第26話「退魔の歴史」
キョウが屋上を去った後。
くうとクリスティナは未だ倒れている朱の側に立っていた。
「んだよ、俺に何か用か? 今一人にしてほしい気分なんだが?」
見下ろす二人に、気だるげな視線を向けながら朱は身体を起こす。
姿は未だ妖魔のままであり、二本の角が残照に照らしだされていた。
彼女達が朱に、用があるのは一目瞭然だろう。
そもそもくうはその為に嘘をついてまで、キョウを屋上から追い払ったのだから。
「どうして本気で戦わなかったの? もしあなたが本気なら少なくともこんな無様な結末にはならないはず」
「ぁ? てめぇいきなり何言ってやがる」
「だってそうでしょう? 鬼の力の源である角を二つしか出していないのに、どうして本気と取れるの? ねぇ、酒呑童子」
くうの言葉に朱の眼の色が変わる。
無気力めいた体勢は瞬時に臨戦態勢へと変わり、もう一戦出来るかの如く妖気の放出を始めた。
キョウに負けたとはいえ、朱は大妖クラスなのだ。
そもそも押し倒された程度で尽きるような、軟な構造はしていない。
試合にこそ負けはしたが、朱は後数日は決闘を続けられるだけの体力が残っていた。
朱の正体である『酒呑童子』とはこの国最強の鬼である。
当時の退魔師達が毒酒を盛り、寝首をかいて斬首したにもかかわらず首だけで人を喰らい。
神仏の力で漸くその首を封印できた正真正銘の化物である。
その血を引く彼女にとってこの程度、児戯に等しいダメージであろう。
「てめぇ、一体なにもんだ?」
そんな彼女をして油断ならないと言った風に、朱はくうを睨みつける。
決闘でキョウに向けた視線とは違い、完全に敵意むき出しである。
そんな敵意に身を晒しながら、くうは何事もないように髪をかき上げ、口を開く。
「
そっけないくうの自己紹介に、朱は思わず乾いた笑いを浮かべる。
それは朱にとってはこれ以上ないほど簡潔で、分かりやすい自己紹介だったのだ。
この学園における理事長のネームバリューはそれ程迄に高い。
「なるほどな、あの人の娘か。とすると、キョウのあの身のこなしはあの人が?」
「……私は仲良くガールズトークをしに来たわけじゃない。あなたと取引をしにきたの」
胡座をかいて一先ずは話を聞く体勢に入った朱を前に、くうは無表情でバッサリと切り込む。
その言の通りお遊びではないと証明するために。
「取引だぁ? はっ、おもしれぇじゃねーか」
冷たく見据えるくうを前に、朱は笑う。
朱を前にして啖呵を切れる人物は少ないがそれなりにいる。
直ぐ側にいるクリスティナなどがその例だろう。
だが己の正体を知っていて尚、路端の石程度の価値以外見いだしていない存在は初めてだった。
普通であればそんな存在など害悪でしかないが、あまりの珍しさに朱は興味をもったのだ。
そんな朱の心情を知ってか知らずか、くうは話を続ける。
「私が欲しいのはこの学園に在学している大妖クラス以上の妖魔の情報」
「それに対する俺への見返りは?」
「キョウについての情報。あいつが最後に何をしたか、答えが欲しくはない?」
くうの問いかけに朱は無言で考えこむ。
朱は目の前の少女に、面白さこそ感じてはいるが、所詮は好奇心程度の物だ。
信用など到底出来るわけもなく、それが新しい友人であるキョウが絡んでいる以上火遊びなど出来ない。
だが、その情報が欲しくないかと言われればそれは嘘である。
それは今、朱にとって喉から手が出るほどほしい情報だからだ。
「朱、くうさんの言っていることに嘘はないと思います」
悩む朱を前に、遠慮がちに意見してくるクリスティナ。
朱はくうのことは知らないが、クリスティナのことは短い時間ながらも知っている。
「クリスティナ」
朱はクリスティナの名を呼び、その眼を見つめる。
