第35話「その名前は絶対になにか間違っている」

「そ~れ~」

「ぎゃ~~っ!!!!」

「あはは~、にがさないよっ!!」

「お助け~っ!!」

「君結構いいお尻してるね。結構好みの形かもっ♪」

「や、やめ……そこだけは、そこは―――はぅっ!!」


 外野から見る光景は地獄だった。

 女子達がボールを投げる度に、男子が木っ端の如く吹き飛んでいく。

 それも僕のキャッチボールの時の悩みが何だったのかというレベルでだ。

 因みにではあるがボールは先生が用意した特別な素材らしく、なんでも女子が投げた時だけ柔らかくなる不思議な素材らしい。

 なので今のところ怪我人はいないのだけれども、多分そう言う問題ではないだろう。

 と言うより開幕男子がボールを投げてから、それ以降一度も男子側にボールが戻ってない事のほうが問題かもしれない。

 ある程度分かっていたことだが、一方的にも程があるだろう。


「カルの思い、受け止めてぇ~」

「退避、総員退避だぁ―――っ!!」


 男子と同じくらいの身長の女子生徒が、ウェーブ気味の栗色の髪を靡かせながら大きく振りかぶってボールを投げつける。

 ビュン、と言う音とともに逃げ遅れた一人の男子生徒が、女子の外野まで吹き飛んでいく。

 いくらボールが柔らかいと言っても、このまま地面にぶつかれば多少なりとも怪我をする。

 しかし、それでも怪我人が居ないのは理由があった。


「お前に限った話ではないが、もう少し手加減しろカルビ。毎度毎度男子とボールを受け止めなければならない我の身にもなれ」


 そう言って両手で男子生徒とボールを、何の苦もなくキャッチする外野の女子生徒。

 この人が居たから今まで男子達はほぼ無傷なのだ。

 因みにだけど、この人も先ほどの栗色の髪の女子と同じくらい背が高い。

 身長の低い僕は、その身長が少し羨ましかった。


「ごめんね、セア。カル、こんな風に追いかけまわすの大好きだからつい張り切っちゃって……。でもでも合法的に男の子に触れて役得でしょ?」

「待て、その言い方では普段、我が男子に触れるのは違法みたいではないか」

「え? 違うの」

「…………」


 セアさんは無言でボールをカルビさんとは別の人にパスする。

 先程からもそうだったけれど、やっぱり女子達も僕らと同じく外野から当てに行く気はないようだ。

 それは賞品のことを考えれば当然かもしれないけれど。


「あ~、ずっとカルのターンだと思ったのにぃ~」

「知らぬ」


 悔しそうに地団駄を踏むカルビさん。

 それを受け、外野でそっぽを向いているセアさんとの対比が印象的だった。

 きっと二人は仲がいいのだろう。

 僕は二人のやり取りを見て微笑ま羨ましくなった。


「次はこの私」


 僕より身長の低い女子が、両手で掲げるようにボールを持つ。

 その身長を見て、僕は少しホッとする。

 皆が皆、背が高いわけではないのだ。

 僕の身長が低い事実は変わらないけれど。


「がんばれ~、ランたん」

「ランたんではない、ランタだ」


 ランたんと呼ばれた女の子はスローイングするかのように、両手でボールを投げつける。

 先ほどのカルビさんに比べ、威力も速度もない。

 狙われた人もそう思ったのか、受け止めようとする。

 しかし――。


「へ?」


 受け止めようとした人がボールを捕まえる直前、その動きが止まる。

 まるで何かぎょっとするようなものを目の当たりにしたかのように。

 そうしている間にボールは腕に当たり、その男子生徒はその衝撃で倒れた。


「おい、今のは取れたろ?」

「い、いやカボチャが……」

「はぁ? 何言ってんだお前」


 その人は何かをブツブツつぶやきながら、首を傾げて外野に来た。

 まるで狐にでもつままれらかのような表情である。

 対するランたんさんは、冷静な表情でVサインをしていた。

 一体どういうことなのだろうか。

 ランたんさんが何かしたのは推測できるけれども、その何かがさっぱりわからない。

 そうこうしている間にも試合は進んでいく。


「愉しいのはわかるけど、遅々と行くのは止めようよ」

「そうだよ、の為に時間を残しておかないと」


 パスによって戻ってきたボールを一人の女子が素早く投げる。

 逃げ遅れた一人に当たり、当たった人は外野へと吹き飛んでいく。

 即座にそのバウンドで跳ね返ってきたボールを、同じ顔の女子が受け取り、再び投げつけた。


「あれ?」


 僕はその光景のおかしさに、思わず固まる。

 僕の眼にはどう見てもからだ。

 それもどちらも同じ顔、同じ声、同じ身長だ。

 分身でもしているのだろうか?

