第50話「覚醒」

 コート上には僕、ただ一人。

 くうも、クリスティナさんも、シルヴィアさんも、刹那さんも、つき子ちゃんも、皆皆いなくなったしまった。

 どうしてこうなったのだろう。

 相手のチームには榊さん、浄蓮先生、レーラビア先生が無傷のまま居る。

 仮にその内の誰かをアウトにできても、ミクさんが内野に戻るだけ。

 そしてくうがいなくなった今、僕にミクさんの能力を防ぐ手立てはない。

 今の僕には絶望しかなかった。


「済まないが、少しタイムを取らせてもらうよ」


 ボンヤリとしていた僕の耳に、きよさんの声が聞こえる。

 僕は声が聞こえた方に視線を向けると、きよさんが僕の方へ向かってきていた。


「大丈夫かい、キョウ?」


 きよさんの優しげな声音が耳朶に響く。

 僕はその声に無言で頷いた。


「よしよし、いい子だね。でもこのままじゃいけないのはわかるかい?」


 僕はまた無言で頷く。

 このままでいいはずがない。

 くう、クリスティナさん、シルヴィアさん、刹那さん、つき子ちゃん、真さん。

 このまま負ければ、一緒に戦っているチームの人達に申し訳ない。

 僕がそう思った瞬間、きよさんの妖気が少しづつ僕を包んでいくのがわかった。

 優しく、暖かく、そして何よりも強い。

 僕にとって揺り籠のような妖気。


「だったら久しぶりに少しで戦おうか。なに大丈夫さ、アイツらは軟じゃないし、何よりこれはお遊戯ドッヂボールだからね」


 きよさんが言葉を発する度に、その妖気に包まれた僕の意識は遠のいていく。

 まるで夢見心地のように、揺々、揺々と。


「そう、そうだ。でも気絶しては駄目だ。気絶するとルール上反則になってしまうからね」


 瞼が重く、目の前の景色が真っ黒に染まっていく。

 でも、一筋の光だけは消えない。


「さあ、目に物を見せておくれ。私の可愛い可愛い愛子いとしごよ」


 きよさんの言葉を聞きながら、僕の意識は塗り替えられていった。


 †



「時間を取らせてすまないね。試合再開だよ」


 時間にして数秒。

 きよはキョウの元から離れて元の場所に戻る。


「おい、大丈夫なのかアイツ? 俯いたままだぞ?」


 榊が指さした方向には、その言葉通り俯いた状態のキョウがいた。

 誰がどう見てもまともにプレイできるような様子ではないだろう。

 だがそれと同時に何かが起こるだろう、という予感めいたものを感じさせるだけの何かもあった。


「大丈夫かどうかはボールを投げつけてみれば分かるさ。あぁ、付け加えて忠告するなら、最後のチャンスだからな」

「ちっ、おいミクそういう事らしいから、遠慮無くやれ」

「怪我でもされるとあとが怖いけど、しょうが無いわね」


 ミクは片手に鎌を持ったまま、ボールを振りかぶり投げつける。

 その速度、その威力ともに榊やくうの放つ球と遜色ないレベル。

 能力を発動させていないとは言え、今までのキョウがまともに受けれる球威ではない。

 そんなボールを前にキョウは動かない。


「キョウさんっ!!」「キョウっ!!」「キョ~君っ!!」


 そのキョウを見て、Fチームのメンバーは口々に名前を呼ぶ。

 ただくう一人だけは苦々しそうな顔をして、キョウを睨んでいた。

 この後起こる事態を確信して。


「――――――は」


 ボールがぶつかる寸前、キョウは微かに口角を上げると笑う。

 そしてその瞬間、異変が起きた。


「は?」

「え?」

「ちっ」


 ボールがぶつかる瞬間、キョウは片手を伸ばし、キャッチしてみせたのだ。

 まるでキャッチボールの球を捕球するようにあっさりと。

 前述の通り威力は決して弱いわけではない。

 それを表すように、ボールの纏っていた暴風が彼の髪を激しく揺らしている。

 だがボールがキョウに与えた影響は言ってしまえばそれだけなのだ。

 そして発生した異変はそれだけじゃない。


「妖気が……?!」

「っ……吸われていっているようですね」

「敵の力を利用とかそう言うレベルじゃねぇな、これは」

「最早攻撃の領域だわぁ」


 辺りの妖気全てがキョウに収束されていく。

 キョウは今、周囲の妖魔の妖気を問答無用で吸収していっているのだ。

 その勢いは全く留まるところを知らず、莫大な量の妖気をキョウに供給し続けている。