一歩下がり遠慮がちな態度のクリスティナだったが、見つめ返すその目にはやましい感情など一切写っていない。
それを見て、朱は覚悟を決めるように瓢箪の中身を一気に呷った。
「――いいぜ、その話のった」
「そう、取引成立ね」
取引が成功したと言うのに、くうは相変わらずの無表情のまま。
自分から取引を持ちかけておいて興味が無いはずはないと言うのに、朱とクリスティナの目には本当に興味が無いように写る。
まるで実体が存在しないかのように、くうは異質の存在感を放っていた。
「そっちから取引を持ちかけたんだ。当然そっちから話してくれるんだろうな」
「勿論。でもその前に――」
くうは辺りを見渡すと、両手を天に掲げる。
その身からは清廉とも虚無とも取れる妖気が溢れ出す。
そしてそれに呼応するかのように、空間が闇に包まれ始める。
「結界か、随分と慎重だな」
結界に覆われたというのに、朱は物珍しげな口調で辺りに視線を送る。
そのすぐ側ではクリスティナが、少し息苦しそうに眉をひそめていた。
それもそうだろう。
今この空間は彼女の妖気で満たされた空間にいるのだ。
言わば誰かの腹の中にいきなり放り込まれたようなもの。
本人のくうは兎も角、何の反応もない朱の方がおかしいのだ。
「この学園にはのぞき魔が多すぎるから」
平然と言ってのけるくうに、朱は堪え切らないように噴飯した。
そんな朱の様子をちらりと見ながら、くうは話を始める。
「さて結論から先に言うと、キョウは慰魔師と退魔師の混血児で、さっきのアレは退魔師の力によるもの」
「まあ、そんな所だろうな」
「驚かないのですか?」
くうの言葉を聞いても指したる反応もない朱に、クリスティナは質問する。
「そりゃ、あんな身体能力見せられりゃあ流石に、な。妖魔と慰魔師の子って言やぁ聞こえはいいが所詮は異種族の交わりだ。生まれてくる子は、同性の親の血を強く受け継いで生まれてくるのが常識。母親が慰魔師なら娘は慰魔師、父親が妖魔なら息子は妖魔って具合にな。だから妖魔と慰魔師の間に、両方の性質を持って生まれてくる奴はない。種族の壁ってのはそれだけ厚い」
思うところがあるのか、朱は目を細め語る。
クリスティナはそこに、共生を謳いながらも妖魔と慰魔師を分かつ決定的な壁を感じた。
「そう、妖魔と慰魔師ならそれで済む問題。けれどキョウは同じ人間である慰魔師と退魔師の間に生まれ、そしてその両方の力を引き継いでいる。ここまではそこの馬女にも話した事」
「馬っ?! …………その呼び名を容認するわけではありませんが、まずは話を続けてください」
頬をピクピクさせ、屈辱に震えながらもクリスティナは話の先を促した。
「あなたも見たでしょ。明らかに雰囲気の変わったキョウの姿を」
「あぁ、見た時は戦慄が走ったな。俺が眼にしたのは獲物なんかじゃなく、完全に俺を狩ろうとする奴の顔だったからな」
朱は恍惚の表情を浮かべながら、ブルっと身体を震わせる。
キョウとの決闘での光景を改めて思い出しているのだろう。
そんな朱を余所に、クリスティナが代わりに質問をする。
「あのキョウさんは一体どういった状態なのですか?」
「あれは退魔師の本能が表に出た状態。別に人格が入れ替わったとかそういうわけではなく、ただ戦闘に相応しい体と思考に変化しただけ。キョウ自身は記憶の統合性がつかないからうっすらとしか覚えてはいないけれどね」
「アレが出たのは俺がダメージを与えたからか?」
朱さんの問にくうは首肯する。
「キョウ自身に危険が迫ると、自動的に切り替わるようになっている。ただ、今回はゴムで殴ったせいで中途半端な状態だったけれど」
「アレで中途半端なのか」
