第45話「識と刹那」
「やぁ~っと」
刹那さんは気の抜ける掛け声とともにボールを自分の元へと手繰り寄せる。
氷に包まれていたボールは、刹那さんが触れると水のように引いて消えていった。
これが刹那さんの能力なのだろうか。
僕が呆気に取られていると、すぐ側まで刹那さんが近づいてくる。
「うふふ~、いい子いい子してあげます~」
「えっと、ありがとうございます?」
僕はルールがどうなっているのかいまいちわからないけれど、先生からのアウトコールがないことから刹那さんにお礼を言う。
その事に機嫌を良くしたのか、刹那さんは緩い笑みを湛えながら僕の頭に手を載せ、よしよしと撫ぜ始める。
ひんやりとした手が僕の頭をくすぐった。
「私の事、ずっと護ってくれるって、ホントですかぁ?」
刹那さんは僕の頭を撫ぜながら目線を合わせると、僕の目を覗きこむ。
透き通るように綺麗な瞳が僕の視界に広がる。
「えと、あ、あの、は、はい。あんまり自信ないですけど、僕が(内野に)居る限り護ってみせます」
僕が自信なさそうに言うと、刹那さんは嬉しそうに笑う。
その表情に僕は思わず見惚れてしまう。
さっきまで鼻提灯膨らませながら寝ていた人とは、思えないくらいきれいな笑顔だったから。
「そっかぁ~、じゃぁ私も本気を出さないとねぇ~」
ゆらりとゆっくりだが、しっかりとした動作で刹那さんは相手チームを見据える。
その体からは妖気が立ち上がり、辺り一面を凍結させようとするかの如く冷気を振りまいていた。
「ちっ、起きたか。これでまた一つ面倒事が増えたな」
「…………っ」
刹那さんを見ながらそう呟く識さん。
その横では、突然暁理さんががくがくと震え始めた。
それに呼応するかのように辺りの気温はどんどん低下していく。
もしかすると暁理さんは寒さに弱い妖魔なのだろうか。
「ど、どうしたのアカリン、顔が真っ青だよ?!」
「……こ、怖い。あいつの『声』、急に重く、苦しく、憎悪に溢れていて……もう、聞きたくない」
ハクさんが急いで暁理さんに駆け寄るが、暁理さんは耳を抑えてその場にしゃがみこんでしまう。
その光景を見て見かねたのか、浄蓮先生はタイムをコールした。
「どうしたんですか~? 体調が悪くなりましたか~?」
Bチームの皆が暁理さんに駆け寄る中、刹那さんは間延びした声で暁理さんに尋ねる。
どうやら何かあったようだが、刹那さんの緩い声と向こうの緊迫した状況とで対照的な光景になっていた。
「……ひっ?! バ、バレた!! わ、私が『声』を聞いているのがバレた?! ぜ、絶対に許さないって……何処迄も追い詰めて、わ、私を――ッ」
「お、落ち着いてアカリン、大丈夫だから。と、とりあえず一旦保健室へ行こ? ね、ね?」
ハクさんのその言葉と同時に、先生から続行不可能のコールが響く。
酷く取り乱した状態で、半ば抱えるように連れられて行く暁理さんを見ながら、僕は安否が心配になる。
何事もなければいいのだけれど。
「――まずは一人」
「――っ?!」
ぼそっと無機質な声が風に乗って僕の耳へ届く。
その声のあまりの冷たさに僕は背筋がゾクッとする。
だけど辺りを見渡してもそこには寒さで震える真さんと、ぼーっと相手チームを見ている刹那さんしかいなかった。
「一体何が起きたんだ識?」
「負の感情に当てられただけさ。昔から雪女は重い奴が多いからな、ある意味暁理にとってあいつは相性最悪……と言えるかもな」
面倒くさそうに頭を掻きながらも、識さんは刹那さんを見つめる。
その眼は面倒と言っておきながらも、闘志の炎が薄っすらと見え隠れしていた。
ここからが本番ということだろう。
僕は気合を入れ直す。
「さぁ~、行~きますよ――っ!!」
振りかぶった刹那さんが相手のコートにボールを投げつける。
おっとりとした口調とは裏腹に、その威力はシルヴィアさん達と比べて然程見劣りしない威力で飛ぶ。
