第92話「ただし涎は下半身から出る」
――夜。
今日という日にちも残り僅かとなり、明日へと差し掛かろうとしている時。
僕らは天蓋付きの豪華なベッドの前に佇み呆然としていた。
当然のことながら、ベッドは一つしかない。
大の字で体を目一杯伸ばしても余りあるサイズではあるが、それでも三人一緒に寝るとなると少し手狭だろう。
「あ、あの、僕はソファーとか床の上で大丈夫なんで、識さんと美鈴さんで使ってください」
僕は怖ず怖ずと手をあげると、そう提案する。
昔からの修行で石の上だろうと、崖の中腹だろうと眠れるようになっている。
それに比べたらこの部屋のどの場所で寝ようが、僕にとっては天国だ。
「駄目よ。ちゃんとベッドで寝ないと疲れも取れないわ」
そんな僕の提案を美鈴さんはバッサリと切り捨てる。
そしてそんな話すら聞いていないように、識さんはベッドに潜り込み始める。
「じ、じゃあ、隅の方に失礼して……」
「キョウくんは真ん中よ」
「はい……」
有無を言わさぬ無言の圧力に負けて、僕はすごすごとベッドに退散する。
そして美鈴さんが識さんと逆側に体を横たえた。
「私は調子が戻らないから先に寝る」
「えぇ、おやすみなさい」
リモコンで電気を消すと僕らに背を向けて識さんは早々に眠る体制へと入った。
美鈴さんはそれを確認すると、内緒話でもするかのように僕の方へ身を寄せてくる。
僕は息がかかる距離まで近づいてきた美鈴さんにドギマギする。
「な、何か用でしょうか?」
「もう、忘れたの? 後で好きなだけさせてあげるって、言ったでしょ?」
「?」
僕は美鈴さんの言葉にクエスチョンマークを浮かべる。
後でとは、いつの話の事だろうか。
そう思っていると、美鈴さんに抱き寄せられる。
「今なら指でも掌でも、な、何ならその……む、胸でも好きに触っていいのよ」
恥ずかしそうにしながらも美鈴さんは僕の手を握る。
そしてそのまま胸元へと引き寄せ始めた。
「え?! あの、その……」
「お姉さんと仲良くしたいのでしょ?」
「それはその、そうですけど……」
僕は突然のことに困惑する。
仲良くしたいのは確かだが、そんな所を触れば寧ろ嫌われるのではないだろうか。
そういった疑念もあって、僕の気はあまり進まない。
「緊張しているの? 大丈夫よ、それはお姉さんもだから」
「っ?!」
美鈴さんは強引に僕の手を胸に押し当てた。
布越しだが、柔らかな感触に僕の心臓は高鳴る。
だが、それと同じくらい早鐘を打っている美鈴さんの心音に気づく。
――緊張しているのは僕だけじゃないんだ。
その事に安心すると体から力が抜けていった。
「さあ、お姉さんと仲良く――」
「ぴぃ~」
美鈴さんが何かを言いかける前に、ピーちゃんが僕の顔に張り付いてきた。
心なしかその鳴き声が、意地悪そうに笑っているように聞こえるのは僕の気のせいだろうか。
「あなた、何を……?!」
「ふ、わぁ~、ごめん、なさい。急に眠く……」
ピーちゃんの暖かな感触に顔を覆われた瞬間、強烈な眠気が僕を襲う。
春の緩やかな風の中、干したての布団で日向ぼっこしている時のようなそんな感覚だ。
美鈴さんの必死な呼びかけが聞こえる中、僕の意識は途絶えるのであった。
†
「ぅうん?」
深夜、僕は寝苦しくてふと目が覚める。
なんだか暖かくて柔らかいものに顔面を圧迫されているのだ。
僕はピーちゃんかと思い、振り払おうとする。
「あれ?」
そこで僕は鼻孔を
普段ピーちゃんからは何かを燃やしているような、お香の香りがする。
だけど今僕が感じているのは森林浴した時のような森の香りなのだ。
そしてこんな香りがするのは……。
「もしかして、識さんですか? ――――って、あれ?」
僕は小声で質問しながら、柔らかい何かから何とか抜けだそうとする。
そこで僕は漸く自分の手足が録に動かないことに気付く。
何か硬い角のようなものが腰をしっかりとロックしているのだ。
おまけに抱きまくらと勘違いしているのか、識さんの両手両足が僕に絡みついていた。
「な、何とか抜け出さないと……」
僕はロックされていて前後左右に移動ができないから、上に移動しようとする。
しかし大きな肉まんの様な物が二つ、僕の進路上に壁としてあるので中々進めない。
僕はムニュムニュと動く度に形を変えるソレを、何とかかき分けて進む。
それは柔らかくて弾力があって、その上暖かい。
まるで本物の肉まんの様に。
「ん?」
そこで僕はおかしな事に気づく。
どうして人肌の様な暖かさが直に伝わるのだろうか、と。
その事に気付いた瞬間、脳裏に『すっぽんっぽん』と言う言葉が過る。
だが識さんは寝る前、普通に服を着ていたはず。
それともこれは識さんじゃないのだろうか?
