第21話「血痕? 結婚? 決闘?」
「……取り敢えず握手だ」
僕にそれだけ言うと、朱さんは酷く疲れた様に深い溜息を吐いた。
そのやや右後ろではクリスティナさんが顔を赤くしながらそっぽを向いている。
漸く二人の口論が終わり、色々な意味で疲れたのだろう。
その間僕は何をしていたかというと――。
「―――――」
僕は白目を剥いたまま床に伏している羅鬼さんの様子を窺っていた。
ピクリとも動かないが、本当に大丈夫なのだろうか。
いつまでも朱さんに返事しないのもあれなので、僕は心配ながらも羅鬼さんから視線を戻す。
「えと、あの、はい……」
何がどうなって取り敢えずなのか、全然分からないがこれ以上長くなるのは嫌なので僕は返事をする。
恐らく説明されたとしても、僕が理解するまでに日が暮れそうだし。
そんな僕の様子を見抜いてか、朱さんは再び溜息を吐いた。
「何で俺が握手なんて言い出したか、よく分かっていない顔だな」
「は、はい、すみません」
呆れた声を出す朱さんに僕は再び謝る。
でもしょうが無いのだ。
分からないものは分からないのだから、呆れられてもどうにも出来ない。
僕は開き直りつつも、朱さんの言葉を待った。
「いいか、この学校で妖魔と慰魔師の握手は特別な意味を持つ。百の時間より、千の言葉よりも、たった一回の握手で互いのことを分かりあえんだ。だからダチになるかどうかもそれからにでも良いだろう、って俺は言いたかったんだよ」
「は、はぁ……」
改めて説明してもらって申し訳ないんだけど、やっぱりあんまり意味がわからない。
取り敢えず握手すればいいのだろうか。
僕は猛獣の檻に餌をやる飼育員のような気持ちで、おずおずと朱さんに向かって手を伸ばす。
友達になれそうとは思うけど、やっぱり思うところがないわけではないのだ。
「そうビビんなってのっ!! お、俺は人喰い狼か何かか――っ!! ――ってそうか、お前ら慰魔師からすれば
勢い良く怒鳴ってきたかと思えば、朱さんはすぐ哀しそうな目をする。
その目を見て僕は思わず胸が痛む。
馬鹿な僕でも朱さんが僕の反応で傷付いたことくらいはわかる。
――朱さんが普通に傷付く人だって、さっき知ったはずなのに。
僕の馬鹿。
僕は自分の行動に直ぐ様後悔して、朱さんの眼を見据えながら思いっ切り手を伸ばす。
「そ、そんなことありませんっ!! その、す、少しは怖いかも、と思っていますけど……その、人喰いだなんて思ったりは……絶対思ったりしてませんから――っ!!」
そして気がついた時には僕は朱さんに叫んでいた。
自分で自分の声の大きさにビックリするけど、これだけは否定したかった。
これが僕の掛け値なしの本音だ。
「お、おう? ぁ、ありがとな…………」
若干驚いた顔をしながらも、朱さんは少し照れた表情を見せる。
僕はその時初めて、朱さんのことを可愛いと思った。
怖さが全てなくなったわけではないけど、少なくともかなり薄れたことは確かだろう。
「じ、じゃあ、握手、するぞ?」
朱さんの言葉に僕は無言で頷く。
最早迷いはないし、自分から握手したいとさえ思える。
だって本気で友達になりたいと思っているのだから。
「………………っ」
朱さんは壊れ物を扱うように、ゆっくりと慎重に僕の手に触れる。
元々体温が高いのか、朱さんの手は暖炉のように暖かかった。
だが心持ち、少し余裕があったのもそこまで。
家族を除いて人生で二度目となる女の子との握手に、僕は緊張で頬の筋肉が引きつりはじめる。
とてもじゃないけれど、僕は恥ずかしくて朱さんの顔を見る事すらできなくなったのだ。
「――――――っ」
時間の感覚がわからない。
手にはじっとりと汗をかいていて、気持ち悪いと思われていないだろうか。
表情が見えないから、僕はだんだんと不安になってくる。
でも朱さんは僕の手をずっと無言で握り続けてくれている。
手を離さないってことは、大丈夫……なのだろうか?