 対するGチームは徐々に奪われゆく妖気で、一秒ごとに疲労が増えるばかり。

 そんな相手チームをゆっくりと見渡しながらキョウは口を開く。


「くう、弱くなった? 昔戦った時はもっと強かった気がするけど」


 その身に大妖クラスも凌ぐ量の妖気を身に纏い、普段と変わらぬ表情を浮かべるキョウ。

 いや、普段と変わらぬ表情というのは少し語弊があるだろう。

 キョウはこんな状況で普段と変わらぬ表情を出来る人物ではないのだから。


「でもまあ、今はこのドッヂボールを愉しんだほうがいいよね」


 際限なく増え続ける妖気を右手上のボールに集めながら、キョウは楽しそうな笑みを見せる。

 どこまでも無邪気に、それでいて戦意に満ち満ちている。

 その瞳は妖魔に対する敵意で溢れ、今にも弾け飛びそうな程だ。


「あっはっはー、いいぞキョウ。私を楽しませてくれ」


 きよの笑い声に答えるかのように、キョウはボールを振りかぶる。

 それに伴い、揺らめく妖気が渦を巻く。

 大渦を描きながら、更に更にと増大していくその妖気は台風のようだった。

 そしてその大量の妖気を用いて発射されたボールがどうなるか。

 それが分からないGチームではない。


「下がってろ、アレはお前らじゃあ直撃すれば怪我じゃ済まないぞ」


 自身は一歩も引くこと無く、榊は二人のチームメンバーに言う。

 その眼は細められ、真剣な表情と期待とを綯交ないまぜにしたような表情をしていた。


「いえ、私が行かせて頂きます。それが私の仕事でありますので」


 暴風のように渦巻く膨大な妖気を前に、浄蓮が一歩前に出る。

 それを見ながら榊は肩を竦めて、一歩下がった。

 どうやら浄蓮に譲るようだ。


「行きますよ浄蓮先生」


 振りかぶったボールの先に膨大な妖気が一点集中する。

 口調こそ普段のキョウと同じだが、全開の戦意がその風貌を荒々しく変えていた。

 そしてそのままキョウは、振りかぶったボールを浄蓮目掛けて解き放つ。


「――――――ッ!!」


 竜巻を纏い、ボールは浄蓮へと迫る。

 しかし――。


「……思ったよりかは遅い、ようですね?」


 眼前に迫るボールを前に、浄蓮は両手を広げ待ち構える。

 その両手の糸は先ほどクリスティナの球を受け止めた時とは違い、可視できる大きさである。

 比率で言えば数十倍、いや数百倍だろうか。

 蜘蛛の妖魔である浄蓮は、己の妖気を使い伸縮粘着自在の糸を作り出すことが出来るのだ。

 対するキョウのボールは決して遅い球ではない。

 寧ろキョウが今まで投げた球の中で一番速い球だろう。

 ただ、くうや榊などの妖魔が投げる球に比べれば見劣りする速度なのだ。

 だからか彼女はほんの僅か、安心してしまった。

 コレならば取れると、この程度の速度であるならば取れるだろうと、心の片隅でそんな思惑が生まれてしまったのだ。

 そのボールの狙いが何であるかを一切見ぬくことが出来ずに。


「馬鹿っ!! そいつは……」

「え?」


 榊が叫んだ時にはもう既に糸の網とボールが接触した後だった。

 超速するボールが、複雑に張り巡らされた糸を顕界まで引き伸ばしながらも、絡めとられていく。

 いや、ボール自身が絡めとっているというべきか。

 ボールは球威を極限まで抑えられながらも、回転速度だけは衰えること無く回り続ける。

 複雑に糸を絡めとりながら終わりが無くなるまで。


「ぁ……そん、な……?!」


 この瞬間より、浄蓮にとって糸の網は己を守るための防護ネットではなく、悪夢の圧殺機に変貌した。

 指先から伸びた糸に引きづられ、浄蓮はボールの元へと手繰り寄せられていく。


「早く糸を切れ!! 巻き込まれたいのかっ?!」

「――――ッ!!」


 焦りで顔を歪ませながらも、浄蓮は何とか糸を切り離す。

 それに伴い、ボールは自然落下していく。


「――ほっ、これで何とか……」


 コート後方に居たレーラビア先生がボールが地面に着く直前、安堵の息を漏らした。

 それも当然かもしれない。

 もし知らず受け止めていればボールの摩擦によって、肌が削られていたことが想像に難くないのだから。

 だが――。


「先生、忘れちゃ駄目ですよ。男子生徒ぼくの投げたボールはワンバウンドオッケーなんですから」


