籠……であればどれほど良かったことであろうか。

 部屋に染み付ききっている残り香から、そこで何が行われているのか如実に示していた。


「……あぁ」


 開けた扉の隙間から、濃厚な匂いが鼻孔をくすぐる。

 甘く脳髄を溶かし尽くす様な、甘ったる過ぎる匂い。

 濃く、霧の様に濃く溢れ出てくる。

 これは何度も嗅いだ事のある匂い。


 即ち、濃い雄と雌の匂いだ。

 相手に自分が発情している事を伝え、誘惑するフェロモン。

 それが部屋中、濃密に撒き散らされている。

 私は拳を血が出そうになるくらい強く握りしめて、一歩を踏み出す。


「――――」


 濃密な匂いの充満する部屋の中に一歩踏み出し、次に五感が捉えたのは聴覚。

 視覚は先程とは違い、部屋は闇に包まれており微かな明かりで朧げにしか見えない。

 そして何よりこの響き渡る声達を無視する事は、私には到底出来そうになかった。


『―――――ッ!!!!!』


 部屋中には獣のような咆哮きょうせいが響き渡っていた。

 それも一つや二つではない。

 正確な数は把握できないが、宛らオーケストラの様に合唱され、不協和音として聞くものの脳を揺さぶってくる。

 狂気か歓喜か、或いはそのどちらも混ざっているのか。

 判別のつかない声が響き渡る中、気配を殺してゆっくりと歩を進める。


 ――大丈夫だ、落ち着け。


 最早掌の感覚がなくなった拳を更に強く握りしめ、私は進む。

 アステリシア様から受け取り、きよ理事長に術式を付与されたマントは本人の言葉通りの効力を発揮したのか。

 姿形は勿論の事、私の気配まで消失させている。

 少なくともまだ部屋の神々けだものには気付かれていないはずだ。

 そう確信する私の耳に獣の雄叫びとは別の……、ともすれば聞き取れないくらいの音量の声が入ってくる。


 ――吐息、熱に浮かされたような吐息。


 その吐息の中に変声をまだ迎えていない少年のような声が混じって聞こえる。

 ソレを認識した瞬間――。


「――っ」


 ただその声を認識したと言うだけで私の理性は溶け、体は融解しそうなほどの熱を帯び始める。

 ソレは夢魔すらも魅了し誑かしてしまう魔性てんしうた

 そのうたが肉と肉が激しくぶつかり合う様な音と、粘液と粘液が掻き混ぜられ飛び散る音に連動し、奏でられている。

 それはまるで楽器の様だった。

 楽器が音を奏でさせられているのか、或いは演奏者が楽器に演奏させられているのか定かではないが、求め合うその二つが鳴り止むことはない。

 私はフラフラと、気配を殺している事も忘れて音のする方へ近寄っていく。

 段々眼が闇に慣れて来ており、ベッドの輪郭と全貌が浮かび上がってきた。


「くっ――」


 鼓膜に響くくらいの嬌声ほうこう

 軋んで揺れるベッド。

 体液を散水の様に撒き散らすにくにくにく

 そこはたった一人の雄を取り合う雌の楽園ハーレムだった。


 その光景はまるで樹液に群がる虫の群れの様で悍ましく、醜く、嫌悪感しか催さない。

 だと言うのに――。


「――……」


 哀しみ? 憎しみ? 嫉妬? 劣情?

 様々な感情が入り混じりすぎて、明確な言葉では言い表せない。

 その代わりに瞳からはポロポロと涙が零れていく。

 客観視すれば蜜を吸われる為に踏み荒らされている花でしかない存在なのに。

 魂がその奇跡に感動しているのか、涙は止まる事無く流れ続ける。


「これが……これがキミが望むことなのか?!」


 私は気配を消す事を忘れて思わず問いかける。

 貪られ、汚され、性の捌け口になる事。

 これが自身の性的嗜好の現れならいい。

 人にも妖魔にも欲望というものは大なり小なり存在する。

 生きる為、快楽の為、或いは安定の為。

 様々な理由があり、理性と欲望を擦り合わせて生きるのがヒトと言うものだ。

 だが、これは違う。

 断じてそんなものではない。

 夢魔の様に食事の為に性を貪るのではなく、悪魔の様に色欲に溺れているわけでもない。


「何故……何故そんな顔ができるんだ!? 答えてくれ、キョウくん」


 私は縋る様に彼を見る。

 肉体は醜いにくに一片の隙間もなく埋め尽くされ、貪られ尽くしている。

 だと言うのにその顔は、その顔は――。


 


 ――慰魔師としての使命? 神々を外に出さない為の楔?