 あまりのそっくり具合に僕は混乱する。

 僕は首を傾けながらも、近くから聞こえてくる声につい意識が向く。

 釣られるように僕は視線を向ける。


「…………何だかんだ皆、狙っている」

暁理あかりは違うの? と言うか他人に気を向ける前に自分の事を気にしたらどうかな?」

「…………紫雲、互いの事は黙っているって約束」

「まあ、わかっているんだけどね。ただ私は友達として助言をね」


 そこにはコートの隅で半目の大人しそうな女子と、かなりウェーブのかかった紫色の髪をした女子が何かぼそぼそとしゃべっていた。

 暁理あかりと呼ばれたほうが大人しそうな子で、紫雲と呼ばれた子がウェーブの髪の子だ。

 二人共消極的なところを見ると、どうやら僕と同じであまり参加したくないみたいだ。

 僕は大した理由もなく、二人をじっと見つめる。

 すると――。


「………………」

「――っ!?」


 突然暁理さんが僕の方を向き、バッチリと目があってしまう。


 ――僕が二人を見ていたことがバレたっ?!


 僕はあまりのタイミングの良さに、動揺する。

 暁理さんはそんな動揺する僕をつぶさに見つつ、口を開いた。


「…………君の出番」


 暁理さんは半目のまま、男子コートを指さした。


「へ?」


 見ると、内野にはもう誰もいなくなっていた。

 開始してから5分くらいでもう全滅したのだ。

 僕は改めて妖魔と人間の能力の違いに驚く。


「え? えーっと、これで試合は終わり……、ですか?」

「キミが内野に入って当たれば終わりだね。さあ、時間も押していることだし、さっさと入ってあげて」

「……はい」


 女子達全員から視線を浴びながら、僕は内野へと向かう。

 どこかみんな好敵手を見るかのような、気合の入った表情だ。

 一体全体、僕の評価はどうなっているのだろうか。

 そんなことを思いながらも、僕は処刑台コートに立った。


「い~っくよぉ」

「っ!!」


 緩い声とともに、カルビさんの手からボールが放たれる。

 その速度は先ほど他の男子生徒に放たれた物と同じくらいである。

 速いのは速いけれど、避けるのは然程難しくはない。

 僕は反射的に身体を半歩下げると、それを避けた。


「――――――」


 僕のすぐ横をボールが通過していく。

 それを見送りながら、僕はどうしようか思案する。

 説明を聞く限り、ドッヂボールで勝つには相手のチームを全滅させるか、相手のチームより多く残ってタイムアップを迎えるかの2つに1つらしい。

 後者は僕一人の時点で無理だし、前者は僕がボールを当てなければいけないためこちらも難しい。

 つまりは僕達、男子チームに勝ち目なんて全然ないということだ。

 そんな風に半ば諦め気味に考えていると、後ろから声から声が掛かる。


「やはり期待通りだな」

「っ?!」


 僕が振り向いたと同時に、後ろで速球をキャッチしたセアさんが僕目掛けてノータイムでボールを放つ。

 後ろの方に陣取っていた僕との距離は一メートルもない。

 内野からしか狙われないと思い込んでいた僕は、その光景に思考が止まる。


 ――当たるっ?!


