第62話「真祖の姫」
「おい、ヴァーミリオンお前本気ってまさか……」
興奮気味に叫ぶ朱さんの声が聞こえる。
どうやらなにか凄いものを見せてくれるらしい。
「いったいどういう意味ですか、朱。既に妖魔化しているのに更なる本気だなんて、私は全く知りませんが」
「俺達大妖クラスはな、そのあまりにも強大な妖気故に、その場にいる生き物に影響を与える程強力な地場を発生させちまうんだよ。だからその妖気を抑えるために全員入学する前に人化の法とは別の封印が施される。アイツはそれを解こうとしてんだよ!!」
朱さんはやや焦った顔でクリスティナさんに説明している。
その間にもヴァーミリオンさんの妖気は際限なく高まっていく。
その量は僕の妖気吸収が到底追いつかない速度だ。
僕は嬉しくて思わず口角が上がる。
退魔師としての血が騒ぐのだ。
強い妖魔と戦いたいと。
「だが、学園内でその封印を解くのは禁止のはずだろうが?! てめぇ約束を破るつもりか?」
「
「――ッ!! だったらあの時俺だって……」
「聞かない貴方が悪いのですわ。――――待たせましたわね、キョウ。さあ行きますわよ」
ヴァーミリオンさんは僕を見ながら高らかにそう宣言する。
それと同時に開放された大量の妖気がヴァーミリオンさんに収束されていく。
いよいよその本気とやらを見せてくれるのだろう。
僕は期待に胸を膨らましながらも、一切の違和感を持たれぬよう最小の動きで右手に妖気を集めた。
更に強くなったヴァーミリオンさんを見たいのは確かだ。
だが
「…………っ」
僕はヴァーミリオンさんが瞬きをする一瞬を見計らって、手首の力だけでナイフを投擲した。
「現界――ッ?!」
術が発動する直前の瞬間。
投擲したナイフがヴァーミリオンさんの口に飛来する。
それに合わせてヴァーミリオンさんの視界に映らないように、僕は気配を殺して裏に回る。
「ちょ、ちょっとお待ちなさい!! こういう時は黙ってみているのがお約束でしてよ?!」
かなり焦った様子でナイフを弾くヴァーミリオンさんを見ながら、僕はその真後ろまで跳躍した。
ナイフは陽動でしか無い。
本命は視界から外れた上でのこの一撃。
「―――ふっ!!」
空中で体を反転させ、後ろ回し蹴りを放つ。
狙うはヴァーミリオンさんの後頭部から首にかけて。
期待と言いつつ、僕は本気でこの一撃で終わらせるつもりだった。
発動を妨害されるのも、それを含めて勝負なのだから。
「っ~~~!!」
声にならない悲鳴を上げながら、ヴァーミリオンさんが吹き飛んでいく。
僕はそれを見ながら、手応えの浅さに違和感を持った。
「あれ? どうしてわかったんですか? きよさんに気配の消し方徹底的に教えこまれたんだけどな」
僕はヴァーミリオンさんの様子を窺いながら、質問する。
深追いは危険だが、チャンスであれば攻撃したい。
その度合を測るためにも会話を交わすというのは重要だ。
例えその内容に全く意味が無いとしても。
「吸血時の奇襲と言い、先ほどの
ヴァーミリオンさんは後頭部を抑えながらも、かなりピンピンした様子で起き上がる。
恐らく攻撃が当たった瞬間、自分から前方に飛ぶことによってダメージを逃したのだろうが、それにしても頑丈だ。
朱さんもそうだったが、これが真剣の殺し合いの場ならどうやって殺そうか、かなり迷うところだろう。
僕は大妖クラスの頑丈さに呆れるしかなかった。
「もう完全に堪忍袋の緒が切れましたわ~~~ッ!!」
ヴァーミリオンさんが叫ぶと同時に僕は駆け出す。
激高しつつ、無防備に妖気を開放しているのだから、その隙を狙わないなどあり得ない。
「――ッ、一度ならず二度までも……」
ヴァーミリオンさんは予測していたかのように、手に持ったウィップを僕に投げつけた。
僕は一瞬避けようか迷うが、避けた隙に取り逃がす可能性もあるので逆に弾き返すことにする。
――しかし。
「――っ?!」