「当然よ。退魔の力も殆ど使っていなかったでしょ? 全開になったキョウはあんな物じゃないレベルで怖い」
くうの言葉に二人は閉口する。
それもそのはず、この二人は全力ですら無いキョウに大敗したのだ。
二人としても完全な本気だったわけではないが、それでもまだあれが序の口なのか、と思わずにはいられなかった。
そして改めて二人は、とんでもない者に決闘を挑んでいたことを漸く理解した。
そんな二人に構うこと無く、くうはマイペースに話を続ける。
「退魔の力についてだけれど、その前にあなた達は退魔師についてどれだけ知っているの?」
「先日の講義で教えてもらったことプラスαくらい、でしょうか」
「…………」
真面目に答えるクリスティナを尻目に、朱は黙る。
そんな朱を意図的、或いは眼中にないかのようにくうは無視して話を進める。
「精々教科書に載っている程度の知識ってことね。では退魔師の力については?」
「『装甲戦機』の事でしたら少しは……」
クリスティナが口にした言葉に、朱はぴくりと反応する。
それもそのはず。
ソレは妖魔にとっては忘れたくても忘れられないもの。
かつて隆盛を誇った妖魔を駆逐し、勝者の歴史を塗り替えた兵器。
それが『装甲戦機』だ。
「退魔師の力と聞いて確かにアレを浮かべるのはある意味間違ってはいない。けれどアレは退魔師専用の兵器であって、力の本質とは別のもの」
「力の本質、ですか?」
「そう、力の本質。そもそも退魔師の起こりはかつて妖魔が大陸を支配していた頃まで遡る。その頃の彼らはまだ退魔の力も今の様な科学兵器もなく、ただ只管に蹂躙されるだけの存在だった」
「えぇ、聞くだけでも反吐が出そうな、悍ましい世界だった事でしょう」
苦虫を噛み砕いたような顔をしながら、クリスティナは憤る。
かつて人を食っていた鬼の末裔である朱は、言葉こそ発しなかったが同意するように鼻を鳴らした。
「そんな彼らが力を付けようとすれば、どうすればいいと思う? もっと言えばどうすれば妖魔に勝てると思う?」
くうの問いにクリスティナは暫し考えこむ。
銀色のポニーテールが闇の中で揺れ、鈍く光った。
「戦闘技術の向上、でしょうか? 先程のキョウさんの動きのように」
クリスティナはキョウの動きを思い出しながら、自信なさげに答える。
あれはとても一長一短で身につく動きではないことは、誰の目から見ても明らかだ。
自己紹介の弁にも有ったように、幼い頃からずっと修練してきたのだろう。
だが、クリスティナにはそれが答えとは到底思えなかった。
「そういう試みは退魔師が出来る遥か前から行われていたことでしょうね。けれど所詮は人間。その身一つを鍛えぬいたところで出来る事なんて高が知れている」
「では――」
「敵の力を使う、だろ?」
クリスティナが正解を聞こうとしたところで、朱が口を挟んだ。
「そう、正解。厳密にはその当時の彼らは私達妖魔の力の仕組みを解析し、真似しようとした。そこが退魔の力の始まり」
「では私達と退魔師の力は同じだと?」
「広義的な目で見れば、同じといえるかもしれないわね。私達妖魔は体内のエネルギーから妖気を生み出し、それを使って能力や圧倒的な膂力を行使する。でも、対する退魔師は私達のように大量の気を生み出す
「すると退魔の力とはその気を別の所から代用する術だと?」
クリスティナの答えにくうは少し口を歪め、笑う。
まるで出来のいい子を褒める教師のように。
「正解。彼らは神器や魔具、術式、詠唱など様々な技法を編み出すことによって大気や大地から気を取り込み使う
「「妖気の吸収能力」」
朱とクリスティナは示し合わせたように同時に答える。
ただし、前者はかなり確証を持った口調で、後者は今分かったといった口調で。