狙うのは相手チームに居る唯一の男子生徒である。
「ま、ここを狙うのは当然だよな。――――だがまあ、力が足りねぇ」
けれどその球は、逸早く男子生徒の前に踊りでた識さんに止められる。
いやそれどころか、手品のように片手で掴んだボールの進行方向をそのまま逆向きに変え、跳ね返してしまった。
まるで映像を逆再生しているかのような光景に、僕は目を細める。
「――っ!!」
僕のボールを止めた時もそうだったが、やはりこの識さんって人は普通の妖魔とは違う。
それこそ朱さんの様な大妖クラスの身体能力を有している。
開放されている妖気が少なく、正確な判断はできないが直感的にそう悟った。
「ま、また来た?!」
どうしていいのか分からず混乱する真さんを後ろに、僕は構える。
ハクさん達の能力でボールは真さんか刹那さん、そのどちらかに意思を持って投げ分けることが出来る。
そして僕の考えを読んだかのように変化する。
だったら――。
「へ? あっ、ちょ、当たりたくないけどそれももうイヤっ!!」
「大丈夫です、僕が護りますから」
「おい人の話を聞け、ごらっ!!」
僕は真さんを抱えて横にいる刹那さんの方に飛ぶ。
選択肢が分かれているから裏をかかれる。
だったら一箇所に固まった方がマシだろう。
そう思い僕は真さんを刹那さんの側に下ろし、素早くボールへ振り返る。
思った通りボールは向きを変え僕らの方に迫っていた。
「だいじょ~ぶですよ~。み~んな凍らせちゃえば同じだから」
刹那さんがそう言いながら地面に手を翳す。
その瞬間、地面から氷の壁が何枚も聳え立っていく。
ボールは急に現れた氷の壁から避けようとするが、囲い込もうと変形していく氷の壁のほうがずっと早かった。
多重に張られた氷壁を何枚か突き破ったところで、ボールは止まる。
「す、凄いです、刹那さん」
あんなにも手こずったボールをいとも簡単に止めてしまった刹那さんに、僕は興奮気味に話しかける。
こんなにも凄い能力を持っているのに、どうして今まで無抵抗に寝ていたのだろう。
「ホントですかぁ~? 寒かったり、怖かったりしませんかぁ?」
「怖いなんてとんでも無いです。寒さも今ので吹っ飛びましたし」
「いや、私は結構寒いって主張したいかな。一応こっちはキョウと違って普通の人間なんで……」
「そうですか~。そう言われるともっともっと頑張りたくなってしまいますぅ~」
にへらと緩んだ笑みを浮かべながら、刹那さんは妖気をさらに開放する。
その笑顔と妖気の刺々しさのアンバラスさに、僕は少し違和感を感じつつも、気合を入れる。
刹那さんがこんなにも頑張ろうとしているのだ。
僕も頑張らなくては不義理というもの。
「つ、次は僕に行かせてください。精一杯頑張りますので」
「はい、いいですよ~」
「おーい、二人共人の話聞いてる? …………はぁ、今日はこんなのばっかり。早く外野に行きたいな、ってかお願いだから行かせて欲しい、ほんと寒い」
溜息を吐きながら体を抱きしめるように縮こまる真さんの横で、僕は刹那さんからボールを受け取った。
相手は男子1人に女子4人、対するこっちは男子2人に女子1人。
点数は完全に同点であり、試合終了までの時間もそうない。
ここで相手のチームの誰かをアウトにしなければ次の機会なんてもう無いかもしれないのだ。
僕はボールをしっかりと握り締めると、大きく息を吐く。
「――――っ」
そしてそれより大きく息を吸い込むと、相手を見据える。
勿論狙いは識さんだ。
「ちっ、大人しく他の奴ら狙えばほぼ勝ちなのに、ホント面倒くさい奴だな」
識さんは僕の視線を受けて目線を逸らしながらも、逃げる体勢は一切取らなかった。
きっと僕の全力の球を受け止めれる自信があるのだろう。
しかしそれは僕にとっても好都合だった。
何故なら他の
「…………」
僕は助走距離を稼ぐために、コートの最後尾まで歩いて行く。