振るう腕がロープのようなものにぶつかる瞬間、ウィップはまるで蛇のようにうねると僕に絡みつき始めた。
恐らく妖気を込め、捕縛するように術式を組み込んだのだろう。
たった一回の捕縛のためにこの武器を選んだヴァーミリオンさんに、僕は苦笑しつつも賞賛を送った。
完全にヴァーミリオンさんの作戦に嵌ってしまったのだから。
僕が身動きがとれなくなっている間に、術式は完成する。
『
ヴァーミリオンさんが上空に飛び上がると同時に、大量の妖気がヴァーミリオンさんに集中する。
僕は期待に胸を躍らせながら、衝撃に備えた。
『
溢れ出る妖気の奔流とともに、辺りを取り巻く環境が侵食されていく。
朱さんの言った通り、強すぎる妖気が環境に影響を与えているのだろう。
「濃密な血の匂い、それにこれ……」
辺り一面にバケツいっぱいの血をぶち撒けても、こんな匂いはあり得ないというくらい濃厚な血の匂いが僕の鼻孔をくすぐる。
匂いだけではない。
その影響は気温も湿度も、天候でさえも及んでいる。
夕方だったはずの光景は、いつの間にか月が爛々と輝く夜へと変貌しており。
温く霧が発生しそうなほどヌメった空気が僕を包み込んでいる。
まるで生き物の体内にいるよう。
僕はそんな感想を持つと同時に、この空間の成り立ちを少し理解した。
「渇いている」
この空間はこれだけ夥しい血の匂いを充満させ、実際血のような妖気で満たしているというのに、一向に満たされていないのだ。
血を血を血を血を、と貪欲に求めている。
ここは間違いなく彼女の胃袋なのだろう。
僕は天をより見下ろしているこの空間の主に視線を送る。
「これが本気の状態、なんですね。ヴァーミリオンさん」
「えぇ、その通りですわ」
薔薇をモチーフにしたドレスは、蝙蝠をモチーフにした黒と赤が混ざり合うデザインへと変わり。
何より妖気により創られたことによって、一つの兵装に姿を変えていた。
溢れ出る妖気は今の僕をも凌駕し、真の妖魔として僕と相対している。
「貴方に御託は要りませんわよね。行きますわ」
そう言うとヴァーミリオンさんは上空から姿が掻き消える。
僕は妖気吸収による索敵をしようとして、間違いに気づいた。
「ぐっ――!!」
反射的に出した左腕に衝撃が走ると同時に、僕は吹き飛ぶ。
骨が軋むような圧力から、先程までの攻撃とは桁が違うことを理解する。
「成程、これは強いです、本気というだけありますね!!」
僕は地面を削りながらも、何とか反転し、体勢を整える。
妖気吸収による索敵だけでなく、五感すべてを費やしヴァーミリオンさんの居場所を探る。
――楽しい、血が湧き、心が踊り立つ。
僕はこんな戦いを望んでいたのだ。
こうして強い妖魔と戦うことを。
「今すぐその余裕を、焦燥へと変えて差し上げますわ」
暴風を纏い、飛来して来るヴァーミリオンさんに僕は反撃を試みる。
来るのは力に身を任せた飛び蹴り。
技術なんて何もないが、速度が馬鹿げているのだ。
今の僕の身体能力でも追いかけるなんて不可能だろう。
僕は飛来するそれを撃ち落とすべく、後ろ回し蹴りで合わせた。
「「――――ッ!!」」
互いの蹴りがぶつかった瞬間、衝撃で辺りの土や木を吹き飛ぶ。
その蹴りがどれだけの威力を秘めていたか物語っている。
だがどれだけ威力があろうが、真正面からぶつからなければこんなものだ。
僕は直ぐ様距離を取ると、ヴァーミリオンさんを観察しながら現状を確認する。
今のヴァーミリオンさんに真っ向からぶつかるのは不可能だ。
身体能力も纏う妖気の量も違いすぎるのだ。
しかしそれは今を比較した場合だけ。
妖気吸収により僕の力は刻一刻と上昇し、ヴァーミリオンさんの力はそれに比例して減少する。
「?」
そこまで考えて、僕は漸く違和感に気づく。
体を纏う妖気が先程から左程変わらないのだ。
妖気吸収能力が消えたわけでも、出力が低下したわけでもない。
今も変わらず大量の妖気を吸収し続けているのだが、いくら吸っても底から抜けているような、そんな穴の開いた杓子めいた徒労感があるのだ。