そんな僕の思惑を余所に握手は続く。
「――っ」
それから何秒くらいたった頃だろうか。
朱さんが身動ぎする。
「?」
本来身動ぎするだけなら何もおかしくはないのだけど、それにしては何だか様子が変だ。
震えるかのように、ぴく、ぴくっと断続的に身動ぎが起きているのだ。
しかも、その身動ぎの周期はどんどん早くなっていく。
僕は朱さんの様子が気になり、恐る恐る視線を上げる。
「~~~~~~~~っ」
そこには顔を髪の毛よりも真っ赤にし、プルプル震えている朱さんが居た。
僕はその様子にぎょっとする。
どう考えても尋常ではない様子だ。
もしかしてやはり僕の手が気持ち悪かったのだろうか。
何か別の要因であってほしいと願いながらも、僕は声をかけるか迷ってしまう。
そうこうしていると、突然朱さんの震えがピタリと止まった。
「?」
「……と……しろ」
俯いたまま、朱さんは何かをぼそぼそとしゃべる。
――と……しろ?
なんだろう、どう言う意味だろう。
僕は聞き取れず、何とか聞き取ろうと意識を向ける。
「俺と……」
――俺と……と……しろ?
まだまだ意味はわからないけど、少しづつ聞こえる音は増えている。
僕は朱さんの言葉を聞き取ろうと、無意識のうちに一歩前に出る。
その瞬間、僕は背中を朱さんに掴まれ抱き寄せられた。
「えっ?! えっ!?」
混乱する僕。
一歩進んだはずの僕の視界は、朱さんの顔が大きく映り込む。
僕は咄嗟に猛禽類に捕まえられた草食動物の図を連想する。
若しかしなくても、捕まえられた?
身の危険を感じなくもない状況で、僕は身構えることしか出来ず。
そして――。
「俺と、俺と結婚しろ――――っ!!!!!!!!」
怒号が放課後静かになった教室に響き渡った。
「…………………」
僕は言葉の意味が理解できずに固まる。
ケッコン? ケッコンってなんだろう?
血痕のことかな、でもなんでいま血痕なんて言うんだろう。
血なんて(羅鬼さん以外)誰も出てないというのに。
だいたい『する』って言い方がおかしい。
~をするみたいに血痕をするだなんて――。
「あっ」
僕は眼をぱちぱちさせる。
――あれ? 若しかしてケッコン? 血痕? 結婚? え、結婚――っ?!!!
僕の中でパズルのピースがカチリとハマるような音がした。
「え? ええええぇぇぇ――――っ!?????」
結婚? え? 結婚?
結婚ってなに?
どうすればいいの?
「なっ、ななな何を馬鹿なっ?!!! しょ、正気ですか朱?!!」
余程焦っているのか、周りの机や椅子を蹴り飛ばしながらクリスティナさんは此方へ近づいてくる。
その姿は理性と失った闘牛の様だ。
このままぶつかれば、吹っ飛ばされることは想像に難くない。
当然僕は未だ朱さんに抱き寄せられたままなので、逃げることなど出来ない。
けれど僕はどこか他人事のような感覚でそれを見送る。
「――はっ!! 今、俺は何を……?」
うたた寝から覚めるように、朱さんは顔を上げると周りをきょろきょろ見渡す。
散乱した机、床にのびている羅鬼さん、迫り来るクリスティナさん、そして最後にぼーっと朱さんを見上げていた僕と視線が重なる。
「ぅ……ぁ……」
うわ言のような声を上げ、朱さんは僕からゆっくりと離れていく。
その顔は今にも人生の終わりのような顔をしている。
「―――――――」
その横でクリスティナさんが朱さんの肩に手をかける。
地獄の門を目の前で叩かれたような様子で、朱さんはゆっくりとその方へ振り返る。
「ぁ~~っ」
普段の理知的な様子は何処へやら。
そこには銀色の髪を角のように逆立て、怒りに震えながらもニッコリ笑うクリスティナさんが居た。
「今、私の聞き間違いでなければ、結婚と仰ったようですけど、もう一度言葉にしてもらってよろしいですか?」
「へ? い、いや、あの勢いつーか、なんつーか……。気が付いたら叫んでたつーか」
ミシミシと音がなりそうなほど肩を強く握られながら、朱さんはクリスティナさんから視線をそらす。
ゴゴゴ、と効果音が出そうな迫力のクリスティナさんに、僕は昨日の決闘の時よりも今のほうが遥かに強いのではないだろうか、と思った。
「もう一度、お願いします。結婚だなんて言い間違い、ですよね?」
「あ、いや……それは……」
「結婚は言い間違い。いいですね?」
逆立った髪を、朱さんの顔に突き付けるようにクリスティナさんは迫る。
殆どというか、完全な脅迫だろう。
朱さんが『NO』といった瞬間、今にも戦いが始まりそうな雰囲気がそこにあった。
そしてその一触即発の空気を破ったのは、思いも寄らないところからだった。
「ふぉ? 朱さん、決闘するんすか?」
クリスティナさんの言葉に、床で伸びていた羅鬼さんが顔を上げ反応する。
寝ぼけ眼で眼を擦るその様に、僕は愛らしさだとかそういうものを感じる以前に、羅鬼さんが起きて来られたことにホッとした。
それ程迄に先程の羅鬼さんは酷い有様だったのだ。
「そ、そう、決闘だ。俺は決闘を申し込もうと思って……っ、いたんだ」
「やっぱりっすか。これで面白くなってきたぜ――っ!!」
起きたてなのにやたらとテンションの高い羅鬼さん。
その横でだらだらと汗を流しながら、クリスティナさんに睨まれている朱さん。
そして未だぼーっとし続けている僕。
もう僕じゃなくても訳がわからない状況だろう。
「あ、改めてキョウ、お、お前に決闘を申し込むっ!!」
震える指を向けられ、漸く僕に実感が戻ってくる。
――え? 決闘? 結婚? どういうこと?