しかしこの妖気と匂いは識さんのものだ。
僕は状況がさっぱり飲み込めず混乱する。
「でも、何はともあれこのままじゃ駄目だよね」
僕は自分に言い聞かせるように呟くと、再び前進を始める。
「んっ……ふっ……」
僕が芋虫のようにズリズリと進むたびに、識さんは寝苦しいのか艶めかしい吐息を漏らす。
その声にちょっぴりビクビクしながらも、体を逸らして少しずつ前に進む。
「?」
頬がちょうど肉まんの真ん中辺りに着いた時、何だが硬いシコリのような物が頬に当たる。
こんな硬い部位僕にはないことから、僕はなにか装飾物か或いは妖魔特有の部位なのだろうか、と思った。
そんなことを考えながら僕は識さんを刺激しないように少しずつ進もうとしたその時――。
「うぅん……」
突然、識さんは体勢を変えようとしてか寝返りをうつ。
勿論僕を抱えた状態で、だ。
僕の体はその寝返りに巻き込まれたことにより、識さんの体に乗り上がり。
識さんはちょうど仰向けの体勢になった。
「わぉぶ――――っ」
急に体を動かされたことにより、僕は識さんの体により密着するようになる。
おまけに口を開いていたため、軽く識さんの肌に噛み付いてしまった。
「――――ッ?!!」
その瞬間、突然識さんの体がビクンビクンと痙攣し始める。
まるで何かの発作のように体を震わせる識さん。
急な事態に僕もびっくりし、思いっ切り舌を動かし、口の中にあった突起物を舐めてしまう。
「ぁ――――」
僕が舐めたことにより識さんの体は大きく弓なりに仰け反り、ブルッと震えるとそのまま力なくベッドへと横たわった。
僕は自分のしたことに罪悪感を覚えつつも、口にしていたものを離す。
幸い識さんの肌から伝わってくる心音は徐々に正常になってきており、再び寝息のようなものも聞こえている。
どうしてこの様な事態になったかはさっぱりわからないが、落ち着いたのだろうか。
僕はホッとしながらも、上への進行を断念した。
不幸中の幸いか大きく動いた拍子に両手の拘束は解けており、今度は足元へと下がることにする。
「よし、これなら……」
先程とは違い、阻む障害など時折僕のお尻あたりを叩いてくる尻尾くらいなものである。
僕はスムーズに識さんのお臍下あたりに辿り着いた。
あまりのスムーズさに何故初めから此方にしなかったのかと後悔した程である。
僕は慎重に識さんの下腹部から首を引っこ抜く。
いや引っこ抜こうとした。
「――むぶ?!」
首が角の拘束から抜けた瞬間。
僕は伸びて来た識さんの足に捕らわれ、絞め技のようにホールドされた。
頭に伝わる感触から想像するに、恐らく僕は識さんの両足の間に挟まれている。
それも両足をクロスしガッチリと、まるで僕の顔をその場所に押し付けるようにホールドされているのだ。
「むぐっ、むぐぐっ?!」
僕は首を振り、何とか抜け出ようとした。
だが、その度に識さんの体は先程よりも激しく震えて抵抗される。
そしてそれに伴い、脚の拘束がますますきつくなっていくのだ。
あまりの力に僕は万力か何かで締め付けられているかのような錯覚に陥った。
このまま行けば近いうちに僕のほうが参ってしまうだろう。
おまけにどこからともなく液体が溢れでており、あっという間に僕の顔は謎の液体塗れになっている。
――汗? それとも妖魔の人は寝ている時、下半身から涎が出るのかな。
そんな話聞いたこともないが、現実に起きている以上存在するのかもしれない。
「…………」
僕は嗅いだことのない独特な匂いと酸欠で、頭がボーっとし始めた。
普通であればこんな状況、いいと思うはずがないのに今の僕はまるでその行為を受け入れるのが当然という気がしてくる。
まるでこの行為こそが僕の本質だとでも、
「――――っ」
僕はしっかり目を見開き、自分の考えを否定する。
そんなはずがあるわけがない。
誰かの脚に頭をロックされ、謎の液体塗れにされることが僕の本質だなんて。
もしそうだとしたら正直嫌すぎる。
「あっ……はっ……ふぅ……」
僕が顔を動かす度に識さんの息は荒くなり、脚はギュッと締め付けてくる。
ちょうど僕の口が当たっている場所からは、壊れた蛇口のように止めどなく謎の液体が溢れ続けている。
こんな器官は僕にはないので、恐らく妖魔特有のものなのだろう。
「くっ……」
いよいよ涎説が有力だとか考えているうちに、どんどんと締め付けは強くなる。
このままでは本当に絞め殺されるか、涎に溺れるかのどちらかだろう。
そう理解した僕は賭けに出ることにする。
先程識さんは弓なりに仰け反り、脱力した。
つまり、あの状態をもう一度起こせれば僕は抜け出せるというわけだ。
しかし、僕は何がどうしてああなったのか全くわかっていない。
した事といえば軽く噛み付いて、舌で思いっ切り舐めたと言うことだけだ。
今同じことをしてもそうなるとは限らないのだ。
だが他に手段がないことも事実で……。
「ごめんなさい、識さん!!」
僕は覚悟を決めて、先に謝ると同時に識さんの体に軽く噛みついた。
そして舌で近くにあった突起物をおもいっきり舐め上げる。
その瞬間――。
「ック――――ッ!!!!」
絶叫にならない絶叫で識さんの体が大きくのけぞる。
それと同時に涎が間欠泉のように噴射され、僕の顔面を水浸しにした。
「あ、危ないところだった」
僕は意識が遠のく寸前で、なんとか識さんの体から這い出る。
そして識さんから離れた位置で脱力した。
何がどうなってこうなったのか全然わからないが、本当に疲れた。
この状態を放置すれば色々問題はあるのだろうが、今は眠りたいと言う気持ちでいっぱいだった。
「ふわぁ~~」
僕は濡れた顔を枕に擦り付けながら、大きく欠伸をする。
沈みゆく意識の中、妖魔というものはまだまだ僕の知らない事がいっぱいなのだと思い知ったのであった。
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