僕が原因不明の出来事に悩んでいると、ヴァーミリオンさんは愉しげに笑った。
「何をそんなに不思議そうな顔をしてますの? そんなに妖気の吸収が進んでいないことが不思議でして?」
「あっ、やっぱり僕の勘違いじゃなかったのか。となると――」
ヴァーミリオンさんの言葉を受け、僕はすぐに辺の妖気の流れを探る。
意識すればすぐに分かった。
僕が纏っている妖気が空間に浸蝕されて、減っていることを。
そしてその喰われた妖気がヴァーミリオンさんを強くしている事も。
「吸精能力。吸血鬼に相応しい能力ですね」
「気を吸えることが貴方の専売特許と思わないことですわ。同じような能力を持つ妖魔などそれこそ幾らでも居ますのに」
「…………」
僕はヴァーミリオンさんの言葉を黙って聞く。
半分は事実だから。
そしてもう半分は……。
「よっ――!!」
僕はさっきのドサクサに紛れて拾った石ころを投げつける。
唯の石ころならヴァーミリオンさんにダメージなど通りはしないが、これは僕の持つ妖気を大量に詰めた特別製。
いわば妖気の爆弾のようなものだ。
「同じ能力かどうかなんて全然問題じゃないよ。だって重要なのはこの能力を持っているのが
僕ら退魔師は自らの身体からごく僅かな気を作り出す事しか出来ない。
それこそDランクの妖魔にすら劣るレベルだ。
だからそれ故僕らは気を扱うのに長けているのだ。
少ない気で妖魔と戦うには、そうするよりほか無かったのだから。
その上で退魔師が大量の妖気を手に入れればどうなるか。
妖魔にとって唯の吸精能力が、全く別の意味に変わる。
僕は石ころがヴァーミリオンさんにぶつかる寸前に、込めた妖気を爆散させる。
「――くっ」
爆発した石ころの妖気弾にヴァーミリオンさんは目を細め、袖を使って直撃を防ぐ。
天然の散弾銃と化した石礫は妖気で作られたドレスによって無効化されたが、別に構わない。
これの目的は相手の纏う妖気を削り取ることにあるのだから。
「どうですか? 退魔師が
僕は次弾を撃つべく別の石ころに妖気を込める。
弾はそこらに幾らでもあるし、別に石ころに込める必要性すら無い。
ただ投げやすいという一点を置いて僕がチョイスしているだけにすぎない。
相手から奪った妖気を相手の妖気にぶつけ相殺する。
これが僕の戦いの基本であり、相手の妖気が無くなるまで永遠と続けられる。
そんな僕をヴァーミリオンさんはどこか蔑むように見下ろす。
「はっ、燃料ですって? 貴方達がしていることなど、ガソリンに火をつけて遊んでいるだけでしょう? 燃料とは注ぎこむべき
そう言うや否や、ヴァーミリオンさんの周りに妖気が迸る。
僕は血のような妖気と形容したが、実際それは間違っていなかった。
血の妖気は無数の長い杭へと姿を変えていく。
生臭い鉄の匂いを振りまいて、真っ赤に彩られた血槍。
その血槍が百を超える数で僕を取り囲むように現出する。
僕は
もっとも向けるべき刺は外ではなく、内側にいる僕に向いているわけだが。
「…………」
僕は左右に視線を送りながら手に持った石ころを弄ぶ。
自分の体は非常に頑丈であると自負しているが、それでもこの量が刺さればどうなるかわからない。
何よりあの杭からはあまりいい予感がしないのだ。
「――――ふぅ」
僕は目を閉じ大きく息を吐くと同時に、手首だけの力を使って石ころを自分の前に投げる。
出来るかぎり最小限の動作で、ヴァーミリオンさんに気付かれないように。
「――っ」
そして投擲した妖気を遠隔操作で爆散させる。
瞬間、辺り一面の宵闇を引き裂くような光と爆音が炸裂した。
僕はそれと同時に目を瞑ったまま駆け出す。
気とはエネルギーだ。
多少小難しい操作は必要となるが、光にも音にも変換は可能である。
つまり多少難易度はあるが、即席のスタングレネードを作ることも可能なのだ。