緊張はしている。
今にも震える脚を地に付けたいくらいに。
だけどそれ以上に高揚もしている。
全力でぶつかっていける相手の存在に、僕の中の何かが喜んでいるのだろう。
「――行きます」
「…………ふん」
識さんの鼻で笑う声と同時に、僕は駆け出す。
距離にしてみれば約十メートルの狭いコートだ。
その中を最短最速で駆け抜ける。
一歩踏み出すごとに加速する体。
その最後の一歩を踏む瞬間、上半身を捻りここまでで得た速力全てを右腕の振りに収束させる。
そして渾身の力をボールに込めて、右腕を振りぬいた。
「いっけえええぇぇぇ―――――ッ!!!!!」
正真正銘、今の僕に出せる全力の一撃。
発射された弾丸は暴風を纏いながら一直線へと識さんへ向かっていく。
他のメンバーが早々に退避している中、識さんは荒れ狂う暴風で髪をはためかせながらも右手を引き、構えた。
まるで今にも正拳で殴りかかろうとしている体勢に、僕は目を丸くする。
「――その顔、正解だよ」
識さんは僕の顔を見ながら笑うと、迫り来るボールに向けて腰を捻る。
その体には最早疑いようのないレベルの大量の妖気が沸き上がっていた。
間違いなく識さんは大妖クラス以上の妖魔だろう。
今の今まで本気を計られないように隠していたのだ。
「私がやろうとしていることはお前が考えている通り……さっ!!!!」
識さんは大量の妖気が乗った拳を、真っ向から直接ボールにぶつけた。
結果、何が起こるか――。
「――――ッ?!!!」
インパクトの瞬間、爆風と言っても過言ではないほどの暴風を発生させながら、ボールは弾き返される。
今度は攻守逆転し、僕目掛けて。
それも僕が全力で投げたボール以上の威力でだ。
「――危ないっ!!」
刹那さんが目を見開き、叫ぶと同時に僕とボールの間に巨大な氷の壁が聳え立つ。
コートの前面を埋め尽くす勢いで作られたその壁は、僕のみを守るドームのような形で作られていた。
だが――。
「無駄だっつーの。…………これでも結構妖気使ってるからな」
息を荒げる識さんの言葉通り、出来上がった氷の壁は僅かの拮抗すら許さず砕け散る。
対する僕は投げた後の硬直がまだ残っており、まともに動けるような状態ではない。
だが例え動けたとしても、避ける選択肢なんて無い。
こちらの全力を弾き返してきた相手に、避けるなんてかっこ悪いにも程があるからだ。
砕けた氷が花吹雪のように辺りに飛び散る中、僕は掴むという選択を選ぶ。
「ぐぁ―――ッ!!!!」
前回の試合で本気を出したクリスティナさんよりも、更に一段階速い球に激突する。
何とか両手でボールを捕らえることには成功するが、肝心の踏ん張るための足が片足地についていない状態だ。
しかし泣き言は言ってられない。
残る片足に最大限の力を込めて、ボールを押し留めにかかる。
コートに一筋の爪痕を残しながら、僕はものすごい勢いで後退していく。
「キョウっ!?」
「キョウさんっ?!」
真さんとクリスティナさんの悲鳴のような叫び声が聞こえる。
このまま僕がコート外に押し出されてしまえば、残り時間的に恐らく僕らの負けは決定するだろう。
そんな結末は何としても回避しなければいけない。
僕のせいでチームの皆が負けてしまうなんて、とても耐えられることじゃないから。
「っおおぉぉ―――っ!!!!」
僕は地面に突き立てる勢いで、宙にあったもう一本の足を地面に突き出す。
ミシッと足に嫌な感触が伝わるが、みるみる速度は低下していく。
後数秒の猶予もあれば完全に止まれるだろう。
だが僕が後退できるエリアはもう殆ど残っていなかった。
――もう少し、後もう少しなんだ。
デッドラインが背後に迫る中、何とか耐える方法を探そうと僕は必死に考える。
体を捻った所で吹き飛ばされるだけだろう。
このままコート外に出る前にボールを上空に弾き飛ばして、アウトになる前にキャッチするのはどうだろうか?