僕は状況を整理しようとする。
決闘って言うことはつまり戦いを申し込まれているわけで。
僕らは友達になれるかを調べるために握手していたわけで。
その結果が決闘――。
――つまり僕は絶縁状代わりに決闘を申し込まれた?!
「がーん」
心臓をハンマーで粉々にされたような衝撃が僕を襲う。
――い、いやでもきっとなにか違うはずだ。
僕は自分で自分を慰める。
根拠はなにもないけど。
「いい加減にしてください、朱。大体決闘の件に関しては話はついた筈です。それを反故にする気ですか?」
「………………」
クリスティナさんの言葉に黙る朱さん。
その沈黙を図星と取ったのか、クリスティナさんは更に言葉を続ける。
「恥ずかしいのはわかります。大方引込みがつかなくなったのでしょうが、先程の言葉は私達も忘れますので――」
「――待てよ」
「?」
先程の調子とは打って変わった様子で朱さんは、クリスティナさんの言葉を止める。
まるで何かを決意したかのように、纏う空気が鋼の如く、強く、冷たく固まる。
「確かにお前の言うとおりつい言ってしまったのは事実だが、嘘じゃねぇ以上俺は自分の言葉を曲げるつもりはねぇぜ?」
「でしたら――」
なお説得しようとするクリスティナさんの手を、掴むことで朱さんは言葉を遮った。
その眼は真剣そのもので、とても先程のような冗談を言えるような雰囲気ではない。
「俺がお前と約束したのは、『コイツが勝手にした決闘の申し込みは破棄する』だ。つまり俺がその後決闘を申し込もうが自由なわけだ」
「それは詭弁です」
「自分でもイチャモンつけてるのは分かってんだが、それでも俺はそれを蔑ろにしてでもキョウを手に入れたいと思った。だったら腹くくって突き進むしかないだろ? ――――それに」
朱さんは言葉を切り僕を見る。
突然視線を向けられ、僕はビクッとする。
先程までの人のいい不良と言った雰囲気は消え。
冷たい、まるで品定めするかのような眼で僕を見つめてくる。
「――っ」
全身に虫が這いずりまわるようなゾワゾワした感覚が走る。
なんだろう、この感覚。
不快だけど自分がそういうモノだって分かる。
だから僕は不思議とその感覚を、当たり前の様に受け入れていた。
「一日一回、決闘の申し込みがあれば受けなくちゃならないんだろ? そっちこそ校則に口出しするのか? ――――あぁ、何ならクリスティナ、お前が申し込んで阻止するって手もある。俺はそれでも構わないぜ?」
「ぐっ……それは……」
朱さんの言葉に、クリスティナさんは言葉に詰まる。
出来ることならしたい、そんな感情の篭った無念の表情だ。
恐らく昨日生徒会長さんが言っていた、三十日がどうとかいう話の所為だろうか。
「なんだよ? 出来ない理由でもあるのか?」
「私には、資格がありません、から……」
絞りだすような声でクリスティナさんは返答する。
それを確認すると、朱さんはゆっくりと頷いた。
「なら決まりだな。キョウ、俺との決闘受けてくれるよな?」
「…………」
朱さんの言葉に僕は無言で頷くしか出来なかった。
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