 キョウがそう言った瞬間、ボールは地面という跳躍台から跳ね上がる。

 浄蓮の糸によって確かに速度は低下した。

 けれど肝心の回転速度は一向に衰えていないのだ。

 そのボールが地面に付けばどうなるか。

 答えは至極簡単である。


「っ?!」


 再び弾丸の如き速度を取り戻したボールが、レーラビアに襲いかかる。


「あぁもう。今年の私のクラスはこうむちゃくちゃな子が何人もいるのよっ!!」


 ボールがレーラビアにぶつかる寸前、レーラビアは憤慨すると同時に大きく息を吸い込んだ。

 そしてその貯めこんだ息を全て使い、一声叫んだ。


「「「「――――っ」」」」


 あまりの声の大きさに、辺りにいる誰もが顔をしかめ、耳をふさぐ。

 その音を直撃したボールは少し球威を落としながらレーラビアにぶつかる。

 しかしまだまだ受け止めれる球威ではなく、彼女を外野へと弾き飛ばした。


「まだまだ――っ!!」


 吹き飛ばされる瞬間、再度レーラビアはシャウトして更に球威を低下させる。

 そして吹き飛ばされながらも、態勢を変えてレーラビアはボールを内野へと弾き返した。


「よくやった、いい仕事だ。後は私とミクに任せな」


 ワンバウンドしたボールを掴みながら、榊は口元を歪めて目を細める。

 その体は今もキョウに依って大量の妖気を吸われ続けているというのに、纏う妖気は一向に衰える気配がない。

 いや、それどころか更なる妖気を放出し始めている。

 それはミクも同じで、やはりミクと榊は他の二人とは一つ二つ格が違う存在感を示していた。


「浄蓮、レーラビア、ダブルアウト~」


 審判であるきよの声を背に、同じチームメンバーは互いに顔を見合わせる。


「これが全開となったキョウさん……ですか」

「ちょっと、怖い……のじゃ」

「……いや、アレ絶対同じ人間じゃないでしょ。もうなんか変なオーラ纏っているような気がするし」

「可愛いほうがいいなぁ~」

「……………」


 彼を見た彼女達は率直な感想を漏らす。

 今のキョウはそれだけ尋常ではない状態なのだ。

 例え姿形は同じだろうとも、最早人種が変わったというレベルで纏う雰囲気が変化していた。


「おいミク、お前の能力でアイツをとれるか?」

「こんな妖気が不安定な状態じゃ先ず無理だわぁ。失敗すると

「目の前のアイツがそう簡単にくたばる奴に見えるかよ」

「でも、もし万が一死んじゃったら私達、きよ理事長に殺されちゃうわぁ」

「はっ、それこそねぇよ。理事長あいつが目の前で見す見す殺されるのを見ているだけなんて、な。だがまあ、結局は正攻法で行くしかないってわけか」


 榊がそう言うとともに、全身から更に大量の妖気が放出されていく。

 それに同調するように、ミクの纏う妖気の桁も跳ね上がった。

 両者ともに本気で行くつもりなのだろう。


「――――ふ」


 そんな二人の様子を見てキョウは口角を釣り上げ笑う。

 楽しくて楽しくて仕方のないと言った様相である。

 纏う妖気は二人の強大な妖気を吸い、比例して膨れ上がっていく。

 その量、未だ限界知らずだ。


「さあ、行くぜ―――ッ!!!」


 上空に放り投げたボールに対して、榊は拳を引く。

 同時に先程のキョウが見せたような妖気のうねりが巻き起こり、拳に妖気が収束される。

 そしてボールが拳と高さが重なる瞬間を見計らって拳を前に突き出す。

 刹那、砲弾のような重音の震えとともにボールが発射された。


「――――」


 キョウはそれを眼で追いながら、自分が狙いでないことを瞬時に見切る。

 見切りながら、その先にいるミクに視線を向けた。

 榊の狙いは初めから外野に居るミクのみ。


「オーライ、オーライ」


 ミクは掛け声とともに、手にした鎌をまるでバットの様に振りかぶる。

 彼女もまた、榊同様大量の妖気を鎌に収束させている。

 二人の狙いは大量の妖気を使用した連続攻撃である。


「行くわぁよ、キョウくん――ッ!!!!」


 振り切った鎌と同時に大量の妖気と妖気がぶつかり合い、混ざり合い、反発しあう。

 そしてそれら全てのエネルギーをキョウへと爆進する燃料へと変えていく。

 その威力、掠るだけでも普通の人間であるならば肉片化するレベルとなっている。

 速度に関しては言わずもがなだ。

 