ルール上どうなるかは不明だが、少なくともボールは内野に戻せる。
僕は頭に浮かんだ考えを、実行に移そうとしていたその時だった。
「――――ぐえっ?!」
突如胸倉を引っ張られ、僕は停止する。
それも尋常じゃない力で掴まれたことにより、その衝撃が頸部周辺に集中した上でだ。
止まりかけだったとはいえ、突然の事態に僕は首が外れそうになる。
でもそのお陰でコートの外にでること無く、僕は止まることが出来た。
僕は噎せながらも、新たに内野に増えた人物に視線を送った。
「見栄張って返り討ちに合うなんて何処まで醜態を広げるつもり?」
そこに居たのは最初から外野に居たくうだった。
くうは細腕で軽々と僕の体を掴みながら、無表情で僕を見つめる。
「いや、その……」
僕は胸倉を掴まれたまま、誤魔化し笑いをする。
醜態かと言われれば、まあ醜態なのだろうけれども、少なくとも僕は全力を出したので言い訳のしようがなかった。
「……まあ、アレが相手ではどうしようもない部分もあるけれど。それでも残り時間僅か、4点差で私にバトンを受け渡さざる負えない状況に追い込まれかけたのは許せない」
「ひぃっ?! ご、ごめんなさいっ!!」
「決勝でもないのだから、こう言う些事は手短に終わらせればいい」
くうはいつもと同じ無表情ながらも、どこか責めるような赤い目で僕を射抜く。
その体からは不機嫌さを表すかのように、神々しくも禍々しい妖気が立ち上がり始める。
「こ、これは私達のクラス内最強妖魔が決定する瞬間っ?!」
くうのその様を見ながら、興奮気味に外野に居るハクさんが叫ぶ。
その声に僕を含め、その場にいる全員がくうと識さんのバトルが見られると緊張が走る。
間違いなくこの二人はクラス内でも格が一つ以上違う。
その二人が本気で戦えばどうなるのか、僕もかなり気になる対戦カードだった。
けれど、その中で識さんだけは反応が違った。
「馬鹿っ?! 狙われているのはお前だっ!!」
「え?」
識さんが切羽詰まった声で怒鳴った瞬間、辺りに存在する空気全てが止まったかのように凪が訪れる。
そして、真横に居た僕が全く反応できない速度で、くうの手からボールが放たれた。
「―――――――――」
悲鳴を上げる暇すら与えず、外野のハクさんは吹き飛ばされていく。
あまりのショッキングな出来事に、僕らを含め周りにいた全ての人の時間が止まったかのように静止する。
「――外野にパスしてはいけないルールはないでしょ?」
ただ一人、くうだけは眉一つ動かさず審判である先生にそう告げた。
それにより、魔法が解けたかのように周りの時が動き出す。
「……確かにありませんが、余り褒められるようなプレイではございませんね。ですがルールはルール……時間切れにより、この時を以ってBチーム対Fチームの試合は7対8でFチームの勝利とさせていただきます」
先生は苦い顔をしながら試合終了の笛を鳴らす。
それと同時にBチームのメンバーがハクさんの元へ駆け寄っていった。
僕は何が起こったか分からず、混乱する。
「えっと……これはどう言う……?」
「くうさんは残り時間が僅かな状況だったので、復帰できる外野の方を妨害したのです。ルール上外野の方は試合終了時に内野に戻っていなければ点数に加算されませんので。それによりくうさんはアウトを取ること無く、相手の点数をひとつ減らしたのです」
僕の言葉に、外野から戻ってきたクリスティナさんが答えてくれる。
その表情は何かを耐えるように口を真一文字に引き締めていた。
クリスティナさんもこんな勝利は納得出来ないのだろう。
僕も勝利というよりは、敗北感でいっぱいであった。
結局の所、僕らは何一つBチームにやり返せていないのだから。
「ま、経緯はどうであれ、勝ったからいいんじゃない?」
「そうなのですが……」
「そうじゃな、汚い勝ち方じゃが勝ったから良いでないか。きたない勝ち方じゃが」
「ぐっ……」
こうして僕らの二回戦、敗北感に打ちのめされたまま終わったのであった。
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