 違う違う違う。

 そんなもの何一つ彼の精神と関係ないと断言できる。


「シルヴィアさん……?」


 私の声に気がつくと、彼はもぞもぞと移動を開始する。

 それにより群がるにく達も彼の体に合わせて移動するが、彼は大して頓着していない。

 全身をくまなく舐め回され、嫐られ続けているというのに嫌悪感は勿論の事、負の感情の一切を持っていない。


「もしかして、僕のために戻ってきてくれたんですか? でしたら


 彼は上気した顔のまま、少年らしい屈託のない笑みを見せる。

 無垢な少年と艶やかな男娼を掛け合わせ損ねた様な、あんまりにもアンバランスすぎるその様に、私の脳はそれ以上の観測を拒否して頭痛を引き起こす。

 何が大丈夫なのか、理解すら拒否したくなるその歪さでどうしてそんなにも平然としてられるのか、全く理解できない。


「くっ……」


 理解は出来ない……出来ないが、その言葉に嘘はない。

 それだけは今の私でも確りと分かった。

 何故なら無意識が零す感情ことばに、騙すと言う意図が混ざる余地がないからだ。

 それも見知らぬ他人ではなく、彼の言葉だ。

 彼を知る人であれば、誰もが嘘などありえないと断言するだろう。

 だがしかし、嘘じゃないと分かるからこそ、私の脳はこんなにも拒絶反応を示していた。


「私は……」


 苦し紛れに何かを言おうと口を開いたものの言葉は出ない。

 いや、正直掛ける言葉が見当たらなかったのだ。


 ここが彼の深層心理だからこそ分かる。

 理解できてしまう。

 彼は生きる為でも快楽の為でもなく、ただ与える為に存在している事を。

 愛を、無償の愛をただ一方的に見返り無く与え続ける為に存在しているのだ。

 快楽を求めず、生を求めず、安定を求めず、ただただ愛だけを全ての妖魔に振りまく。


 


 字面だけ見れば妖魔にとって聖人か菩薩に見えるだろう。

 その愛は無尽蔵で降り注ぎ、更に求めれば求めるほど応えてくれる。


 ――あぁ、何だそれは。


 何だこの致命的な異常は。

 何だこの致命的な精神は。

 聖人? 菩薩? いいや違う。


 ――これはだ。


 言われた通りの指令オーダーをこなすだけの機械でしかない。

 故に単体だけ見れば破綻している。

 そう創造デザインされたからそうあるだけで、それ以上の理由がそこにない。


 ――つまり彼は意味も意図もなく妖魔を愛している。


「理解……できない」


 その事を認識した瞬間、脳が理解を拒絶する。

 これが彼とは別の誰かであれば多様性の一つとして認めていたかもしれない。

 と。


 それは諦めという名の許容。

 そうしなければ世界は回らないのだから。

 世界は大小様々な無数の歯車で出来ている。

 互いに不協和音を響かせあって、歪な歯車をぶつけ合い、収まる場所を探し続けながら削れ欠けていく。

 自分と掛け合わない歯車の事など気にはしない。


 だがそれが己が好意を抱く相手であれば話は別だ。

 好きな人の事を知りたい、理解したい、触れ合いたいというのは何も私だけの特別な感情ではないはずだ。

 だからこそ私は彼を理解出来ない事に絶望した。


 ――私は彼と出会った。

 ――私は彼の事を知った。

 ――私は彼の事を好きになった。

 ――私は彼の事をもっと知りたくなった。

 ――そして知って絶望した。


 彼の愛は海の様に深く、大空の如く広い。

 万人過不足なく行き渡らせる事ができる故に、彼には特定の誰かだけを愛することが出来ない。

 そもそも彼の中には『愛』以外の恋愛感情がないのだ。

 だから彼にはが存在しない。

 彼は生まれた時より妖魔を愛しており、それが普遍普通であるから。

 好きになるという過程がない以上、それ以上好きになる事もなく。

 あまねく妖魔全てが同じ扱いなのだ。

 故に彼が私だけを特別好きになる事はない。

 もっと言えば私を夢魔と言う記号以上の認識をしているかすら怪しい。

 その上で私が最も理解できないのが、彼が事だ。


「私はキミの事を理解することができない。正直に言うと嫌悪さえ抱いている」


 私は彼に自分の正直な心情を吐露する。

 彼はその言葉を相も変わらず慈愛の表情を浮かべたまま聞き入っていた。

 嫌悪していると言われても、その表情は眉一つ動くことはない。

 それは恐らく意味がわからないのではなく、嫌悪されても彼の気持ちは微塵も揺らがないからだろう。

 何せ、嫌いになるという感情がないのだ。

 揺れるはずがないのも当然だ。

 そしてだからこそ、そんな彼に対する感情が溢れ出てくる。


「だが、そんなキミを愛おしく思う。例えその愛が私だけに向けられたものでなくても、私だけのものにならなくても、私はキミを理解したいと強く願うよ」


 何故なら――。

 と私が言葉を続けようとした瞬間。

 超大の気配とともに、再び半透明のあの龍が顕現した。

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