 そう思った瞬間体は反応し、自分でも驚くような速度でその場から斜め後ろに転がり追撃を躱していた。

 危機一髪だったけれど、なんとか避ける事が出来た。

 きっときよさんに昔から奇襲攻撃をされ続けたおかげだろう。

 そうホッとするのも束の間、女子達の追撃の手はやまない。


「カル知ってるよ、キョウちゃんには手加減する必要がないって、ねぇ――ッ!!!!」


 転がる僕に向けて、先程よりもはるかに速いボールがカルビさんから発射される。

 今までの男子生徒に怪我を負わせないようにと気遣った速度ではなく、完全に殺傷しても構わないといった領域の速度だ。


「――――っ」


 迫り来る弾丸のような球に、僕の思考は削ぎ落とされボールに意識が集中されていく。

 体はほぼ反射的に転がった姿勢のまま、後方に宙返りした。

 左右どちらかに転がってもいいけれど、それでは同じことの繰り返しでまた狙われてしまう。

 ならば少しリスクはあるけれど、上に飛びながら体勢を立て直した方がマシだろう。

 集中と共に研ぎ澄まされていく思考は、瞬時にそう判断する。

 僕が飛び上がると同時に、その僅か下方を弾丸が通り過ぎていった。


「先の決闘で知ってはいたが、やはり我々と同等の身体能力なのだな」


 続くセアさんのボールも、着地と同時に身体を反転させて避ける。

 バランスは若干崩れてはいるが、僕は何とか二本足で立つことに成功した。


「「「おぉおおおお――――っ!!!!!!」」」


 何故だか知らないけれど、外野に居る男子達から歓声が上がる。

 僕は戸惑いと同時に、ちょっぴり高揚感を覚えた。


「やっぱり一筋縄ではいかないね。それじゃぁ、ランたん☆ お願いっ!!」

「ランたんではない、ランタだ。――――いくぞ、キョウとやら」


 ランたんさんはセアさんのボールを少し危なげに受け止めながらも、振りかぶる。

 その手は先ほどと違い、片手だ。

 そして細い腕からボールが放たれる。


「でも……」


 僕は体勢を立て直しながらボールを観察する。

 決して遅くはないけれど、先ほどのカルビさんやセアさんに比べれば一歩劣っている。

 僕は普通に避けれると判断し、体を半歩下げようとする。


『とりっくおあとりーと』


 すると何処からとも無く声が聞こえた瞬間、眼前に巨大なカボチャが迫っていた。


「はっ?! え?! えぇええええ―――っ?!!!」


 そのカボチャは眼前いっぱい、右も左も避ける隙間がないくらい大きい。

 後ろは少し余裕があるけれど、それでもコートに限界がある以上僅かな距離だ。

 僕は異常事態にどうすればいいのか、瞬時に決めなければならなかった。


 ――左右も後ろも駄目となれば。


「上っ!!」


 僕は両足に力を込めると、上空に跳び上がる。

 しかし――。


「あ、あれ?」


 上空から見下ろしたその先、僕の下を通過するのは普通のボールだった。

 先ほどまであった巨大なカボチャなど見る影もない。

 全く意味の分からない状況に、僕は困惑する。


「ぶい、上手く行った」

「これでチェック、と行きたいところだがはてさて」


 上空で身動きの取れない僕の下を、再びセアさんの投げたボールが素通りしていく。

 まずいと思った時にはもう遅い。

 再びボールを構えるのはカルビさん。

 そして僕は落下の最中なので逃げようがない。


「さぁ、カルの思いを受け止めてぇ~~っ!!」


 大振りに振りかぶった長身から、豪速球が放たれる。

 僕は即座に捕球の体勢に入ろうとして止める。

 受け止めること事態は難しくないだろうけど、ここは空中だ。

 あの威力のボールを受け止めたら、コート外にはじき出されてしまうだろう。

 つまり避けるしか選択肢がないわけだけど、空中なので左右に飛ぶことも出来ない。

 正に逃げ道なしの状況だ。


 ――なんとかして逃げる方法を考えないと。


 僕は落下しながら反射的に身体を思いっ切り捻った。


「――よっ!!」


 空中ということであまり大きな動きはできなけれど、それによって僕の体が僅かに落下以外の運動を始める。


「これでやったかな?」

「止めようよ、フラグ立てるの」


 見た目と声がそっくりな女の子達の声が聞こえる。

 でもこれは悪足掻きでも無駄なあがきでもない。

 空を飛べなくても、体を動かすことはできる。

 ならその僅かなスペースで避ければいい。

 僕は迫り来るボールに、神経を研ぎ澄ます。