「キョウは退魔師の中でも特に妖気を吸収するのに長けている一族。戦闘時は勿論、非戦闘時でさえも妖魔から妖気を取り込み、吸収し続けている。そしてその取り込んだ妖気を自分の力へと変換する。言ってしまえば妖魔と然程変わりがないの、アイツは」
「そう、ですか。だからあれほどの力を……」
「そして地味だが質が悪い能力だな、おい。相手から力を吸いとり弱体化させつつ、自分はその力で強化され続けるわけだろ?」
「えぇ、それもキャパシティが尋常じゃないくらい大きいから、無尽蔵に妖気を溜め込める。だから相手の妖気よりも多く相手の妖気を持てるという、本来なら有り得ないはずの逆転現象すら引き起こせる」
「「………………」」
聞けば聞くほどとんでも無い事実が出てくるキョウに、二人は言葉を失う。
「これでいい? キョウの情報」
「……あぁ」
もうお腹いっぱいだという顔で、朱は頷く。
朱が頷いたことを確認すると、くうの目つきが変化する。
これからが本番だというように。
実際彼女にとってはここからが本番なのだろう。
「今度は此方の番。この学園の女の妖魔の中で大妖クラス以上の奴を可能な限り教えて」
「勿論約束は守るぜ。ただまあ、俺も正確に把握してるわけじゃないから、思い出し、思い出しになるのは勘弁してくれ」
朱の言葉にくうは頷く。
そこから朱の説明が始まった。
「有名なところで行くと生徒会の三人か。生徒会長の美鈴、副会長の飛鳥、書記の若。三人共大妖クラス以上で――」
次々と朱は自分の見解を交えてくうに伝えていく。
中には大妖クラスと断定できない妖魔も混ざっており、その数はちょっとした数に膨れ上がっていた。
しかし、くうは現状挙がった名には大して興味が無いのか、無言のまま聞き流してゆく。
「あとはだな……、あぁ忘れてた、前生徒会長と風紀委員長が居たな」
「前生徒会長?」
クリスティナが朱に聞き返す。
「あぁ、美鈴が来るまでずっと生徒会長をやってた人がいんだよ、名前は確か……『咲恋』だったか」
「!」
それまで無反応だったくうがその名前を聞いた瞬間、ぴくりと反応する。
まるで積年追い続けた
「知っている……人なのですか?」
「いいえ、初めて聞いた」
恐恐尋ねて来るクリスティナに、くうは口を歪ませながら返答する。
そんな様子のくうに困惑するクリスティナ。
だが、くうはそんな周りの様子など最早一顧だにしていない。
彼女は超直感とも言える第六感と凄まじいまでの嗅覚を用い、敵の糸口を手繰り寄せたのだ。
――敵だ、こいつが敵に違いない、と。
それが正解かどうかは本人を問い詰めなければならないことだろうが、くうは絶対的な確信があった。
自分が敵を見間違えるなどありえない。
否、己の敵になり得る者などこの世に数えるほどしか存在しないのだから、脅威を感じた相手こそが敵である。
「必要な情報は手に入った。もうこれでいい」
用済みとでも言うように、くうは二人に背を向け歩き出す。
元から大して有りはしなかっただろうが、最早毛ほどの興味すらも失せたのだろう。
深淵の底の様に陰っていた景色は、いつの間にか夕暮れへと姿を変えていた。
「………………」
屋上の出口まで幾ばくかといったところで、くうはピタっと足を止める。
まるで些末なことを思い出したかのような、それでいてそれを無視することは出来ない、と言った顔で彼女は振り返る。
視線を受けた二人は互いの顔を見合わせた。
今の彼女が自分に何の用があるのだろう、と。
「そこの朱とか言う鬼。後でキョウの部屋まで行きなさい、話があるみたいだから」
くうはそう言うと、今度こそ振り返ること無く消えていった。
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