 対するキョウはというと、相も変わらず敵意を瞳に宿し続けたまま笑っている。


「あはは、楽しいですねドッヂボール」


 キョウは笑いながら体に纏わり付かせた膨大な妖気を操作する。

 すると膨張を続けるだけだった妖気は、刹那に満たない間に収束すると四肢へと流れた。

 先の試合でシルヴィアが見せたように、美しさすらある流麗な移動。

 激流の如くうねっていた妖気がまるで静水のように静まり返っている。

 加えて気と言うものは量がただ多ければ良いというものではない。

 重要なのは配分と比率である。

 投球フォームが乱れれば、それだけボールに加える力が減るように。

 肉体の動きに合わせて流動させて漸く無駄を抑えることが出来る。

 キョウの妖気操作は見るものが思わず溜息が出るほどの、芸術の域であった。


「いい妖気だ。さあ見せてみろよ、お前の力を――ッ!!」


 キョウは眼前に迫る弾丸を正面から受け止める。

 超速の弾丸に対し、両の手で正確に捕捉したのだ。

 だが球威は一向に衰えない。

 スケートリンクのようにキョウの体はコート後方へと流されていく。


? いいや違う」


 きよの呟きを背にキョウは体をくるりと反転させる。

 両手の内にあったボールは高度をほぼ変えずその手の中にあり、投球態勢へと入っている。

 キョウは受け止めきれずにただ流されていたわけではない。

 球威を最大限利用するためにギリギリまで耐えていたのだ。

 そこへ全身の妖気をかき集め、流し込む。

 一切の無駄なく過不足なく。

 確実に相手を殺すために。


「――――ッ!!」


 先程の打球より数段加速され、投げられたボールは避ける暇など与えず榊の眼前へと迫る。

 それでも尚榊はボールを捕捉し、その腕は捕球のために動いている。

 キョウはその身体能力の凄まじさを素直に称賛した。

 敵として不足なし、と。

 その上で己が勝利すると心の底から信じている。


「こん――っのやろ!!!!」


 受け止める瞬間、榊の掌に水流が出現する。

 渦を巻き、みるみる球威を落とさせながらもボールを包み込み離さない。

 キョウはその光景に目を瞬かせる。

 間違いなくキョウが放ったボールは最高のものであった。

 くうや榊達より数段上の球威と速度。

 榊達の力量を見た上で、確実に倒せるように放ったボールである。

 そのボールを――。


「これは……少し骨が折れそうですね」


 大きく後退しながらも受け止めきった榊に対して、キョウは嬉しそうに笑いながら呟いた。

 本気の一撃を受け止められて、彼は尚笑う。

 それは余裕ではなく、難敵に出会えた興奮によるもの。

 底しれぬ闘争本能に更なる火がついたのだ。

 対する榊は舌打ちして、口をへの字に曲げる。


使?」

「うるせぇ、最低の気分だよ。あぁ忌々しい……忌々しいったらありゃしねぇ――ッ!!」


 榊は吠えると掌の水流を消す。

 まるで力其の物の存在が忌むべきものであるかのように。


「おいミク、今までのやつじゃあ駄目だ。確実に一撃で取るぞ」

「はいはい、分かってますわぁよ、っと」


 先程と同じく榊のボールをミクが打ち返す。

 だが――。


「?」


 狙いは外れ、ボールは見当違いの所を通過した。

 キョウは訝しむが榊とミクは気にすることなく拳と鎌をボールに叩き込み続ける。

 一発打つ度に花火を打ち上げたかのような重低音とともに、体の芯を揺らすような振動がギャラリー全員を襲う。

 一体どれほどの力を込めて打ち込めばこの様な音が出るのだろうか。

 そしてその力を受けて打ち出されるボールは言わずもがなだ。

 ギャラリー達は誰一人声を出すことも出来ず、放心するしかなかった。

 しかしボールは一度もキョウに向かうことはなく、ただラリーだけが加速していく。


「……なるほど、そういう事ですか」


 大砲のような重低音が徐々にテンポを上げていく中、キョウは得心がいったように一人納得する。