 ほんの僅かなタイムラグも許さないけれど、避ける手段は確かにあるのだ。


「――――ッ!!」


 僕は身体を捻ったことで生まれた運動を利用し、空中で迫り来るボールの動きに合わせて身体を僅かに反転させる。

 ほんの僅か数センチのところを、ボールが通過していく。


「「「うおぉおおおお――――っ!!!!!?」」」


 再び歓声が上がる。

 今度は男子だけでなく、ちらほら女子の声も聞こえる。


「え? えっ?! 今のアウトじゃないの?」

「身体、衣服共に触れていないのでセーフとなります」


 抗議するカルビさんを横目に、僕はほっと一息つく。

 今のは本当に危なかった。

 少しでも服の位置が変われば僕はアウトになっていただろう。

 僕とボールの距離は、その程度の距離しかなかったのだ。


「でも、ちょっと楽しいかも」


 気付かない内に僕は笑みが溢れる。

 ボールを避け続けるだけだけれど、こうして大人数で遊ぶことなんて初めての経験なのだ。

 僕自身、体を動かすことはあまり嫌いじゃない。

 それに決闘のように殴ったり蹴ったりするわけでもない。

 何が言いたいかと言うと、僕は本気でこのドッヂボールをプレイしたくなったのだ。


「残り時間、あと一分です」

「やばいよ、やばいよぉ。時間ないよぉ」


 時間がなくなって焦るカルビさん。

 だけど、時間がないのは寧ろ僕の方だろう。

 このまま行くと負けるの僕達なのだから

 僕はドッヂボールの勝敗条件をもう一度思い出す。

 逃げているだけでは勝てない。

 ボールを受け止め、それを投げ返してアウトにしなければ永遠に点差は縮まらない。

 でも、普通に投げ返すだけじゃあ間に合わない。


 ――だったら。


「え? うそぉ?!」


 僕は恐恐ながらも、コートのセンターラインに歩み寄る。

 この距離が縮まれば、縮まるほど僕に飛んでくるボールは苛烈になる。

 でも、その分だけ僕がボールを受け止めた場合のリターンも大きい。

 僕は両手の感触を確かめると、真っ直ぐ相手のコートを見つめる。


「だ、大丈夫。カルならいける、絶対大丈夫。――――よぉしっ!!」


 カルビさんは自己暗示の様なセリフとともに、勢い良く振りかぶる。

 迷っているように見えるけれど、それでも加減はしないだろう。

 僕はその一挙手一投足見逃さぬよう、意識を集中する。


「――っ!!」


 僕が集中すると同時に、カルビさんの手からボールが放たれる。

 その距離一メートルあるかどうか。

 至近距離と言っても過言ではない距離だ。

 先ほどまでの球と違い、距離が近いせいでとてつもなく速い。

 そんな中、僕は意識を極限まで研ぎ澄ませる。


 ――どんな球でもしっかり見ていれば取れる、はず。


 集中、集中、集中と念じるように意識の時を細かく刻んでいく。

 確かに速い球だけど、クリスティナさんの攻撃に比べれば全然遅い。

 あの時と同じようにすれば掴めない道理はない。


「――っ」


 両手をゆっくり前に出し、迫り来るボールに向け、包み込むように両の指をボールに這わせる。

 そして、全力で掴む。

 逆回転するボールが僕の掌の中で、止まる。


「やった!」


 現実には僅か一秒にすら満たない間隙の出来事だったけれど、僕は見事キャッチすることに成功した。

 そしてこれだけでは終わらない。

 ドッヂボールは当てなければ意味が無い。


「し、信じられない?! あの距離で、あの威力の球を一切後退も仰け反りもせずに受け止めるなんて……」

「ちょっと、これは、マジでシャレになんないかもね……」


 僕は女の子達の声を聞きながら、目の前のカルビさん目掛けて投球体勢に入る。

 目の前のカルビさんはボールを投げた直後なので、とてもまともに動けるような状態じゃない。

 僕がこのまま投げればほぼ確実にアウトが取れるだろう。

 僕はそう確信し、投げようとする。


「ひぃぃっ?! や、やめてぇ~」


 僕が投げようとした瞬間、カルビさんは顔を歪ませ、その場に蹲るように体を縮める。

 まるで虐められた子供がするように。

 それだけではない。

 カルビさんのすぐ近くにいる他の女の子たちも、皆同じように僕から顔を歪ませて逃げようとする。

 その光景に僕は心臓を引き裂かれるような、痛く辛い感情が湧き出てくる。


 ――どうして? 球技じゃなかったの?

 当たっても痛くないんじゃないの?