まあもっとも僕はそのスタングレネードとやらを見たことがないので、なんちゃってではあるが。
「何処迄も小賢しいですわ――――ッ!!」
光の中、血の杭が僕目掛け飛来する。
僕は妖気吸収による感知を主に頼りにして光の中を突き進む。
血の杭も妖気で作られた以上、感知するのは難しくない。
その御蔭で何とか避けながら進んではいるが、如何せん数が多い。
あっという間に逃げ道が塞がるほど包囲が縮まっていった。
「くっ……このっ」
僕は両手に妖気を集め、血の杭を弾きながら無理やりスペースを作っていく。
僕はここで先ほどナイフを投げてしまった己の失態を悟る。
切っ先だけが殺傷部位だと思っていたが、とんでも無い。
この血の杭は触れるもの全てを食い散らかす暴食の牙だ。
それも貪欲に血だけを求めている。
僕は血の気がなくなり始めた両腕を盾にしながら、更に進む。
立ち止まれば後ろからくる杭に食い殺されてしまうからだ。
「無駄ですわよ、例え
ヴァーミリオンさんがそう言った瞬間、僕の両腕から血が噴き出る。
何が起こったかというと血の杭から更に血の杭が生え、弾き飛ばそうとした僕の腕に突き刺さったのだ。
「くぅっ?!」
僕は血を吸い尽くされる前に何とか腕を抜く。
たった1秒にも満たない時間だというのに、両腕の感覚は殆どなくなっていた。
そうこうしている間にも次々と新たな血の杭が生え、僕に狙いをすませる。
最早これは杭じゃない。
幾重にも枝分かれたそれは枯れた大樹のようであり、剣山でもあった。
それが生き物のように血の匂いを嗅ぎつけて僕に迫る。
「何処かの川でピラニアをけしかけられた時の事を思い出すかな――ッ!!」
方向性を変え、雪崩のように次々に襲いかかる杭に僕は削られていく。
妖気で強化しているとはいえ、このままでは数秒とたたずにボロ雑巾に変えられてしまうだろう。
かと言って止まるわけにもいかない。
全体から見れば僕を取り囲んでいる杭など、まだほんの一部なのだから。
「――らぁっ!!」
僕は開眼すると出し惜しみなく、纏っていた全妖気を開放し道を塞ぐ剣山を吹き飛ばす。
その隙間を風の如く疾走を開始する。
目指す先は当然ヴァーミリオンさんだ。
――思ったより速度が出ない。
好調時の6割程度の速度で僕は地面を踏み鳴らす。
背後からは次々と杭の群れが血の匂いを嗅ぎつけ群がってきている。
でもそれも仕方なかった。
先程の方法は僕にとっても苦肉の策だ。
いくら妖気を半無限に補充できると言っても、それは吸収に依るもので自分から湧いてきたわけじゃない。
退魔師にとって最大の弱点は、とっさの時に生み出す『気』が皆無と言っていいほど無いことだ。
即ち、今のように全妖気を開放すれば纏い直すのに時間が生じる。
「でも、僕のほうが早かったね」
僕はヴァーミリオンさんを視界に捉えると、利き足に力を込め一歩でその距離を埋めた。
先程のスタングレネードを模した妖気弾により、まだヴァーミリオンさんの眼と耳はさほど良くなっていないはず。
僕はこの一撃で終わらせると言う覚悟を持って、再充填された妖気の衣を右手に集める。
そして、薄目を開けていまいち僕の位置を掴みきれていないヴァーミリオンさんに振り下ろした。
その瞬間――。
「――愚かですわね。
ヴァーミリオンさんを殴りつける瞬間、その体が霧散し露へと消えてゆく。
想定はしていたが、かなり分の悪いパターンに僕は顔を
――まさかこんな状況の中、察知できるなんて……。
その場から即座に離脱しながら、僕は思考を巡らせる。
物理攻撃を当てるのであれば前回と同じく霧化していない場所を狙うしか無い。
でも流石に相手も同じ轍は踏まないだろう。
「考えている余裕がありまして?
半分霧の状態でヴァーミリオンさんはそう言う。
僕は自分を追ってくる大量の杭を見て、乾いた笑いが出た。
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