 死のラリーは刻一刻と球威を増していく。

 もはや纏う暴風ですら木々を容易く切り裂く威力を誇っている。

 直撃などすれば微塵も残らないこと必至である。

 だがキョウは怯える様子など微塵もなく、不敵に笑う。


「でもそれはこっちにも好都合。


 そう言うとキョウは構えるのを止め、目を伏せた。

 そして大きく息を吸い込み、何かに集中し始める。


「なんだ? 次は何をしでかすつもりだ?」


 無防備に佇むキョウを前に、榊は少年のように期待を膨らませる。

 榊達が今すぐに彼を狙わないのは、期待しているからではない。

 まだ一撃で倒すほどの威力に到達していないからである。


 ――絶好の好機?

 いいや違う。


 確信があるのだ。

 

 故に全力を持って仕留める。


「――――」


 異変はすぐに起こる。

 初めはさざなみのように小さな波紋。

 感知に秀でた妖魔だけが感じ取れるくらいの小さな揺らぎ。

 それが大気中全ての妖気を巻き込み波紋を広げる。

 小さな波紋は大波を引き起こし、荒れ狂う海原のようにうねり始めた。

 まるで見えざる巨大な手があるかのように、妖気が彼へと集っていく。

 それは宛ら大渦。

 彼女らが暴風の化身であるなら、彼は巨大な渦の主であった。


「もっと、もっとだ」「もっと、もっとです」


 奇しくもキョウと榊でセリフが被る。

 二人の妖気で散々打ち出された打球は、強烈な閃光となり。

 辺りから吸い上げた妖気は光の柱となる。

 両者ともに相手を一撃で葬るために何処迄も妖気を高めていく。

 だが永遠に続くかに思えるこの膠着もあと僅かである。

 榊とミクには額に汗が浮かび始めていたからだ。

 それもそのはずだろう。

 ラリーを続ける度に、時間が経つ度に妖気を失っていく榊達と、その妖気を逆に吸い続けているキョウとでは状況があまりにも違うからだ。

 言ってしまえば、キョウは


「――ッ!! そろそろ行くぜ? まさか逃げたりはしねぇだろうな?」

「逃げる? 誰が? 僕が? あはは、面白い冗談ですね」

「はっ、お前らのそう言う所は大好きだぜ。上等だ、受けて立ってみろ――ッ!!」


 榊は腰を深く落とし、右手を握りしめ体を引く。

 未だその体は無尽蔵の如く妖気を溢れ出させ、砲門が火を吹く瞬間を今か今かと待ち望んでいる。

 次の一撃に全力で叩き込むつもりなのだろう。


「受けて立つ? 違いますよ、


 キョウはミクが鎌でボールを打ち返す瞬間を見計らってスタートを切る。

 やや遅れる形でミクもボールを打ち返す。

 歪な並行となり発射される二対。

 その2つが向かう先は同じく榊である。

 放たれた矢の如く飛び出したキョウの体は、一歩踏み出す毎に加速していく。

 踏み込む足は地面を砕き、強烈な足跡をコートへと残し続ける。

 僅か十数メートルに満たない距離だが、加速の度合いが桁違いなのである。

 後を追うように飛来するボールに、瞬間的ではあるが拮抗しそうなほどの速力となっているのだ。


「さぁ、さぁっ!! 全力で行きますよ、榊さん――ッ!!」


 掻き集めた妖気は踏み込んだ足を伝い、膝、腰へと登り、肩へと流れ込み。

 そしてその全てが彼の右腕へと収束していく。

 爆発的な加速で得た圧倒的な速力と集めた妖気全てをボールへと叩き込むため。

 彼はボールを受け止めるという選択を捨てたのだ。

 総ての力を収束した右腕。

 その横を絶妙なタイミングでボールが横切っていく。

 ほんの僅かなずれすらも許さない間隙。

 彼は針に糸を通すかのような精度で、拳を突き出す。

 刹那ボールの速度を上回ったその右腕は、文字通り今の彼に出せる全身全霊の力の証であった。


「くはは、馬鹿だろお前っ?! でも最高だ、いいぜ、避けねぇし逃げねぇよ」


 打ち出された打球を避ければそのままミクのボールに当たった判定となり、キョウはアウトとなる。

 だが榊はその選択を選ばない。

 