 僕は皆にそんな顔をさせたいわけじゃないのに。


「――――ッ!!!!」


 気が付くと僕は、当初の位置とは全然見当違いの方へボールを投げていた。

 威力は思い描いた通りではないけれど、それでもかなりの速度と威力のままボールは飛んで行く。

 そしてその先に別の女子生徒が見えた時、思わず僕は叫んでしまう。


「避けてくださいっ!!」


 自分で投げておきながら、矛盾もいいところだろう。

 けれど、僕はもう妖魔おんなのこの歪んだ顔を見たくはなかった。

 それを見る度に僕の中の大切な何かが削れていくのだ。

 そんなものを見るくらいなら僕が負けになる方がずっといい。

 しかし、僕の声に反してその女子は不動のままだった。


「――趣が欠片もない試合に参加したと思っていたが、最後にこんな球に出会えるとはな」


 まるで僕の声が聞こえていないように、その女子生徒はピンク色の髪を靡かせながらボールを正面に見据える。

 その顔は恐怖や怯えとは無縁のもので、寧ろワクワクしているような愉悦の表情を浮かべている。

 そんな彼女に僕はもう一度呼びかける。

 ボールはもうスグそこまで彼女に迫っているのだ。


「危ないです、避けてください!!」

「避ける? 私がか? 心外だな、そんな選択肢は私には存在しない――ッ!!」

「?!」


 気合の籠もった怒号とともに、その人は一歩踏み出すと構えを取る。

 避ける気も受け流す気も、さらさら無いというように受け止める一択の構え方だ。

 僕は思わず、声を出すのも忘れてその人を見つめた。

 そんな僕の視線に答えるように、その人は言葉を付け足す。


「それに、だ。そんな顔をしている者の思いの籠もったボールを、受け止めなければ女が廃ると言うものだ。なあ、キミもそう思うだろう――ッ!!」


 迫り来るボールの中、その人は確かに笑った。

 そしてそのまま僕のボールを包み込むように、胸元へと誘い入れる。

 しかし、それだけでは僕のボールの勢いは止まらず、彼女の両足はコートに爪痕を残しながら後退していく。


「――――ッ」


 固唾を呑んで見守る中、その人はコートラインギリギリで留まる。

 先程一歩前に出なければ、間違いなくアウトになってくらいギリギリの所だ。


「…………」


 そんなその人を見ながら、僕は呆然とする。

 取られたのだ、僕が全力に近い威力で投げた球を。

 だと言うのに、僕の中では嬉しい気持ちでいっぱいだった。


「素晴らしい投球だったよ」


 その人は堂々とした仕草で、受けたボールを手に胸を張る。

 その仕草に改めて僕はその人をしっかりと見る。

 ジャージなのにラインの分かる妖艶な体。

 腰に届くほど長いピンク色の髪。

 その人は、僕の隣の席のシルヴィアさんだった。


「今のキミの投球には胸が踊った。刹那の輝きとして目に焼き付けていたくなるほどに」


 蠱惑的な肢体だというのに、その佇まいは王者のように威風堂々としている。

 それはきっと彼女の言葉に、嘘や後ろ暗い感情が一切ないからだからだろうか。

 僕は何故だか、シルヴィアさんが一切の嘘が入る余地もなく本音で語りかけていると確信した。


「だから私も一切の加減なしに、全力でぶつかりたい。キミに小細工抜きの真っ向勝負を申し込む」

「――はいっ」


 本気の眼差しを向けてくるシルヴィアさんに、僕は躊躇なく頷く。

 僕自身ももっとシルヴィアさんとドッヂボールをしたいと思っていたのだから。

 一切の加減なしと言ったシルヴィアさんに、応えるためにも僕は全神経を集中させ、シルヴィアさんを見据える。

 すると――。


「――――――」


 シルヴィアさんは極々自然な動作で、ジャージのファスナーに手をかける。

 あれだけのことを言い切ったのだ、何が始まるのだろうと僕は期待しながらじっと見つめる。

 そして躊躇いもなくファスナーを下ろし始めるシルヴィアさん。

 開いていくジャージの隙間からは肌色が飛び込んできた。


「…………っ」


 その瞬間、僕はごくっと生唾を飲み込む。

 なぜジャージの下に何も着ていないのだろうとか、言える雰囲気ではない。

 少なくとも目の前のシルヴィアさんは、僕に混じりっけなしの純粋な勝負を望んでいる。

 ここで水を差すという選択をするのはあまりにも不義理だろう。


「行くぞ――っ!!!!」


 気合の篭った声とともに、シルヴィアさんは振りかぶる。

 肌色面積の多いその格好のまま。

 僕は両の足をどっしりと地に構えて、待つ。

 そして投げられるその瞬間――。


 ――僕は揺れて捲れたジャージの内側の方に視線を奪われてしまった。


「あっ」


 気づいた時にはもう遅い。

 眼前には迫り来る打球。

 脳裏には巨大な肌色のスイカと少し小さいサクランボみたいな何か。

 その2つの光景のせいで、僕にボールを防ごうという気概は欠片も残っていなかった。


「アウトでございます。これにより男女対抗ドッヂボールを終了とさせてもらいます」

「…………弱点は色、か」


 暁理さんの声が何故か大きく聞こえた気がした。

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