 先の一撃すらギリギリの反応だったのだ。

 この一撃がどれほどの速度になるか、もはや予測がつかないレベルだろう。

 何より全身全霊、全力を込めた相手から逃げるという行動其の物が、榊には許せない行為である。

 故に――。


「――少しは矜持を曲げてやるよ」


 ボールに彼の拳が叩き込まれた瞬間、誰にも聞こえない音量で榊はそう言うと、全身から水流を巻き上がらせた。

 全ての穢を祓い清め流す、禊の水流。

 彼女の嫌う権能の一つである。


「―――――」


 水流は一瞬コート内全域に広がったかと思うと、ボールと榊の間の道へと収束する。

 彼女の水気に触れたものが、時を止められたかのように静止していく中。

 圧縮された意識の中で、榊は漸くそのボールの速度を認識が可能となった。

 停滞する世界の中で尚、打球は高速で飛来している。


 ――


 故に彼女の取る手段は一つ。

 真っ向から打球を弾き返し、彼をアウトにする事だ。

 ただそれのみに全神経を集中させる。


「――――ッ!!!?」


 榊がそのボールを捉えることが出来たのは、偏に『想定していたから』ただそれだけに尽きる。

 幾度の大戦経験すらある妖魔故の経験の豊富さと、静止の性質を持つ水気。

 その2つの要素が合わさり、紙一重で対応することを可能にしたのだ。

 そしてここが今の榊の限度でもあった。


「おおおぉぉぉ―――――ッ?!!!」


 螺旋を描く水流を物ともせず、ボールは榊の拳とぶつかる。

 発光の中、ボールと共に後退していく榊。

 衝撃の余波を食らったコートはミサイルでも直撃したかのように、巨大な破壊痕が刻まれていく。

 一体どの様な脚力と腕力をしているのだろうか。

 それでも尚榊は体勢を崩すことなく、拳をぶつけ続けている。


「榊を倒すには少し足りなかったねぇ、さてどうする愛子?」


 外野や観客に被害が出ないよう、きよはほんの一瞬の内に彼らを移動させながら嬉しそうに呟く。

 その言葉の通りボールの勢いはみるみる衰えており、ほんの僅かな差でコート内で踏み留まるだろう。

 時の停滞するコート内の出来事を捉えれるのは、僅か数人のみある。

 その内の一人であるくうが静かに口を開く。


「勝ちなさい、キョウ。負けるなんて許さないから」


 誰にも聞こえるはずのない呟き。

 爆風と水流と閃光が混ざり飛び散り合い、混沌を極める状況で音すら掻き消えてしまう小さな呟き。

 それを――。


「――当然!!」


 全身全霊を込めた一撃を放ち、ただ倒れるだけだったはずのキョウの目に強い闘争心の火が灯る。

 ボールは解き放たれた。

 最早彼に出来ることは祈ることだけであるはず。

 それを否定するかのように彼は握りしめた拳を引く。


「?」


 榊に微かな違和感が起こる。

 例えるなら水面に漣が起こった程度の違和感。

 榊に影響など起こるはずもない些事である。

 だが――。


「てめぇ?!」


 ほんの僅かにボールを覆っていた水流の軌道がずれる。

 コート内には彼がボールに込めた妖気が大量に溢れており、それを手元に引き寄せようとして一緒に引き寄せられた結果だ。

 本来であれば意味のない程度の誤差だろう。

 手動の修正も容易く、結果の差異も極小である。

 だがこの局面で極小の差異は誤差に非ず。

 致命的な結果を分かつ一因となる。


「――勝つのは僕らです」


 キョウは心の底から楽しそうな笑みを見せながら、そう宣言する。

 その真上を高速でボールが通過していく。

 榊が打ち返したボールである。


「ちっ、マジで一撃で倒されるとはな、完敗だよ」


 両手と両足から煙を吹きながら、榊はゆっくりと膝をつく。

 その足はほんの僅かコートからはみ出ており、アウトであった。


「試合終了だ。優勝はFチーム」


 高らかに宣言するきよの声と共に、奇妙なドッヂボール大会は幕を閉じるのである。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る